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文部科学委員会の視察で埼玉県和光市にある理化学研究所の脳科学総合センターに行ってきた。4年6月の佐世保事件以後、「子どもの心」と脳のメカニズムが直結して語られるような傾向を生んでいる。社会的環境的因子を排除して、子どもの情動や危機的事態を脳の器官的問題にすりかえてしまうことに、私は強い違和感を持ってきた。

「動機不明の殺人」「虐待」「ゲーム脳」「ひきこもり」「いじめ」「メール依存」「不登校」「テロリズム」「少子化」「切れる子ども」など、従来の範囲をはるかに超えて脳科学が語られるようになったのは事実である。しかし、佐世保事件を語るのに、私たちはもっと慎重であっていいという思いから昨年の本(『佐世保事件から私たちが考えたこと』(ジャパンマシニスト社)を制作した。まだ、把握しきれていないバックグラウンドが存在することは、同書の中でいくつか指摘したつもりだ。

「神経神話」という呼び方で、ひとつの説が肥大化し世俗のものとなっている事例として「ゲーム脳」を同センターの研究員の人たちが挙げていたことが印象的だった。この問題をめぐって質疑応答もあったが、同じゲームを反復継続することによって「ゲーム脳」が生まれて、子どもの成長・発達に悪影響を与えるという俗説は、現在のところ確認されていない。長時間ゲームをし続けることで、影響は生まれるが、まるで症状のように「ゲーム脳」がこどもに固定化し、宿り続けるというのは間違いで、脳の活動はもっと弾力にとんだものだという印象を持った。

俗説は大量に流布されることで、真実をねじ曲げる。「ゲーム脳」も「ニート」も、きちんと検証し整理した議論を展開しなければならないと痛感する。

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