3月11日の大地震を私は、児童養護施設を出た若者たちの相互支援組織『日向ぼっこ』の事務所で遭遇した。思えば、年末年始を挟んで日本列島に広がった「タイガーマスク現象」を契機として、私はいくつかの月刊誌や週刊誌に現場からの声と児童福祉の抜本的改善のための提案を準備していたところだった。地震の瞬間は、児童虐待を受けて親元を離れて施設で育った若者のインタビュー中だった。大きな揺れと共に、原発事故があり、私のブログやツイッターの話題もその点に集中した。そして、先月の世田谷区長選挙に急きょ立候補することになり、激戦を経て当選・就任となった。今度は、自治体の長としてこのテーマに取り組むことになる。
前任者の熊本区長からの引き継ぎ事項の中には、児童虐待防止を重点政策として進めてきたという報告があった。『児童虐待のないまち世田谷をめざして』というスローガンの下で今年の2月にもシンポジウムを開催したり、地域連携を強める取組みを重ねてきたという。そのひとつひとつを聞かせてもらうと、国会議員だった当時に児童虐待防止法を超党派で成立させ、その後2回にわたる改正に関わってきた議論を、地域で生かして実践していることを改めて知ることになった。
日本がこの2カ月、直面してきたのは東日本大震災と原発事故の大きな打撃と危機である。その直前まで、全力をあげてジャーナリストとして取材し、問題提起しようとした児童養護施設の現在を抜本的に改善するという課題は残り、また日本社会が変わろうとしてなかなか変わりきれない過渡期にある中で私たちに問いかけてくるのは、「戦後日本社会」からの転換だ。
児童養護施設に行ってみると施設で寝起きしている子どもたちの中で「被虐待児童の割合は9割」というところもある。児童養護施設はもはや「児童虐待からの育て直しの施設だ」という声もあった。しかし、児童福祉法は昭和22年に制定され、戦災孤児が街頭に溢れる時代に設計されてきた。2000年(平成12年)に児童虐待防止法が成立し、これに対応する形で児童福祉法も改正されてきたが、「児童福祉施設」を抜本的に位置づけ直すことは出来ていない。
私たちが「タイガーマスク現象」に突き動かされたのは、小学校入学時にランドセルのプレゼントという匿名寄付の連鎖に、施設で生育歴を刻んだ子どもたちが、やがて18歳になって高校卒業時に施設を出る時の支援策の貧しさを知っていたからだ。77000円が施設を出る時に手渡される。ランドセルにすれば、たった2つ分。親がいない子や、養育する責任を放棄している場合には特別加算分として14万円余が渡されるが、それとて20万円を少し超えるほどでしかない。大学や専門学校に進学する子も、東京など高校生でアルバイトが出来て、情報も支援体制も十分にあるところでようやく3割。地方は、ほぼゼロというところも今も多い。この点を1月から2月にかけて、私は何度もブログに書き、ツイッターで発信した。
世田谷区は以前から児童虐待防止に力を入れてきたとの報告を受けた。それなら、虐待の通報を受けて児童相談所に一時保護され、そして児童養護施設で育つ子どもたちが、より広い選択肢の中から未来の進路を選択出来るように何が出来るのかを考えたい。また、親から離れて、しばらくしてもう一度同居してやり直すと「虐待が繰り返されるケース」が少なくない。虐待を繰り返さないために、親に対してのサポートは何が出来るのか。これも大きなテーマだと思う。
児童虐待の現場で動いている人たちは、猛烈に忙しい。シビアなケースをいくつも抱えて、苦悩しながら日々の仕事にあたっている。何とかして、多くの現場の声やケースを集約して解析し、解決のための制度変更や提案を行なっていくシンクタンク機能も必要だ。また大学等の教育機関との連携ももっと意欲的にやりたい。もちろん、大きなテーマだから多くの人から意見を頂き、また共に手を携えることの出来る自治体間の協力もきりひらいていきたい。