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今日は「全国学校事故・事件を語る会」全国大会に招かれて、午前から午後にかけて、当事者の皆さんの声に耳を傾けて、夕刻に国会にいる者として報告と発言を行った。その報告をとりまとめて掲載することにする。神戸から帰る新幹線で「秋葉原で通り魔殺傷事件」が起きたことを知る。19時47分現在、NHKニュースでは「7人死亡、10人負傷」と伝えられていて、通り魔事件としては最悪の事態となっている。亡くなった人々や怪我をされた人々、そのご家族に、心からの冥福とお見舞いを申し上げたい。言葉を失う残虐な事件が、繰り返すことのないように、しっかりとした議論を積み上げていきたい。折しも、今日は大阪・池田小学校事件から7年目にあたる日で、児童8人が殺され、教員を含む15人が負傷した事件をふりかえる「祈りと誓いの集い」が行われていた。

全国学校事故・事件を語る会で話したこと

 超党派の議員勉強会で「学校事故・事件解明対策プロジェクトチーム」が発足している。昨年8月に、この会の皆さんに国会に来ていただいて事件・事故とその後の学校の対応をめぐって、痛切な体験を語っていただいたのがきっかけになって、超党派の勉強会をやろうという話になった。勉強会は、過去4回ほど開かれている。

 私自身、16歳から32歳まで東京都と千代田区の教育委員会を相手取って「内申書」をめぐる裁判の原告だった体験を持っている。この「内申書」も当時は、受験・進学にあたって大きな判断材料でありながら学校側が生徒の「進学・進路妨害」を恣意的に行う手段としても使われていた。「本人の情報」であるにもかかわらず、見ることや知ることが出来ないのが内申書だ。これを悪用して「虚偽の事実」や「事実の誇張」が記載されて、それによって不合格にされるのであれば、内申書制度そのものが憲法違反であるという問題提起をした裁判だった。長い間、裁判を続けたことで教育問題に継続的な取り組みを続けることになり、国会議員となってからは法務委員会に所属している。

 20代前半から40歳までのジャーナリスト時代に「いじめ」に向き合ってきた。集英社の『明星』『セブンティーン』という子どもが読んでいる雑誌に学校事件のルポルタージュを書いてきた。もっとも反響が大きかったのは、1986年2月に起きた鹿川裕史君(中学2年生)のいじめ自殺事件だった。その後、10年間にわたって「いじめ」を訴える子どもたちの声に耳を傾けながら、何冊かの本を書いた。その1冊が集英社文庫から書き下ろしで出た『いじめの光景』だ。1992年に出て何回か版を重ねたが、昨年から何度か重版が続いている。(この6月に更に2万部の重版が決まった。何ひとつ加筆していないが、編集者によると「今もほとんど変わりがないからこのままでいい」とのことだ。この15年間、「いじめ」をめぐる子どもの状況が変わらないことに責任を感じる。

2003年11月の選挙で落選したので、外に出かけることが出来るようになり、2004年6月に起きた佐世保市立大久保小学校の事件も取材した。何度か佐世保に出かけ、学校関係者の話を聞いた。『佐世保事件で私たちが考えたこと』(ジャパンマシニスト社・05年刊)にまとめてレポートしたが、マスコミが殺到した事件であるにもかかわらず、私が注目した社会体育(放課後のクラブ活動)などの論点は、見逃されている。

佐世保事件は「社会体育」という放課後の地域スポーツの場を浮き彫りにした。「社会体育」は練習も学校の体育館を使い、学校との関わりは深いが、保護者有志が指導者を見つけて自主運営する形となっており、「学校運営上は、まったく別個の組織」だ。指導者の中には、根性主義を信奉している人もいて、私が取材した時に出会った人は、春夏冬の休み返上で小学生にも早朝から夕方までの長時間練習で成績を向上させたことを自負している人もいた。こうした無理なクラブ活動は、子どもたちの間にトラブルを発生させて、いじめにも深く絡んでいく場合が多い。クラブで発生した人間関係のトラブルは、当然ながら学校や教室の中に持ち込まれる。また、事件当時、話題となったインターネットやメールの普及も、新たに「ネット上のいじめ」が教室に反射・増幅するなど、子どもたちの環境を一変させている。

今、国会での超党派勉強会で国に文部科学省から独立した「学校事故・事件調査委員会」(仮称)を設置して調査が出来ないかどうかをプロジェクトチームで検討している。毎回、文部科学省や警察庁、厚生労働省にも同席をしてもらって「いじめ」の実態や各地の「第三者機関」の現状などのヒアリングを続けている。厚生労働省の「医療安全調査委員会」(仮称)の検討段階も参考にしながら、これから議論を煮詰めていく予定だ。

日体大水泳部、宮嶋選手「死亡事故」について

そして、5月28日には日本体育大学水泳部の宮嶋武広さんが、2年前の春、中国昆明で高地トレーニング中のプールで事故死したケースを取り上げて、御両親に来てもらい事実を証言してもらった。すでに、テレビの報道番組などで知られているが、ポイントは「事実の歪曲」「事故の封印」である。標高2000メートルの高地トレーニングで、50メートル往復の強行練習の最中に宮嶋武広さんは亡くなった。誰が見ても、事故死であるにもかかわらず、中国の病院が「突然死」とカルテに記載し、解剖を行わなかったことを奇貨として、大学側は「病死」と強弁している。

 しかし、この点はすでに東京地方裁判所で始まった民事訴訟の争点となっているので、国会で正面から問うても実のある答えは返ってこない。私は金銭の動向に着目した。まず、現地に出向く費用や遺体搬送費用、葬儀等の実費を、日本体育大学は保護者会費から捻出した1000万円を学友会に渡して、この金でまかなっている。驚くべきことに学校側(学校法人日本体育会)からの支出はゼロである。宮嶋さんに会って伺うと、49日に100万円が「見舞金」として手渡されたという。あくまでも、クラブを統括する組織・学友会からのものであり、法人からの支払いではない。

 さらに、宮嶋武広さんの学費等を扱っていた通帳に今年になって、300万円が振り込んであったのをお母さんが発見した。通帳には「保険金」と記載されていたので、不審に思って損保会社に問い合わせた。「保険金は支払えないが、あまりにも大学側が熱心だったので、上司と相談して出しました」とのこと。文部科学省は、当初は大学の主張通りの説明をしていたが、わずか1週間後にこの答弁は覆る。私の質問によって、日本体育大学で調査したところ「保険金ではなく見舞金」と思い込んできたが、よく見ると保険金だった」と文部科学省に報告してきたという。

 大学丸ごと加入する団体保険から300万円が支払われたようだ。この保険は、文部科学省所管の団法人日本国際教育支援協会が取り扱う団体保険の補償内容は死亡時に「1000万円」(Aコース)「600万円」(Bコース)である。宮嶋さんの以外の死亡事故の場合は、同協会の資料によるとこれまでは、全て満額支払われている。ところが、宮嶋さんの死亡だけが、満額1000万円ではなくて300万円と7割減となっている。いかなる調査と判断によるものなのか。

 スポーツ指導中の学校事故でも数多く繰り返されている事例だが、スポーツと事故の「因果関係が不明である」というところに多くの学校関係者は逃げ込む。「疑わしきは病気」というのは本末転倒。「疑わしきは事故」が原則であり、定期的な健康診断のデータにも特段の異常がないのに、「証拠がないから病気」というのは合理性を欠くのではないか。「病気」であることを学校側が証明することが出来ない以上は、「事故」として扱うべきだ。

 スポーツ振興センターの給付金の請求・支払い手続きを成人の労災並みに改革するべきだ。シンポジウムでも話題になったが、この制度自体が知られていないし、運用も恣意的すぎる。「今は、学校が事実を認めなければ何も出ないし、逆に裁判等で保護者と和解が行われれば自動的に支払われるという運営は、文部科学省の下部機関で独立性・公平性が担保されない」という指摘が参加した弁護士さんからあり、これも国会で議論すべきテーマだ。

(実際にどのような「学校事故・事件調査委員会」をつくるかについては、私見を述べたが、もう少し整理してから後日発表したい)


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