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景気が回復局面だという。企業の設備投資意欲も活発になり、久しく続いた「ゼロ金利」も解除に向かう。「医療・福祉のセーフティーネットは過剰に充実しすぎており、金持ちがもっと金持ちになって社会全体を牽引していくことで下層階級の所得も引き上げることが出来る」というのが、新自由主義の構造改革論者の十八番だったが、そろそろ「構造改革」の結果が現れて検証可能な地点に立っている。今年の国会で「格差社会」がテーマとなったのは、「非正規雇用が3人に1人」「生活保護以下の所得で生活する人々が400万人以上」などと実態の一部が出てきたからだ。

 真面目に働くことで貯蓄をして、よりよい住居や生活を構築するという従来の「勤労者像」をさかさ絵にしたような悪循環に苦しんでいるのが、「ワーキング・プア・働く貧困層」の人々である。働き続けることで、あるいは求職を続けることで、わずかな貯蓄をも取り崩してアパートの家賃を支払うお金も尽きて路上に出る。「本人の努力不足だ」「情報をきちんと集めていない」などの感想を持つ人もいるようだが、本質的な問題は賃金が安すぎることにある。

 先日のNHKスペシャルを見て、建築関係の日払いの仕事に着いている若者たちが「7千円」の日当を受け取る場面があった。私が、高校を中退してアルバイト生活に飽きて、日払いの建築の仕事をしたのは1973年頃だが、当時とほぼ変わらない金額だ。今から30数年前、私が住んでいた杉並区西永福のアパートは、日当たりのよい3畳で家賃が7000円だった。現在は、世田谷区で、風呂・トイレなしでも5万円以下のアパートを探すのは難しい。郊外に出るか、交通の便の悪いところならないわけではないが、30数年でこれだけ物価があがっている。

 30数年前に建築関係など、ケガの危険がある重労働は日払いでも報酬が良かった。20日働けば15万円ほどの収入になって、同世代の大卒新人の初任給よりも多い金額を稼ぐことが出来た。私は週に2~3日働いて、残りの日は本を読んで暮らしていた。また、私は自分の時間を多く確保したかったのでこうした仕事を選んでいたが、日給3500円~4000円程度のアルバイトならたくさんあって、贅沢は出来ないまでも東京で暮らすことは出来た。他の就業形態を選ぶことも出来たということも大切だ。

 景気回復は、物価上昇とセットで進展しそうだ。レバノン戦争を受けて、原油高が続いていて、ガソリンはついに140円台に入っている。デフレ経済の恩恵は、300円前後でも食事が出来る店が増えたことにあるが、これらの低価格競争の枠が一斉に外れたらどうなるだろうか。これは、ワーキング・プアの人々を直撃し、さらなる生活困難に突き落とす。給与・報酬を引き上げることがないと生存出来ないから団結して闘うというのは、労働運動の原点である。個人加盟型労働組合の出番だと思う。

 この社会を重苦しくさせているのは、「自己責任」という呪縛だ。「構造改革」という名のニューリッチ焼け太り礼賛語と共に、こうした精神支配言語をしっかりと解体していく作業が必要だ。差別や不平等を前に「自己責任」を悟る人々が、「これも時代の変化だ」と諦念する人々が、もはや土俵際まで追いつめられている。

 生き延びるための闘い、尊厳を取り戻す闘い……それは、格差を再生産している政治・経済システムの変更を堂々と要求することから始まるのではないか


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