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 昨日は5時起きで羽田空港へ。高松空港からバスで高松港へ。そして、10時半の高速艇で11時15分、小豆島の草壁港に着いた。水源開発問題全国連絡会の遠藤保男共同代表の要請を受けて、強制収容を前にしたダム建設予定地の緊急集会に駆けつけたのだった。



建設されているのは「新内海(しんうちのみ)ダム」。香川県が事業主体となっている補助ダムである。先に土地収用法にもとづく収用裁決で明け渡し期限とされた24日を前に、地元住民らが団結小屋前に集まっていた。「新内海ダム工事の強制土地収用抗議集会」の看板がかかる軽自動車貨物の前で集会は始まっていた。残念ながらの雨模様だったが、名勝地「寒霞渓(かんかけい)」が紅葉の季節を迎えている光景が目の前に拡がる。

 超党派の国会議員でつくる公共事業チェック議員の会の事務局長を引き受けていた私は、2007年に鳩山由紀夫前総理(当時は民主党幹事長)に会長就任をお願いすることにした。初めて訪れた鳩山由紀夫事務所で「友愛」の書を背後に、鳩山氏は「小豆島にある新内海ダムの問題に是非取り組んでほしい」と就任にあたっての強い関心を私たちに伝えてくれた。

 そして、事務局長だった私はその約束を果たすために2008年11月に小豆島新内海ダムの視察を企画し、実行した。また、翌年には亀井静香氏が自民党の政調会長時代に「中止決定」をしたにもかかわらず、小泉政権が「復活」させた「山鳥坂(やまとざか)ダム」の現地を見て、その翌日に高松にある香川県庁で「新内海ダム」についてのヒアリングを行なった。鳩山由紀夫氏はこの交渉の席に出るためにわざわざ高松までやってきた。

 そして、1年後。政権交代は現実のものとなる。当の鳩山氏は内閣総理大臣となった。国土交通大臣には前原誠司氏が就任し「八ッ場ダム建設中止」を打ち出して、小豆島の住民たちの期待は高まった。
更に昨年10月15日、ダム反対運動の陳情団と会った前原前大臣は30分にわたって懇談。「鳩山総理から聞いて承知しています。私も寒霞渓は素晴らしい景色であることはよく知っています。大臣の権限内で努力します」と語ったという。さらに12月12日には、全国の補助ダム事業の現場としては初めて、小豆島を訪れ新内海ダムの現場を視察している。

「これで新内海ダムは止まる」と思った反対住民らの安堵感は、数カ月で反転する。新内海ダム建設事業に対して、「国の補助金を凍結」してきた前原前国土交通大臣は、方針転換を行ない補助金全額を認めることになる。そして、8カ月後には強制収容を予期した抗議集会を開催しなければならないほどにダム建設は圧倒的に既成事実化しようとしている。(続く)



〔参考引用〕

新内海ダム建設、「反対貫く」

2010年11月23日

 小豆島の新内海ダム建設予定地にあるダム反対派の地元住民の土地約5千平方メートルの明け渡し期限を迎えた22日、反対派住民らは所有地に建てた団結小屋近くで「建設は許さないぞー」と気勢を上げる抗議活動をし、ダム反対の意思を改めて宣言した。この日を境に土地は県の所有になり、強制収用が可能になる。(飯島健太)

 団結小屋にはこの日朝、雨の降る中、地元住民ら約60人が集まった。抗議活動を計画した「寒霞渓の自然を守る連合会」が呼びかけた。駆けつけた前衆院議員の保坂展人さんは新たなダムを「生命や安全を守るものとは正反対。政権交代しても変わることがない」と批判。連合会事務局の佐伯幸男さん(73)は「ダム工事費を教育、福祉、環境の問題に使えば小豆島が元気になる道につながるはずだ」と声を張り上げた。

 連合会のメンバーが「建設に永久に反対し、中止まで闘い抜く」との宣言文を読み上げた後、建設現場を一望できる展望台に移動し、工事の進み具合を見た。連合会代表の山西克明さん(71)は「完成後に『こんなはずじゃなかった』と言っても遅い。ダムがいらないことをみんなにわかってほしい」と話した。

 ダム建設を進める県は24日から、水没予定地にある県道の付け替え道路の建設工事を準備する作業として、木の伐採や測量、掘削などを進める予定。(朝日新聞)

〔引用終了〕





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