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8月15日が今年もやってくる。メディア関係者と会うと、小泉総理は靖国参拝を行うに違いない、と予測している。昭和天皇の靖国参拝中止の理由を書き取った「富田メモ」の報道にも「(自身の靖国参拝については)影響はない」と語る小泉総理は、任期を前に5年前の総裁選で公約した「8月15日に靖国参拝を行う」という発言通りに実行するだろうというのだ。ところが、もし大方の予想通りに「8月15日靖国参拝」を行ったとすれば、総裁選公約よりも重い「2001年8月13日・総理談話」に背いてしまうことになる。

2001年8月13日、小泉総理は靖国参拝を行った。自民党総裁選挙では「誰が何と言っても8月15日に靖国参拝を行う」とタンカを切ってきた小泉総理だが、予告した15日より2日早い13日に前倒しして参拝を行った。私は靖国問題の資料を整理していて、ふと当時の総理談話を再読してみた。読んでみて、小泉総理自身を縛る総理談話に大いに注目する必要があると感じた。素直に読む限り、「8月15日靖国参拝」を予定したが実行しなかった理由が述べられている。それでも、今年の夏ふたたび行くとすれば、5年前の日本政府を代表して内外に発表した「総理談話」を撤回しなければならなくなり、小泉総理自身が説明のつかない立場に追いやられる内容だと感じた。以下、少し長いが官邸HPより引用して全文を掲載することにする。

★小泉内閣総理大臣の談話★
平成十三年八月十三日

 わが国は明後八月十五日に、五十六回目の終戦記念日を迎えます。二十一世紀の初頭にあって先の大戦を回顧するとき、私は、粛然たる思いがこみ上げるのを抑えることができません。この大戦で、日本は、わが国民を含め世界の多くの人々に対して、大きな惨禍をもたらしました。とりわけ、アジア近隣諸国に対しては、過去の一時期、誤った国策にもとづく植民地支配と侵略を行い、計り知れぬ惨害と苦痛を強いたのです。それはいまだに、この地の多くの人々の間に、癒しがたい傷痕となって残っています。

 私はここに、こうしたわが国の悔恨の歴史を虚心に受け止め、戦争犠牲者の方々すべてに対し、深い反省とともに、謹んで哀悼の意を捧げたいと思います。

 私は、二度とわが国が戦争への道を歩むことがあってはならないと考えています。私は、あの困難な時代に祖国の未来を信じて戦陣に散っていった方々の御霊の前で、今日の日本の平和と繁栄が、その尊い犠牲の上に築かれていることに改めて思いをいたし、年ごとに平和への誓いを新たにしてまいりました。私は、このような私の信念を十分説明すれば、わが国民や近隣諸国の方々にも必ず理解を得られるものと考え、総理就任後も、八月十五日に靖国参拝を行いたい旨を表明してきました。

 しかし、終戦記念日が近づくにつれて、内外で私の靖国参拝是非論が声高に交わされるようになりました。その中で、国内からのみならず、国外からも、参拝自体の中止を求める声がありました。このような状況の下、終戦記念日における私の靖国参拝が、私の意図とは異なり、国内外の人々に対し、戦争を排し平和を重んずるというわが国の基本的考え方に疑念を抱かせかねないということであるならば、それは決して私の望むところではありません。私はこのような国内外の状況を真摯に受け止め、この際、私自らの決断として、同日の参拝は差し控え、日を選んで参拝を果たしたいと思っています。

 総理として一旦行った発言を撤回することは、慙愧の念に堪えません。しかしながら、靖国参拝に対する私の持論は持論としても、現在の私は、幅広い国益を踏まえ、一身を投げ出して内閣総理大臣としての職責を果たし、諸課題の解決にあたらなければならない立場にあります。

 私は、状況が許せば、できるだけ早い機会に、中国や韓国の要路の方々と膝を交えて、アジア・太平洋の未来の平和と発展についての意見を交換するとともに、先に述べたような私の信念についてもお話したいと考えています。

 また、今後の問題として、靖国神社や千鳥が淵戦没者墓苑に対する国民の思いを尊重しつつも、内外の人々がわだかまりなく追悼の誠を捧げるにはどのようにすればよいか、議論をする必要があると私は考えております。

 国民各位におかれては、私の真情を、ご理解賜りますよう切にお願い申し上げます。


長い解説は不要だと思う。これは、「靖国参拝」を行ったことの説明であると共に、「前言を翻して、8月15日に行かなかったこと」への説明なのだ。自分の真意は平和であり戦没者の純粋な追悼である。しかし、内外から批判の声が高まり、あえて8月15日に参拝をすることで、「戦争を排し平和を重んじる」という日本政府の姿勢に誤解や疑念を生むのだとしたら、それは自分の望むものではない。「総理として一旦、行った発言を撤回することは慙愧に堪えないが」、8月15日に参拝することは断念した……こう述べているのである。

従って、小泉総理がこの夏の8月15日に靖国参拝を行うのだとしたら、5年前の自身の談話を消去・破棄して、日本政府を代表して内外に示した見解を180度変えなければならない。8月15日ではなくても、アジア外交はこの時から悪化の一路をたどった。内外の世論に配慮するために、自ら踏んだブレーキを外し、アクセルを踏むことへの説明も必要だ。自らの談話を空証文にしたら、政府を代表して行う総理談話の価値と信頼をおとしめてしまう。

それでいいのか。「永田町の変人だから」などという奇妙な理解は、国際社会では通用しない。小泉総理の8月15日靖国参拝を阻んでいるのは、5年前の小泉総理談話だという構図がここにある。

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