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佐藤栄作元総理宅で、沖縄返還時の「佐藤・ニクソン会談」で交換された秘密文書が公開された。沖縄返還は「核抜き・本土並み」という原則で日本政府がアメリカと交渉した上で合意に至ったものとされている。この文書が両国首脳の間で交わされたものであれば、「核兵器の沖縄への持ち込み及び通過」をアメリカ側が要請し、日本側が「遅滞なくその要件を満たす」という「合意」が、政府の公的見解とは別に存在したことになる。歴代自民党政権は、日米間の「密約」について、数え切れないほどの回数で嘘をついてきたことになり、沖縄に新設されようとしている辺野古基地の使用・運用の問題も含めて、歴史の検証をした上での結論が求められる。

この両首脳「密約」には、「米国政府はまた、沖縄に現存する核貯蔵施設の所在地である嘉手納・那覇・辺野古及びナイキ・ハーキュリー基地をいつでも使用可能な状態で維持し、重大な緊急事態の際には実際に使用出来るように求める」と書かれている。「非核3原則を堅持する」という鳩山内閣の方針が揺らがないのであれば、40年前の「密約」とはいえその「効力が消滅」していることを再確認する必要がある。今日も、沖縄問題を書いてみたい。

「普天間を取り戻したぞ」と上気した興奮を隠さず橋本元総理が言った。それから、13年をふりかえると「普天間撤去」の看板に隠して、「辺野古基地建設」を強引に膨張させていった歴史がある。基地の整理・縮小ではなくて、基地の新設・強化となってしまった辺野古移設の裏に何があったのか。

昨日、阿佐ヶ谷ロフトAで、『噂の真相』元編集長の岡留安則さんと、ノンフィクション作家の奥野修司さん、共同通信の石山永一郎さんと私でシンポジウムを行なった。沖縄問題が関心を集めているために、会場も熱心な観客で埋まった。
いくつか印象に残った発言を書き残しておこう。

 共同通信の石山さんは、91年からの4年間マニラ支局長としてフィリピンに赴任していた。そこで、クラーク空軍基地、スービック海軍基地という米軍基地の完全撤去の現場を見てきた。米軍基地に依存してきた地域では基地がなくなることに不安の声が強く、雇用を失うことになる住民も困惑していた。しかし、現在はどうか。基地跡地の再開発が進み、基地があった当時の5倍の雇用を生んでいる。基地にあった上下水道をはじめとしたインフラをうまく生かしながら、工業団地を形成して成功している。
「海兵隊は敵地に上陸していく部隊で、イラクでもアフガンでも数週間かけて展開している。グァムか硫黄島、いちばんいいのはアメリカ本土に戻ること」と語った。

 奥野さんは、「沖縄の米軍は占領軍のようなものだ。読谷でひき逃げ事件があったが、その容疑者の米兵ですら引き渡されていない。今、米軍は基地内の住宅を離れて、基地の外に家賃60万円~80万円という六本木なみの高額家賃の賃貸住宅が目立つようになった。これも「思いやり予算」のどこかにある米軍支援策で、ほとんどの家賃を日本が負担しているから無茶苦茶な贅沢が出来る」と語った。また,基地跡地の利用にしても、沖縄新都心と呼ばれるおもろ町の再開発について、何のビジョンもなくてひどい街並みになっていることを批判した。

 私は、「沖縄に日本政府(外務省)の沖縄大使がいることをどれだけの人が知っているのか。橋本・梶山という政治家が『基地問題』と真っ正面から取り組むために設置した国内大使というポジションだから、本来はこの時期にもっとも忙しくなければならない。しかし、まったく機能していないので岡田外務大臣に『廃止した方がいいですよ』と進言した」と語った上で、このブログでも書き続けている「オスプレイ問題」「1966年から温めていた米軍基地構想」などにふれて問題提起した。

おもろ町に住んで、沖縄の基地問題の行方を見届ける岡留氏は、これからも精力的に「普天間基地移設」をめぐるディープな状況を探り、情報発信するという。私自身も勉強になる「超真面目」な会となった。


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