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井上ひさしさん、ばばこういちさんと「戦後民主主義」を支えたリベラルな旗手の役割をはたした人たちの訃報が続く。人間に寿命がある以上、やがて戦争体験を持つ世代はいなくなり、戦前の軍国主義時代の言論弾圧や治安維持法下の恐怖の監視社会を知る人たちの生の記憶も「書物」の世界にのみ宿る時が来る。おまけに、書物さえ存続しうるのかは怪しくて、「電子書籍化」の波に出版界はおののいている。

このところ、メディア関係者に会うと「新聞」「雑誌」「テレビ」といった媒体の力が衰え、インターネットやデジタルコンテンツの勢いが止まらないという話題に必ずなる。私も、こうしてブログを書き続けていて、すでに紙で読んでもらっている印刷物よりも、ネット上の言説に触れている人の方が圧倒的に多いことを感じている。しかし、だからと言って「ネット」「デジタル」にすべてを託すという気にならないのは旧世代だからだろうか。

 インターネットの欠点は、2000年以前の情報はきわめて限られていること、まして1995年以前の情報は「検索サービス」に引っかかってこないことにあると感じている。過去に発行された書籍や雑誌の歴史的文書のデジタル化は、ほとんど進んでいない。私は、国会での質問をする時に必ずと言っていいほど国立国会図書館の立法考査局の力を借りてきた。かれらは、書類上のデータのみならずネット上の情報についても優秀なリサーチャーである。

 たとえば「政治資金規正法」のこれまでの改正作業の経緯をたどろうとすると、せいぜい2000年以前のデジタル情報は「新聞記事データベース」に残っているぐらいだ。これも、新聞社と契約した有料コンテンツであり、「検索サービス」で簡単に引き出せるようなものではない。「検索可能」なものは、政治学者や大学院生の書いた論文のPDFファイルが出てくる程度で、客観的な評価に耐える文面かどうかは、他の資料と突き合わせることがなければ判らない。

 だから「検索サービス」には限界があり、せいぜいこの10数年の情報が蓄積されているのにすぎないということを前提にして見る必要がある。さらには、インターネット情報の特性として「オリジナル情報」が限定されていることだ。ネットやブログは誰でも発表出来るのだが、発表する内容が「独自情報」であることは実は少ない。

昨年の春には「かんぽの宿等一括譲渡疑惑」を中心にブログを書きためていったが、何か新しい情報はないかと検索しても、ネット上の情報は私のブログも含めた限られた情報源からの引用が多かった。それでも、新聞・テレビが伝えない情報をいち早く流すという意味ではネットの特性はあるが、その情報の確度や信憑性がどうあろうが、流れた情報が一人歩きするという面も否めない。

 だから、インターネットを介した情報戦の土台となるクールな非デジタル情報をどう扱うかがポイントとなる。人が証言する生の言葉や周辺の人の証言、ジャーナリストや学者の記事などの裾野があって、速報性のあるネット情報が事実に切り込んでいくという図式が出来るといい。ということを、デジタル情報のブロクでアップするところに今日という時代が現れている。


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