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 世田谷区長に就任して3日目となりました。今日は、早朝に出発して福島県南相馬市、そして飯舘村をめざしています。ただし、大型連休の車の渋滞に巻き込まれてしまい、予定時間に到着出来るかどうかわかりません。現在は正午で郡山市の近くまでは来ています。東日本大震災での大きな被害は、地震によって起きた大津波と、原発事故です。南相馬市は、そのいずれの被災地でもあり、市の北部は「20キロ圏内」の「警戒地域」を抱え、市内の多くが「20~30キロ圏内」の「屋内退避」が続いていました。現在は「緊急時避難準備地域」となり、市内の郵便配達や佐川急便などが集荷・配達を再開し、連休明けにはイオンも営業を始めると新聞報道にはあります。

 先日の新聞に注目すべき南相馬市長の発言がありました。

〔引用開始〕

「警戒区域の南相馬市長『世界の原発克服拠点に」

東日本大震災の津波と福島第1原発事故により大きな被害を受けた福島県南相馬市の桜井勝延市長は25日、共同通信の取材に答え、放射能除染や代替エネルギー開発などにかかわる企業や人材を世界から誘致し、同市を原発を克服する産業の「世界の拠点」にしたいとの復興構想を示した。

 市長は震災後、多くの企業が市外への移転を考えている現状では、復興も一筋縄ではいかないと指摘。「高台に街をつくればいいというような『復興』とは全く違う発想が必要だ」と述べ、斬新な計画を策定しなければならないと語った。

 同市南部は原発20キロ圏の「警戒区域」に指定されている。市長はこうした苦境を逆手に取り「脱原発とかアンチ原発ではなく、原発を克服する産業の拠点」にしたいと語った。

 具体的には、放射能汚染の除去技術や原子力に代わる次世代エネルギー開発などにかかわる企業や資本、人材の集積を呼び掛けたいと表明。「日本だけでは無理」だとして「世界の勇気ある人たちを集めることができれば、英知を集積できる」と期待感を示した。

 市長は震災後、動画投稿サイト「ユーチューブ」で世界に向けて窮状を訴え、今年の米タイム誌では「世界で最も影響力ある100人」に選ばれた。「今後はSOSだけではないことを訴えていきたい」と述べ、復興に向けたアイデアを国内外から積極的に取り込んでいく考えを示した。(共同47ニュース

〔引用終了〕

 今回の選挙で私も「世田谷発、日本再生」で、世田谷を原発依存から自然再生・持続可能な新エネルギーの研究・開発の拠点にと訴えてきただけに、どこかでかみ合う接点があるのではないかと思います。まずは、桜井市長の考えている「原発克服拠点」の構想を聞かせてもらいたいと思います。福島第一原発での事故収束作業の先が見えない中で、「生活再建」「地域再興」をめざすのは困難な壁も多いと思いますが、先月26日に南相馬市をお訪ねしてお話しを聞いた時点からの1カ月を共に振り返ってみたいと思います。

 また、4月7日に隣の田中良杉並区長と桜井市長は、官邸を訪れて菅直人総理に自治体間の直接支援について国の支援を要請しています。昨日の東京都区長会、東京市区長会でも、「自治体間のダイレクト支援」が国の財政支援の対象になるように田中杉並区長が提案し了承されていることから、今後全国レベルのスピーディーな支援がどんどん拡がることを期待したいと思います。

 この続きは会談が終わってから書くことにします。(まだ渋滞中)

〔追記〕

 この渋滞はしぶとくて、朝6時に世田谷を出た私たちが南相馬市役所に着いたのは、午後3時でした。さっそく、桜井勝延市長と再会し、記者たちも市長室に同室する中で懇談した。その懇談から、2時間後には共同通信の記事がネットにあがった。なんという早さ、『どこどこ日記』よりはるかに早い。

〔引用開始〕 

脱原発を掲げて当選した元衆院議員の保坂展人65 件世田谷区長が29日、東日本大震災で津波の被害を受け、市南部が福島第1原発から半径20キロの警戒区域に指定された福島県南相馬市を訪れ、桜井勝延市長と面会した。

 放射線除去技術の研究者や企業を集め、南相馬市を原発克服の拠点とする復興構想を打ち出した桜井市長に、保坂区長は「研究者や企業は東京に地の利がある。いい形でリンクしたい」と協力を申し出た。

 桜井市長は「原発災害からの再生のために知恵を出し合う話し合いのテーブルを早くつくりたい」と語り、「プロジェクトが具体的に始動すれば、雇用の場も生まれる」との見通しを示した。

 保坂区長は3月26日にフリージャーナリストの立場で南相馬市を訪問。「桜井市長が頑張っている姿に感銘を受け、僕も区長選への出馬を決めた」とも話していた。

共同通信47ニュース

〔引用終了〕

「原発克服」というのは桜井市長の言葉だが、私は選挙戦で「原発依存から持続可能な自然再生エネルギーへの転換」を訴え、「世田谷を研究・開発の拠点としたい」とした政策を提示した。南相馬市が世界に発信し、東京・世田谷での取組みと連携することが出来れば、何が起きているのか理解出来ない人を飛び越えて、新たな流れを起こすことが出来る。

 その後に、飯舘村を訪れた。「計画的避難地域」に指定された飯舘村で起きている事態は深刻で、菅野典夫村長j会ってその感を強くした。この飯舘村の現状については、明日書くことにする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東日本大震災の津波と福島第1原発事故により大きな被害を受けた福島県南相馬市の桜井勝延市長は25日、共同通信の取材に答え、放射能除染や代替エネルギー開発などにかかわる企業や人材を世界から誘致し、同市を原発を克服する産業の「世界の拠点」にしたいとの復興構想を示した。

 市長は震災後、多くの企業が市外への移転を考えている現状では、復興も一筋縄ではいかないと指摘。「高台に街をつくればいいというような『復興』とは全く違う発想が必要だ」と述べ、斬新な計画を策定しなければならないと語った。

 同市南部は原発20キロ圏の「警戒区域」に指定されている。市長はこうした苦境を逆手に取り「脱原発とかアンチ原発ではなく、原発を克服する産業の拠点」にしたいと語った。

 具体的には、放射能汚染の除去技術や原子力に代わる次世代エネルギー開発などにかかわる企業や資本、人材の集積を呼び掛けたいと表明。「日本だけでは無理」だとして「世界の勇気ある人たちを集めることができれば、英知を集積できる」と期待感を示した。

 市長は震災後、動画投稿サイト「ユーチューブ」で世界に向けて窮状を訴え、今年の米タイム誌では「世界で最も影響力ある100人」に選ばれた。「今後はSOSだけではないことを訴えていきたい」と述べ、復興に向けたアイデアを国内外から積極的に取り込んでいく考えを示した。(共同)



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