「2011年3月11日」は、日本の歴史上の転換点となり、後世に残る日となるだろう。私たちの生活全般の習慣から経済にいたるまで大きく変化するだろうし、「被災者・被害地域」をその他のところで支えるという「くにのかたち」が求められている。明治維新後の廃藩置県以来の中央政府-都道府県-市町村のラインも見直さなければならない。
たとえば、大震災によって各地で壊滅的な打撃を受けた宮城県は、「20万人規模の被災者を県外に一時移住させたい」としている。福島第1原発の近くの双葉町は、全町避難で町役場ごと埼玉県に移ってきた。こうした、地方自治体が再生・復興するためには、他の自治体や国の支援、そして市民・企業などの支援が必要不可欠である。場合によっては、国外からの支援受け入れも含めて、従来までの「災害対策」という概念を組み替える必要がある。
つまり、被災地から遠い地に被災地域の住民を一定の期間受け入れて、そのための財政負担も市民・企業・受け入れ自治体・国が連携して引き受けるという姿をつくりあげることだ。そのために被災していない地域が受ける負担は積極的に担うという覚悟も求められる。生き馬の目を抜くような厳しい競争社会が、相互扶助社会に変われるかどうかの試金石が「3・11」だと私は感じている。
険しい道のりであるのは間違いない。しかし、この大災害の時期に「自己責任論」は有害無益である。日本列島に住んでいる限り、この大災害は誰が犠牲者・被災者になってもおかしくない。被災者が「人間としての健康で文化的な生活」に戻るために「日本社会全体がお面を脱いだタイガーマスクになろう」という呼びかけをし続けることではないか。
匿名で人知れず品物を置いて去るという姿は、そのまま残ってもいい。しかし、今必要なのは顔の見える支援なのだ。「100人分の住居が欲しい」という自治体と、「それなら市内に受け入れ可能だ」という自治体が、南相馬市と杉並区が災害時の相互援助協定を生かして手をさしのべたように、もっと重層的に橋渡しをしていくことが大事だ。
これから学校は春休みに入っていく。避難受け入れが長期化すれば、子どもたちの通う学校や教員の手当てもしなければならない。本拠地である地元役所を離れて「疎開」した自治体が住民登録や納税、社会保険などの手続きも出てくる。わずかに東京都の三宅島で全島避難の経験はあるが、これだけ規模が大きな災害だと法的な手当ての必要も出てくる。
政治家は「情報の交差点」である。国の動き、企業の状況、そして地元自治体の取り組みなど各方面からの情報がイヤでも入ってくるはずだ。被災地の衆議院小選挙区選出の政治家は、地元自治体の要望をすでに中央省庁に中継する役割は負っていることだろう。ただし、平時のようなアクセス数ではないので、国の機関が即時即応するのも難しい状況だと思う。
そして被災地以外で何とか出来ないのかという思いを持っている政治家も与野党共にたくさんいると思う。被災地からの声を受け止めて、被災しなかった地域を支援する「被災地支援・超党派情報連絡センター」的なものがあると有り難い。今回の大災害は、国・自治体の力のみならず、社会各方面の総合力で対応する以外にない。
私は地震の瞬間まで年末年始の「タイガーマスク現象」を受けた児童養護施設の改善問題に取り組んでいて、そのインタビューの最中に大きな揺れを受けて中止した。今回の大災害で、おそらく親兄弟や近親者を失った子どもたちも多く出ていることだろう。そして、大災害の衝撃は大きな傷跡を残しているだろう。
「大震災と子ども支援」をテーマに全国的なネットワークも必要となってくる。3月25日に予定していたフォーラムでは、「教育問題」と「児童養護施設」をテーマに掘り下げる予定だったが、今回の「大震災と子ども支援」を軸にしながら具体的な提言までつくりあげていきたい。(地震や停電による交通状況、原発事故の状況によって延期もありえます。)
