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時折、友人とカラオケに行き、盛り上がる。同世代の友人だと、10代後半から20代前半のお互いの「選曲」に顔を見合わせて、懐かしさと一時のタイムスリップを味わう。趣味の乏しい私自身、楽しみにしているひとときだ。ところが、意外な話を聞いた。カラオケ店で働く若者から、「最近、ひとりで来店する人が多いんですよ。年代問わずですね。注文を取りに行くとたいがい歌ってるんで、お互い気まずいですね」という話だ。

カラオケを練習している人もいるらしいが、すべての人が練習のために来ているのではない。最初から「ひとりカラオケ」を楽しむために来店している人も相当数いるという。「昼の時間だと結構多くて3分の1いますね」ということだ。私は「ひとりカラオケ」の経験がないので、「カラオケは誰かと一緒にやるもの」という固定観念があるせいなのか、考え込んでしまった。

以前のカラオケはスナックやバー等の飲み屋に入っていた。突然にフルボリュームのBGMが流れてきて、顔も知らない他の客が絶唱するのをガマンして聞いて、義理の拍手声援を送って知り合いになることもあったし、そそくさと店を替えることもあった。いずれにしても、カラオケというのはスイッチが入ってしまえば「強制的に聞かされる」ものだったのだ。

街に、カラオケボックスが出来た時、なんて便利な場なんだろうと思った。ここなら気の合う仲間同士で遠慮なく盛り上がる事が出来る。「待ち時間」も短縮されるし、他の客の様子を気にする必要はない。「グループで歌う」という時間と空間をレンタルしたようなものだ。それでも、歌う順番に気を使ったり、選曲に場の空気を読むという煩わしさはあった。「ひとりカラオケ」は誰にも気がねなく自由に歌いたい曲を歌える。聞いている人は誰もいないが、自分の世界に入りこむことが出来る。

政治家は、人と会うのが仕事のようなもので、分厚い名詞ケースを持って大勢の人々と日々出会う。どちらかと言うと「浅く広く」笑顔で挨拶を交わし、時には深刻な問題を長時間話し合うこともある。その仕事の延長上、何かの二次会などでカラオケに駆けつけて1~2曲歌わせてもらうこともある。「ひとりカラオケ」とは、正反対の世界かもしれない。しかし、あえて言えば、孤独であることは大切なことだ。寂寞に耐えて、孤高の道を歩む先人に憧れて生きてきた。孤独を大切にするということは、人を遠ざけるということでは必ずしもない。

内なる自分の声にも耳を傾ける時間は必要だ。そして、いつだって叫びにならないマイクが拾わないつぶやきを聞き取る力を培っておきたい。「ひとりカラオケ」を一度、やってみることにする。






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