今日で初登庁から1年目となった。先日、4月24日午後の記者会見の記録が出来上がったので、ぜひお読みいただきたい。また、動画の記録もあるので、ぜひご覧ください。
動画→http://www.ustream.tv/recorded/22086604
「引用開始」
みなさんこんにちは。今年度2回目の記者会見を始めます。
1年前の今日、4月24日に区長選挙の投開票が行われて、11時過ぎに当選が決まりました。今日は、それからちょうど1年が巡ってきたという日です。6つの県の人口規模を上回っている世田谷区という基礎自治体の長として、「区民参加」と「情報公開」を両輪にしながら、前区政から多くのものを引き継いでのスタートとなりました。
就任当日の4月27日、幹部および世田谷区職員の前で、「行政の継続性は大事なので、95%は継続する。しかし、ただ継続しているだけでは惰性になるので、5%は大胆に変えていく」と申し上げました。そういったある種、引き継ぐものは引継ぎ、変えるものは変えるという方向のもとで、この1年取り組んできました。
力を入れたところ、変えたところは何なのかというと、一つは、今こうして開催している記者会見も含めた「情報発信」です。
これまでは季節ごとの開催だったと聞いていますが、2週間に1度ということで定例の会見をさせていただいています。また、記者の方にも多く集まっていただいて、より細かく世田谷区の取り組みあるいは住民と行政のタイアップなどのニュースを区民の皆さんに発信していただいていること、そして、記者会見を記者の皆さんだけではなく、区民あるいは関心のある方に見ていただくということで、ユーストリームのネット中継にも取り組みました。アーカイブでも見られるということで、新たな発注や委託をすることなく、区の職員が試行錯誤で取り組んで、なんとか実施にこぎつけました。本日も、広報広聴課の職員がこの作業をしています。
次に、「情報の受信」です。
メールを利用して区民の声を毎日受け取ることができないだろうかと考え、「区長へのメール」をスタートさせてから総計2,200件のメールをいただいています。広報の集計によると、メールやハガキも含めると、昨年度は3,345件です。その前の22年度は1,682件だったので、前年度比で約2倍となっており、区民からの声は確実に増えています。午前中にだいたいそのメールに目を通して、これはどうしてこんなことになっているんだろうということが書かれている場合があるので、そういったものには、「これはもう少し調べてほしい」あるいは「ここは改善できないだろうか」というメモを添えて各所管に返し、またその区民の方にも返事をするようにしています。
さらに、車座集会を区内27か所で行い、777人が参加しました。この中で、490人の方が約3分以内ということでご発言されました。質問や意見も含めてですが、こういったやりとりの中で、区民の声というものを身近で、フェイストゥフェイスでお聞きをしたということも、この1年の大きな仕事でした。
また、自然エネルギーの活用や地域防災、若者雇用、まちづくりなど、さまざまなテーマで区民参加のシンポジウムや講演会などを開き、たくさんの方に参加していただいています。ちょうど基本構想の議論が佳境に入っていく時なので、今年度はテーマ別で開催していこうということで、十分なボトムアップのもとで政策形成を行える体制を目指してきました。
同時に、世田谷区役所はかなり大所帯なので、自由闊達に意見を交わして、責任を持って、従来の繰り返しだけにとどまらない、新しい価値創造に向かう気風を育てたいと思っています。これからはじめようとしている若手職員の政策研究会、政策塾というのもその一つだと思っています。これまでのやり方を1年振り返った時に、現存するものを最大限活用しながら、足らざるところを新しい要素で補って、全体を修復的に転換していくという手法で取り組んできました。大きな建物を思い切って全部壊して、というよりは、使えるところはないかということを十分吟味した上で、使えるところは生かしてリノベーションしていくという方法論で取り組んできました。今後ともよろしくお願いします。
次に、被災地に行った話をします。
4月18日から19日にかけて、釜石市、南三陸町、東松島市を訪問し、それぞれの自治体の市長や町長と話をしました。最初の釜石市では、「釜石の奇跡」といわれた鵜住居(うのすまい)地区、鵜住居小学校というところに行ってきました。ここの小学生たちは、震災直後は校舎の3階に避難したのですが、隣の中学校の生徒たちが外に出て行くのを見て、中学生と小学生が合流して、約600人がそこから逃げ始めたそうです。その小中学生がたどったところを全部一緒に歩いてみましたが、相当遠くでした。800メートル上がったところで子どもたちは一旦止まったのですが、そこでまたがけ崩れがあったということで、さらに遠くへ逃げようということになったそうです。
これは防災教育の中で、「ベストを目指せ、最善をつくせ」ということを繰り返し子どもたちが言われていた成果であって、さらに遠くへ逃げたところ、結果として2番目に逃げたところの100メートル手前まで津波が来ましたが、全員が無事だったということです。釜石市の職員の案内で子どもたちが逃げた後の小学校にも入りましたが、3階には車がそのまま突っ込んでいるという状態だったので、本当に危機一髪だったなという思いがしました。しかし、釜石市の防災課の方は、「奇跡ばかりじゃないんです」ということで、悲劇の現場として「防災対策センター」という地域防災のセンターを紹介してくれました。ここは、避難訓練で随時使われていたということで、震災後も皆さんが集まっていたということです。しかし、これは津波に対する避難所ではないというインフォメーションが十分ではなかったということもあって、そこで多数の方が犠牲になったということでした。こうしたこともあり、「奇跡だけではないんです」ということを強調されていました。
世田谷区では東日本大震災の復興支援金を集めていて、昨年の6月から3900万円ほどになりました。第1次分は既に被災地に渡していますが、第2次分として、この釜石市にも子どもたちのケアのために役立たせてくださいということで150万円お渡ししてきました。野田市長は、「ちょうど釜石市は今、あちこちで工事をしていて、この工事をみると『復興』と思うかもしれないが、これは実は解体工事なんだ」と話していて、まだまだ復興というよりは片付けの段階という印象でした。
次に世田谷区として、昨年143人の職員を送り込んで、20人単位で交代しながら南三陸町のいろいろなお手伝いをしたわけですが、こちらに4月1日から5人の職員が行っています。激励も兼ねてこの5人の方に会ってきました。南三陸町の宿泊場所は全部流されているので、5人が宿泊する場所を隣町に用意していただいていたのですが、やはり職人さんなどが足りずリフォームが間に合わないということで、1人の女性職員以外の4人は、町の環境教育などで使われている古い木造校舎を改造した部屋で寝起きしているそうです。
その中で事務系の一人は復興企画課で復興・復旧の計画の画を描くという仕事をいきなり4月1日から始めています。かなり重い仕事でやりがいはあると話していました。もう1人は観光事業の推進ということで、かつては観光でかなりお客さんがいた南三陸町ですが、今は何もなくなってしまった中で、どうやって復興とあわせた観光に取り組んでいくかをいろいろと考えているということでした。そして、建築の土木の職員が3人行っているのですが、やはり大きな仕事が山積みで、10を超える学校や公共施設をたった2人で全部これから差配していかなければいけないということで、土木や建築の職員は図面を見たり現場に出たりと忙しく飛び回っているということで、仕事を始めて2週間とは思えないぐらいでした。
その翌日、佐藤町長とも会ってお話ししましたが、仮設ですが新しい庁舎もできて、執務室もかなり広くなって、これから本格的にこの一旦全部破壊されたところを再建していくという大変困難な仕事に取り組むということでした。世田谷区の職員5人が区に戻ってきた時には、こういった仕事をしているということを区職員や区民に報告する機会を継続的に持っていこうと思います。
次に、東松島市にも行きました。東松島市では、世田谷区の33歳の若者が、区内の船橋児童館を起点にいろいろな物資を集めてトラックに満載して東松島市に届けたことがきっかけで、彼ら若者たちが東松島市の阿部市長にかけあって小学校を借りて活動しています。このことを彼らが以前区役所を訪れて話していたので、どんな具合に活動しているのか様子を見に行きました。借りたという野蒜小学校は、NPO団体が市と協定を結んで、ボランティアを受け入れる際の宿泊や食事などのボランティア活動拠点として使われています。市としてもそういった若い力を受け入れて提携している姿にも非常に感銘をおぼえましたし、「『今の若い世代は・・』と、つい我々は言いがちだったんだけれども」と阿部市長も言っていましたが、そういった若者の活動の様子を見て勉強になりました。
また、阿部市長は震災直後2ヵ月間市役所に泊まりこんでいたということで、さまざまな被災直後のいわゆる国の制度と県と基礎自治体の間で情報や制度が追いついていかない中で、どのように頑張ってきたかというお話をしてくれました。
実際には、3月11日のあの瞬間で時計が止まっていて、がれきがそのままで、家も全部破壊されていて、何も手がついていないという地区を東松島市でも見てきました。そういうことは、なかなか東京にいるとわからないので、復興支援金などを使ってしっかりと本腰を入れた支援を今後も行っていきたいと思います。
次に「世田谷美術館への美術品の寄贈」についてです。
3月末に改装を終えてリオープンした際、世田谷区ゆかりの彫刻家の向井良吉さんの大型レリーフ「花と女性」が設置されました。これは、大阪のホテルプラザにあったかなり大きなレリーフ(彫刻)で、そのホテルが1999年に廃業になり、その後、大塚家具のショールームになったのですが、ショールームも閉鎖、解体ということになりました。このたび、大塚家具のご厚意で、解体して世田谷美術館に運んで組みなおす、という一連のプロセスの費用も含めて寄贈いただけるということで、新しい美術館の中に展示することになりました。向井さんは昭和初期から平成の彫刻家で、世田谷美術館でも7点の作品を所蔵しています。そういう意味で、また新たに区民のもとにそういった作品が帰ってきたということをお知らせしたいと思います。
次に、「まちなか観光」についてです。
先日、世田谷に「まちなか観光研究会」というものができ、開催したフォーラムに各界からかなりの方に来ていただきました。「まちなか観光」は、世田谷の価値を再発見して、再発信していこうという取り組みです。その一つとして、23区唯一の渓谷である等々力渓谷の新たなパンフレットをつくることもいたしました。
そして、このフォーラムで私もお話したのですが、スカイツリーがまもなく開業しますが、世田谷区としては、高さで競うというよりは、ローアングルで地面に近いところから見て、区内にあることをいろいろと見直していこうと考えています。区には馬事公苑があります。世田谷区の人には当たり前ですが、東京の真ん中に馬がいるというのは大変魅力的ではないかと申し上げてきました。実は、馬事公苑には立派な馬車があって、ベルギーから輸入した二頭立てのすばらしい馬車です。この馬車が馬事公苑の中を無料で巡回するというサービスもしているのですが、
その馬車に、三軒茶屋の街角に登場していただこうということで準備が整い、5月20日の2時から、三軒茶屋の茶沢通りの歩行者天国に馬車が登場することになりました。短い距離ですが、三角形のコースを何周かするということで、地域の方や福島から被災されて世田谷に暮らしているご一家など、希望の方を受け付けながら準備しています。そういう意味では、「馬車と出会うまち」というのもなかなかいいのではないかと思いますので、馬事公苑という施設があるということも再発見の一つということで、取り組みの一つとしてご紹介しておきます。
このほか、発表項目が2つあります。
一つは「テーマ別区民意見交換会」についてです。
昨年度は車座集会といって、地域で割って、その地域に住んでいる方、まちづくりセンターのご近所に、そのエリアに住んでいる区民の方の希望をとって開催したわけですが、今度は、世田谷区民であればどうぞおいでくださいということで、テーマ別に13回開催します。
最初の回のテーマは地域行政制度についてです。区役所の本庁があり、総合支所があり、まちづくりセンター、出張所があるという、世田谷区独自の地域行政制度について、さまざまなかたちで見直しやあり方を論じていこうというものです。2回目は、地域での子育てを考えていこうということで、6月2日に行うことが決まっています。これから災害対策や認知症など、さまざまなテーマについて取り組む予定です。また、今、基本構想についてまとめている時期です。この基本構想をまとめる作業と併走しながら、これからの区政にとってポイントとなる重要な課題について、参加型で皆さんに入っていただきながら、講演会やシンポジウムで皆さんが質問するという形だけではなく、ワールドカフェ方式などを使って、来た方ができるだけ参加して意見を言って、またそれが反映されていくというようなことを工夫しながら運営していきたいと思います。
2番目は、「基本構想を考える職員研究会」についてです。
これは、当初、「(仮称)職員政策塾」という言い方でご紹介していました。昨年12月から基本構想審議会で大変活発な議論が行われています。来年6月をゴールにしてこの議論を煮詰めていくわけですが、世田谷区の特に若手職員に、自分の持ち場を離れてもっと自由闊達にさまざまな意見を出してもらいながら、その力を基本構想審議会や区民参加の重要な担い手として生かしてもらおうということがあります。
その第一弾として、5月9日水曜日にワールドカフェをやってみようということになりました。世田谷区役所としては、ワールドカフェをやるのは初めてです。テーブルで島をつくって、そこに模造紙を置いて、いろいろ気軽に意見を出しながらまとめていくという手法ですが、このワールドカフェを呼びかけている方も世田谷区民の一人で、この方にワールドカフェの手法を解説していただきながら、職員一人ひとりも、今度は区民参加のワールドカフェをやるときの参考というか、自分も意見を出しながら、今度はそういったコーディネート側に回る場合のトレーニングも含めて、5月9日に実施しますので、是非、どんな意見を出しながら、どのようにやるのかということも取材していただけたらと思います。
発表は以上です。
〔引用終了〕