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 昨日、東京都議会総務委員会では青少年健全育成条例改正案とその修正案が反対多数で否決された。そして、明日は都議会本会議で粛々と否決される見通しだ。昨年の都議会議員選挙で自民・公明が過半数を割り、僅差だが野党が多数となったことで、ようやく議会らしくなってきた。そもそも、条例案が否決されることなどない都議会だったわけだから、野党が反対にまわることで否決となったのは画期的なことだった。

 この大きな変化を生んだのは、3月15日の東京都議会で行なわれた漫画家や評論家、学者の記者会見とシンポジウムを頂点とした都議会野党各派への粘り強い働きかけだったのではないか。最初は、「青少年健全育成」という言葉に包まれた「マンガ・アニメなどに描かれた非実在青少年」が登場する「視覚描写物」に対しての規制はやむをえないと考えている野党議員も多かったという。この国では「青少年の健全育成」という言葉を掲げれば、どんな法律・条例も深い議論なく成立してきた歴史があった。

 たとえば、昨年国会で成立した「青少年の健全育成」を目的に掲げるインターネット規制の法案(今回の都条例にも登場してくる)は、携帯電話からアクセスするコンテンツのフィルタリングを推奨してきたが、これが大変荒っぽいものだった。「フィルタリング」というと、まるで無数のネット上のコンテンツを「有害」「無害」とふるいにかけて、きめ細かく抽出をするようなイメージがあるけれど、実際には携帯電話の本体にはそうしたソフトをインストールすることは出来ない。携帯各社のインターネット接続に荒っぽい網をかけるだけというやり方だ。

 思いの他大胆に、カテゴリー丸ごと接続対象から外されていく。
たとえば「ブログ」は、極端な主張のものも含まれるのですべてカットする。「政治」も過激な政治団体の主張もあるのでダメ。「宗教」もカルト団体につながるおそれがあるのでダメという具合いに接続出来ないような仕組みとなっていた。この記事を書いた時よりも、携帯電話のフィルタリングは細かくなっているというが、「政治」も「ブログ」もダメなら、『どこどこ日記』はもちろんのこと、国会議員・地方議員のサイトやブログも閲覧不可能となってしまうという話で、テレビ番組の収録後に平沢勝栄さんに話したら、「そんなバカな」と絶句していた。

 日本社会の最近の傾向は、「思考停止」である。「検察が捜査」と言えば「さあ有罪だ」と条件反射し、また「青少年保護」と言えば、「手段を選ばず」と同意してしまう。民主主義とは、草木のように誰もがなびく状況であっても、少数意見が「警告」をしていれば、そこに耳を傾けるということだろう。

 昨年の6月、「児童買春・児童ポルノ禁止法案改正案」を受けての議論で正面から論戦に挑んだ時は、「改正案の是非について議論すること事態がおかしい。早くやる以外に国会の役割はない」というかの如く逆風が支配していた。今でも根はそこにある。明日の東京都条例否決の話も、東京新聞以外に突っ込んで報道するマスメディアはあるだろうか。朝日新聞は、3月に大きく報道したから掘り下げた続報を期待したいが、民主主義の力はこれから試される。


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