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 衆議院の解散から3日が経った。東京・世田谷区では、12月16日投票で準備していた都知事選挙と都議会議員補欠選挙に、衆議院選挙(小選挙区・比例区)と最高裁判所裁判官国民審査が加わった。投票箱は何と5つである。投票の混乱を避けるために、ひとつの投票にひとつの投票箱を原則にして準備を進めている。さて、「首都の顔」と「政権の行方」が重なった師走選挙は何を問いかけるのだろうか。

 これだけ短い期間で「師走選挙」が走り出したにもかかわらず、またとない「選択の機会」を前にした有権者の反応はまだ積極的ではない。メディアは、「維新の会」「太陽の党」「減税日本」「みんなの党」などの「第3極」を集中的にフォローし、既成政党に失望した人たちへの「受け皿」として描こうとしているように感じる。

 今回の総選挙のテーマは、3年余りの「民主党政権への審判」が基底にあることは間違いない。「政権交代」の結果が問われるのは当然のことだが、これは「用意、ドン」のスタートラインにすぎない。どこへ向けて走るのかについて触れておきたい。「強いリーダーシップ」「統治機構の強化」「公務員の厳格統制」などが語られながら、「民主主義の再生」「選挙後にも民意を汲み上げるシステム」「有権者・納税者との合意形成と参加・協同の道」などがあまり聞こえてこないことに強い違和感を抱く。

 あいかわらず「よっしゃ、あんたにまかせた。ダメなら次を探すからいいよ」というお任せ民主主義感覚の人々は存在する。多くを考え、政策等を細かく吟味するよりは勢いで決めて、ダメならすぐ見放すからという人々の声は「郵政解散」「政権交代」とワンフレーズ争点の白熱選挙をつくりあげる。「お任せ民主主義」と呼んだが、「観客席から芝居を眺める気分の民主主義」と呼び変えてもいい。

 ただ、すでに高齢化社会から超高齢化に向かうこの国の経済も逼迫していて、地域自治体が抱える仕事は山のようにあり、「試行錯誤」「やってみてダメなら次変える」という余裕がないのが現状だ。この国の閉塞している一例として挙げられるのは「官僚政治」「官僚統治」だ。何の説明もなく、突然に「お触れ」が下される。その「お触れ」で生活に大きな影響を受ける庶民のの声等、まるで反映されていない。「戦前」というより「江戸時代以来」と言ってもよいかもしれない。

 実は民主党の「政治主導」も、多用される「強いリーダーシップ」も、民意を汲み上げ、参加を促す回路を太くして枯れつつある民主主義を回復するプロセスが抜けている。戦後日本の歴史の中で、獲得物のひとつは「国民主権」が根付いたことだろう。納税者主権、有権者主権、消費者主権の感覚が根底に形成されているが、政治・行政の場は大変に遅れていると言わなければならない。

  選挙の結果は重いが、「絶対」ではない。選出された多数派は、選挙で主張したことの範囲で政権運営を託される。しかし、選挙で言わなかったことまで全権委任したわけではないというのが、民主主義のルールだ。選挙から選挙までの時期に、どのように有権者との距離を縮めて、合意形成や軌道修正をはかるのか、その明確なスタイルがそろそろ姿を表す必要がある。私たちをとりまく環境は、5年単位で激変している。政治が液状化している今、政党のあり方も大きく脱皮する時期が来ていると思う。

 

 

 

、政治・行政の側に「戦前からの伝統の系譜」が連綿と生き続けていることにあると感じている。

 

 

 



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