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若者報道について鋭い意見を発表し続けている後藤和智さんから、次のような指摘をいただいた。 

「最近では保坂展人氏(衆議院議員・社民党)すら《もっとも具体的な方法は、子どもをひとりで、ないし子どもだけで登下校させないことだ。たとえ社会的コストがつきまとっても実現すべきなのかもしれない》(保坂展人のどこどこ日記:格差社会と子どもの「安全」)と言ってしまっていますが、殺人という特殊な危機のために、子供の行動を全般的に制限する必要はあるのでしょうか」

さらに、

「まず、すなわち子供は一人でいると危険だから常に親が付き合うべきだ、みたいな論理が許されるのであれば、危険は何も登下校中のみに潜んでいるわけではないでしょう。
その点から言えば、例えば子供が一人で友達の家に遊びに行く際も親が付き添っていなければならない、ということになりますが、それは子供にとって、あるいは親にとってプラスといえるかどうか。また、子供が常に親の監視下におかれることによって、例えば子供がどこかに寄り道したりとかいった体験を殺してしまうことにはならないか」

と指摘されている。正直に言うと、私もつい最近までそう思ってきたし、今でも
「親の監視下」に子どもを置くことで「寄り道したりという体験を殺してしまう」
という危惧はその通りだと思う。

イギリス、フランス、イタリアなどで見聞きしたのは、「犯罪対策」で登下校時の親の送迎やスクルーバスが義務づけられていて、子どもだけで外に出ることも事実上難しい状況だった。なぜ、子どもを狙う犯罪が、このような規制を生んだのか
少し時間をかけて調べてみようと思う。

子どもを狙う犯罪が多発するような社会状況を変えなければならないのは自明だが、幼い子を持つ親としては明日もまた子どもを学校に見送らなければならない。
犯罪から子どもを守るためのより安全なセーフティネットを考え、実現しなければならない状況もある。

こうしたことは、一時の感情にかられて感情的に決めてしまってはならない問題だ。けれども、自民党が「犯罪から子どもを守る緊急本部」(会長逢沢一郎衆議院議員)を設置して、対応策を打ち出す準備を始めたが「犯罪者前歴情報の開示」などを提案する方向に議論が進むのではないかと予想している。

警察力の強化と監視社会の推進で事件がなくなるとは思えない。政治の場で議論が始まる以上、こどもの安全のためにはコストも惜しまない具体性のあるプランを主張していきたいと思う。たぶん、この問題では子どもの人権・権利に関わる人々の間でも、意見の相違が生まれてくるかもしれない。

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