昨日で「巨大地震・津波災害、そして原発事故」から1カ月が過ぎた。夕方には福島県浜通りで「震度6弱」の地震があるなど、大地は揺れ続けている。私は、定例的に開催してきた「保坂のぶとフォーラム」の臨時企画として、「原発問題緊急フォーラム」を開催、小田急線経堂駅近くの会場で100人近い区民・市民と共に現状を考えた。同じ時間帯で、区長選挙に統一候補を模索してきた市民団体が『私たちがめざす世田谷区政』(東京土建世田谷支部大会)というシンポジウムを開催していたので、途中で抜けて約30分参加して会場発言を聞いて一言語ってから、またフォーラムの会場に戻ってきた。
シンポジウムでは建築家の黒木実さんから「自分は今回の世田谷区長選挙に立候補する準備をしてきたが、昨日決断した。自分は今回の世田谷区長選挙には立候補しない。現在の区政を何としても変えなければならない。この区政の転換のために、何とかして候補の一本化が出来ないか」と会場の参加者に問いかけた。その謙虚にして勇気ある発言に拍手がわいた。私は、黒木さんとお会いして、大型公共工事・開発優先の旧来型区政からの転換と区民参加を求める政策と姿勢に共感してきた。深く敬意を表するばかりである。
私の発言は、4月6日の記者会見で話した「なぜ今、決意を固めたのか」という内容になった。大地震から1カ月、原発事故の深刻化と自治体の役割を熱をこめて語っていたら、会場から「もっと区政の話しをしないのか」というヤジが飛んだ。隣の杉並区に比べて、区職員が大きく動くわけでもなく、被災者の受け入れも大規模都市にしては少ない世田谷区政のあり方の根底に関わる話だと思っていたので、こんな声が出てくること自体が残念だった。あえて、個別政策の話はせずに主催者との約束の時間通りに会場を去った。
戻った「原発問題フォーラム」の方では、元原発技術者山田次郎さんの報告が終わり、『世界』編集長の岡本さんの話が始まっていた。「私たちは今回の災害で亡くなったり、行方不明になった人たちが3万人に及ぶということに衝撃を受けているが、ふとこの10年間もの間、毎年自ら生命を絶つ人の数が同じ3万人だったということを思い出した。見えない形で、それだけの人が亡くなっていたということも思い起こしたい」との指摘が印象に残った。こうした議論をしているさなかにも、会場が揺れた。
地震と原発災害の中で行なわれた統一自治体選挙の前半戦の結果が出た。議席数で言えば「自民党の圧勝」だが、これは積極的な支持が上積みになったものではなく、消去法的な判断の結果だと受け止めている。原発増設・安全神話をふりまいてきた政治勢力が、最悪の原発事故の前に支持を増加させるということが起きているとは思わない。いかに、この問題でのドイツ緑の党のような「受け皿」が日本にまだ出来ていないかを痛感する。
世田谷区長選挙を前に水面下でも、候補者として名乗りをあげている人たちや各陣営の中で「変化」が生じている。「何とか一本化出来ないのか」という黒木さんの真剣な問いかけの波紋も大きい。
今日(4月12日)は午後6時から、烏山区民センター前広場で、青年会議所主催の「世田谷区長選挙公開討論会」が開催される。立候補予定候補が並んで持ち時間の中で話すことになる。