昨日朝、世田谷区内で被災地支援で行動・活動してきた民間ボランティア団体やNPOの24団体で集まってもらい、報告を聞いて意見交換をする会が開かれた。私も会議の冒頭から1時間半出席して、耳を傾けた。世田谷区内に活動拠点・事務所を置いて、繰り返し支援をしてきた現場の声から、今後の復興支援活動の参考にすると共に、自治体として出来ることを検討していく。民間ボランティア団体NPOは自立的に運営・活動を展開していて、行政が過度に口を出すことは慎まなければならない。けれども、東日本大震災のような大規模な災害に対して、情報を総合化し、相互交流の場を提供することは有意義なことだと考えている。
会議の中で印象に残った声をメモに残した。
「多くの方の葬儀が出来ません。お骨を持って動いている人も多い。どこの病院に行っていいか判らない」
「毎月、岩手県大槌町に行って瓦礫の撤去をしている」「今回、車が流されてしまって移動出来ない人が出ていることを予想した。石巻市内で送迎活動に参加している。定年退職した自分たちの世代は、力仕事は無理でも運転ぐらいは出来るから役に立ちたい」
「仙台を拠点に避難所から仮設住宅の引っ越し手伝いをやってきた。引っ越しの手伝いを通して被災者の人たちとの関わりをつくっている。世田谷でも被災者の人たちの生活支援を行いたい」
「南相馬にコミュニティカフェを開く予定」
「農業用のビニールシートを風船状にふくらませて子どもたちを楽しませる活動(シーバルクと呼ぶ)を何度か実施した」
「支援物資を届けに行き、被災地から商品を買い取って販売会を実施した」
「石巻災害ボランティアセンターを拠点に毎月1回20人の職員が土砂・瓦礫の撤去、家屋の清掃などを行なっている」
「自閉症や発達障害の人たちの被災状況の調査に出かけた」
等々、多様な意見が出た。今回は第1回の被災地支援市民活動団体連絡会だが、今後は連携を深めて長期的支援を視野に入れて、秋口にも再度開催することになったと聞いている。阪神大震災はボランティア元年とも呼ばれた。ところが、今回の東北大震災では、阪神大震災に比べて格段と広い被災地に対して、相当程度にボランティアの絶対数は少ない。災害発生当初、交通手段が途絶していたり、また宿泊拠点の確保が困難だったり、ボランティアが現地入りすることを制限する風潮が強まったことが原因だというが、中長期的支援が必要だということは論を待たない。
そして、昨日の夕方には、南三陸町に11泊12日で支援に出かけてくれた第1陣の世田谷区役所の支援職員が帰ってきた。同僚たちの拍手に迎えられながら、真っ黒に日焼けした職員が次々と車から降りている。「お疲れさまでした」と声をかけて、全員が元気で帰ってきたことを喜んだ。これから、9月頭まで20人グループで第6陣まで派遣する。私も週明けに南三陸町を訪れる予定だ。