桐島洋子著『聡明な女たちへ しなやかに生きる37章』2010年12月大和書房発行、を読んだ。
1 人生の窓を開ける
2 上質に暮らす
3 華麗にプロエイジング
4 自分を愛しむ健康法
5 年齢を重ねてわかったこと
著者の言う聡明な女とは、頭のいい女、利口な女ではない。
(自分の意見を持ち主張できないと聡明とは言えないらしい。桐島さんのように)
スピリチュアルに昔から凝っている桐島さんだが、のめり込まず、距離を置き、冷静に霊媒の品格を定める。ロンドンはスピリチュアルの本場だそうだが、そこではいい加減な霊媒師が多い日本とは違い、霊媒が厳しい試練にさらされ、磨かれているという。
本書は小学館Precious 2007年1月~2010年10月に連載されたものに加筆、編集した。
私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)
7冊も桐島さんの本を読んだ私にとっては、いつもの桐島節だが、馴染みのない人にはお勧めだ。あらゆることに、歯切れの良く、辛口で批評する態度は小気味よい。世の中の(マスコミの)動向に反対して、そこまで言うかという部分もあるが、大部分は考えて見ればそれが本筋だと思えることばかりだ。
私の知らないことで、ひとつ教えてもらった。これは良い。私自身も調べて考えてみたい。それは、「献体」だ。
私には、高齢で入院していたとはいえ突然の母の死で、遺憾ながら葬儀屋の言うままになってしまったことがあり(母(7)死)、この献体というものの進め方に興味がある。
深夜、大学病院へ電話すると、2時間後には迎えの車が遺体を引きとってくれる。
年取った身体の方が献体に適しているという。桐島さんは言う。「献体、お勧めです。」
本書に「バンクーバーの友人が集まって私の古希を祝ってくれた。」とあったが、私も参加した。「Capilano Golf Clubでパーティ」
桐島洋子
1937年東京生まれ。作家。
1972年『淋しいアメリカ人』で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。
以来著作・テレビ・講演などで活躍しながら、かれん(モデル)、ノエル(エッセイスト)、ローランド(カメラマン)の3児を育て上げる。
50代で子育てを了えてからは、“林住期”を宣言。仕事を絞り、年の数カ月はカナダで人生の成熟の秋を穏やかに愉しむ。
70代からは日本で、マスコミよりミニコミを選び、東京の自宅にオトナの寺子屋「森羅塾」を主催している(桐島洋子の森羅塾へ)。
その他、『マザー・グースと三匹の子豚たち』『ガールイエスタデイ -わたしはこんな少女だった-』(絶版)『わたしが家族について語るなら』『バンクーバーに恋する』『林住期ノート』、『刻(とき)のしずく 続・林住期ノート』と、『林住期を愉しむ 水のように風のように』
『林住期が始まる』
1 人生の窓を開ける
2 上質に暮らす
3 華麗にプロエイジング
4 自分を愛しむ健康法
5 年齢を重ねてわかったこと
著者の言う聡明な女とは、頭のいい女、利口な女ではない。
「悪賢い」とか「小利口」とか「頭のいい詐欺師」とか言われる人はいても、「聡明な泥棒」や「聡明な悪者」はいない。「聡明」は頭の中身だけではなく心のありようも含めた評価であり、知情意のバランスが絶妙で、人柄品格も申し分ない人を聡明というのであり、これこそまず最上の褒め言葉だと言っていいだろう。
(自分の意見を持ち主張できないと聡明とは言えないらしい。桐島さんのように)
ファッションやコスメに関する知識は凄いのに、その主役であるべき自分の身体については驚くほど無知で、当然健康の本質も病気の正体もしらない女性が多いのだ。
そもそも美意識とは嫌悪感の堆積なのだ。・・・
スピリチュアルに昔から凝っている桐島さんだが、のめり込まず、距離を置き、冷静に霊媒の品格を定める。ロンドンはスピリチュアルの本場だそうだが、そこではいい加減な霊媒師が多い日本とは違い、霊媒が厳しい試練にさらされ、磨かれているという。
本書は小学館Precious 2007年1月~2010年10月に連載されたものに加筆、編集した。
私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)
7冊も桐島さんの本を読んだ私にとっては、いつもの桐島節だが、馴染みのない人にはお勧めだ。あらゆることに、歯切れの良く、辛口で批評する態度は小気味よい。世の中の(マスコミの)動向に反対して、そこまで言うかという部分もあるが、大部分は考えて見ればそれが本筋だと思えることばかりだ。
私の知らないことで、ひとつ教えてもらった。これは良い。私自身も調べて考えてみたい。それは、「献体」だ。
(叔母の)残された部屋は見事に整理整頓され、正式な遺書をはじめ、入院時の連絡先や死亡時の通知先リスト、延命治療拒否の書類、献体登録証、各種支払いリスト、通帳、印鑑などが一目瞭然に用意されていた。
私には、高齢で入院していたとはいえ突然の母の死で、遺憾ながら葬儀屋の言うままになってしまったことがあり(母(7)死)、この献体というものの進め方に興味がある。
深夜、大学病院へ電話すると、2時間後には迎えの車が遺体を引きとってくれる。
「ご遺灰をお返しするのは一年くらい先になると思いますが、これから三日いないならご遺体とのお別れも可能です」ということで急遽翌日に東海大学病院で身内だけの送別会をすることになった。
年取った身体の方が献体に適しているという。桐島さんは言う。「献体、お勧めです。」
本書に「バンクーバーの友人が集まって私の古希を祝ってくれた。」とあったが、私も参加した。「Capilano Golf Clubでパーティ」
桐島洋子
1937年東京生まれ。作家。
1972年『淋しいアメリカ人』で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。
以来著作・テレビ・講演などで活躍しながら、かれん(モデル)、ノエル(エッセイスト)、ローランド(カメラマン)の3児を育て上げる。
50代で子育てを了えてからは、“林住期”を宣言。仕事を絞り、年の数カ月はカナダで人生の成熟の秋を穏やかに愉しむ。
70代からは日本で、マスコミよりミニコミを選び、東京の自宅にオトナの寺子屋「森羅塾」を主催している(桐島洋子の森羅塾へ)。
その他、『マザー・グースと三匹の子豚たち』『ガールイエスタデイ -わたしはこんな少女だった-』(絶版)『わたしが家族について語るなら』『バンクーバーに恋する』『林住期ノート』、『刻(とき)のしずく 続・林住期ノート』と、『林住期を愉しむ 水のように風のように』
『林住期が始まる』