hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

槍とやもり

2007年01月17日 | 昔の話

私は子どもの頃、講談でやっているようなチャンバラ物のお話を読むことが好きだった。今は講談というと大衆伝統芸能といったところでめったにTVでもやらないが、当時は一般の人の生活に密着していて、ラジオからもよく聞こえていた。子供向けの雑誌にも、宮本武蔵、塚原卜伝、佐々木小次郎、荒木又右衛門などの剣豪や、猿飛佐助、霧隠才蔵、鞍馬天狗が登場する胸躍らせる話しが多くあり、物差しを持って一人チャンバラで切りまくったものだった。

槍の武術者の話を読んで、さっそく庭へ出て、3mもあろうかという先に細くなった竹棒をまっすぐ付きだす練習をして遊んでいた。空間の一点にねらいを定めて一気に竹棒を突き出す。このとき先端が振れず、構えた方向にまっすぐ一直線に伸ばしていく。膝を柔らかくして腰から突き出すような気持ちで左足を大きく踏み出して腕を伸ばす。最後の腕が伸びきる寸前で手首を使って先端を少し抑え気味にして目標にピッタと決まるようにする。繰返すうちにスピードが増し、型が決まるようになる。前に2回突き出し、瞬時に振り返って後ろの敵を刺す。噴出す汗もその場ですぐ蒸発するような乾き切った激しい暑さの中、一心に修験者の気持ちで頭を空にして修行に励んだ。

さすがにくたびれて、ふと見ると木の幹にヤモリが取りついている。昭和30年代の東京にはまだヤモリがいたのだ。よしとばかり、距離をはかり竹棒を「エイ」と突き出した。狙いすましたわけでもないに、訓練にたまものであろう、見事、ヤモリの心臓のあたりを貫きとおした。竹棒の先端にぶら下がったヤモリを見て、「ウヒャ」とばかり、竹棒を放り出して飛び上がりながら逃げ出した。

また、庭にはスズメがよく来た。年上の従兄弟が廊下から石を投げた。驚いたことに、石はすずめにたまたま当たってしまった。動けなくなったすずめを玄関に運び飼うことにした。米粒を与えたりしたが、まったく食べず、2日ほどで死んでしまった。固くなってしまったすずめを手のひらに乗せて、剥製のようだと思った。生と死について考えることもなかったと思う。

志賀直哉の「城之崎にて」に、療養先で投げた石が「いもり」だったか生き物に当たってしまって、生と死について考える話があったが、同じようなことが起こっても私はこの駄文を書くのみである。


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