君臨する原発 どこまで犠牲を払うのか(中日新聞2021年3月4日)

2021-12-04 19:41:17 | 桜ヶ丘9条の会

東北の緑豊かな大地を放射能で汚し、人々の平穏な暮らしを奪った2011年3月の東京電力福島第一原発事故。これだけの犠牲を払いながら、日本はなぜ原発と手を切ることができないのでしょうか。事故から1年半後に福島や沖縄、広島などを歩き、原発社会の呪縛に苦しみ、戸惑う人々の声を聴いた2013年1月~10月の連載。加筆し書籍化もされた「君臨する原発 どこまで犠牲を払うのか」の原稿を掲載します。本文中の肩書きや括弧内の年齢は当時です。「現在は……」などと断りを入れてある年齢は、取材時点です。敬称は省きました。


 大地を汚し、人々の暮らしを奪い、作業員の被ばくが続く。それでも収束がおぼつかない福島第一原発事故。これだけの犠牲を強いられてなお、ニッポンの原発ゼロへの道筋は見えない。私たちは「豊かさ」を求め、原発を制御するつもりで、逆に原発に支配され、贄(にえ)をささげる僕(しもべ)と化してはいないか。引き際の誤りが何をもたらしたのかは、あの戦争で学んだはずだ。沖縄と福島。原発の灯(あか)りが照らし出す犠牲を考える。
 

1 沖縄と福島

 二〇一二年暮れの総選挙。東京・永田町の自民党本部に、当選を示す赤いバラが咲き乱れていたころ、千五百キロ離れた那覇市で蟻塚(ありつか)亮二(65)は少々、不安を覚えていた。
 気掛かりは二つ。「オキナワ」そして「フクシマ」─。
 蟻塚は沖縄協同病院・心療内科の医師。臨床のかたわら、太平洋戦争の沖縄戦体験者の心的外傷後ストレス障害(PTSD)を研究している。
 夜中に肉親の死を夢見て跳び起きたり、死体を踏んで逃げた記憶がよみがえり、足が痛みだす……。蟻塚らの調査では、戦後七十年近くがすぎた今も体験者の半数近い44%が心身のストレス症状に苦しんでいるという。
 米軍が上陸し、住民のほぼ四人に一人、十二万人が犠牲になった沖縄。戦後も米軍基地を押しつけられ、頻発する米兵の犯罪や、新型輸送機「オスプレイ」の配備に悩まされる。蟻塚は言う。「心の傷を癒やす暇(いとま)がない」
 蟻塚はその前年、一一年三月の東京電力福島第一原発事故で、福島から沖縄へ避難した被災者の心理ケアにも携わってきた。三十代の女性の被災者から「胸がかきむしられる」というメールが届いたのは一二年夏。原発事故後、国内の原発では初めて関西電力大飯原発3、4号機が再稼働した直後だった。
 蟻塚は不安だ。「原発がある限り、福島の人たちも苦しみ続けるんじゃないか」
 自然豊かな東北の大地を汚した福島事故。最大六百平方キロメートルもの国土が「警戒区域」として区切られ、七万七千人の住民が避難を余儀なくされた。多くは古里に戻れぬまま二度目の元旦を迎えていた。
 「今こそ原発を廃止するべきだ」。そう話したのは、新右翼を標ぼうする「一水会」代表の木村三浩(56)だ。
 木村には不思議でならない。新首相の安倍晋三は「美しい国」を欲し、尖閣諸島や竹島問題では「国土を守る」と勇ましい。その首相がなぜ原発ゼロには口をつぐむのか。「原発は美しい日本の自然や風土を穢(けが)したではないか」。人々の暮らしを奪った警戒区域は、尖閣諸島と竹島を合わせた面積の百倍に及ぶ。

不敗、安全「神話」の果て

 「安全神話」の欺瞞(ぎまん)が明らかになりながら、経済的な「豊かさ」を求め原発を捨て切れない。「カネこそすべてという拝金主義に支配され、原発をコントロールできると信じ込もうとしている」。木村にはそう見える。
 あの戦争で日本は「不敗神話」を信じ込んで引き際を誤り、犠牲を拡大していった。沖縄は戦後の痛みに今も苦しみ続ける。
 日本人は沖縄を犠牲にした「偽りの平和」を甘受していると指摘する沖縄大元学長の新崎盛暉(76)はこうも言う。「土地や人を犠牲にして成り立つ原発は偽りの豊かさしかもたらさない」。だから「こんどこそ日本人は誤りを繰り返さず、引き返すべきだ」。
 沖縄には「ちむぐりさ」という言葉がある。だれかの痛みをわが身のこととして深く寄り添う意味だ。本土に、相当する言葉はない。
  一二年末、福島県いわき市の菩提(菩提)院。沖縄の鎮魂の踊り「エイサー」と、福島のじゃんがら念仏踊りの踊り手たちが、ともに舞い、太鼓とかねの音を絡み合わせた。
 エイサーは、いわき出身で同院を建立した江戸時代の僧、袋中上人(たいちゅうしょうにん)が沖縄に伝えた念仏踊りが起源とされる。ずっと昔から、つながっていたきずな。踊り手たちは一三年の震災二年に合わせ、ここで再び、共演した。沖縄と福島、心ひとつ、ちむぐりさを願って。
 
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