「この間、『パンプキン! ~模擬原爆の夏~』という本を読んだんじゃ。子供向けの本じゃったが、読みがいがあったで」
(『パンプキン! ~模擬原爆の夏~』アマゾンより)
「模擬原爆? 聞いたことがないけど、どんなもんなん?」
「1945年(昭和20)、アメリカが原爆3発の原爆を作ったのは知っとるよの。1発は広島に投下された魚雷のような形をしたウラン原爆。あとの2発は長崎に投下された球状のプルトニウム原爆じゃ」
「それぞれ、「リトルボーイ」「ファットマン」という名前がつけられとったよね」
「ウラン原爆は確実に爆発することができるけぇ、そのまま広島に投下したんよ。それに対して、プルトニウム原爆の方は投下する前に実際に爆発させてみる必要があったんじゃ。B29から日本に原爆を投下したはええが、爆発せんかったり、日本軍が解体して原爆の秘密がばれてしもうたら困るけぇの」
「あんなもん、爆発せんほうがえかったんじゃけどね…」
「今さらそれを言うても仕方ないんじゃがの…。とにかく、1945年の7月16日に、アメリカのニューメキシコ州で実験を行ったんじゃ」
「これが人類最初の核実験になったんよね」
「アメリカは原爆の開発に成功したんよの。そうなると次は、投下目標に対して、B29から原爆を正確に投下するための予行演習が必要になってくる、というわけじゃ。原爆は通常の爆弾より重いけぇ、それなりの練習が必要なんじゃそうな。しかも、原爆を落とした後は、熱線や爆風から逃れるために、すぐに反転して全力で逃げんにゃいけんしの」
「そういう理由で模擬原爆を日本に投下したんじゃね」
「模擬原爆「パンプキン」は、長さ約3メートル、直径約1・5メートル、重さは約4・5トン。外観や重さをファットマンそっくりに作った通常爆弾なんじゃ。通常爆弾じゃけぇ、投下すると、爆発する。爆発すると、人が死んだりケガをしたりするんよの」
「この爆弾が、日本に何発ぐらい落とされたんかね?」
「東京や名古屋、大阪など、全国の30都市に49発が投下されて、死者約400人、負傷者約1200人の被害を出したそうじゃ。原爆を投下するデータを集めるためだけにの」
「戦争って恐いねぇ。こんな実験や訓練を、平気でやるんじゃもん」
「原爆の投下が目視で行われたのは知っとるかいの?」
「もちろんよ。8月9日も、ほんまは福岡県小倉市(現:北九州市)に投下するはずじゃったんよね。それが目視での投下目標の確認に失敗しけぇ、第2目標の長崎県長崎市に変更したんじゃろ」
「ほうじゃの。原爆は昼間に、視界のよい状態で、人間の目で目標を確認して投下する、というのが条件じゃったんよ。この本では、7月26日に大阪市東住吉区田辺に投下された模擬原爆を取り上げとるんじゃ。この日も、ほんまは富山市にある軍需工場に投下する予定じゃったんじゃが、富山の天気が悪かったけぇ、第2目標の大阪市街地に投下したそうじゃ」
「市街地?」
「目視による投下を優先しとったけぇ、大阪は軍需工場じゃのうて、それとはまったく関係のない市街地に投下したんじゃ」
「う~ん、恐いねぇ…」
「もっと恐いのは、広島・長崎に原爆が投下されたあとの8月14日にも、愛知県で模擬原爆を投下しとることじゃ」
「えぇ~!? なんで?」
「このころ、アメリカは戦後のことを考えとったんよ。ソ連に対するアメリカの優位を守るために、原爆の投下を急いだしの。この模擬原爆も戦後、通常兵器として使うつもりじゃったらしいんじゃが、生産コストが合わんけぇ不採用になったそうじゃ」
「うちは模擬原爆って言葉を知らんかったけど、このことはアメリカ軍が伏せとったんかね?」
「もちろん。米軍の資料からこの爆弾の存在がわかったのが、20年ほど前じゃそうな。B29の基地となったテニアン島に残されとった模擬原爆66発も、機密保持のために海に破棄されたんじゃと」
↓模擬原爆については、こちら↓
「パンプキン爆弾」ウィキペディア
↓大阪市東住吉区田辺に投下された模擬原爆については、こちら↓
「模擬原爆投下跡地 碑」大阪市教 城北支部
↓模擬原爆の被害については、こちら↓
第509混成群団による模擬原爆・パンプキン被弾地一覧表
↓原爆についての関連記事は、こちら↓
戸坂の供養塔 広島市中区戸坂
映画『一枚のハガキ』 八丁座
映画『二重被爆~語り部 山口彊の遺言』 八丁座
「今日は、模擬原爆「パンプキン」について話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
(『パンプキン! ~模擬原爆の夏~』アマゾンより)
「模擬原爆? 聞いたことがないけど、どんなもんなん?」
「1945年(昭和20)、アメリカが原爆3発の原爆を作ったのは知っとるよの。1発は広島に投下された魚雷のような形をしたウラン原爆。あとの2発は長崎に投下された球状のプルトニウム原爆じゃ」
「それぞれ、「リトルボーイ」「ファットマン」という名前がつけられとったよね」
「ウラン原爆は確実に爆発することができるけぇ、そのまま広島に投下したんよ。それに対して、プルトニウム原爆の方は投下する前に実際に爆発させてみる必要があったんじゃ。B29から日本に原爆を投下したはええが、爆発せんかったり、日本軍が解体して原爆の秘密がばれてしもうたら困るけぇの」
「あんなもん、爆発せんほうがえかったんじゃけどね…」
「今さらそれを言うても仕方ないんじゃがの…。とにかく、1945年の7月16日に、アメリカのニューメキシコ州で実験を行ったんじゃ」
「これが人類最初の核実験になったんよね」
「アメリカは原爆の開発に成功したんよの。そうなると次は、投下目標に対して、B29から原爆を正確に投下するための予行演習が必要になってくる、というわけじゃ。原爆は通常の爆弾より重いけぇ、それなりの練習が必要なんじゃそうな。しかも、原爆を落とした後は、熱線や爆風から逃れるために、すぐに反転して全力で逃げんにゃいけんしの」
「そういう理由で模擬原爆を日本に投下したんじゃね」
「模擬原爆「パンプキン」は、長さ約3メートル、直径約1・5メートル、重さは約4・5トン。外観や重さをファットマンそっくりに作った通常爆弾なんじゃ。通常爆弾じゃけぇ、投下すると、爆発する。爆発すると、人が死んだりケガをしたりするんよの」
「この爆弾が、日本に何発ぐらい落とされたんかね?」
「東京や名古屋、大阪など、全国の30都市に49発が投下されて、死者約400人、負傷者約1200人の被害を出したそうじゃ。原爆を投下するデータを集めるためだけにの」
「戦争って恐いねぇ。こんな実験や訓練を、平気でやるんじゃもん」
「原爆の投下が目視で行われたのは知っとるかいの?」
「もちろんよ。8月9日も、ほんまは福岡県小倉市(現:北九州市)に投下するはずじゃったんよね。それが目視での投下目標の確認に失敗しけぇ、第2目標の長崎県長崎市に変更したんじゃろ」
「ほうじゃの。原爆は昼間に、視界のよい状態で、人間の目で目標を確認して投下する、というのが条件じゃったんよ。この本では、7月26日に大阪市東住吉区田辺に投下された模擬原爆を取り上げとるんじゃ。この日も、ほんまは富山市にある軍需工場に投下する予定じゃったんじゃが、富山の天気が悪かったけぇ、第2目標の大阪市街地に投下したそうじゃ」
「市街地?」
「目視による投下を優先しとったけぇ、大阪は軍需工場じゃのうて、それとはまったく関係のない市街地に投下したんじゃ」
「う~ん、恐いねぇ…」
「もっと恐いのは、広島・長崎に原爆が投下されたあとの8月14日にも、愛知県で模擬原爆を投下しとることじゃ」
「えぇ~!? なんで?」
「このころ、アメリカは戦後のことを考えとったんよ。ソ連に対するアメリカの優位を守るために、原爆の投下を急いだしの。この模擬原爆も戦後、通常兵器として使うつもりじゃったらしいんじゃが、生産コストが合わんけぇ不採用になったそうじゃ」
「うちは模擬原爆って言葉を知らんかったけど、このことはアメリカ軍が伏せとったんかね?」
「もちろん。米軍の資料からこの爆弾の存在がわかったのが、20年ほど前じゃそうな。B29の基地となったテニアン島に残されとった模擬原爆66発も、機密保持のために海に破棄されたんじゃと」
↓模擬原爆については、こちら↓
「パンプキン爆弾」ウィキペディア
↓大阪市東住吉区田辺に投下された模擬原爆については、こちら↓
「模擬原爆投下跡地 碑」大阪市教 城北支部
↓模擬原爆の被害については、こちら↓
第509混成群団による模擬原爆・パンプキン被弾地一覧表
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戸坂の供養塔 広島市中区戸坂
映画『一枚のハガキ』 八丁座
映画『二重被爆~語り部 山口彊の遺言』 八丁座
「今日は、模擬原爆「パンプキン」について話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
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