通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

基町クレド・パセーラ前で映画ロケ!

2011年02月28日 | まんが・テレビ・映画
「さっきKさんから聞いたんじゃけど、3月1日(火)から5日(土)にかけて、基町クレド・パセーラで映画のロケがあるんじゃと」

「ほんまか!?」




3月1日(火)~5日(土)
基町クレド・パセーラ前にて映画ロケ開催!

全国東宝系で今秋公開予定「DOG POLICE(仮題)」

■映画ロケに伴うご協力のお願い
3月1日(火)~5日(土)は下記スケジュールで映画ロケを開催いたします。
「パセーラ」・「リーガロイヤルホテル広島」へお越しのお客様は、映画セット横をご利用ください。
(狭くなっておりますのでご通行の際にはご注意ください。)
パセーラ内でのお買い物シーンの撮影も予定しております。
その際は、一般の方も映ることが想定されます。
何卒ご理解・ご協力のほど、よろしくお願いいたします。

■映画ロケスケジュール
3/1(火)~2(水) 映画セット組み立て
3/3(木) パセーラ内お買い物シーン撮影(8:00~13:30)・セット装飾(14:00~)
3/4(金) 爆破後のシーン撮影(8:00~17:30)
3/5(土) 爆破シーン撮影(7:50~8:00)
  ※爆破音がします。ご迷惑をおかけいたします。
※3/6(日) 予備日




「爆破後のシーンの撮影を先にやって、爆破シーンの撮影は後にやるんじゃね」

「周囲に迷惑がかかるけん、早朝に撮影してんじゃの」

「爆破は一瞬じゃろうけど、10分で撮影ができるもんかいね?」

「それをやってしまうのが、ロケ隊の仕事じゃろ。メイキングを見ると、「パン!」ぐらいの爆発でも、効果音やエフェクトをかけた後に映画の大画面でみると、ドッカ~ン! 大爆発~!! となるんじゃけんの」

「なんか最近、広島ロケが多いね」

「週間天気を見ると、撮影予定日に雨は降りそうにないの」

「3月3日は、着飾ってパセーラに買い物に行ってみようかね」

「広島フィルム・コミッションのホームページを見てみたら、「エキストラ募集中」と書いてあったのう」



↓広島フィルム・コミッションについては、こちら↓

広島フィルム・コミッション
http://www.fc.hcvb.city.hiroshima.jp/






「今日は、「映画「DOG×POLICE」」「爆破シーン」「基町クレド・パセーラ」「撮影現場」について調べてみようかの」





【映画「DOG×POLICE」】

「映画「DOG×POLICE」って、どんなストーリーなんかね?」



俳優の市原隼人(いちはら はやと)が、正義感あふれる警察官と警備犬の友情と活躍を描く映画「DOG×POLICE」(七高剛監督)で、主演を務めることが明らかになった。

「DOG×POLICE」は凶悪犯罪やテロ、そして地震や台風などの自然災害時に出動し、人命救助に当たる「警視庁警備部警備二課装備第四係」が舞台。
同部隊では、犯人の足跡調査や麻薬探知など刑事部の捜査を手伝う「警察犬」とは異なり、災害救助や犯人の制圧を担当する「警備犬」が活躍している。
市原が演じるのは「ハンドラー」と呼ばれる警備犬の訓練士でもある警察官・早川勇作。
海上保安庁を描いた映画「海猿」、ハイパーレスキューを描いた映画「252生存者あり」などの原作者・小森陽一が原案を手がけている。

市原は共演する警備犬シロとのやりとりについて「滅茶苦茶かわいいですよ(笑) シロとの時間はシロの顔を常に気を使い、お互いがパートナーとなる時間なので、よくシロの目線を考えています」。
早くもチームワークのよさを見せているが、「警備犬関連の方々に恥じることのないよう全力で作品にあたり、早川勇作という男を通して生きる者の大切さを表現したい」と意気込んでいる。

刑事を目指す早川勇作は、意に反して警備犬の訓練所である「警視庁警備部警備二課装備第四係」へ配属される。
しかし、警備犬が創設されて30年、災害救助に出たことはあるが、警備出動は一度もなく、勇作は仕事への意欲を失う。
しかし、劣性遺伝でアルビノとして生まれ、警備犬への道を閉ざされた「シロ」と出会い、勇作は大きな情熱と愛情でシロを優秀な警備犬へと育成しようと決意する。

「DOG×POLICE」は、10月1日から全国で公開。

(「市原隼人「DOG×POLICE」で警備犬訓練を行う熱血警察官に」映画.com 2011年2月24日)
http://eiga.com/news/20110224/16/




「「警察犬」じゃのうて、「警備犬」というのがおるんじゃのう」

「「デカワンコ」に出てくるミハイルは、「警察犬」になるんじゃね」



警備犬とは、警視庁警備部警備二課装備第三係に所属しており警察の警備・捜索活動や災害現場で被災者の捜索などを行えるように訓練された犬である。

新潟県中越地震や四川大地震などの国内・海外で発生した災害に救助犬として派遣されており中越地震では警備犬レスター号が埋没していた乗用車から救出された2歳の幼児の生存を最初に確認した。

(「警備犬」ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%A6%E5%82%99%E7%8A%AC




「この間、ニュージーランドで起こった大地震でも、日本の3頭の警備犬がクライストチャーチで活躍しとるそうじゃ」

「ほうなんじゃ。1人でも多くの人を助けてほしいね」





【爆破シーン】

「爆破シーンで思い出すのが、「西部警察 PARTⅡ」の第18話「広島市街パニック!!」じゃのう」

「宮島口あたりで、広島電鉄の市電を爆破させる話じゃったね」

「今はあんな爆発、撮影できんのじゃないんかのう。しかも、エキストラじゃのうて、単なる見物人というか野次馬をそのまんま撮影して、テレビで放送したんじゃもんの。いや~、時代を感じるわい」

「市外で、しかも人家もないようなところじゃけん、あんな派手な爆破シーンが撮影できたんじゃろ?」

「ほうじゃのう。今回は広島市内じゃし、どれくらいの爆破シーンになるんかのう? 多分、パセーラ前のふれあい広場でドッカーン! と爆発して、警備犬を連れた市原くんが負傷者を救出する、と勝手に想像しとるんじゃがのう…」


パセーラ ふれあい広場


「「西部警察」の話の続きじゃが、第19話「燃えろ!!南十字星」も広島ロケで、ウルトラマンを演じた黒部進(くろべ すすむ)氏も出演されとるんじゃ」

「お父さんは、マニアックなネタが得意じゃね。そういや、今、思い出したけど、うちは「西部警察」のロケを見たよ」

「どこでや?」

「広島駅の北口にある喫茶店で、ロケをしちゃったんよね。友だちのYちゃんと一緒に見に行ったよ」

「誰が来とった?」

「舘ひろしがおったよ。背が高かったねぇ」

「そういや、もみじまんじゅうの「にしき堂」も広島駅の北口にあるよのう。爆破された市電も「にしき堂号」で、電車の横にはデカデカと「にしき堂 もみじ饅頭」と書いてあったもんの」



↓「広島市街パニック!!」については、こちら↓

「西部警察 PARTⅡ 第18話【広島市街パニック!】 1982年10月17日」You Tube
http://www.youtube.com/watch?v=tqpHeCKx680






【基町クレド・パセーラ】

「基町クレド・パセーラも調べとこうかの」



広島そごう新館、ショッピングモールの「パセーラ」、リーガロイヤルホテルで構成されている。
建物のデザインが優れており、1994(平成6)年に「商環境デザイン賞」を受賞している。
設計はNTT都市開発(統括)、日建設計(ホテル棟)、日総建(商業棟)である。
天幕が幾層にも重なった構造は、宙に浮いているかのようである。
写真の左側の商業棟は11階建てで9階までがそごう、10階がパセーラのレストラン街、11階がNTTクレドホールになっている。
写真中央のオープンスペースは全てパセーラである。
写真の右側はリーガロイヤルホテルで、地上35階・150m、完成当初は広島でもっとも高いビルだった。

(「NTTクレド」ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/NTT%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%89



(パセーラ ホームページより)

「広島そごう新館、パセーラ、リーガロイヤルホテルにNTTクレドホールと、いろんな施設があるけん、ちょっとややこしいよね」

「ほんまじゃのう。たま~に食堂街に行くぐらいかの」

「買い物にはあんまり来(こ)んよね」

「ロケをするんなら、ジャッキー・チェンに来てもらいたいのう」

「なんで?」

「いや~、バナーとかを使うて、建物の上から下までスイ~ッと滑り降りてきたら面白いんじゃないんかのうと思うたんじゃ」





↓基町クレド・パセーラについては、こちら↓

パセーラ(基町クレド)
http://www.pacela.jp/






【撮影現場】

「基町クレド・パセーラの撮影現場に行ってきたで。夜じゃけん、撮影はやっとらんかったがの」



「ありゃ? こんなところに窓ガラスなんかあったかいね?」

「ほうじゃろ。「pacela」の文字のある下は、いっつもはなーんにもないんじゃが、あそこに窓ガラスというか、出入り口らしきものが作ってあったんじゃ」

「こりゃ、撮影用に作っちゃったんじゃね」



「内側から見た写真の方がわかりやすいじゃろ」

「中央上側にある渡り廊下の下は、いっつもはなんにもないもんね。ところで、一番下のところはどうなっとるんじゃろうか? 2階と3階部分にはガラスがついとるけど、1階部分にはなにもないね」

「近くに、ガラスの割れた窓枠が置いてあったけん、撮影時にはあれをはめ込んで使うてんじゃないんかの。相変わらず、わしの勝手な想像じゃが…」

「ふーん」

「ほかには、爆破で表面が一部はがれてしもうた床板なんかも置いてあったの」

「この記事を最初に書いた今週月曜日の週間天気予報じゃったら、雨は降らんということじゃったのに、今日は雨が降って、寒かったね」

「おう。今日は広島カープのオープン戦が福山であったんじゃが、雪が舞うとったけんの」

(青文字部分 2011年3月3日追加)







基町クレド・パセーラ内に取り付けられた、大型広告
(2011年9月11日追加)






↓映画ロケについての関連記事は、こちら↓

「てっぱん」 最後の尾道ロケ
http://blog.goo.ne.jp/hiroshima-2/d/20110205

韓国ドラマ『サイン』 尾道ロケ始まる
http://blog.goo.ne.jp/hiroshima-2/d/20110115

映画の現場について調べてみよう~映画「少女たちの羅針盤」から
http://blog.goo.ne.jp/hiroshima-2/d/20100801






「今日は、「映画「DOG×POLICE」」「爆破シーン」「基町クレド・パセーラ」「撮影現場」について勉強をさせてもらいました」

「今日もひとつ勉強になったでがんす」

「時間を作って、ロケを見に行ってみよっと」

「ほいじゃあ、またの」
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カープロード2011(その1)

2011年02月27日 | スポーツ
「あと1カ月で、プロ野球も開幕じゃね」

「おう。今年のカープは、3月25日(金)にナゴヤドームである対中日戦からじゃのう。そういや、カープロード

の看板が新しゅうなっとったで」

「カープロードいうたら、JR広島駅南口からマツダスタジアムへの道のことかいね?」

「ほうじゃ。今日は、カープロードの看板について調べてみようかの」

「広島駅からマツダスタジアムへ向かって、飾ってある順番に紹介していきますけんね」

「名前の前の数字は、背番号じゃけんの」



■77 野村謙二郎

■25 石井琢朗

■1 前田智徳

■40 倉 義和

■23 横山竜士

■55 嶋 重宣

■31 石原慶幸

■26 廣瀬 純

■2 東出輝裕

■6 梵 英心

■20 永川勝浩

■66 木村昇吾

■19 上野弘文





【77 野村謙二郎(のむら けんじろう)】



1966(昭和41)年9月19日生まれ。176センチ・80キロ。
大分県、駒澤大出身。

野村カープで臨んだ1年目のシーズンは「俺たちは勝つ」という言葉とは裏腹に、2年連続セ・リーグ5位に終わった。
この悔しさをバネに今シーズン掲げたキャッチフレーズは「STRIKIN’BACK!!-逆襲-」。
13年連続Bクラスという現状を打破し、リーグ優勝そして、日本シリーズ進出を狙う。





【25 石井琢朗(いしい たくろう)】



1970(昭和45)年8月25日生まれ。174センチ・78キロ。
栃木県、足利工高出身。

広島移籍1年目より安定した守備でチームを支えてきた。
2010年7月4日の対横浜戦(マツダスタジアム)では、プロ野球歴代単独10位となる2,372安打を記録し、また球史に名を残した。
「優勝するまで引退しない!」と誓ったベテランの、選手生命のすべてをかけた活躍に期待したい。





【1 前田智徳(まえだ とものり)】



1971(昭和46)年6月14日生まれ。176センチ・80キロ。
熊本県、熊本工高出身。

故障のために多くのシーズンを棒に振って来た昨季は、天才・前田智徳の復活の兆しが見えた年だった。
代打出場を目指して調整を行い、4月16日の中日戦(マツダスタジアム)で、自身にとって16年ぶりとなるサヨナラ安打を放った。
今季は引退覚悟の意気込みで、完全復活を誓う。





【40 倉 義和(くら よしかず)】



1975(昭和50)年7月27日生まれ。179センチ・80キロ。
京都府、京都産業大出身。

昨季は少ない打撃チャンスながら、打率.281と自己最高を記録し、2年ぶりにホームランを放つなど打撃が好調なシーズンであった。
チームから厚い信頼を寄せられている安定した守備力はもちろん、今季はさらに打撃をアピールし、正捕手の座を奪い取りたい。





【23 横山竜士(よこやま りゅうじ)】



1976(昭和51)年6月11日生まれ。178センチ・80キロ。
福井県、福井商高出身。

昨季は、永川や梅津、シュルツら救援陣が軒並み戦列を離脱するなか、まさに孤軍奮闘。
中継ぎ、抑えを問わずチームの勝利をめざした。
今季、500登板まであと61。
もし達成するとしたら横山はフル回転。
チームは後半戦の激闘の中にあるはず。
年齢的にも投手陣のリーダー的存在として、力でチームを牽引する。





【55 嶋 重宣(しま しげのぶ)】



1976(昭和51)年6月16日生まれ。181センチ・95キロ。
埼玉県、東北高出身。

好守揃いのカープ外野スタッフにあって、嶋が定位置を確保するためには、持ち前の打撃でその存在をアピールするしかない。
そのために、オフにはさらにカラダを絞り込んだ。
2004年の首位打者。
もう一度輝きを取り戻すために、心・技・体をリセット。
自らを鍛えぬくことで、ニュー赤ゴジラとして再スタートを切る。





【31 石原慶幸(いしはら よしゆき)】



1979(昭和54)年9月7日生まれ。177センチ・82キロ。
岐阜県、東北福祉大出身。

正捕手、選手会長として、投手陣の崩壊に起因するカープ低迷の責任を背負い込まされてしまった昨季。
そうした責任感もあってか、オフにはFA権を行使せず残留を決意した。
注目の早大・福井をはじめ多くの新人投手が加わった今季のカープ。
投手王国再建の一翼を担う捕手というポジションで攻守にわたる活躍を誓う。





【26 廣瀬 純(ひろせ じゅん)】



1979(昭和54)年3月29日生まれ。181センチ・87キロ。
大分県、法政大出身。

マエケンの影に隠れて目立ちこそしなかったが、廣瀬も昨季ブレイクした一人である。
もともと守備力には定評があったが、打撃の安定が課題だった。
それが一時は首位打者も狙える位置につけて、最終.309は立派。
同じ法政大出身の偉大な先輩山本浩二も遅咲きの大選手。
他球団のマークが厳しくなる今季、苦労人は真の闘いに挑む。





【2 東出輝裕(ひがしで あきひろ)】



1980(昭和55)年8月21日生まれ。171センチ・73キロ。
福井県、敦賀気比高出身。

昨季は後半戦のケガによる離脱が響き、打率、安打数ともに過去5年間で最低。
特に、近年はチームきっての安打製造器として「東出は何かをつかんだ」と言われてきただけに、シーズン当初からの打撃面での不振は本人にも想定外だった。
加えて、代役木村昇吾の成長も安穏(あんのん)としていられない理由。
東出にも逆襲のシーズンとなる。





【6 梵 英心(そよぎ えいしん)】



1980(昭和55)年10月11日生まれ。173センチ・73キロ。
広島県、駒沢大出身。

新人王を獲得した06年以降、輝きがにぶりかけていた梵が本来の力を取り戻した。
リードオフマンとして3割を超え、172安打の安定感もさることながら、盗塁王のタイトルがチームの今後に一気に光明をもたらした。
さらに磨きをかけた走塁技術で狙うは2年連続盗塁王。
機動力を生かした赤ヘル野球の復活をめざす。





【20 永川勝浩(ながかわ かつひろ)】



1980(昭和55)年12月14日生まれ。188センチ・97キロ。
広島県、亜細亜大出身。

”逆襲”を期す選手は多いが、その一番手が永川だろう。
昨季はケガにより登板10試合。
過去5年間連続して50試合以上登板し、カープのマウンドを死守してきただけに、本人にとっては何もしていないのも同様だろう。
今季、チームに加わった豊田(前巨人)からいい刺激を受けながら、二人合わせて通算321セーブの両輪でチームを勝利に導く。





【66 木村昇吾(きむら しょうご)】



1980(昭和55)年4月16日生まれ。182センチ・77キロ。
大阪府、愛知学院大出身。

東出の離脱で1軍出場を果たすと、定評のあった守備・走塁に加えて、打撃面で好調をキープし2番セカンドに定着。
つなぎとしての仕事をこなしながら、チャンスでの勝負強さも披露。
プロ初ホームランもマークし飛躍の年となった。
今期は本当の意味でレギュラーを獲得し、チームの勝利に貢献することが目標。





【19 上野弘文(うえの ひろふみ)】



1981(昭和56)年4月10日生まれ。176センチ・83キロ。
鹿児島県、樟南(しょうなん)高出身。

昨季はリリーフ陣が次々と離脱する中、大事な場面で好投を見せるなどチームを幾度となく救った。
9回のマウンドを任され、初セーブもマーク。
派手さはないが安定したピッチングで信頼をつかんだ。
ピンチにも動じない強心臓と球質の重いストレートを武器に、セットアッパーとしてさらなるレベルアップをめざす。




↓カープロードについての関連記事は、こちら↓

カープロード2011(その2)
http://blog.goo.ne.jp/hiroshima-2/d/20110301

カープロード2011(その3)
http://blog.goo.ne.jp/hiroshima-2/d/20110302






「今日は、カープロードについて勉強をさせてもらいました」

「今日もひとつ勉強になったでがんす」

「明日は、その2じゃけんね」

「ほいじゃあ、またの」
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葛原しげるのオルガン 生誕125年祭に向け修理中

2011年02月26日 | 広島の話題
「葛原(くずはら)しげるって、知っとるじゃろ?」

「もちろんよね。「♪ぎんぎん ぎらぎら 夕日が沈む」の「夕日」の作詞をされた方じゃん」

「氏が妹さんに贈ったオルガンが残っとって、今、修理に出されとるそうじゃ」



童謡作詞家葛原しげる(1886~1961年)が生まれた福山市神辺町(かんなべちょう)の葛原文化保存会は、葛原が約100年前に妹の照さんに贈ったオルガンを修理している。
6月に地元で開く生誕125年祭で音色を響かせる。

オルガンは1908(明治41)年製の国産。
左右の側面に燭台(しょくだい)を備えている。
保存会によると、葛原は投稿小説の賞金30円で、6歳年下で当時10代前半だった照さんにオルガンを贈ったという。

結婚後は井原市で暮らしていた照さんは1962年、笠岡市走出(かさおかし はしりで)の次女福尾あきさん(86)にオルガンを譲った。
照さんは1981(昭和56)年、89歳で亡くなった。

今年1月中旬、オルガンの存在を知った保存会の北川佳代子事務局長(65)たちが福尾さん方を訪問。
応接室にあったオルガンは空気を送る装置が故障していた。

その場で寄託(きたく)を受けた保存会は、製造元のメーカーに修理を依頼。
5月末にはよみがえる見込みだ。

オルガンは6月25日に同町の市神辺文化会館と葛原家旧宅で開く生誕祭で披露する計画で、今後は演奏者を探す。
北川事務局長は「葛原きょうだいの絆とともにオルガンを後世に伝えたい」と話している。

(「葛原しげる 妹に贈ったオルガン」中国新聞 2011年2月24日)
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201102240001.html




「100年前のオルガンが残っとるんじゃ。すごいね」

「左右の側面に燭台がついとるというのが、時代を感じるよのう」





「今日は、「葛原しげる」「作詞曲 あれこれ」「オルガン」について調べてみようかの」





【葛原しげる】

「葛原しげるについて調べてみようか」



葛原しげる(1886~1961年)は、広島県安那郡八尋(やひろ)村(現在の広島県福山市神辺町八尋)に生まれ、盲目の琴の名手、葛原勾当(くずはら こうとう)の孫に当たります。

講師として教壇に立ち、一貫して教育活動にあたり、地元の人たちからは、「ニコピン先生」と呼ばれ親しまれていました。
これは、子供はいつもニコニコピンピンと願い、自らもそうありたいと願っていたからだという。

教育者であるかたわら、童謡詩人としても知られ、作詞した童謡は、4000篇とも言われ、そのうちの代表作の一つ「夕日」は、葛原しげるの生家(葛原勾当旧宅)前に、童謡歌碑としてたたえられています。
また、他の代表作に「とんび」「白兎」等があります。
また、全国約400校の校歌の作詞も手がけていることも広く知られています。

葛原しげるの命日である12月7日になると生家(葛原勾当旧宅)の前にて、「ニコピン忌」がおこなわれ元気な子供たちの童謡の合唱で音楽の歴史に名を刻んだ葛原しげるの功績をたたえています。

1970(昭和45)年には、旧神辺町名誉町民となり、現在は福山市名誉市民となっています。

(「葛原しげる」神辺町観光協会)
http://www.kannabe.net/kuzuharashigeru.html




「葛原氏が作詞を始めたのは、現在の筑波(つくば)大学の母体となった東京高等師範学校(とうきょうこうとうしはんがっこう)在学中からじゃそうな」

「全国で400校もの校歌の作詞を手がけとるというのは、知らんかったね」

「もちろん、氏の母校である広島県立福山誠之館(せいしかん)中学校の第一・第二校歌と、同高校の第一・第二校歌も作詞されとってんじゃ」



↓葛原しげるについては、こちら↓

葛原文化保存会
http://ww7.enjoy.ne.jp/~enocyan/




↓福山誠之館の校歌については、こちら↓

「校歌・応援歌」福山誠之館同窓会
http://wp1.fuchu.jp/~sei-dou/kouka-ouenka-mokuji/@kouka-ouenka-mokuji.htm






【作詞曲 あれこれ】

「葛原氏は、ほかにどんな曲の作詞をされとってんかいの?」

「「村祭」があるね」

「「♪村の鎮守(ちんじゅ)の神様の…」か?」

「それそれ!」



「どんどんひゃらら、どんどんひゃらら」の「村祭」は長年、作詞・作曲者不詳の文部省唱歌とされてきたが、近年、葛原作詞、南能衛(みなみ よしえ)作曲とされた。

(「葛原しげる」ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E5%8E%9F%E3%81%97%E3%81%92%E3%82%8B




「ほかには?」

「調べたらたくさんあるんじゃけど、うちが知っとるのは「とんび」と「夢見花」くらいかねぇ。そういや、NHKで「日本の歌百選」という番組をやっとって、そこには葛原しげるの作詞した「夕日」と「村祭」が入っとったね」

「へぇ。今の時期でいうと「仰げば尊し」「うれしいひなまつり」「春が来た」「春の小川」なんて曲も入っとるんじゃのう」

「「世界に一つだけの花」や「涙そうそう」なんかもあったよ」



↓日本の歌百選については、こちら↓

「親子で歌いつごう 日本の歌百選」文化庁
http://www.bunka.go.jp/uta100sen/






【オルガン】

「記事に、「オルガンは空気を送る装置が故障していた」と書いてあったが、オルガンは鍵盤楽器じゃないんか?」

「たとえばピアノは鍵盤楽器じゃけん、鍵盤を押すと、その音が鳴るよね。オルガンは鍵盤楽器じゃないんよ。パイプオルガンをイメージしてもろうたら早いんじゃけど」

「パイプオルガンといゃあ、映画「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」(1978年)の「白色彗星」のテーマを思い出すのう…。もとい、パイプオルガンには、長いのやら短いのやら、たくさんのパイプがついとるよのう」

「あのパイプに空気を流すことで音を出しとるんよ。逆に言うと、1本のパイプで1つの音しか出せんのじゃけどね」

「なんで?」

「たとえば、リコーダーがあるじゃろ。リコーダーにある穴を、開けたり閉じたりすることで、音の高い低いを出すんよ。オルガンのパイプには穴がないけん、1つの音しか出せんのよね」

「はー、そうじゃったんか」

「サントリーホールにあるパイプオルガンには、全部で5898本のパイプがあるんじゃと」

「それだけたくさんの音が出せるということか…」

「あと、オルガンは紀元前からあったといわれとるんじゃけど、ピアノはまだ300年くらいの歴史しかないんよね」

「ははー。勉強になったでござる」



↓白色彗星のテーマについては、こちら↓

「パイプオルガン『白色彗星』」YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=kiRA1mub_Yk




↓サントリーホールについては、こちら↓

「パイプオルガンのしくみ」サントリーホール
http://www.suntory.co.jp/suntoryhall/hallguide/pipeorgan.html






「今日は、「葛原しげる」「作詞曲 あれこれ」「オルガン」について勉強をさせてもらいました」

「今日もひとつ勉強になったでがんす」

「いつも「ニコピン」でおれるように、頑張ろうね!」

「ほいじゃあ、またの」
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「手塚治虫を装丁する」展

2011年02月25日 | まんが・テレビ・映画
「手塚治虫のマンガをテーマにした装丁作品の展示会を、広島市立中央図書館でやっとるんじゃと」




企画展「手塚治虫を装丁する」展

「漫画にして文学。漫画にして哲学。漫画界の巨人。手塚治虫。その深遠なる作品を、斬新なカヴァーでいま蘇らせる。」と銘打って、手塚治虫の作品を、90名の装丁家がオリジナルのブックカヴァーとしてデザインしました。
漫画界の巨人に挑んだ斬新な装丁をご堪能ください。

■期間
平成23年2月10日(木)~平成23年3月6日(日)
*期間中の休館日 月曜日、2月15日(火)

■場所
中央図書館 2階 展示ホール

■主催
広島市立中央図書館、広島市まんが図書館

■共催
日本図書設計家協会、株式会社竹尾、財団法人広島市産業振興センター

■協賛
特種東海製紙株式会社、日清紡ペーパープロダクツ株式会社、王子特殊紙株式会社、ダイニック株式会社、関西美術印刷株式会社、東京都製本工業組合製本+シナジー創造特別委員会

■協力
株式会社手塚プロダクション

■問い合わせ先
広島市立中央図書館
TEL 082-222-5542

http://www.library.city.hiroshima.jp/news/2011/02/01000580.html




「「装丁」って何かいね?」

「本の表紙やカバー、見返し、箱があればその箱のデザインをすることじゃの。たとえば、カバーはどんな紙質のどんな色にするか、どんなイラストや文字を入れるか、と考えることじゃ。一口に紙というても、ツルツルしたものから、ザラザラしたものまで、厚いのから薄いのまで、色々あるじゃろ」

「ほうじゃね」

「もっと広くとらえると、本の大きさはどのサイズにするか、文字や写真はどのくらいの割合で入れるか、見出しや本文の書体や大きさはどれにするか、ということを考えることじゃの」





「今日は、「手塚治虫を装丁する」展について調べてみようかの」

■ふしぎなメルモ

■陽だまりの樹

■奇子

■ユフラテの樹

■アドルフに告ぐ

■メトロポリス

■どろろ

■リボンの騎士

■紙の砦

■火の鳥

「装丁作品は、それぞれの作品について10ずつ作ってあるんよ。わしが気に入った装丁のものを、パンフレットから載せとりますけんの」




【ふしぎなメルモ】

食べると年齢が変えられる不思議なキャンディーを持った少女メルモが活躍する幼年向けのファンタジー。
メルモはこのミラクル・キャンディーを使って、看護師さん、学校の先生、女性警察官などに変身し、弟のトトオと一緒に、さまざまな困難を乗り越えていくのです。


装丁:田中和枝



「やさしいお母さんに抱かれとるイメージじゃね」

「メルモの母親が誰か? なんて気にしたこともなかったのう」

「そういや、赤と青のキャンディーは、どうやって手に入れたんかいね?」

「天国のママが神さまに頼んで作ってもろうて、それをメルモに渡したんじゃ」

「赤いキャンディーを食べると若返って、青いキャンディーを食べると年をとるんよね」

「ほうじゃの。マンガ連載を始めた時は「ママァちゃん」というタイトルじゃったんじゃが、「ママァ」が登録されとったんで、「ふしぎなメルモ」というタイトルに変えたそうじゃ」



↓「ふしぎなメルモ」については、こちら↓

「ふしぎなメルモ」手塚治虫 公式サイト
http://tezukaosamu.net/jp/manga/426.html






【陽だまりの樹】

江戸から明治へ。
日本の政治の一大転換期を舞台に、その時代を全力で駆け抜けた若者たちの姿を描いた大河ドラマ。
武士という滅びゆく生き方を貫こうとする伊武谷万二郎(いぶや まんじろう)と、近代医学の道を切り開こうとする手塚良庵(てづか りょうあん)の2人の運命を、激動の時代を背景に活写しています。


装丁:谷元将泰



「手塚治虫は医学博士じゃったよね。手塚良庵って、ひょっとすると…」

「手塚治虫の曾祖父(そうそふ)、ひいおじいさんにあたる方じゃそうな。ほいで、日本で初めて軍医となった人でもあるそうじゃ」

「へぇ、そうなんじゃ」

「面白いセリフがあるんじゃ」



この桜の樹を見なさい。

これは、この富坂でも一番の老木だそうでな。
なんでも、家康公御入国の際、若木だったそうな…。
つまり、この樹は徳川300年を生きてきたことになるな。

ここは陽当たりもええし、風も強うない…。
この桜は、ぬくぬくと300年。
太平の世に安寧(あんねい)を保ってきたわけじゃ…。
ところが知らぬ間に、これこのとおり。
白蟻(しろあり)や木喰い虫の巣になってしもうたわい。
もうこれはあと10年ももつまいて。

徳川の世は、この陽だまりの桜の樹のようなものじゃ…。




「なんでもそうじゃけど、長く続くものは自分から変わっていかんと、内側から腐っていくんじゃね」




↓「陽だまりの樹」については、こちら↓

「陽だまりの樹」手塚治虫 公式サイト
http://tezukaosamu.net/jp/manga/380.html







【奇子(あやこ)】

戦後大きく変わっていく時代の中で、崩壊する旧家の一族の姿を描いた社会派ドラマ。
不義の子・奇子は、偶然目撃した身内の犯罪隠蔽(いんぺい)のため土蔵の中に閉じ込められました。
やがて美しく成長した奇子が20年ぶりに見た外の世界は、醜く恐ろしい欲望の世界でした。


装丁:戸倉 巌



「このマンガは、確か中学生のころに読んどるんじゃ」

「解説をみると、中学生が読むようなマンガじゃないよね…」

「内容的なことはほとんど覚えとらんのじゃが、「奇子(あやこ)」という名前と、読後のザラリとした感触が心に残っとるんじゃの」

「今読み直したら、また違った感想があるじゃろうね」

「そのころは知らんかったんじゃが、戦後最大のミステリーともいわれる「下山事件」もからんできとるらしいけんの」



↓「奇子」については、こちら↓

「奇子」手塚治虫 公式サイト
http://tezukaosamu.net/jp/manga/21.html






【ユフラテの樹】

高校生3人組が、島に生えていた樹の果実を食べ、超能力を身につけます。
やがて、それぞれの超能力はエスカレートし、1人が世界独裁を計画し始めます。
未熟な精神のまま突然おそろしい超能力を身につけたとしたら…。
そんな学園SFの短編傑作です。


装丁:下川雅敏



「このマンガも、中学生のころに読んだんじゃ。確か、この樹の実をブッダやキリストも食べたという設定じゃったような記憶があるんよの」

「この樹の実を食べたけん、仏教やキリスト教を作って、広めたということになるんかね?」

「あと、「自分の思い通りになることが、こんなに恐ろしいことだと思わなかった」というようなセリフもあったよのう」

「独裁者の最期みたいなセリフじゃね」

「自分の能力とは不釣合いな力、超能力や権力を持つと、そうなってしまうんじゃろうの」



↓「ユフラテの樹」については、こちら↓

「ユフラテの樹」手塚治虫 公式サイト
http://tezukaosamu.net/jp/manga/512.html






【アドルフに告ぐ】


第2次世界大戦当時の日本とドイツを舞台に、アドルフという名前を持つ3人の男がたどった運命を描く長編漫画。
ヒットラーと、ドイツ人とユダヤ人で親友の2人のアドルフ。
ヒットラー出生の秘密を探る物語の展開で、やがて2人の運命はねじ曲げられていくのでした。


装丁:多田 進



「アドルフいうたら、ヒットラーも、アドルフ・ヒットラーという名前じゃったよね」

「おお、そうじゃったのう。このマンガが連載されたのは一般週刊誌の「週刊文春」で、手塚治虫が漫画雑誌以外で連載したのは、これが初めてじゃったそうな」



↓「アドルフに告ぐ」については、こちら↓

「アドルフに告ぐ」手塚治虫 公式サイト
http://tezukaosamu.net/jp/manga/14.html






【メトロポリス】

近未来のある年、ミッチィと名づけられた人造人間は、私立探偵のヒゲオヤジに育てられます。
ところがミッチィは自分が人間でないことを知り、悪の手先として造られたことに怒って、人間への復讐をしようとするのでした。
手塚治虫の「初期SF3部作」のひとつ。


装丁:荒木慎司



「手塚治虫の「初期SF3部作」って?」

「「ロスト・ワールド」、「来るべき世界」、そして「メトロポリス」の3作じゃが、どれも読んだことがないんじゃの」

「ヒゲオヤジって、手塚治虫のマンガによう出てきてじゃね」

「スターシステムいうて、現実の役者がいろんな役を演じるように、手塚治虫の作ったキャラクターがいろいろんなマンガで、いろんな役を演じとったんじゃ。このミッチィもほかのマンガで出てきとるんじゃが、知っとるかいの?」

「うーん、分からん」



初期の美少女ヒロインです。
手塚マンガにおける最初のアイドル少女ですが、可愛いだけのお人形さんでは決してありません。
たとえば『メトロポリス』において雌雄両体で空も飛べるロボットを演じたりもするのです。
この姿が後の大スター、アトムの原型となり、ミッチイ自身もアトムの母親役で『鉄腕アトム』シリーズに登場したりもします。
ロボットも演じれば脇役として主人公の母親役も堂々と演じるのですから、なかなか女優魂のあるキャラクターだといえるでしょう。
なお、彼女はアトムの原型となったばかりか、『リボンの騎士』のサファイヤのモデルともなりました。
つまりはミッチィなくして手塚ワールドの今日の豊かさはありえなかったといっても過言ではありません。

(「ミッチィ」手塚治虫 公式サイト)
http://tezukaosamu.net/jp/character/746.html




「へぇ、アトムのお母さんで、「リボンの騎士」のサファイヤ姫のモデルじゃったんじゃ」



↓「メトロポリス」については、こちら↓

「メトロポリス(大都会)」手塚治虫 公式サイト
http://tezukaosamu.net/jp/manga/492.html






【どろろ】

体の48か所を魔物に奪われた百鬼丸(ひゃっきまる)が、魔物退治の旅を続ける怪奇漫画で、未完で終了した作品。
百鬼丸は、体を奪った妖怪を1匹倒すごとに、失った体の部分を1か所取り戻すことができ、どろろという泥棒少年と一緒に乱世の時代を力強く生きていきます。


装丁:谷口純平



「外見だけの問題じゃけど、百鬼丸ってブラック・ジャックと通じるところがない?」

「それもあるし、ブラック・ジャックに出てきたピノコという女の子と通じるところもあるんじゃ」

「ピノコ?」

「アッチョンブリケ、って言葉は知らんかの?」

「うーん、知らんねー」

「ピノコは、双子のお姉さんの体にあるこぶ(畸形脳腫)の中に、脳や手足、内臓なんかがバラバラになった状態で入っとったんじゃ。それをブラック・ジャックが手術で取り出して、1人の少女として組み立てたんじゃ」

「そういや、捨てられた百鬼丸はお医者さんに拾われて、義手や義足なんかを取りつけてもろうたんよね」



↓「どろろ」については、こちら↓

「どろろ」手塚治虫 公式サイト
http://tezukaosamu.net/jp/manga/310.html






【リボンの騎士】


天使チンクの悪戯(いたずら)のせいで、男と女の心を持ってしまったサファイア姫が、リボンの騎士として活躍するファンタジー。
サファイア姫は世継ぎのための王子として育てられますが、家臣に真相を探られ続けます。
手塚治虫が宝塚歌劇の影響を強く受けたと言われる作品です。


装丁:末房志野



「マンガは読んだことがないがのう」

「TVアニメを見て育ったけんね。それにしても、サファイア姫はかっこいいね」



↓「リボンの騎士」については、こちら↓

「リボンの騎士(少女クラブ版)」手塚治虫 公式サイト
http://tezukaosamu.net/jp/manga/559.html






【紙の砦】


第2次世界大戦末の日本で漫画に打ち込む中学生だった手塚治虫自身の姿を描いた、自伝的作品。
自身の戦争体験を生々しく描写し、自身に語らせるストレートな反戦のメッセージは、その作家性を理解する上において非常に重要な意味を持っています。


装丁:宍田利孝



「手塚少年は戦争中、勤労奉仕の中でも必死でマンガを描いとったんよの」

「今とは違うて、マンガを書いたり読んだりしちゃいけん時代じゃったんじゃろ」

「住んどった大阪も空襲におうて、ここに出てきとる女の子も大ケガをしてしまうんじゃ」



↓「紙の砦」については、こちら↓

「紙の砦」手塚治虫 公式サイト
http://tezukaosamu.net/jp/manga/88.html






【火の鳥】

不死鳥・火の鳥をモチーフとした一連の作品で、手塚治虫が初期の頃から晩年まで手がけたライフワークと言われている未完の漫画です。
古代から超未来まで地球、宇宙を舞台に生命の本質・愛・人間の愚かさなど壮大なスケールで描かれています。


装丁:おち まきこ



「「火の鳥」は話し出すと長くなるけん、今日は「宇宙編」について」



宇宙編

初出:『COM』(1969年3月号-7月号)

西暦2577年。ベテルギウス第3惑星から地球へ向かう宇宙船は、操縦者である牧村五郎の自殺によって事故に遭う。
牧村以外の男女4人の乗務員は宇宙救命ボートで脱出する。
だが、自殺したと思われた牧村五郎には、火の鳥もかかわる因縁めいた過去があった。
乗務員間の切ない愛憎(あいぞう)のドラマ。

(「火の鳥(漫画)」ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E3%81%AE%E9%B3%A5_(%E6%BC%AB%E7%94%BB)



「牧村は、過去に犯した事件のために、ある罰を受けとるんじゃ。牧村を愛していた宇宙船の乗務員のナナは、彼が受けるべき罰を知り、火の鳥に頼んであるものに変身させてもらうんよ。ほいで、そのナナを好いていた乗務員の猿田(さるた)は殺人を犯したため、火の鳥によって顔を醜(みにく)く変えられたうえ、地球に放り投げられてしまうんじゃ」

「なんか、伏字ばっかりの本を読んどるような説明じゃね」

「ネタバレになってしまうけん、こうしか説明できんのじゃ。興味を持たれた方、どうかお手にとって読んでください。ある意味、とっても恐い物語ですけん」



↓「火の鳥 宇宙編」については、こちら↓

「火の鳥(宇宙編)」手塚治虫 公式サイト
http://tezukaosamu.net/jp/manga/393.html






「今日は、「手塚治虫を装丁する」展について勉強をさせてもらいました」

「今日もひとつ勉強になったでがんす」

「最後までのおつきあい、ありがとうございます」

「ほいじゃあ、またの」
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金持神に会える街 五日市コイン通り(その2)

2011年02月24日 | 見て歩き
「今日は、昨日に続いて、コイン通りの開運金持十二支について調べてみようかの」





【子】



和同開珎(わどうかいちん。西暦708年~759年)

日本で最初に鋳造された貨幣とされ銀銭と銅銭があります。
其の頃交易の有った唐の開元(かいげん)通貨をモデルとして造られたと云われています。



「中3の娘に聞いたら、日本で一番古い貨幣は富本銭(ふほんせん)じゃ、いうて言よったけど?」

「確かに、683年に作られたといわれる富本銭の方が古いんじゃが、実際に流通したかどうかは、よう分かっとらんそうじゃ」



この貨幣が実際に流通したのか、たんなる厭勝銭(えんしょうせん:まじない用に使われる銭)として使われたに留まったかについては学説が分かれている。

(「富本銭」ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E6%9C%AC%E9%8A%AD




「和同開珎は、畿内やその周辺では実際に貨幣として使われたそうじゃが、地方では富と権力を象徴する宝物として使われたそうじゃ」

「それまでは物々交換をしよったんじゃけんね。で、どれくらいの価値があったん?」



律令政府が定めた通貨単位である1文として通用した。
当初は1文で米2kgが買えたと言われ、また新成人1日分の労働力に相当したとされる。

(「和同開珎」ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E5%90%8C%E9%96%8B%E7%8F%8E




「ねずみは、子孫繁栄・商売繁盛・五穀豊穣などの象徴とされとるんじゃ。大黒さまの使いとも言われとるしの」

「子孫繁栄といえば、ねずみ年は「子(ね)」と書くよね」





【丑】



萬年通宝(まんねんつうほう。西暦760年~)

西暦708年から958年までに発行された12種類の貨幣のひとつです。
この12種類の貨幣は皇朝十二銭(こうちょうじゅうにせん)と呼ばれています。
皇朝十二銭の後600年以上の間、日本で貨幣が造られたという記録は有りません。



「聞いたことがない、貨幣じゃね」



708(和銅元)年以来50年以上通用していた和同開珎に替わる通貨として発行されたが、万年通宝1枚に対し和同開珎10枚の交換比率が設定されたため、貨幣流通が混乱した。
不評のためかわずか5年で鋳造は中止された。

(「万年通宝」ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E5%B9%B4%E9%80%9A%E5%AE%9D




「和同開珎に代わる貨幣として造られたんよの。直径が24ミリ前後の円形で、大きさは和同開珎とほぼ同じなんじゃ」

「皇朝十二銭って、何?」



皇朝十二銭とは、708(和銅元)年から963(応和3)年にかけて、日本で鋳造された12種類の銅銭の総称である。

いずれも形は円形で中央に正方形の穴が開いている円形方孔の形式である。
貨幣価値としては、律令政府が定めた通貨単位である1文として通用した。

(「皇朝十二銭」ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E6%9C%9D%E5%8D%81%E4%BA%8C%E9%8A%AD






【寅】



永楽通宝(えいらくつうほう。西暦1587年~)

日本での貨幣寿造の記録が無い時代、中国の宋(そう)や明(みん)などからの多種の渡来銭が使われ、永楽通宝も渡来銭のひとつでしたが、後に豊臣秀吉により日本の貨幣として630年ぶりに製造されたと言われています。



「皇朝十二銭が造られんようになったあとは、中国のお金を使うとったいうことじゃね?」

「ほうじゃのう。永楽通宝は、明の永楽9(1411)年から造られたんよの。ほいで、室町時代の勘合貿易(かんごうぼうえき)で日本に持ち込まれて、日本国内で流通しとったそうじゃ」

「そういや、遣唐使(けんとうし)が894年に廃止されてから、日本と中国の間で正式な貿易があったんかいね?」

「なかったんじゃ。ほいじゃけん、日本と中国・明の貿易は、500年ぶりというわけなんじゃの。勘合貿易を始めたのは、3代将軍の足利義満(あしかが よしみつ)じゃ」

「足利義満いうたら、アニメ「一休さん」に出てきた「将軍さま」じゃね?」

「ほうじゃ。いつも一休さんのとんちにやり込められてしまうという役じゃったのう」

「虎と金運は深い関係があるんじゃと」

「そうらしいのう。理由はようわからんが…」

「ほいで、財布を買(こ)うたり、使い始めたりするのは「寅の日」がええんじゃと」

「寅の日か…。2月でいうと、4日(金)、16日(水)、28日(月)じゃのう。おお、そういや、春に財布を買うとええ、というのを聞いたことがあるのう」

「なんで?」

「春じゃけぇ、財布が張る(=春)んじゃそうな」

「落語のオチみたいじゃね」

「まぁ、信じるものは救われるじゃ!」





【卯】



天正通宝(てんしょうつうほう。西暦1587年~)

永楽通宝が日本の貨幣として造られた同時期に、豊臣秀吉により630年ぶりに造られた自国の年号の入った銀銭と銅銭の貨幣です。



「秀吉が貨幣造りを再開したということになるんかね?」

「秀吉が造った貨幣は褒章(ほうしょう)用で、戦で手柄を立てた人に贈る目的で造ったんじゃ。ほいじゃけん、流通用の貨幣とは違うんじゃの」





【辰】



文禄通宝(ぶんろくつうほう。西暦1592年~)

秀吉による朝鮮出兵の文禄の役の時、褒章用として造られた銀銭ですが製作数は少なく、最後は撤退を余儀無くされた厳しい戦いの歴史を物語る貨幣です。



「文禄の役(1592年~1593年)いうたら、秀吉が朝鮮に出兵した戦争じゃね」

「文禄の次の慶長の役(1597年~1598年)の途中で、秀吉は亡くなってしまうんじゃがの」





【巳】



小判金(西暦1601年~)

徳川家康は関が原の戦いに勝利して以後、幕府の基礎と幣制を確立しました。
金貨としては大判、小判、一分判金の3種類を造っています。
中でも小判金は徳川幣制の基礎となったものです。



「江戸時代いうたら、1両っていうお金があるよね。あれは大判? それとも小判?」

「小判じゃ。大判は贈答用として使われて、大判1枚は10両に相当したそうじゃが、実際にはもう少し価値が低かったそうじゃ」

「1両は、今のお金にするとどれくらいの価値があるんかね?」



江戸時代における貨幣の価値がいくらに当たるかという問題は、大変難しい問題です。
なぜならば、当時と現在では世の中の仕組みや人々のくらし向きが全く異なっていて、現在と同じ名称の商品やサービスが江戸時代に存在していたとしても、その内容や人々がそれを必要とする度合いなどに違いがみられるからです。

ただ、一応の試算として江戸時代中期の1両(元文小判)を、米価、賃金(大工の手間賃)、そば代金をもとに当時と現在の価格を比較してみると、米価では1両=約4万円、賃金で1両=30~40万円、そば代金では1両=12~13万円ということになります。

また、米価から計算した金一両の価値は、江戸時代の各時期において差がみられ、おおよそ初期で10万円、中~後期で3~5万円、幕末頃には3~4千円になります。

(「江戸時代の金一両は今のお金のいくらくらいに相当するのですか?」日本銀行金融研究所貨幣博物館)
http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/feature_faq.htm#question4




「あと、泥棒が肩にかついで逃げる千両箱があるよね。あれって、どれくらいの重さがあったんかね?」



テレビドラマなどで鼠小僧(ねずみこぞう)のような泥棒が逃亡する際に千両箱を脇に抱えながら屋根上を飛び移るシーンがあるが、実際に1000両分の小判の入った千両箱の重さは15kg以上になることもあるため、脇に抱えて走ったり飛んだりしながら逃亡するのは困難である。

ただし、劇中では、貧しい者に小判を分け与えながら逃走しているので、盗んだ時と逃走し終わる頃では、当然、箱の重量は軽くなっている(庶民に小判を与えることで逃走手段を確保したとも)。

(「千両箱」ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E4%B8%A1%E7%AE%B1






【午】



豆板銀(まめいたぎん。西暦1601年~)

徳川幕府の貨幣製造は金座と銀座の2箇所で行われ、豆板銀は銀座で造られた丁銀とよばれるなまこ型の銀貨幣の補助貨として造られた円形の銀貨で、丁銀の重量の量目を補うために造られたものです。



「さっき1両が出てきたんじゃが、これは計数貨幣(けいすうかへい)なんよ。これに対して、豆板銀や後に出てくる丁銀(ちょうぎん)は、秤量貨幣(しょうりょうかへい)というんじゃ」

「何がどう違うん?」

「計数貨幣は今の紙幣や貨幣で、秤量貨幣は金の延べ棒のようなものじゃの」

「???」

「計数貨幣は、例えば、その貨幣に「100円」と書いてあれば、その貨幣に含まれている金属の価値に関係なく「100円」なんじゃの。これに対して秤量貨幣は、その金属としての重さを計って、その交換価値を決める貨幣のことじゃ」





【未】



丁銀(ちょうぎん。西暦1601年~)

丁銀はなまこ型をした量目を量って使う貨幣で、鋳造は銀座役所と言う所で原材料の品位鑑定が行われたうえ鋳造し、検品され、銀座で再度、磨くなど、現代にも通用するような厳密な製造工程があったようです。



「豆板銀が1匁(約3.75グラム)から10匁(37.5グラム)ぐらいだったのに対して、丁銀は43匁(161.25グラム)くらいあったそうじゃ」

「丁銀の方が、価値があるんじゃね」

「例えば、200グラムの銀で支払いをする場合は、丁銀1枚(161.25グラム)に、不足する38.75グラム分の豆板銀を足して支払っとったんじゃろうの」

「理科の実験で使う分銅(ぶんどう)のような使い方じゃったんかね?」

「多分、そんな感じじゃったと思うんじゃがのう」





【申】



慶長通宝(けいちょうつうほう。西暦1606年~)

慶長11年、家康が駿府の銀座で造らせたといわれる銅銭ですが、現在、数が少なく、製作も粗雑であるため、はたして幣制を確立した家康が造らせたものかどうか疑問の残る貨幣です。



「この貨幣は鋳造記録がほとんどないけん、江戸幕府による鋳造を否定する説もあるそうじゃ」





【酉】



元和通宝(げんなつうほう。西暦1617年~)

徳川幕府が秀忠の代になって作られた銀銭と銅銭ですが、裏面に番号があるなどから、貨幣としてではなく、何かの記念銭ではないかと研究者の間では言われています。



「この貨幣も慶長通宝と同じく、正式な鋳造記録が確認されとらんそうじゃ」





【戌】



寛永通宝(かんえいつうほう。西暦1636年~)

江戸期の寛永13年から造られ始めた銅銭で、徳川時代の代表的な銭貨です。
始めは銅銭、後に鉄銭も造られましたが、鉄銭は明治30(1897)年に廃止。
銅銭は昭和28(1953)年まで通貨として通用していたそうです。



「寛永通宝って、どっかで見た記憶があるんじゃけど…?」

「テレビの「銭形平次」で出てきたじゃろ」

「砂丘にでっかく作っとったやつかいね?」

「そうそう。ほいで、平次が投げる硬貨も、寛永通宝じゃそうな。寛永通宝は品質がよかったこともあって、それまで流通していた永楽通宝などの渡来銭が使われなくなったそうじゃ」

「どれくらいの価値があったんかね?」

「明治4(1871)年には、銅製の1文が1厘(りん)と定められたそうじゃ」

「1厘って、いくら?」

「10分の1銭(せん)じゃ。100分の1円が1銭じゃけん、1厘は1000分の1円になるんじゃの」

「昭和28年まで使えたのは、なんで?」



戦後の昭和28年の「小額通貨の整理及び支払金の端数計算に関する法律」成立により、一円未満の少額貨幣、すなわち銭と厘は使われなくなった。
現在は「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」により「一円未満の金額の計算単位」として定められている。

(「寛永通宝」ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%9B%E6%B0%B8%E9%80%9A%E5%AE%9D






【亥】



天保通宝(てんぽつうほう。西暦1835年~)

天保銭とも呼ばれ、百文通貨として小判の形に似せて造られました。
江戸の末期には、全国各地で私的な鋳造がされ、そのため120種類以上の天保銭があるそうです。
明治24(1891)年まで通用していました。



「まん丸じゃのうて、小判に穴が開いた貨幣というのは、初めて見たよ」

「寛永通宝が1枚で1文じゃったのに対して、天保通宝が1枚で100文ということじゃったそうな。ところが、実際には80文の価値しかなかったんじゃと。しかも、天保通宝は1枚10文くらいの値段で造ることができたんじゃ」

「ということは、天保通宝を1枚造ると、90文の儲けということ?」

「ま、そういうことじゃの。それで、薩摩藩、土佐藩、長州藩など10を越える藩が幕府に黙って造っとった、つまり偽造しとったそうじゃ」

「それで、天保通宝が120種類以上もあるんじゃね」





「今日は、コイン通りの開運金持十二支について勉強をさせてもらいました」

「今日もひとつ勉強になったでがんす」

「古い貨幣の話ばっかりになってしもうたね」

「ほいじゃあ、またの」
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