通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

西国街道(旧山陽道) その10

2014年04月30日 | 見て歩き
~称名寺(しょうみょうじ)から角屋釣井(かどやつるい)まで~





「前回は、西国街道にある大膳川(だいぜんがわ)から称名寺を紹介したんじゃけど…」

「今日は、称名寺(しょうみょうじ)から角屋釣井まで。玖波(くば)の宿場町を歩いて行きますけぇの」







「称名寺を出て元の道に戻り、JR山陽本線のガード下をくぐって…」







「この角を左に曲がると、玖波の街道筋に出る」







「玖波は宿場町として栄えとって、このあたり(広島信用金庫玖波支店。JA佐伯中央玖波支店の向かい側)に玖波本陣があったそうじゃ」









「宿場町というくらいじゃけぇ、それらしい町並みが残っとるよ。さぞにぎやかじゃったんじゃろうね」

「それなんじゃがの、玖波は幕末に一度、焼けてしもうとるんじゃ」

「ほんま?」



近世宿場町・玖波

近世における玖波の歴史は宿場町としての歩みでもあった。
江戸を中心とした五街道に次ぐ脇街道の一つである西国街道(大坂~下関)は町内を二十三丁三十間(二.六キロ)にわたって貫いていた。
寛永十二年(一六三五)に参勤交代の制度が確立されると、玖波は宿場町としての重要性を増し、本陣は幕吏や西国大名の参勤・下向並びに幕府賓客の宿泊や休息にあてられる新たな使命を帯びた。

駅所である本陣は寛永九年(一六三二)以降、本陣役新屋(平田)半左衛門宅の整備普請というかたちですすめられた。
その規模は、いまに残る天保十三年(一八四二)刻成の「玖波駅御本陣間取之図」(左図)によれば間口二十一間(三十八メートル)、奥行十六間(二十九メートル)からなる約三百四十坪の敷地に、平田家居宅の八室に加えて本陣用の七室を合わせた百五十坪の建物が建てられていた。
駅には伝馬、駕籠などが常備され、それらの手配をはじめ一切の駅務は近忖の村役人が当たり、人馬見届頭取役、添役としてもろもろの要請に応じ、交通の要衝としての中枢的機能を果たしたが、慶応二年(一八六六)の長州の役により多くの人家とともに本陣の全てが焼け落ち、いまでは往古の面影をしのぶことさえできない。

(以下略)

大竹市教育委員会

(案内板より)




「幕末にあった長州征伐のときに、本陣が焼けてしもうたんじゃね」

「このあたりも戦場になって、本陣はもとより、町自体が燃えてしもうたそうじゃ」

「それじゃ、今ある町並みは?」

「明治以降に再建されたものじゃそうな」







「これが、玖波本陣洪量(こうりょう)館の復元想定図」

「本陣というくらいじゃけぇ、立派なお屋敷じゃったんじゃね」

「さっきの説明板にも書いてあったが、間口が38メートルで、奥行が29メートル。340坪の敷地に、150坪の建物が建てられとったそうじゃ」

「洪量館っていう名前は誰がつけちゃったん?」

「宝暦9年(1759年)、広島藩の家老上田氏の家臣・福山貞儀が、本陣からの眺めが素晴らしいことをたたえて、「洪量館」と名づけたそうじゃ」









「道の左側に、高札場跡と角屋釣井がある」



高札場跡と角屋釣井

西国街道における近世宿場町として本陣が置かれた玖波は参勤・下向の大名や幕吏をはじめ多くの旅行者でにぎわい、同時に近隣地域からの諸物資の集散でも活況を呈していた。

なかでも、この地は廿日市、関戸へ向けて往来する旅行者のための人馬の継ぎ立てが行われた交通の要所であり、法度・掟・条目・禁令や次駅までの定賃銭等を記した多くの高札や制札が掲げられた高札場でもあった。
この井戸は「角屋釣井」とも呼ばれて宿場の貴重な飲料水として、また最近まで西山社行者堂の寒行の水垢離(みずごり)にも永く使われてきた共同井戸の一つでもある。

(案内板より)




「水垢離って?」

「神仏にお願いをする前なんかに、水を浴びて身を清めることじゃの」

「あぁ、お祭りの前に、ふんどし一丁で冷水を頭からかけよったりしよっての、アレじゃね」







「向かって右側の石柱に、「長岡酒造場」とあったので、探してみると…」







「ここで酒造りをされよっちゃったようで…」







「今はこういうお店をされよってんじゃ」

「「寒竹」いうお酒を造られよっちゃったんじゃね」







「浄土真宗本願寺派の壽海山 順廣寺がある」







「浄土真宗のお寺じゃけぇ、親鸞聖人(しんらんしょうにん)の像があるんじゃね」





訪問日:2014年4月19日





【参考文献】

梶本晃司、蒲田知美『ひげの梶さんと西国街道を歩こう!広島県内コース (ひげの梶さん 歴史文学探歩シリーズ3)』南々社 2003年

下中邦彦/編『日本歴史地名大系第35巻 広島県の地名』平凡社 1982年






「今日は、西国街道にある称名寺(しょうみょうじ)から角屋釣井(かどやつるい)について話をさせてもらいました」

「次回は、角屋釣井(かどやつるい)から鳴川(なるかわ)の石畳までを紹介する予定じゃ。ほいじゃあ、またの」
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西国街道(旧山陽道) その9

2014年04月29日 | 見て歩き
~大膳川(だいぜんがわ)から称名寺(しょうみょうじ)まで~





「前回は、西国街道にある芭蕉碑(ばしょうひ)から大膳川を紹介したんじゃけど…」

「今日は、大膳川から称名寺まで。坂を上って、眺めのええ高台を通る。坂を下って称名寺まで行きますけぇの」







「大膳川に架かる橋を渡って、右に曲がったあと、すぐ左に曲がって、細い道を進む」

「この写真でいうと、大きな木の手前で左に曲がるんじゃね」







「坂道を上りながら…」







「ついでに空も見上げる」

「あー、空を見上げるのは、久しぶりじゃね」







「市道と合流する」











「このあたり、街路樹のハナミズキがきれいに咲いとるね」







「右手、海側を見ると、宮島が見える」

「あぁ、ほんまじゃ。ええ眺め」

「ここからは当分、高台の道を歩いて行くけぇの、眺めがええで」







「湯舟(ゆぶね)団地口の交差点から少し行ったところで、左手の道を上っていく」







「玖波(くば)中学と…」






「メープルヒル病院のほとりを通って、あとは坂を下る」







「坂道を下ったあたりで左に曲がり、広島岩国道路の高架下をくぐる」







「右に曲がって市道の下をくぐって、もう一度左に曲がる」







「しばらく行くと、恵川(えがわ)に行き当たるので、ここを右に曲がって、川に沿って進む」







「恵川に架かる川本橋から、川を見下ろすと…」







「川へ降りる階段があるね」







「階段の下から橋を見上げる」







「橋を渡って、道をまっすぐに進むと…」









「道の左側に、浄土宗 称名寺(しょうみょうじ)がある」







「枯山水(かれさんすい)の庭園があるんじゃね」

「お寺の入り口に掲げてあった言葉が、なかなかにえかった」



山門を入り来る人には 幸せ を

山門を出(い)で行くには 安らぎ を






訪問日:2014年4月19日




【参考文献】

梶本晃司、蒲田知美『ひげの梶さんと西国街道を歩こう!広島県内コース (ひげの梶さん 歴史文学探歩シリーズ3)』南々社 2003年






「今日は、西国街道にある大膳川(だいぜんがわ)から称名寺(しょうみょうじ)について話をさせてもらいました」

「次回は、称名寺から角屋釣井(かどやつるい)を紹介する予定じゃ。ほいじゃあ、またの」
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フラワーフェスティバルまで、あと5日

2014年04月28日 | 広島の話題


「昨日の中国新聞に、「フラワーフェスティバル 公式ガイド」が折り込まれとったよ」

「5月3日(土)から始まるけぇ、あと5日か」

「今年のスペシャルゲストは、一青 窈(ひととよう)さんと、二階堂 和美(にかいどう かずみ)さんなんじゃね」

「二階堂さんいうたら、広島県大竹市の出身で、昨年公開された高畑勲(たかはた いさお)監督の映画『かぐや姫の物語』の主題歌を歌われた方じゃの」

「一青窈さんは、『ハナミズキ』(2004年)の曲で有名じゃね」



↓フラワーフェスティバルについては、こちら↓

2014ひろしまフラワーフェスティバル



↓一青 窈さんについては、こちら↓

一青窈オフィシャルサイト



↓二階堂 和美さんについては、こちら↓

二階堂和美 - Nikaido Kazumi





「オリンピックの聖火ランナーにあたる、平和の灯(ともしび)ランナーは、ソチ五輪のスノボ女子パラレル大回転銀メダリストの竹内 智香(たけうち ともか)さんと、加計(かけ)高校芸北分校スキー部の人がやってんじゃね」

「竹内さんは、2011年(平成23年)から広島ガスと所属契約を結んどられるんじゃのう」

「彼女は、スポンサー探しに苦労されちゃったんじゃね」

「スノーボードの選手はチャラチャラしているというイメージで、断られたそうじゃ」

「4日の「ひろしまストリート陸上」にも参加されてんじゃと」

「「ひろしまストリート陸上」は、広島市出身で、世界陸上男子400メートル障害で銅メダリストの為末 大(ためすえ だい)さんが、本物を間近で見てそのすごさを体感してもらおうということで始めたものなんじゃの」

「今年で4回目になるんじゃね」



↓竹内 智香さんについては、こちら↓

竹内智香 オフィシャルブログ - livedoor Blog(ブログ)



↓広島ガスについては、こちら↓

広島ガス



↓為末 大さんについては、こちら↓

為末大学





「下の娘は、今年も花の総合パレードに参加させてもらいます」

「小学3年のときから参加しとるけぇ、…今年で8回目か」

「上の娘は、4年ぶりに見に行けるって喜びよったよ」

「高校の3年間は、ゴールデンウイークも休みなしで部活に行きよったもんのう」

「フラワーフェスティバルも、今年で38回目じゃね」

「…ということは、広島カープが初優勝(1975年)してから39年になるんか」

「カープの優勝パレードをきっかけに、フラワーフェスティバルが始まったんよ」

「このパレードに30万人もの人が集まったと聞いて、子ども心に「すげぇ」と思うたもんじゃ」

「今年のカープは絶好調じゃね」

「昨日の巨人戦は、延長11回までもつれたあと、3対0でサヨナラ勝ち。これで5カード連続勝ち越し、4月としては最多の16勝じゃそうな」

「4月の残り2試合に勝つと、月間18勝の球団記録に並ぶんじゃね」

「この調子で、今年は昨年以上の結果を出してほしいもんじゃのう」




↓広島カープについては、こちら↓

広島東洋カープ











「今日は、5月3日(土)4日(日)5日(月)の3日間、広島市で行われるフラワーフェスティバルについて話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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西国街道(旧山陽道) その8

2014年04月28日 | 見て歩き
~芭蕉碑(ばしょうひ)から大膳川(だいぜんがわ)まで~





「前回は、西国街道にある苦の坂(くのさか)から芭蕉碑(ばしょうひ)を紹介したんじゃけど…」

「今日は、芭蕉碑から大膳川(だいぜんがわ)まで。 小方(おがた)の旧街道の街並みを味わった後、坂道を上って、大膳川まで行きますけぇの」







「芭蕉碑の前から右手(北側)に向かって歩く」







「広島県は、急傾斜地崩壊危険箇所が21,943カ所と、全国で一番多いんじゃ」







「このあたりの旧街道筋には、むかしの町並みが保存されとるんじゃの」







「品のええ建物じゃね」

「ここはお医者さんの家じゃった」














「家と家の間に、こんなものも置いてあったのう」







「行き止まりのようになっとるところを、右へ進む」







「振り返って見たところ」







「うわ~、スプライトの看板じゃん。懐かしいね!」

「自動販売機の後ろで見つけた。うれしゅうて、思わず写真を撮ってしもうたで」

「むかしは、ビンのほとりに小さな凹があったんよ」

「わしが小6のころに流行したヨーヨーにも、このロゴが付いとったのう」







「黒川会館のバス停を越えて、山陽自動車の大竹IC(インターチェンジ)下をを左へ曲がり…」







「上河内(かみごうち)第3踏切を渡ったあと、坂道を上る」

「こいこいバスは、このあたりも通りよるんじゃね」







「黒川2丁目交差点をまっすぐに進んで、道なりにそって進むと…」







「黒川児童公園のところで、道が2手に分かれとるんじゃ」

「どっちへ進むん?」

「右」







「案内板によると、左に進むと錦龍の滝(きんりゅうのたき)があるそうじゃ」







「黒川児童公園の中を探検してみると、ポッポとクックの絵が書いてあるバスケットゴールがあった」

「1994年(平成6年)ということは、広島で行われたアジア競技大会も、すでに20年前の話になるんじゃね」







「大膳川(だいぜんがわ)に架かる橋を渡って、右に曲がると…」







「おぉ、宮島が見えるね」

「この西国街道の旅で、はじめて瀬戸内海を見ることになるのう」





訪問日:2014年4月19日





【参考文献】

梶本晃司、蒲田知美『ひげの梶さんと西国街道を歩こう!広島県内コース (ひげの梶さん 歴史文学探歩シリーズ3)』南々社 2003年






「今日は、西国街道にある芭蕉碑(ばしょうひ)から大膳川について話をさせてもらいました」

「次回は、大膳川から称名寺(しょうみょうじ)までを紹介する予定じゃ。ほいじゃあ、またの」
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西国街道(旧山陽道) その7

2014年04月27日 | 見て歩き
~苦の坂(くのさか)から芭蕉碑(ばしょうひ)まで~





「前回は、西国街道にある苦の坂を紹介したんじゃけど…」

「今日は、苦の坂から芭蕉碑まで。新町川(しんまちかわ)を渡って、JRの線路に沿って歩き、大竹市小方(おがた)にある芭蕉碑まで行きますけぇの」







「苦の坂を降りて、坂を下る途中に看板があって、道が2手に分かれとる。ここは左に進む」







「振り返ると、石の階段がある」

「ここも、苦の坂に通じる道じゃったんかね?」







「右手に山陽自動車道を見ながら進む」







「道の左側に、橋姫神社がある」



旧西国街道一の坪馬ころ橋の下に鎮座の姫神様は年代由緒等不詳であるが往昔よりセキ ゼンソクまた交通などの守護神として広く尊崇されてきた。
此度 山陽自動車建設のためこの地に遷座した。

昭和六十年七月吉日

(由緒より)




「遷座って?」

「神様や仏様を、以前あった場所から新しい場所に移すことで、「遷座」と書いて「せんざ」と読むんじゃ」

「ここの姫神様は、山陽自動車が作られるとき、ここに移ってこられたんじゃね」

「鉄道や道路ができると、そこに住んどった方やあったものが移転することがあるんじゃの」













「道を右に曲がって、山陽自動車道の高架下をくぐり…」







「高架下をくぐって左に曲がり、新町川(しんまちかわ)に架かる御園橋(みそのはし)を渡って、右に曲がる」







「県道117号に沿って進み、小方橋北詰交差点を直進する。おぉ、ここで気がついたんじゃが、写真には写っとらんが、左手側にセブンイレブン大竹御園店がある」

「…それが?」

「山口県の関戸(せきど)からスタートした西国街道の旅で、ここが初めてのコンビニになるんじゃ」

「そういわれてみりゃ、そうじゃね」

「関戸から小瀬峠(おぜとうげ)、木野(この)を通って苦の坂(くのさか)と、ほとんど山の中ばっかり歩いとったもんのう」







「突き当りを左に曲がって、右手にJR山陽本線を見ながら歩く」







「JRの高架下をくぐって、左に曲がる」







「右手にエディオンゆめタウン大竹店を右手に見ながら、ここの交差点を左に曲がって進むと…」




「芭蕉碑がある」







けごろもの碑
   者世越(ばせを)

けごろもに つゝみてぬくし 鴨の足

この碑の句は、松尾芭蕉(一六四四-一六九四)が元禄六年(一六九三)の冬に詠んだもので、俳諧七部集の「続猿蓑(ぞくさるみの)」にある。

芭蕉の百五十年忌にあたる天保一四年(一八四三)、近辺の俳句同好の人達によってこの記念碑が建立された。
その頃、芸備地方の俳壇の多くは、芭蕉の門人 志田野坡(しだやば)の流れを汲んでいたという。

元治年間(一八六四-一八六五)には、この地の俳人市川蘭史(いちかわらんし)永田斗泉(ながたとうせん)らが、この碑にちなんで「けごろも社」という俳句の会を組織した。
この俳壇は、慶応から明治にかけて隆盛を極め、後に清遊倶楽部へと引き継がれた。

大竹市教育委員会

(案内板より)




「けごろもって?」

「毛皮で作った防寒用衣服のことで、「毛衣」と書く。この歌は、折りたたまれて羽毛の中にある鴨の足は、さぞや暖かいことだろうと、貧しい芭蕉が冬に詠んだものじゃそうな」







「碑のとなりにあるお地蔵さんが、ええ味出しとるのう」





訪問日:2014年4月19日




【参考文献】

梶本晃司、蒲田知美『ひげの梶さんと西国街道を歩こう!広島県内コース (ひげの梶さん 歴史文学探歩シリーズ3)』南々社 2003年






「今日は、西国街道にある苦の坂から芭蕉碑までについて話をさせてもらいました」

「次回は、芭蕉碑から大膳川(だいぜんがわ)までを紹介する予定じゃ。ほいじゃあ、またの」
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