通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

作詞家・林 春生さん

2022年08月13日 | 音楽

(中国新聞 2022年8月13日)

今朝、新聞を読みよったら、
テレビアニメ「サザエさん」の
主題歌を手がけた作詞家
林 春生(はやし はるお)さんの
功績を紹介する看板が
島根県大田市に設置された、
という記事が出とった。

サザエさんの主題歌といえば、

♪お魚くわえた
ドラ猫追っかけて
素足(はだし)でかけてく
陽気(ようき)なサザエさん~

(「サザエさん」
作曲・編曲:筒美京平、
歌:宇野ゆう子)


の歌のことじゃの。



↓「サザエさん」さんについては、こちら↓

「宇野ゆう子 サザエさん」YouTube



今日は、
作詞家・林 春生さん
についての話でがんす。



林 春生さんは、
1937(昭和12)年生まれ。

1960年、フジテレビに入社後、
『ザ・ヒットパレード』
『新春かくし芸大会』
『ミュージックフェア』
などのディレクターとして活躍。

そのかたわら、
「林 春生」のペンネームで
作詞を手がけておられる。

わしが知っとるところでいうと、

渚(なぎさ)ゆう子
「京都慕情(きょうとぼじょう)」
(1970年)、

欧陽菲菲(オーヤン・フィーフィー)
「雨の御堂筋(みどうすじ)」(1971年)、

キャンディーズ「ハート泥棒」(1976年)

などのヒット曲がありますの。



新聞に掲載されていた
看板の除幕式は、
大田市大屋町大屋の浄宗寺近くで
8月12日に行われ、
林さんが作詞を手がけた
旧大屋小学校
(「旧」ということは廃校になった?)と
久屋小学校の校歌が吹奏されたという。

旧大屋小学校校歌の
作曲を手がけたのが、
林さんの義兄にあたる
すぎやまこういちさん。

すごいコンビだ!
ぜひ一度、聞いてみたいもんじゃ。

…そういえば、すぎやまさんも、
元はフジテレビの社員じゃったの。



わしにとっての林さんといえば、
テレビアニメ『海のトリトン』(1972年)と
特撮ドラマ『スターウルフ』(1978年)
の主題歌。



(ファンタジー・アニメアルバム『海のトリトン』少年画報社 1978年)

水平線のおわりには
虹の橋があるのだろう
誰も見ない未来の国を
少年はさがし求める
広がる海の彼方から
何が呼ぶというのだろう
希望の星 胸に残して
遠く旅立つ ひとり

(「海のトリトン」
作曲:鈴木宏昌、
歌:ヒデ・夕木、杉並児童合唱団)



(「スターウルフ」レコードジャケット 1978年)

蒼(あお)い銀河を 背にうけて
青春の旅立ちが始まる
果てしない 宇宙には
だれも知らない 道がある
旅立とう しじまの中に
時をこえた 世界にいどむ
永遠のいのち ウルフ

(「青春の旅立ち」
作曲:森田公一、編曲:前田憲男、
歌:ヒデ夕樹)


真空の中を きょうもさすらう
俺は
銀河に流れる 塵(ちり)ひとつ
ふりむくな もう帰れない 帰れない
風が欲しい 夜明けが欲しい
いのちのすきまに 輝くものは
あの日みた コバルトの空
俺はゆく ひとすじの光となって
光となって

(「さすらいのスターウルフ」)




↓「海のトリトン」については、こちら↓

「海のトリトン」YouTube



↓「青春の旅立ち」については、こちら↓

「スターウルフ 青春の旅立ち 高音質 FULL Ver'」YouTube



↓「さすらいのスターウルフ」については、こちら↓

「さすらいのスターウルフ 高音質 FULL Ver'」YouTube




今日は、
作詞家・林 春生さん
について話をさせてもろうたでがんす。


ほいじゃあ、またの。
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森の石松

2022年08月11日 | まんが・テレビ・映画
1週間前の2022年8月4日(木)
NHKラジオ深夜便の午前3時台は
堺 正章(さかい まさあき)
作品集じゃった。


夜中、トイレに行った後
ラジオに耳を傾けていると、
懐かしい歌を耳にして
思わず口ずさんでしもうた。

その歌は、堺 正章が主役の時代劇
『マチャアキの森の石松』
(1975年、日曜午後8時、NET)の主題歌
「行きずりの男」
(作詞・作曲:泉谷しげる)。



↓「行きずりの男」については、こちら↓

「`75オールナイトニッポン ゲスト泉谷しげる リードギター吉田拓郎『ゆきずりの男」『少年A」」YouTube



…というわけで今日は、
「行きずりの男」でもなく、
「堺 正章(=マチャアキ)」でもなく、
森の石松
についての話でがんす。



「森の石松」いうても、
今では知らない人の方が多いじゃろうの。

石松は、
幕末に活躍した侠客(きょうかく)、
今でいうところのヤクザ。

「鬼より怖い」と謳(うた)われた
静岡県清水港(しみずこう)の
山本 長五郎(やまもと ちょうごろう)、
通称:清水 次郎長(しみずのじろちょう)
の子分のひとり。





上『任侠東海道』
(1958年、東映、監督:松田定次、
主演:片岡 千恵蔵(左から3人目))

下『次郎長富士』
(1959年、大映、監督:森 一生、
主演:長谷川 一夫)

(佐藤忠男・吉田智恵男
『チャンバラ映画史』
芳賀書店)




↓清水次郎長については、こちら↓

「地元の偉人を再確認!清水次郎長ってどんな人? 前編」清水港観光情報サイト【清水港は鬼より怖い】



次郎長には、「二十八人衆」と呼ばれる
個性豊かな子分たちがいて、
次郎長と同じくらい人気があったのが
石松じゃった。

石松は、
情に厚く、義理堅い、
曲がったことが大嫌いで、ケンカっ早い、
片目がなく、言葉がうまく話せない、
思慮が足りないので損ばかりしている、
という設定。

「設定」というのは、
森の石松が実在の人物を元に作られた
架空の人物と考えられているから。


そんな森の石松は、
講釈師の3代目
神田伯山(かんだ はくざん)が有名にし、
浪曲師の2代目
広沢虎造(ひろさわ とらぞう)が
人気者に仕立てたといわれている。

昭和になって、
浪曲がラジオで放送されると
人気は全国的なものとなり、
1935(昭和10)年には、
静岡県の大洞院に
石松の墓が建てられた。



↓大洞院については、こちら↓

「大洞院」遠州三十三観音霊場めぐり



1939(昭和14)年
ディック・ミネが歌ってヒットした
「旅姿三人男」では、
石松は次のように歌われている。


♪腕と度胸じゃ 負けないが
人情からめば ついほろり
見えぬ片眼に 出る涙

(作詞:宮本旅人、作曲:鈴木哲夫)




↓「旅姿三人男」については、こちら↓

「旅姿三人男 昭和14年(唄:ディックミネ)昭和45年放送より 日本歌謡チャンネル」YouTube



石松で有名な言葉が、
「江戸っ子だってねぇ、すし食いねぇ」と
「馬鹿は死ななきゃなおらない」。

これは、石松が清水次郎長の代わりに、
四国の金毘羅(こんぴら)へ行ったとき
船の中での話。

江戸から来たという旅人のひとりが、
「街道一の親分といえば、清水次郎長だ」
といったのを聞きつけた石松。

「ここへ来て座んねえ。
おめえ、江戸っ子だってな」
「神田の生まれだ」
「街道一の親分は、
えー、何とか言ったな」
「清水次郎長」
「おう、次郎長ってのは
そんなに偉いか?」
「もちろんよ」

自分の名前を出してもらいたい石松は、
旅人に酒とすしをすすめる。

「次郎長には、どんな子分がいるんだ?」
「二十八人衆と呼ばれる
出来のいい子分たちがいる」
「ささ、飲みねぇ、飲みねぇ。
喰いねぇ、喰いねぇ」

が、大政(おおまさ)、
小政(こまさ)
という名前は出てくるが、
肝心の「森の石松」の名前が出てこない。
話し相手が石松だと気づいた旅人は、

「そうだ。清水一家で
一番強いのを忘れていたよ」
「おぅ、おもしろくなってきやがった」
「森の石松ってぇのが一番強い」
「酒を飲みねぇ、酒を。
おう、すしを喰いねぇ、すしを」

と石松をほめたあとに、

「強い。強いが馬鹿だ。
馬鹿は死ななきゃなおらない」

と、からかうという話。



↓「江戸っ子だってねぇ、すしを食いねぇ」については、こちら↓

「すし食いねぇ」すしラボ ミツカン



↓「馬鹿は死ななきゃなおらない」(広沢虎造の浪曲)については、こちら↓

「石松と三十石船道中」YouTube



以下、余談。


『マチャアキの森の石松』の
全話演出を担当したのが、
マキノ雅弘(まさひろ)。

マキノ雅弘といえば、
「日本映画の父」と呼ばれた
牧野省三(まきの しょうぞう)の息子。

マキノ雅弘は、
『次郎長三國志』シリーズ
(1952年から1954年、東宝)、
『次郎長三国志』シリーズ
(1963年から1965年、東映)
を監督した次郎長ものの第一人者。



以下、さらに余談。


東映時代劇YouTubeでは、
『任侠清水港』(1957年、東映、
監督:松田定次、主演:片岡 千恵蔵)を
8月14日まで配信中。

興味のある方は、
是非この機会にご覧下さい。



↓『任侠清水港』については、こちら↓

「任侠清水港[公式]」東映時代劇YouTube



今日は、
森の石松
について話をさせてもろうたでがんす。


ほいじゃあ、またの。



(文中、敬称略)
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「赤塚不二夫作品集」ラジオ深夜便

2022年08月09日 | 音楽
1週間前の2022年8月2日(火)
NHKラジオ深夜便の午前3時台は
赤塚 不二夫(あかつか ふじお)
作品集じゃった。


赤塚さんは、
『天才バカボン』を始め
『おそ松くん』
『ひみつのアッコちゃん』
などのヒット作を描いた漫画家。

「ギャグ漫画」いうジャンルを
作り上げたことでも、
2008年8月2日に亡くなったときの
告別式ではタモリが、
「私もあなたの作品のひとつです」
と、弔辞を読み上げたことでも
有名じゃの。



↓タモリの弔辞については、こちら↓

「弔辞 ( ノーカット版 )」YouTube



この日の放送では、
アニメ化された赤塚作品の歌が

主題歌、
キャラクターたちの歌、
音頭(夏ですからね)、
元祖 天才バカボンの春、

の順に紹介された。



↓赤塚 不二夫さんについては、こちら↓

赤塚不二夫公認サイトこれでいいのだ!!



今日は、
赤塚不二夫作品集
についての話でがんす。



先に紹介したとおり、
この日の放送では
アニメ化された赤塚作品の主題歌
から紹介された。


「おそ松くん(前期主題歌)」
歌:ヤング・フレッシュ
「おそ松くん(後期主題歌)」
歌:藤田まこと
(『おそ松くん』第1作:1966年)


「ひみつのアッコちゃん」
歌:岡田恭子
「すきすきソング」
歌:水森亜土
(『ひみつのアッコちゃん』
第1作:1969年)


「もーれつア太郎」
歌:桂 京子
「江戸っ子のスキャット」
歌:ハニー・ナイツ
(『もーれつア太郎』第1作:1969年)


「天才バカボン」
歌:アイドル・フォー
「バカボンのパパ」
歌:敏 (びん) トシ
(『天才バカボン』第1作:1971年)




↓アニメ『おそ松くん』の歌については、こちら↓

「おそ松くん[OP-1/OP-2/ED]」YouTube



↓アニメ『ひみつのアッコちゃん』の歌については、こちら↓

「『ひみつのアッコちゃん』アニメ」赤塚不二夫公認サイトこれでいいのだ!!



↓アニメ『もーれつア太郎』の歌については、こちら↓

「『もーれつア太郎』アニメ」赤塚不二夫公認サイトこれでいいのだ!!



↓アニメ『天才バカボン』の歌については、こちら↓

「『天才バカボン』アニメ」赤塚不二夫公認サイトこれでいいのだ!!



続いて、赤塚さんが生み出した
キャラクターたちの歌が
3つ紹介された。


「ニャロメのうた」
「ケムンパスでやんす」
「ココロのウエスタン」
歌:ミュージカルぼーいず



ニャロメ、
ケムンパス、
ココロのボスとも、
初出が『もーれつア太郎』なんじゃが、
赤塚作品を代表するキャラクター
としても知られとるんじゃの。


ニャロメは、
語尾に「ニャロメ」を付けて話し
二本足で歩くノラネコ。


↓ニャロメについては、こちら↓

「ニャロメ」赤塚不二夫公認サイトこれでいいのだ!!



ケムンパスは、
「~でやんす」が口ぐせの毛虫。

今、思い返してみたら、
赤塚キャラの中で一番多く模写したのは、
バカボンパパでもなく、
ニャロメでもなく、
ケムンパスじゃったかもしれん。

多分、一番描きやすかったから。



↓ケムンパスについては、こちら↓

「ケムンパス」赤塚不二夫公認サイトこれでいいのだ!!



ココロのボスは、
「~のココロ」が口ぐせのタヌキ。



↓ココロのボスについては、こちら↓

「ココロのボス」赤塚不二夫公認サイトこれでいいのだ!!



コロナ禍の今では
中止されることが多いが、
かつては「夏」といえば
「盆踊り」じゃった。
(「夏」といえば
「ラジオ体操」じゃったりもしたの)

そのむかしのテレビアニメでは、
夏になると
番組のエンディングが「音頭」になる
というパターンが多かった。

たとえば…、


「オバQ音頭」
歌:石川 進、曽我町子
(『オバケのQ太郎』第1作:1965年)


「ど根性ガエル音頭」
歌:石川 進、荒川少年少女合唱隊、
千々松 幸子
(『ど根性ガエル』第1作:1972年)


「ドラえもん音頭」
歌:大山のぶ代、こおろぎ'73
(『ドラえもん』第2作:1979年)


「アラレちゃん音頭」
歌:小山茉美、コロムビアゆりかご会
(『Dr.スランプ アラレちゃん』1981年)



…など、よぉけ(=たくさん)あった。



この日は、
次の2つの音頭が紹介された。


「ひみつのアッコちゃん音頭」
歌:堀江 美都子
(『ひみつのアッコちゃん』
第2作:1988年)


「おそ松くん音頭」
歌:細川たかし
(『おそ松くん』第2作:1988年)




余談じゃが…、

「ルパン音頭」というのがあったのを
ご存じじゃろか?

…えぇ!?
ルパン三世に音頭なんてあったっけ?

そう、あったんです!

マモーが出てくる
劇場版アニメ『ルパン三世』(1978年)
のラストで流れるのが、
当時の国民的歌手
三波春夫(みなみ はるお)先生が歌う
「ルパン音頭」じゃた。


♪オレはルパンだぞ~
ルパン、ルパン

作詞:モンキー・パンチ
補作詞:中山大三郎



余談ついでにいうと、
赤塚さんはアメリカ大統領役で
出演されとられましたの。



今回の放送で大トリを飾ったのが、
「元祖 天才バカボンの春」。
(『天才バカボン』第2作:1975年)


♪41才の春だから
元祖天才バカボンのパパだから

作詞:赤塚不二夫



…の、あの歌じゃ。


なぜ「41才」と歌われているかというと、
バカボンパパの誕生日が
1926(昭和元)年12月25日で、
雑誌連載が始まったのが
1967(昭和42)年4月だったから。

計算すると、
バカボンパパは41才になるんじゃの。


この日の放送を聞いて驚いたのが、
歌の冒頭に
「これでいいのだ」
の赤塚さんの音声が入っていたこと。

家庭用のカセットデッキに
吹き込んだと思われる(?)
音声を編集して
歌の最初に持ってきたのだろうが、
赤塚さんの声を
久しぶりに聞いて驚いた。

そして、
なぜかとてもうれしかった。



以下、余談。

『青春歌年鑑 戦前編4 昭和15年〜20年』
というCDに収録されている、
川田義雄とミルク・ブラザースの
「地球の上に朝が来る」の出だし、


♪地球の上に朝が来る
その裏側は夜だろう

作詞・作曲:川田義雄



…を聞いたときは、
びっくりした!

バカボンの主題歌
「天才バカボン」の出だし、


♪西から昇ったおひさまが
東へ沈む
あっ たいへん!

作詞:東京ムービー企画部
作曲:渡辺岳夫



…と同じくらいのインパクトが
あったからじゃ。



↓「地球の上に朝が来る」については、こちら↓

「地球の上に・川田義雄-2昭和15年」YouTube



歌もすごいが、
発売されたのが
1940(昭和15)年6月
というのもすごい。

1940年といえば、
世界では第二次世界大戦が起こり、
日本は中国と戦争をしていたころ。

そんな時代に、
よく発売禁止にならんかった
もんじゃと感心してしまう。

いうても、この年の7月には
「贅沢(ぜいたく)は敵だ」
という標語が採用され、
戦時色が次第に濃くなっていく。

「地球の上に朝が来る」
が発売されたころは、
日本という国にまだ余裕があったころ
じゃったんじゃろうの。



今日は、
赤塚不二夫作品集
について話をさせてもろうたでがんす。



ほいじゃあ、またの。
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