「スーちゃんが亡くなっちゃったんじゃと」
「スーちゃんって?」
「キャンディーズのじゃ」
「えぇ、ほんま!?」
「ほんまじゃ」
「ありゃ、まだ55歳じゃったんじゃね」
「乳がんか…。お前も気をつけよ」
「ありゃま、ちぃたぁ(=少しは)心配してくれよるんじゃね」
「広島とキャンディーズといえば、ナタリーのCMがあったのう。♪ナタリ~」
特筆すべきは、開園時と初期のCMイメージキャラクターとして、デビュー間もないキャンディーズが採用されていたことである。
開園当初に地元新聞広告に「専属タレント」として扱われていた。
キャンディーズにとってもテレビCMデビュー作であるが、当時キャンディーズはまったく売れてなく、カメラ小僧が少し写真を撮りに行っていたがまだファンはほとんどいなかった。
「年下の男の子」(1975年)の大ヒットまで、開園日当日の他に、5月5日及び6日や8月12日及び13日にイベントのために、その他CM撮影のために頻繁にナタリーに訪れた。
この関係から解散直前のキャンディーズの『ザ・ベストテン』中継場所に選ばれラストシングル「微笑がえし」を歌った(1978年3月23日)。
(「広島ナタリー」ウィキペディア)
「広島で遊園地といえばナタリー、という時代があったけんの」
「大観覧車があったし、海の上を通るジェットコースターもあったよね」
「最後のころは、巨大迷路が有名じゃったのう」
「ナタリーは、いつオープンしたんかいね?」
「1974年(昭和49)4月23日じゃけん、今から37年前か」
「キャンディーズがデビューしたのは?」
「1972年(昭和47)4月じゃ。翌1973年(昭和48)9月に「あなたに夢中」でレコードデビューしたんよ。もともと、キャンディーズのメインボーカルはスーちゃんじゃったんじゃ」
「ありゃ、ランちゃんじゃったんじゃないん?」
「メンバーの中でお姉さんキャラのランちゃんをメインボーカルにした「年下の男の子」が、1975年(昭和50)2月に大ヒットしたんよ。それからランちゃんがメインになったんじゃ。1975年といやぁ、広島カープが初優勝した年でもあるよの」
「ほうなんじゃ」
「4月23日の日刊スポーツに、キャンディーズのシングルジャケットが載っとったんじゃ。それを見よったら、デビュー曲の『あなたに夢中』から4枚目の『なみだの季節』まで、スーちゃんが真ん中で、向かって右側にミキちゃん、左側にランちゃんという配置じゃったんよ。5枚目の『年下の男の子』はスーちゃんの後ろにランちゃんじゃったのが、6枚目の『内気なあいつ』でスーちゃんの前にランちゃんが来とったんよ。7枚目の『その気にさせないで』からは真ん中にランちゃんが来て、向かって右側にスーちゃん、左側にランちゃんという配置に変わっとったんじゃ」
(青文字部分 2011年4月23日追加)
「キャンディーズは、『8時だョ!全員集合』や『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』なんかのバラエティ番組にも、よう出よっちゃったよね」
「『8時だョ!全員集合』には、1973年(昭和48)4月7日からアシスタントとしてレギュラー出演されとってんじゃが、奇しくもその日は、番組最高の50.5%という視聴率をあげとってんじゃ」
「50.5%!! ほんまにお化け番組じゃったんじゃね」
「キャンディーズが出演し始めてまもなく、体操コーナーもスタートしたんじゃ」
「仲本工事さんは、上手じゃったね。あと、少年少女合唱隊も好きじゃったよ」
ドリフターズに鍛えられて、オールラウンド・プレイヤーに育ったキャンディーズは、もしあの「年下の男の子」の大ヒットがなければ、アイドル・タレントではなく、若くて美人のコメディアン・グループとして、「全員集合」の向こうを張った番組のひとつやふたつは、成功させていたいにちがいない。
解散後、藤村美樹だけは、普通の女の子になりきってしまったが、普通の女の子に飽きて女優としてカムバックした伊藤蘭、田中好子の演技力は、「全員集合」時代、十分その素質をみせていた。
(居作昌果『8時だョ!全員集合伝説』2001年 双葉文庫)
「あのころのアイドルは、バラエティ番組に出て、歌を歌ってお笑いをやってという時代じゃったんよの。ところが、TVで見かける、かわいいだけじゃないキャンディーズもおるんじゃ」
「プレイ・ザット・ファンキー・ミュージック」YouTube
「キャンディーズ&MMP-SHAKE YOUR BOOTY」YouTube
「キャンディーズ シュープリームスカバー」YouTube
「えっ、キャンディーズってこんな歌も歌いよったんじゃ。うちゃ知らんかったよ」
「ロック、ポップスにソウル。いろんな外国の曲を歌いよっちゃったんで」
「おぉ、かっこええじゃん」
「の、単なるアイドルじゃなかったんよ」
「こんなキャンディーズもええねぇ」
「ほいで、1978年(昭和53)4月4日、後楽園球場でのファイナルカーニバルでキャンディーズは解散したんじゃ」
「「普通の女の子に戻りたい」という言葉が流行ったね」
『キャンディーズ ファイナルカーニバル』講談社 1978年
歌って踊るスーちゃん(同誌より)
「ありゃ、お父さんはこんな本を持っとったん?」
「バックバンドのMMP(ミュージック・メイツ・プレイヤーズ)の写真が欲しかったけん、古本屋で手に入れたんじゃがの」
「ああ、新田さんのじゃね」
「最後に、このMMPの「SUPER CANDIES」を紹介しとこうか」
「MMP - SUPER CANDIES[ファイナルカーニバル]」YouTube
「おぉ、パワフル! この人の煽(あお)りが、すごいね」
「西慎嗣(にし しんじ)という方なんじゃが、このとき弱冠17歳」
「えっ、本当!?」
「キャンディーズのコンサートも一度、見に行きたかったのう」
「ほんまじゃね」
「西さんと、さっきの新田さんたちMMPのメンバーが、のちにスペクトラムを結成して活躍されるんじゃが、それはまた次の機会にしとこうかの」
↓キャンディーズとナタリーについては、こちら↓
「広島ナタリー 1974」YouTube
「キャンディーズ 1位微笑がえし」YouTube
↓西慎嗣については、こちら↓
西 慎嗣 公式サイト
「今日は、昨日亡くなった、スーちゃんこと田中好子さんについて話をさせてもらいました」
「わしゃ、キャンディーズのスーちゃんしか知らんけん、「田中好子さん」ではなく「スーちゃん」と表記させてもらいました」
「心よりご冥福をお祈り申し上げます」
「ほいじゃあ、またの」
「スーちゃんって?」
「キャンディーズのじゃ」
「えぇ、ほんま!?」
「ほんまじゃ」
「ありゃ、まだ55歳じゃったんじゃね」
「乳がんか…。お前も気をつけよ」
「ありゃま、ちぃたぁ(=少しは)心配してくれよるんじゃね」
「広島とキャンディーズといえば、ナタリーのCMがあったのう。♪ナタリ~」
特筆すべきは、開園時と初期のCMイメージキャラクターとして、デビュー間もないキャンディーズが採用されていたことである。
開園当初に地元新聞広告に「専属タレント」として扱われていた。
キャンディーズにとってもテレビCMデビュー作であるが、当時キャンディーズはまったく売れてなく、カメラ小僧が少し写真を撮りに行っていたがまだファンはほとんどいなかった。
「年下の男の子」(1975年)の大ヒットまで、開園日当日の他に、5月5日及び6日や8月12日及び13日にイベントのために、その他CM撮影のために頻繁にナタリーに訪れた。
この関係から解散直前のキャンディーズの『ザ・ベストテン』中継場所に選ばれラストシングル「微笑がえし」を歌った(1978年3月23日)。
(「広島ナタリー」ウィキペディア)
「広島で遊園地といえばナタリー、という時代があったけんの」
「大観覧車があったし、海の上を通るジェットコースターもあったよね」
「最後のころは、巨大迷路が有名じゃったのう」
「ナタリーは、いつオープンしたんかいね?」
「1974年(昭和49)4月23日じゃけん、今から37年前か」
「キャンディーズがデビューしたのは?」
「1972年(昭和47)4月じゃ。翌1973年(昭和48)9月に「あなたに夢中」でレコードデビューしたんよ。もともと、キャンディーズのメインボーカルはスーちゃんじゃったんじゃ」
「ありゃ、ランちゃんじゃったんじゃないん?」
「メンバーの中でお姉さんキャラのランちゃんをメインボーカルにした「年下の男の子」が、1975年(昭和50)2月に大ヒットしたんよ。それからランちゃんがメインになったんじゃ。1975年といやぁ、広島カープが初優勝した年でもあるよの」
「ほうなんじゃ」
「4月23日の日刊スポーツに、キャンディーズのシングルジャケットが載っとったんじゃ。それを見よったら、デビュー曲の『あなたに夢中』から4枚目の『なみだの季節』まで、スーちゃんが真ん中で、向かって右側にミキちゃん、左側にランちゃんという配置じゃったんよ。5枚目の『年下の男の子』はスーちゃんの後ろにランちゃんじゃったのが、6枚目の『内気なあいつ』でスーちゃんの前にランちゃんが来とったんよ。7枚目の『その気にさせないで』からは真ん中にランちゃんが来て、向かって右側にスーちゃん、左側にランちゃんという配置に変わっとったんじゃ」
(青文字部分 2011年4月23日追加)
「キャンディーズは、『8時だョ!全員集合』や『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』なんかのバラエティ番組にも、よう出よっちゃったよね」
「『8時だョ!全員集合』には、1973年(昭和48)4月7日からアシスタントとしてレギュラー出演されとってんじゃが、奇しくもその日は、番組最高の50.5%という視聴率をあげとってんじゃ」
「50.5%!! ほんまにお化け番組じゃったんじゃね」
「キャンディーズが出演し始めてまもなく、体操コーナーもスタートしたんじゃ」
「仲本工事さんは、上手じゃったね。あと、少年少女合唱隊も好きじゃったよ」
ドリフターズに鍛えられて、オールラウンド・プレイヤーに育ったキャンディーズは、もしあの「年下の男の子」の大ヒットがなければ、アイドル・タレントではなく、若くて美人のコメディアン・グループとして、「全員集合」の向こうを張った番組のひとつやふたつは、成功させていたいにちがいない。
解散後、藤村美樹だけは、普通の女の子になりきってしまったが、普通の女の子に飽きて女優としてカムバックした伊藤蘭、田中好子の演技力は、「全員集合」時代、十分その素質をみせていた。
(居作昌果『8時だョ!全員集合伝説』2001年 双葉文庫)
「あのころのアイドルは、バラエティ番組に出て、歌を歌ってお笑いをやってという時代じゃったんよの。ところが、TVで見かける、かわいいだけじゃないキャンディーズもおるんじゃ」
「プレイ・ザット・ファンキー・ミュージック」YouTube
「キャンディーズ&MMP-SHAKE YOUR BOOTY」YouTube
「キャンディーズ シュープリームスカバー」YouTube
「えっ、キャンディーズってこんな歌も歌いよったんじゃ。うちゃ知らんかったよ」
「ロック、ポップスにソウル。いろんな外国の曲を歌いよっちゃったんで」
「おぉ、かっこええじゃん」
「の、単なるアイドルじゃなかったんよ」
「こんなキャンディーズもええねぇ」
「ほいで、1978年(昭和53)4月4日、後楽園球場でのファイナルカーニバルでキャンディーズは解散したんじゃ」
「「普通の女の子に戻りたい」という言葉が流行ったね」
『キャンディーズ ファイナルカーニバル』講談社 1978年
歌って踊るスーちゃん(同誌より)
「ありゃ、お父さんはこんな本を持っとったん?」
「バックバンドのMMP(ミュージック・メイツ・プレイヤーズ)の写真が欲しかったけん、古本屋で手に入れたんじゃがの」
「ああ、新田さんのじゃね」
「最後に、このMMPの「SUPER CANDIES」を紹介しとこうか」
「MMP - SUPER CANDIES[ファイナルカーニバル]」YouTube
「おぉ、パワフル! この人の煽(あお)りが、すごいね」
「西慎嗣(にし しんじ)という方なんじゃが、このとき弱冠17歳」
「えっ、本当!?」
「キャンディーズのコンサートも一度、見に行きたかったのう」
「ほんまじゃね」
「西さんと、さっきの新田さんたちMMPのメンバーが、のちにスペクトラムを結成して活躍されるんじゃが、それはまた次の機会にしとこうかの」
↓キャンディーズとナタリーについては、こちら↓
「広島ナタリー 1974」YouTube
「キャンディーズ 1位微笑がえし」YouTube
↓西慎嗣については、こちら↓
西 慎嗣 公式サイト
「今日は、昨日亡くなった、スーちゃんこと田中好子さんについて話をさせてもらいました」
「わしゃ、キャンディーズのスーちゃんしか知らんけん、「田中好子さん」ではなく「スーちゃん」と表記させてもらいました」
「心よりご冥福をお祈り申し上げます」
「ほいじゃあ、またの」