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奈良町散策

2018-10-13 | 日記
久しぶりに奈良町を歩いてみたくなり、思い立って一人で出かけたのは9月23日秋分の日。SDカードを開いて、この日に立ち返ってみよう。

  9月23日(日)
「もちいどの通り」を抜けて奈良町情報館に来た。
しっかり歩くにはお腹ごしらえが必要で、門口に並ぶ「鍾馗(しょうき)さん」に魅かれて入ったお店は「まほろば」、シンプルな箱弁当がなかなか美味しかった。
街は若いカップルや家族連れがいっぱいだった。
先ず、昔の豪商の屋敷・「にぎわいの家」に入った。季節が違えば趣きもちがって、今日は中庭に面する縁側にお月見のお供え膳が飾られていた。明日24日は今年のお月見である。私も薄と萩を探して野原を歩く積りをしていたが一足早くお月見気分を味わった。明日は郡山城天守台で古事記の朗誦が聴けるというので楽しみにしているところである。

            (画像はクリックすると拡大する)    

次は奈良町資料館に入った。「庚申さん」と呼ばれる青面(しょうめん)金剛像が祀られている庚申堂の場所である。入口に沢山吊るされている「身代わり申」を見上げてくぐると、右手に今日私が会いたかった「とげぬき観音さん」が居られた。数回訪れている館で、いろいろな展示品を見ていても今回初めて意識した観音さまであった。“おまじない”に癒されたかったのである。

    

元興寺(がんごうじ)では創建1300年記念「大元興寺展」(9月13日~11月11日)が開かれていて、平素は国立博物館に預けられている仏様も拝観できるというのである。
南都七大寺(元興寺、東大寺、興福寺、大安寺、西大寺、薬師寺、法隆寺だったかな)の1つ、世界遺産登録のこのお寺の詳細を私はあまり知らなかったが、今日はいろいろ学んだ。

境内は今が盛りの萩の花で囲まれていて、予期せぬ景色に驚き先に境内を一周した。本堂と禅室の左側(南)に色んな形をした無数の石仏・石塔が整然と並べられている。その景観に息を飲む。浮図田(ふとでん)と言うらしい。
元興寺寺周辺地域からも集まってきて、2500基もあるらしい。桔梗の花と曼殊沙華が色を添えて、印象深かった。
可愛い鬼を見つけた。(元興寺の鬼を『がごぜ』というそうだ。)好奇心が働いて鬼探しを始めると他にも居た居た!この浮図田には色んな物語がありそうだなぁ・・・・・
                  

元興寺の前身は蘇我馬子によって明日香村に建てられた法興寺(飛鳥寺)で、平城京遷都(794年)の際こちらに移され、当時の敷地は奈良町の大半を占める広大なお寺だったそうだ。現在ここに残る建物は国宝の極楽坊本堂と極楽坊禅室(僧坊)だけ。
極楽坊本堂でご本尊の浄土曼荼羅・智光曼荼羅を拝観した。そして法輪館で薬師如来立像(国宝)、十一面観音立像(重文)、釈迦如来立像(重文)、聖徳太子立像(重文)、弘法大師座像(重文)etc.の仏像、それに国宝・奈良時代の木造五重小塔を拝観。以前にも拝観した五重小塔であるが、今日はその美しさが更に胸に浸みた。

見どころとして本堂と禅室の南側の屋根に注目!飛鳥時代の古瓦を是非確認したい。1400年前の法興寺の古瓦が使われている部分は、色目が違うのではっきりと分かる。葺き方は「行基葺き(ぎょうぎぶき)」という手法だそうで、とても綺麗だ。本堂の正面は分かりにくいが中央辺りをよく見ると瓦の色に違いがある。
      

境内をうろうろしている私に閉門間際にもかかわらずボランティアの案内人さんが「『かえる石』を見ましたか?」と声をかけて下さり、案内してくださった。
河内の川べりにあったのを太閤秀吉が気に入って大阪城に運び込んだ石で、大阪城落城の際に淀君の霊が宿ったという伝説があり、この元興寺に来てからは「福かえる」「無事かえる」の縁をかつぎ毎年7月7日に供養されているそうである。

午後5時10分、御霊神社(ごりょうじんじゃ)の狛犬さんを見た。ぐるぐる巻かれた足かせは真新しく綺麗だった。ファアッションではないだろう・・・・・誰が、何ゆえに・・・・・
こちらは縁結びの神様だから、一旦縁の切れた人を待つ願いが込められているのかもしれないなぁ~?きれいでびっくりした。

        


史跡元興寺塔跡の前を通りながら、いつか見に来た塔跡に咲く見事な桜景色を思い出した。又見たいなぁと思いつつ奈良町を後にした。気まぐれの奈良町散策であったが、お腹も心も満たされ、大満足の日であった。良かった 良かった。










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