昭和20年8月6日
午前8時15分
人類の獲得した科学力は
一つの帰結に至る
ガンバレル型と呼ばれる核兵器を投下
爆心地は
原爆ドームのやや南東
上空600mとされる
当時の広島市の人口は35万人
爆発による死者に加え
熱線・放射能被害により爆発から4ヶ月のうちに
16万6千人が死んでいる
原爆を投下した
エノラ・ゲイ号はテニアン島の北飛行場に帰還し
戦略空軍総司令官カール・スパーツ少将から
栄誉十字章や銀星章が与えられ
その日は夕方から深夜まで盛大な祝賀パーティが催されたそうである
日本人が決して忘れてはならない
事実が此処にある