雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

三室戸寺4

2009年06月30日 | 京都散策
三室戸寺の4回目

     

前回は紫陽花について書いたが
今回は三室戸寺について

  

三室戸寺を創建したのは行表
奈良の大安寺の僧である
光仁天皇の勅願によるものとされている

      

ただ
ここの創建については
ちょっと謎めいた部分があって
伝説的な色合が濃く
はっきりしない

      

というのも
光仁天皇が夜中
宮中で飛び回る金色の霊光の正体を見極めようと
家来に命じて探索させると
宇治川の支流、志津川の上流の滝壺で
千手観音像を見た
そこから蓮の花びらが流れ出て
それが観音像に変じ
これを本尊として安置したというもの

 

はてさて
真実は如何に?

      

ここ三室戸寺
何度かの火災により消失している
一度目は15世紀中盤の火災で

   

以後
織田信長によっても戦災の憂き目にあっている

   

現在の本堂は江戸時代後期に再建されたもの

        

本堂に詣で

   

三室戸寺を後にしました
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三室戸寺3

2009年06月29日 | 京都散策
三室戸寺の3回目

   

アジサイ
漢字で書くと紫陽花となる

     

ところがこの紫陽花
中国の招賢寺の花の名前から、漢字を流用したという説がある
唐の時代の詩人
白楽天(白居易)の詩から紫陽花という名前が流用されたというのもある

  

  

ただどうも
この紫陽花は別の花だったらしい
ライラックだったという説がある

  

紫陽花が文献で登場したのは万葉集から
万葉集では2首、紫陽花が登場する

  

大伴家持と橘諸兄の唄

      

言問わぬ木すら紫陽花諸弟らが
    練の村戸にあざむかえけり

紫陽花の八重咲く如く弥つ代にを
    いませわが背子見つつ思はぬ

  

ただどちらも原文では紫陽花という漢字は使っていない
上の唄では「味狭藍」
下の唄では「安治佐為」

    

どうも決まった漢字は使われていない
アジサイの表記が必要に迫られた時
白居易の詩から採った様だ

    

平仮名では昔は「あずさヰ」と書いた

  

調べれてみると面白い
紫陽花の名前の歴史
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三室戸寺2

2009年06月28日 | 京都散策
三室戸寺の2回目
都合4回に分けて
ここの紫陽花を紹介

      

紫陽花と聞くと
梅雨の花というイメージがある

   

      

雨に濡れた紫陽花も良いと思っていたが
晴れた日の訪れとなった

   

  

紫陽花
学名はHydrangea macrophylla form. macrophylla
よく土壌によって
色が変わると云われる

   

酸性が強いと青色
アルカリ性だと赤色に
世界中で初夏の時期に紫陽花は花を咲かせている

       

ちなみに青い紫陽花が見られる地域は少ないという
ヨーロッパでは基本的にアルカリ土壌なのでピンクの紫陽花がほとんどだと
聞いたことがある

   

さて
あまり知られていないことだが
紫陽花は毒性の草
青酸配糖体という毒を含んでいる

   

  

過呼吸、めまい、嘔吐などの症状を引き起こすので
くれぐれも調理しないように

  

次回3回目の三室戸寺を紹介します
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三室戸寺

2009年06月26日 | 京都散策
西国三十三箇所第10番札所

   

   

紫陽花の時期
毎年訪れている三室戸寺へと足を向けた

      

拝観開始時間は朝8時半から
15分前にはもう長蛇の列が出来る人気のスポット

   

本山修験宗の別格本山として知られる三室戸寺
花の寺としても関西屈指
ツツジの時期は逃したものの
紫陽花の時期は訪れる事が出来た

   

       

平安時代を代表する僧の一人
最澄の師主
行表が開山と伝えられるこの寺

   

   

1万株もの紫陽花が咲くことで知られる

  

並び立つ杉の大木の間に
紫陽花が見事な花を咲かせている

   

      

たくさん撮りすぎた紫陽花の写真
数度に分けての紹介となります
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談山神社2

2009年06月25日 | 奈良散策
前回の記事で
談山神社創建について記した

  

創建当時は妙楽寺と呼ばれる寺だった

   

時の権力者
藤原一門の加護を受け
大伽藍を連ねたと云う

    

僧兵も囲っていたようで
度々興福寺との領地争いをしたという記録がある
藤原家の衰退と寺領争いで疲弊
そして
戦国時代には
豊臣秀吉の命により
郡山城下に移されている

       

江戸時代になってから帰山が許され
今日この地にあるのだが
元が寺だったため
寺院伽藍の神社という独特の景観

    

さてまだ語っていなかったのが
明治の廃仏毀釈で
談山神社となったが
談山の名前の由来

      

これは
大化の改新の古事から由来している

      

大化の改新を目差した
藤原鎌足と中大兄皇子
その二人が
この多武峰で構想を語らったと云う

    

この古事から因んで談山
と云う

   

談山神社をお伝えしました
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談山神社

2009年06月24日 | 奈良散策
多武峰に佇む神社
談山神社を訪れた

        

ここが神社になったのは
実は明治時代になってから
それまでは
多武峯寺と呼ばれる寺だった

        

藤原鎌足の長男
定恵が創建したと寺伝では伝えている

       

摂津安威の地にあったとされる古墳
阿武山古墳
父、藤原鎌足の墓

        

この談山神社の地へと移し
ここの代名詞ともなっている
十三重塔を建立した事を以って
創建としている

        

時代は天武天皇治世の折
創建当時は聖霊院と号したそうである

   

十三重塔
以外に小さい塔
普通はけまりの庭から
見上げるようにして撮るのが定番だが
あえて正面から撮影

       

背後の権殿が修繕中だったのが残念

      

それではと
角度を変えて

  

続きます

       
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大神神社

2009年06月23日 | 奈良散策
大神神社
「おおかみじんじゃ」と読みたくなるが
「おおみわじんじゃ」と読む

    

三輪明神とも呼ばれ
参拝する人が絶えない有名な神社

    

大和朝廷の時代からこの大神神社はあったとされ
日本最古の神社という説もある
日本書紀にも記載があり
創建は紀元前91年とされている

        

国道169号線には巨大な石鳥居があり
その傍には無料駐車場
駐車場から歩く事約5分程度
参道には屋台も並び
賑やかな道を進むと、やがて大神神社の境内に至る

       

背後にそびえる
三輪山を神体としている神社

    

       

三輪山信仰はとても古くからあるとされている
縄文時代かもしくは弥生時代にまで遡ると云われ
この事が
大神神社が日本最古だとされている理由でもある

    

広大な境内は
三輪山山麓を抱くように続いており
周囲を巡るように歩くことになる

   

そしてここを訪れる一番のメインが
狭井神社
ここから三輪山へと入山できる

      


467mの山頂付近まで
徒歩で片道約30分
入口で入山料を支払い
登る事になる
(カメラ持込禁止です)

三輪山を巡った後
久延彦神社へ

       

ここからは桜井市を一望できる展望台がある

    

知恵の神として知られ
多くの学業を志す人の参拝が絶えない

        

歩いて巡った大神神社でした

    
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長岳寺3

2009年06月22日 | 奈良散策
長岳寺
開基は弘法大師空海
淳和天皇の勅願で
大和神社の神宮寺として創建

 

本尊には阿弥陀如来

  

長岳寺を勅願した淳和天皇は傀儡政権の天皇
実子は立太子したものの天皇になる事は無く
血筋が絶えた天皇
いつしか歴史の本流から外れてしまった人物

       

この寺を勅願したことが
彼が後世に残した数少ない足跡となっている

   

広い境内を巡る
寺領は4万㎡にも及ぶ

      

境内には
弘法大師像があり
今でも静かにこの寺を見守っている

       

ぐるりと方丈池を巡って

  

ここの幻想的な風景を楽しむ

       

境内を楽しんだ後は
最盛期には48在った塔頭のなかで
唯一残った塔頭
旧地蔵院へ

       

旧地蔵院は
江戸初期の建築

   

江戸時代に建立されたものだが
その建築様式は
室町時代の様式で建てられている

       

ここの庭園も見事

境内、旧地蔵院の庭園を楽しんだ後
旧地蔵院でそうめんを頂いた
ここは三輪そうめんの地

    

軽く塩味が効いたそうめんはとっても美味
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長岳寺2

2009年06月20日 | 奈良散策
先回書いたが
ここ
長岳寺を訪れた本当の目的は平戸ツツジではなかった

       

本堂前には池が配されているが
池の一片に咲く
杜若

   

池に映りこむ杜若の紫が
なんとも幻想的な風景を見せてくれる

 

その見事な風景
この風景が見たかったのだ
京都の大田神社の天然記念物の杜若にしようか
ここ長岳寺にしようか
悩んで、今年は長岳寺へと足を運んだ

      

選んだ理由は
ここは三脚OKだから
池の畔で
数人のカメラマンが三脚を広げて撮影
雪だるまも久しぶりの三脚撮影

  

平戸ツツジがアクセントとなって
杜若と池の逆さ映りが映える

   

当日は曇り
それが幸いした
こういう風景は晴天よりも曇りのほうが美しく撮れる

      

場所を譲り合いながら
いろんな角度からここの杜若を楽しみました

  

ここは花の寺
桜に始まり
平戸ツツジ
杜若
紫陽花
酔芙蓉
と咲き、秋には見事な紅葉も見せてくれる

        

魅了された風景

     

1時間以上に渡って楽しみました

     
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長岳寺

2009年06月19日 | 奈良散策
高野山真言宗の寺院
長岳寺
山号は釜の口山

        

開基は弘法大師空海
淳和天皇の勅願で創建したという

   

       

ここは花の寺としても有名
訪れた日
参道には平戸ツツジが咲き誇っていた

    

参道は左右を平戸ツツジが被い
花の小径を歩いて長岳寺へと至ることになる

   

   

長閑な田園風景の一角に
色の列が春の時期には出来上がる
山辺の道トレイルコースの中間地点あたりに建っている長岳寺
多くの人が参拝に訪れている

       

   

ここ長岳寺の風景
訪れた
本当の目的は、次回に

       
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大和神社

2009年06月18日 | 奈良散策
奈良にある神社
大和神社
「やまとじんじゃ」と読みたくなるが
「おおやまとじんじゃ」と読むのが正しい

        

創建時期は崇神天皇治世の折
祭神は倭大国魂神

   

この神社が創建されるまで
宮中には倭大国魂神と天照大神が祀られていた
しかし
二神の神威は強く
神威を畏れた崇神天皇は
宮中ではない場所に
祀ることにしたという

       

天照大神は大和の笠縫邑に
倭大国魂神は山麓大市の長岡崎へ

   

天照大神はその後伊勢へと移り
伊勢神宮に祀られる
倭大国魂神は
ここ大和神社へと移された
平安時代初期には伊勢神宮に次ぐ
広大な敷地を持つ神社となっている

   

その後都が京へと移ったこともあり
やがてこの神社は忘れ去られ
社領は失われてしまったという

       

明治時代になり神社として復興を果たす

       

戦艦大和と同じ名前を持つ神社として
此処には沖縄特攻をした時
戦艦大和と共に戦没した2717名の英霊も祀られている

       

訪れる人も少ない大和神社へと足を向けました
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夜都岐神社

2009年06月17日 | 奈良散策
田園風景が広がる
乙木集落

        

その一角に夜都岐神社はひっそりと祀られている

      

「やつきじんじゃ」と読む

       

乙木は
古く
は興福寺大乗院と春日大社領の庄だったという

       

この事から
乙木には春日大神をこの地に勧請したものと思われる

       

宮山の麓
うっそうと木々が生茂り
静かで訪れる人も少ない神社
幻想的な風景がここの特徴

   

明治38年に造営されたという社殿
拝殿は萱葺でこの地方では珍しい神社建築

       

ひっそりと佇む神社に

        

奈良の美を見つけました
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石上神宮

2009年06月16日 | 奈良散策
奈良
天理市
天理教の街

   

その街の東の端
石上神宮は鎮座している

       

「いそのかみじんぐう」と読む

        

石上神宮が史書に登場するのは日本書紀
書記に記載されている神宮は
ここ石上神宮と
伊勢神宮のみ

    

史書によると
日本最古の神宮

   

山辺の道の基点として
トレッキングを楽しむ人が
この神宮を出発地点として
終点として
参拝する

       

石上神宮は布都御魂大神を主祭神としている
布都御魂大神は
布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)に宿る神霊

    

布都御魂剣は葦原中国平定の際に使われた剣
宮中に祀られていたものを
勅命により物部氏の伊香色雄命が現在地に遷し
「石上大神」として祀ったのが当社の創建とされている

        

布留山の西北麓に鎮座する石上神宮

       

静かで壮言

       

久しぶりに石上神宮に詣でました
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明治村2丁目

2009年06月15日 | 愛知散策
明治村
今回は2丁目を紹介
毎度ながら季節感には目を瞑って下さい

2丁目の始まりは
京都七條巡査派出所から始まる

       

西本願寺の南
龍谷大学の入口角に建っていた派出所
これ実は木造
当時の流行のレンガ造りに似せて化粧レンガを貼り付けてある

次に訪れたのが
札幌電話交換局

       

こちらは石壁造り
建物の特徴は
一階と二階の窓の造りを替えている事
建物の中には
当時の電話交換業務を紹介している

       


安田銀行会津支店
京都中井酒造
と見た後

       

        

明治村唯一のレンガ通りを先へと進むと

   

東山梨郡役所が正面に見えてくる

山梨県に建っていた今で言う処の市役所

       

当時の山梨県令藤村紫朗は
幾棟もの洋風建築物を建てさせていたという

        

洋風ではあるが
木造建築というのが
面白い建物

       


今回のお別れの写真は
清水医院
妻篭と木曽福島の中間
須原の地に建っていた

       

島崎藤村の姉
園子が入院していたということで
ある女の生涯
という島崎藤村の小説で
蜂谷医院という名で
小説に登場している

       
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明治村4丁目

2009年06月14日 | 愛知散策
明治村
明治時代の懐かしい建物がこれでもかっていうほど
立ち並んでいるテーマパーク

今回は4丁目を紹介

工部省品川硝子製造所の前にはテラスがある
結構な距離を歩くことになるので
少し休憩

    

巡った後で知ったことだが
明治村の建物全部を見ると
都合7km以上は歩くことになるらしい

       

4丁目で目を引くのが兵舎

        

歩兵第六聯隊兵舎の白い建物が鎮座

       

建物の中では
明治期の兵士の生活ぶりが紹介されている

幕末、薩摩や長州がイギリス式の軍隊を採用したのに対して
幕府はフランス式を採用
明治維新後も幕府の形式を採用し
明治時代の軍隊の形態はフランス式だったとか

        

       

兵舎もフランス式





兵舎の脇にはハワイ移民集会所
日本人牧師岡部次郎氏によって建てられた教会

   

南国の風景が想像できそうな教会

そしてすぐ傍には
シアトル日系福音教会

  

広い芝生で
のんびりと過ごすもよし

       

異国色が強く感じられる4丁目でした

     
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