日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています
元々は神護寺の子院であったらしい
山岳修行の場でもあった
神護寺十無尽院と呼ばれたいたところを
明恵が高山寺としたのは鎌倉時代のころ
華厳宗の僧侶で
華厳宗の復興に尽力したことで知られている
久しぶりに訪れた栂尾
存分に楽しめた
神護寺の別院として創建されたと伝えられる寺院
創建したのは
空海の高弟、智泉大徳
三尾の名刹として知られ
秋の頃の境内は
見事に紅く染まる
夏に訪れると
緑の額縁に囲われる
秋以外は自由散策
高山寺と神護寺の中間にあり
散策にも調度良い
高野山真言宗遺迹本山の寺院
山号を高雄山
本尊は薬師如来
先の記事で
弘法大師空海ゆかりの寺と記した
空海は
長期留学僧の学問僧として唐に渡った
留学期間は20年と定められている
しかし、空海はわずか2年で留学を切りあげる
公式な理由は滞在費が尽きたため
しかし
そんな理由では朝廷は納得できない
入京を差し止められること3年
その期間
空海が過ごしたのが
この神護寺である
弘法大師空海縁の寺院
高雄の地は
清滝川が造りだした
清滝川を渡り
高尾山の中腹を目指す石段を登る
長く続く石段
真夏だと
汗があっという間に吹き出す
登りきり
見下ろすと
高低差を実感できるだろう
山門を抜けると神護寺境内
高尾山中腹とは思えないほどの
平らな境内
久しぶりの参拝だ
続く
薬師如来を本尊とする寺院
青蓮院
妙法院とともに
天台宗の三門跡寺院の1つ
起源は比叡山
円融房として始まった
その後
この寺院は移転を繰り返す
徳川治世の世には
比叡山東山麓、坂本の地にあった
大原への移転は明治4年と以外にも近世のこと
すなわち
「京都大原三千院」と謡われたのは
最近のことなのである
そう聞くと
三千院の景色も違って見える
そして更にいえば
現在の地へと移転するまで
三千院は
円融坊
円徳院
梨本門跡
梶井宮
梶井門跡
などと色々な名前で呼ばれていた
勝林院の子院
寺紋が細川桜
細川桜といえば
吉野神社や唐招提寺と同じ
ここは僧坊
盛隆極めしころ
大原には
宝泉院
実光院
普賢院
理覚院
龍禅院
など多くの僧坊があった
大原問答の頃だろうか
幕末の頃にはかなり廃れ
無柱となった僧坊も多く
統廃合によって
現在の地へ実光院は移転した
庭に咲く花々が美しい寺院である
魚山大原寺勝林院
魚山とは
声明の中心地であった
中国の長安の外にある山東省に所在する声明の聖地
魚山の名称に由来する
すなわち
この寺院は
声明の寺院
大原で伝承され続けている声明は
天台声明
魚山声明
とも呼ばれ
浄土宗や浄土真宗などの声明の原型でもある
開放的な寺院で
外からでもほぼ全てが見えるような寺院だが
是非とも拝観し
奥の奥も見てもらいたい