人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

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さり気なさが あればいいなあ

2019-02-28 07:26:47 | スピリチュアル
        105 さり気なさ
人間に何が一番大切なものだろうかと、時々
たずねられ、また考える時があります。
そうしますと、私のなかで、やさしさとすなお
という答えがいつもうかぶのでありますが、なお
申しますと、すべての言葉、すべての行為を
支えるさり気なさ、というものがあれば
いいなあと、心から思うのであります。

どんな親切も、そこに、尊大さがあっては
ありがたくありません。
すべては、人にみせるためではなく、自分の
なかにある本心をかがやかすためにあるのであり、
また、神様がすべてを御存知なのでありますから、
お任せして生きるすなおないのちでありたいと思う
のであります。

人が 神のいのちのわかれであることを伝えるために

2019-02-27 07:36:44 | スピリチュアル
          104 神の愛
人を救うとよくいいますが、一人の人の心に
あかりをともすことは、大変なことなのであります。

その人を理解するだけでは足りない。
その人を愛して、その人にそって、ともに時を
すごすことが何よりも大切なことになって参ります。

ところで、こうしたことの一番名人は誰かというと
神様なのです。
神様は、もうあなた方の生まれる前から、あなた方に
そって、あなた方を愛して、まったく休まれることが
ありません。

私はようくこの神の愛というものを知って
いるのであります。
そうして、人間というものが、ただただ愛される
ばかりではなく、こうした極みなき神の愛、神の
いのちからわかれてきたものであるということを
知っているのです。
この事実を、はやく、一人でも多くの人に伝えたい
のであります。
そのために、生きとおしのいのちを、私は今も
日々生きて、神のみこころを伝えている
のであります。

祈りは 朗らかな光と真実の自分との合体

2019-02-26 07:15:18 | スピリチュアル
      103 祈りについて
祈りは、神様につながる道であります。
何も特別なことをしなくても、神様をおもい、
神様に呼びかけて、祈りの言葉を出して
下さればいいのです。
祈りはいつしなければならないということは
ありません。
一日一回でも二回でもいい。
絶えず祈ってもかまいません。
しかし、神様と神様のチャンネルをひねり、
世界人類がと祈り言葉をおもいうかべたときには、
もう祈りの座にあるあなたなのです。
祈りは、きよめであります。
そうして、私ども一人一人の本心のなかに
光りかがやいている朗らかな光と、真実の自分
との合体であります。
私どもは、祈りによってきよめられ、生命の光を
ましくわえられて日々を生きているのであります。

私どもは 神の使徒

2019-02-25 08:07:38 | スピリチュアル
        102 神の使徒
りくつではない真実というものが、すべて神を
したう者の心を、支配している筈なのです。
私が神を愛するそれ以上に、神が私を抱いて
愛して下さっているという実感のなかに、
私どもは日々を過ごし、それぞれの日常の
なかで祈りを献げ、この器をお使い下さいと
神によびかけるのであります。
本当のことを申しますと、すでに神様は、
私どもをそれぞれに、お使い下さっているので
あります。
私はいのちをささげて、世界平和の祈り言と、
消えてゆく姿の教えを宣べ伝えて今日に
到りました。
しかし、御一人御一人それぞれに、神様は
あなた方から何かを受けとられて、その人の
立場のまま、私どもを使って下さっている、
あるいはこれから使おうとなさっておられる
のであります。
どうぞ祈りを深めて、神様からのサインに
こたえる一人びとりでいて下さい。

明るい光

2019-02-24 22:49:21 | スピリチュアル
     101 真実の光
私が申し上げている光は、目に見える光
だけを指しているのではありません。
私どもの生命を突き動かして、永遠の
いのちへと溶け込んでゆく、神様の明るい
明るい極みのない愛情をいうのであります。
世の中を構成しているものが、目にみえる
ものばかりだと致しますと、私どもの心です
とか、感情といった目にみえないものは、
どこへ持ってゆけば良いのでしょうか。
実は、これらの目に見えず、手にふれ
得ないもののなかに、神の愛、神の息吹きに
通じる真実が働いているのであります。
私どもの生命エネルギーは、こうした
奥深い神のみこころから働きかけられている
愛の放射、明るい光そのものに他ならない
のであります。