人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

(記事はリンクフリーです♪)

祈りのなかに 人間の本当のすがたがあらわれている

2021-01-31 07:28:41 | スピリチュアル
世界平和の祈りのなかに
人間の
本当のすがたが
あらわれて
いるのです

明るく
朗らかな
いのち
さりげなく
やさしく
ほほえんでいる
いのち

祈ってゆくにしたがって
光につつまれた
すがたが
光を放っている
自分自身が
みえてきます

そのすがたは
最初は
ひとりに
みえるけれど
よく目をこらして
みると
ひとりでは
ない
同志の人々と
ともに祈っている
さらによくみると
友人知人
とともに祈っている
その守護霊守護神
とともに祈っている
あらゆる
霊人とともに
祈っている

そして
それらの人々の
すがたが
神の
大円光の
なかに
吸い込まれて
あなたは
私の
柏手と
口笛のなかに
統一しながら
祈って
ゆく

あなたのなかに
神の息吹きが
あって
それらが
高く高く
世界平和の祈り言によって
澄まされ
自在身(心)として
自由に
こころを
どこにでも
ふりむけることのできる
あなた自身を
見出してゆく

一切は
消えてゆく姿
のこるものは
神の光明
神の大愛
その
神の愛と光の
わかれである私たちは
世界平和の祈りを
唱えつづけることによって
自らを
永遠者のこころ
久遠の光へと
とけ込ませて
ゆくのであります

世界平和の祈りのなかに
すべてがあり
私どもは
世界平和の祈りによって
つねに新しく
生きてゆくことが
できるのであります
     平成2年3月10日

私をよびながら 生活して下さい

2021-01-30 07:30:51 | スピリチュアル
一体
五井先生というのは
個人では
ないのです
それは
五井昌久に
あらゆる
神の愛の働きが
移っている
姿なのです

ですから
私は
いつもいっていたように
空っぽで
ただ
私というものは
混沌の生命
大元の生命の働き
縦横無辺の
神の愛の働きを識って
朗らかに
何もおもわず
ただ
人々を
そのままに
分生命(わけいのち)
分霊(わけみたま)
としての自分自身に
それから
神自身へ
かえしてゆく
人間を
大神さまの
神の愛へと
かえしてゆく
そういう働きを
地上にあったときも
そうして現在も
これからも
なしつづけているのであります

ですから
みなさんは
安心して
世界平和の祈りを唱え
五井先生を
よびながら
毎日を生活して下さい
       平成2年3月10日

世界平和の祈りは 本来心に呼びかける祈り

2021-01-29 10:31:00 | スピリチュアル
世界平和の祈りというものは
どういうものかと
いいますと
先ず
人間の
本来心に呼びかけるんです
本心に呼びかけてゆく
そして
人間というものが
この不自由な
肉体界のみならず
三界を
自由に
生きて
神の光の分かれとしての働きを
大神さまの
みこころのなかに入り切って
大愛のなかから
祈りのうちに
なしつづけることができるように
なるために
ここにも
かしこにも
存在しているんだ
ということを
頭ではなく
からだで
知ってゆく
そういう
祈りであります

すなおに
我々のいのちを観じてゆきますと
本当に不思議な守りのうちに
日々を生かされている
それは
いつも申しておりますように
守護霊守護神の
守りがなければ
また
神々の神霊方の愛念がなければ
私どもは
一瞬間も存在することは
できないのであります
それは
地上ばかりのことではありません
私どもが
霊界移行をして
修行の場をかさね
統一を
くり返して参りますあいだに
この真理を
一層
肌身に沁みて
教えられてゆくもの
なのであります

ですから
何よりも
ひたすらなる感謝行というものが
人間にとっては
必要になってくるのでありますが
なかでも
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様
守護神様
ありがとうございます
という
世界平和の祈りを唱えますときには
私どもは
光のいのちとしての
自分自身の
本心本体と
すなおにむかうことが
できるのであります

もしも
何かのおもいにとらわれているときでも
私の名を呼び
世界平和の祈りを唱えてゆくときには
かならず
人は
その本来のすがたへと
たちかえることになるのであります
    平成2年3月10日

世界平和の祈りを唱えてごらんなさい(2)

2021-01-28 06:39:47 | スピリチュアル
    (前日からの続き)
世界平和の祈りを唱えてごらんなさい
この祈りは
徹底した
感謝行であります
しかも
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
という
祈り言のなかに
私自身の祈りと
わたしの祈りを超えて
世界人類という
大河のなかに
私をなげ出した
祈りとが
こん然と
とけ合っているのであります
そして
大らかな
朗らかな
こころで
守護霊様
守護神様
ありがとうございます
と結んでゆく

この祈りには
ただの一つも
人間を責めるところは
ありません
今までは
何かしら
みんな
責められてきたのです
お前の心が悪いから
と責められてきた
この肉体というものを
人間そのものだ
と思い込んだところから
おこる
さまざまな
とらわれ
こだわり
業想念
といったものを
つかまえすぎてきた結果
こんなに祈っているのに
私はまだ
駄目だ
だめだ
ああ私はなんてダメな人間なんだろう
悪い人間なんだろう
とその想念を
業想念を
後生大事に掴む
ところから
そもそも
まちがいが
起こってきているのであります

掴んでもいい
掴むのは仕方がない
けれど
人間は本来
神のいのちの分かれで
奥の自分は
光りかがやいていて
ひとつも
迷っちゃいないんだから
その光りかがやいている自分に
合体してゆくために
ああこれは
消えてゆく姿なんだ
すべて
過去世のおもいが

あらわれて
消えようとしているんだ
神さま
ありがとうございます
世界人類が平和でありますように
と祈ってゆけばですね
何ひとつ
消えてゆかないものは
ないんです
それでもって
この罪悪深重の凡夫
という
肉体にとらわれている
我々の日常のおもいをですね
一切責めず
本来の霊としての
光としての
本心そのままの
大元のすがたへと
かえしてゆく
その祈りの梯子として
世界人類すべての人の心に
灯を点してゆけるのが
この世界平和の祈りなのであります
     平成2年3月10日

世界平和の祈りを唱えてごらんなさい(1)

2021-01-27 07:00:10 | スピリチュアル
いのちのながれは
本心と
私たちが
祈りによって
一体になる時に
尽きず
神の大愛へと
とけ込んでいることが
わかります

人類というものは
全体であって
また個なのです
世界人類が平和でありますように

私たちが
祈ってゆくとき
自覚する
しないにかかわらず
人類のこころに
本心にとけ込むので
あります
また
私という人間以外の
人々
すなわち
世界中の人々が
世界平和の祈りを
祈ってまいりますときに
そのこころが
祈りの光とともに
私に流れ込んでくるので
あります

あらゆる場所
空間
おもいを
超えて
世界平和の祈りを祈って
まいりますときに
私たちは
いつもひとつのいのちに
なってゆくのであります
ひとつのいのちに
むすばれ
本心にむすばれ
光明心によって
むすばれた
兄弟姉妹と
なってゆくのであります

そこで
いつも
私が申しておりますとおり
世界平和の祈りというものは
ただ
世界人類が
すなわち
地球人類が
ひとつになればよい
という祈りではありません
この地球の完全平和を
達成して
あらゆる霊人とともに
また
宇宙の先達たちと
ともに
大神様の
みこころである
愛と
平和と
調和による
宇宙の秩序を
より強固な
ものとするために
この地球に生きる
すべての人々が
すなわち
世界人類一人一人が
器として
起ってゆく
それも
無理なく
それぞれの
本心の
最奥の
祈り心に
照らして
今の生活を
そのままに
起ってゆく
そういうことを
私ども人類に
目ざさせる
御計画のもとに
この祈りは
くだされたもの
なのであります

でありますから
この祈りは
わたし個人
あるいは
全人類が参加するのみならず
あらゆる天界の霊人
諸神善霊も
ともに
私どもが
この祈り言を唱えるときには
一瞬にして
参加し
祈って下さるのみならず
その光明を
尽十方に
ふりまいて下さるので
あります

そうして
私が
これまで申して参りましたように
分生命
としての人間
分霊
としての人間
いいかえますなら
神にむすばれてゆく
いのち
としての
人間
という
もっとも
本来の
すがたに
我々を
たちかえらせて
くれるのが
この世界平和の祈り
なのであります

元来
祈りというのは
すべて
この
神にむすばれている
我々自身のすがた
というものを
明らかに
しめしてゆくもので
あります

法然の説いた
南無阿弥陀仏
に致しましても
キリストの教えた
主の祈り
に致しましても
そのこころは
神仏に帰命する
つまり
中心者
大智慧
大自然
にかえってゆく
帰一する
ということであります
みこころのままになさしめ給え
なのであります
あるいは
一切を凡夫として
一たん
私のすべて
このいのちもなにもかも
そのまま
全部を
いったん仏にかえしてゆく
そして
あらたに
いのちを戴きなおす
という
我凡夫の心
凡夫のすがたを
みきわめて
そこから
生まれかわらせていただく
ということなのであります
このこころが
祈りのなかには
特に
世界平和の祈りのなかには
あふれているのであります
    (つづく)