人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

(記事はリンクフリーです♪)

光への道

2015-09-30 06:21:43 | スピリチュアル
光への道は
色々な入り方があっても
最後には
一筋につながっているものです
それは丁度
色々と
性格もちがい
育った所もちがう人たちが
会えば
笑顔を交わして
通りすぎる
そんな素朴な
つながりに似ています

笑顔を交わすということは
深くは相手を識らなくても
ほほえまずにはいられない
人としての自然な心が
湧き上がるからで
光も
光に気付いた以上
人間が光を拒むことは
出来ません
なぜなら
光は
愛であり
光そのものだからです

光という一粒の種が
地におちれば
拡がることはあっても
決して世界を
せまくすることはありません

光は
人の心におちてまず
その人の心の中で
その人に一番いいように
あかりをともしはじめます
それから
徐々に
心の内と外を
照らして
遂には
宇宙にまで広がってゆく
わけです

いつの間にか
やさしくなっている
気持ちがおちついている
というのは
愛と祈りそのものの
光の働きです
この光は
特別な人にともるという
わけではありません
ただ
光一念の人をふやすために
まず光のともりやすい人を
神様が
まずえらばれるということはあっても
光の輪は
円となって宇宙をつらぬき
一人一人の 小さな 小さな
心のとびらにも
そっとともるものなのです

光に気付いて
それを抱きしめること
光への道は
むずかしいことは
何一つありません
ただ
自分のなかに
自由自在である
こうした神のみこころである
やさしい光が
ともっていることを
信じて
歩いてゆけば
いつの間にか
光一念の世界へ
たどりつくのです

この記事をはてなブックマークに追加

無 題(1)

2015-09-29 06:46:42 | スピリチュアル
私は一滴の水
小さな流れの中に入り
土をしめらせて
いつか一筋の河岸から
海へと雪ぐ

生命という
永遠へつながる
大河にむかって
人はみな歩みをやめることなく
日々瞬々の光を受ける

人間というものは
本来 円光のように
やさしく
辺りを調和させているものなのだ

自分でそれと気付かずに光を
ふりまいている
それが本来の人間の相(すがた)

一筋の光も
一滴の水も
真理に照らされて
存在する

自由自在な
私のこころのなかに
一滴の水となり
一筋の光となる
よろこびが
あふれてくる

この記事をはてなブックマークに追加

友への短信

2015-09-28 06:47:10 | スピリチュアル
神への道は
遠い道ではありません
ただ、心を素直に
悲しい時は悲しいままに
神を呼べば
神様はあなたの涙の中に
いるのです

流れる涙の一滴一滴に思いを入れて
それを生命(いのち)の河に流す・・・
だれも気付かない内に
ちゃんと道は備えられている
その人にふさわしい道を
神様はご存知です

涙の中で私を呼びなさいという
ささやきに心を留めて
道を歩く時
いつか 青空が自分に
ほほえみを投げている
ことに気付くでしょう

悲しみも
悲しみをいやす暖かな陽の光も
どれほど私たちの心と魂に
必要であるかを
神様は御存知です
なぜなら
すべてのものは
愛から生まれ出たものだから

悲しみだけを与えるなどという
不公平なことを神はしない
悲しみはその人が次に登るべき階段を
目の前にして実は上がりやすいように
備えられたものなのです

悲しみ 悩むことで人間は
次に進むための覚悟を与えられます
たとえその覚悟がふらついても
人間の弱さを神は御存知なのだから
全ては 完く計画されて
しかも一人一人をいつくしんでいる
愛なる神に私たちは
目をむけるべきなのです

不公平のように見えて
実は誰に対しても公平なのが
神の世界です

神界はすべて完成されている所だから
あなたが神界に来れば
このことがわかるはずですが
まずは、霊体を色々な場において
その進化のために修行させる
その中に その思いも
迷いも出てくるのだということを
心にとめて
安心して
道を歩いていきたまえ

この記事をはてなブックマークに追加

神のこころ 序

2015-09-27 07:20:52 | スピリチュアル
          序文
 人間というものはやっ介なもので、一日の内
にでもさまざまな感情の波にとらわれます。
 寂しい、切ない、かなしい、うれしい・・・。
 うれしさはまだしも、切なさや寂しさの
波(想念波動)の中に入り切ってしまうと、中々
明るいことを思えないが、何百生、何千生と
過ごす内に、人間の心(本来心)の中に喰い込み、
何時の間にか主人の椅子にすわってしまうのが、
業想念波動のもとであります。

 それでは、さまざまな感情は意味なく
与えられているのかというと、これは実は、
魂の発展のために(個々の)与えられたもの
なのであります。神の愛を証するこの書の序
として、まずこれだけのことを述べて
おきましょう。
           五井 昌久

この記事をはてなブックマークに追加

昌美先生(白光真宏会 現会長)のご修行について

2015-09-26 08:51:47 | スピリチュアル
 (問)昌美先生の今の御神行ですが、その
大変さは神様以外に判っている人はいない
と思いますが、お話していただけますか。


 (答)説明しろというんですか。出来る
ところまでしましょう。全部は言えませんがね。
 結局何が大事かと言えば、要するに人間
というものは皆枠をもって生きている
訳なんです。枠がいいとか悪いとかでなく、
枠を持たなければ生きられないんですね。
 例えば、自分の家庭というものは大事だし、 
家庭をはみだしたくないし、自分の職場という
ものは大事だし、これをやっぱりはみ出したく
ないと皆思って、それを大事にして生きて
いるんです。で、それがいつの間にか枠に
なって、他の世界は知らないという寂しさに
なって行く訳だけども。

 昌美が今やっている事というのは、そういう
小さな枠でもですけれど、いわゆる地球人類が
等しく持っている、全部の色んな枠を取っ払っ
てね、そして生命が朗らかになって
自由自在身になった時には、本当に霊そのもの
人そのものになって、全く肉体の想いという
もの肉体そのものを越えて、色んな世界に
常に出入り出来るという、そこのところを
今修行している訳なんですね。
だから、あの人は今ほとんど食物を食べて
ない筈なんですよ。人間の食物はあまり
入らない筈なんですよ。必要最小限しか
入らない筈なんですよね。それでもって
6時間祈るというのは何を祈るかというのは、
もちろん世界人類が平和でありますようにと
祈りますけれども、人間というのは空間的に
言えば三次元に生きている訳ですね。三次元
と言えば何かというと、やさしく言えば、
この地球に人類が住んでいるけれども、他の
所にはこんな空間は全然無い、そんな世界は
無いという風に枠で囲ってしまっているのが
三次元なんですよね。
目に見えるもの触れるものね。それだけが
自分の世界だと思って生きている、それが
三次元なんですね。ところが、四次元も
五次元も六次元も十何次元もありましてね。
空飛ぶ円盤なんていうのは、そういう優れた
宇宙人達の心の波で、本当に澄み極まった波で
動いている。向こうの科学はそういう心の波で
作られる。そういうものなんです。本当に
純粋な純白なものなんですよ。

 で、そこまで我々が本当に平和に生命を完う
してね、この地上の生命を完うして、更に
死ぬ事を恐れないで、次の世界へ又自分の
生命を続かせて行こうと思えば、自分の中に
澄み極まる想いがあり、それが全部動かして
行くんだというところまできちっと信じきって
いかないと、そういう風に降ろしていかないと
平和にならないんですよね。
それには自分が自由自在身になる事が必要
なんですけれども、じゃあ誰でもなれるかと
いったら、今三次元の枠を全部踏み越えて
なろうといえば、もうこれは命がけなんですよ。
世界平和の祈りをもってしても尚かつ命がけ
なんです。そこのところを神様の方で選んでね、
昌美が自由自在身になる為の命がけの役を
本当にやっている訳ですよね。ですから、
瞬間瞬間これが臨終かしらという想い、恐怖の
想いもあるだろうし、頑張りたい帰りたい
という想いもあるだろうし、色々な想いがある
と思いますよ。
その人間の想いを全部味わって越えて、
そこから、宇宙に生きる人類の偉大な心と身体
というものを獲得していくという所まで行って、
それで帰って来るんですよ。

 それを今度はあの人が十字になって
降ろされるようになったら、白光の皆に
降ろして、白光の皆から又外の人達に降ろして
という計算が出来ていってる訳ですよね。まず
お手本がないと出来ませんからね。だから、
あの人の今の孤独とか痛みとか苦しみとか
いうものは大変なものでね。村田さんは、とに角
素晴らしい素晴らしいと言っているけれど、
素晴らしいだけではなく、本当に痛い苦しい辛い
大変の連続だと思いますね。
あれは他の人がやったら死んじゃうっていう
ものです。 
        昭和62年2月24日

この記事をはてなブックマークに追加