人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

(記事はリンクフリーです♪)

人間の真性

2019-10-30 19:09:03 | スピリチュアル
この肉体というのは
光ってるんです
見える
みえないとかじゃなく
光ってるんです
このいのちが
私たちのうちに
宿っているのと
おなじくらい
いやもっともっと
自然に

なぜかといえば
光というのは
神様の愛で
これこそ
私たちのいのちを
生かしめている
元の元なんですから
だから光って
いない筈がないんです

光の子というのは
人間の
真性なんです
光って光って
その光を
すべての天地に
ゆきわたらせるわけです
意識するしないにかかわらず
みんな
この働きを持っているんです

光というのは
自分だけが
光ってりゃあいいと
いうもんじゃないし
またそんなことは
思いつきもしない
どこへでも
ゆくでしょう
どこにでも
およぶんですよ

太陽も
月も
星も
この
光のいのちなんです
このいのちが
光ってるんです
光のあらわれ
それが
生きとし
いけるものの
いのちなんですよ

コロンブスの
にわとりが
先か
卵が
先かって
あるでしょう
あれじゃ
ないけれど
光が先か
いのちが
先かってね
でも
光だ
いのちだ
という前に
その光を
光たらしめているものは
いのちを
いのちたらしめているものは
何かといえば
神様の深い深い愛なんです
これしかないんです

神様はもう
ずーっと人間を
思い放しなんですよ
一人一人の
いのちのなかに
その愛が
入り込んでるんです
この愛によって
人間は生きることが
できるわけ

光といのちと愛
この三つは
神様を語るのに
なくてはならぬもの
そうして
人間の真性は
この光といのちと愛の
なかにあるんです
        昭和62年2月10日

光の はしご

2019-10-27 12:05:58 | スピリチュアル
ながれ
というものには
こだわりが
ありません
全く
悠々と
ながれる
大河でも
ちょろちょろと
細いところを
せまっくるしく
ながれてゆく
そういう
流れでも

なぜなら
神様が
流れさせているからです
神様の
愛のいのちを
受けて
流れてるんだから
不平不満の
おこりようがないんです
私がこうしたのに
あの人はとか
そういうのは
みんな
おもい
業想念です

神様ってのは
とびっ切り明るいんですから
それでもって
一人ひとりの
人間の
いのちの根を
愛してらっしゃるんですから

わかります?
いのちの根ですよ
ちっぽけな
あなたの表面に
あらわれたところを
愛するとか何とか
そんなみみっちくないんです
神様ってのは。
どんとこいなんですよ
みんな
全部
思いっ切り愛する
というのが
神様なんです
こんな大きな
愛ってありませんよね

で、私がいつもいうように
人間はこの神の分生命(わけいのち)
分霊(わけみたま)ですから
我々の
いのちの根っこから
人を愛するように
できてるんです

だけど
自分が自分がとかね
逆に
ああ愛さなきゃなんないのに
愛せないなんてノイローゼに
なったりする・・・
今は
まだそういう人が多いんです
なぜかというと
それがずーっとつづいてきた
肉体人間の
おもいグセなんですよね

そこで
これまで地上にきた
聖者たちは
釈迦にしてもキリストにしても
マホメットにしても
光のはしごを
祈りというはしごをかけたんです
その光のはしごを
徹底した
言葉をいただいたのが
私の唱導した
世界人類が平和でありますように
という
世界平和の祈りなんです

みんな
いのちの根っこまで
愛せるように(霊体や光体はもう愛して
るんだけどね)
この祈りのはしごに
のって
祈って参りましょう
        昭和62年2月10日