僕はびわ湖のカイツブリ

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“男のためのガーデニング”改め

御朱印蒐集~大津市 比叡山延暦寺 横川中堂・恵心堂~

2016-12-22 18:18:18 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 比叡山延暦寺の横川(よかわ)エリアは東塔や西塔エリアから北方向にある区域になります。
紅葉の季節が終わり、比叡山の中心部からやや離れていることもあってか、静寂の寺院といった感のある区域でした。
比叡山は都(京都)の鬼門とされていた山になりますが、その比叡山の鬼門にあたるのが横川地区になるとされていて、言うなれば“都の鬼門のそのまた鬼門”という位置づけになるのでしょうか。

 

駐車場に車を停めると、まず門から入ることになりますが、すっかり葉の落ちた樹木に雪がかぶっていて比叡山はもう冬景色です。
比叡山は夏でも平地に比べて気温が5℃低いといいますので、師走中旬の比叡山が冬景色になるのも当然なのかもしれませんね。



すぐに龍ヶ池という小さな池と池の中央に祀られた「龍ヶ池弁財天女」が見えてきて、池を横目にして進むと舞台づくりの「横川中堂」がありました。
この角度の横川中堂は写真などでよく見かける光景ですが、実際のところこの位置からしか全景が見える場所はなかったですね。



横川中堂は、平安時代の848年に慈覚大師圓仁が入唐求法の旅から帰国して創建したとされています。
しかし、1942年に落雷によって焼失し、現在の堂は1971年の再建だそうです。
このお堂は遣唐使船をモデルにしたとされていますが、比叡山延暦寺(天台宗)の開祖である最澄と真言宗の開祖の空海が同じ遣唐使船団に乗って唐へ渡ったのは804年のこと。最澄38才(空海31才)の時だったとされています。



本尊は平安時代作の聖観音菩薩(重要文化財)ですが、姿を見ることは出来ませんでしたので正面入口の聖観音像を見ることになりました。
堂内の回廊には小さな観音像が全面に祀られていて少々怖い感じもしましたが、熱心な信者の方の奉納ですので祈りの回廊ということです。



横川中堂の手前方向に石段があり、その先には「根本如法塔」がありました。
「根本如法塔」は、第三世天台座主慈覚大師円仁が、自ら書写した法華経一部八巻を納める宝塔を建てたのが起源とされ、横川発祥の聖跡とされています。
現在の塔は1925年に再建されたもので比較的新しいものではありますが、美しい多宝塔だと思います。



さて、御朱印は横川中堂のものと「恵心堂」の2枚を頂きましたが、前回比叡山に訪れた際に根本中堂で「恵心僧都1000年御遠忌」が営まれていた縁もあって恵心堂まで足を運びました。
恵心僧都こと源信は、この恵心堂(現在の建物は再建)で『往生要集』や『二十五三昧式』などを書かれたと伝えられています。
また源信は、琵琶湖の畔にある“堅田の浮御堂を建立した方”といった方が馴染みがあるかもしれません。



恵心堂には本尊の阿弥陀如来が祀られていて公開されてはいませんが、阿弥陀如来とご縁を結ぶ五色の紐が張られていました。
当方は赤色の紐を結んで縁をつなぎましたが、寒さでかじかむ手で握る雪で濡れた紐の冷たさが記憶に残ります。



以前に大津市の琵琶湖沿いを日が暮れてから車で移動していた時に、山の上の方向に明々と光が差している場所がありました。
不思議に思って見ていたのですが、あれは位置からして横川区域から発せられていた灯りだったのか...今でも気になる出来事です。


コメント
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