僕はびわ湖のカイツブリ

滋賀県の風景・野鳥・蝶・花などの自然をメインに何でもありです。
“男のためのガーデニング”改め

早川鉄平「切り絵の世界」~長浜市「慶雲館」~

2021-07-30 08:15:15 | アート・ライブ・読書
 「切り絵作家」早川鉄平さんは、1982年 石川県金沢市生まれで、大阪で高校の被服科の教員をされた後、フリーカメラマンに転身して好きな動物や景色などの自然を撮影をされていたそうです。
カメラマンの仕事で米原市の山村で撮影をするうちに、地方で暮らすことを思い立ち、米原市の「みらいつくり隊員」の募集に応募して米原で暮らし始められたといいます。

米原でカメラマンとして暮らすうちに、幼少の頃に母とやっていた切り絵を始めたところ、切り絵作家としての仕事が入るようになり、本格的に切り絵作家に転向されたようです。
切り絵作家として絵本「白鳥になった王子」を出版されていますが、その作品はコラボやインスタレーションや行燈など多岐に渡り、滋賀の湖北地方では作品を見る機会の多い作家さんだといえます。



早川鉄平さんの作品は、以前に夏の「奥伊吹スキー場」で開催されていた『伊吹の天窓』というイベントの記事で興味があったものの、行きそびれておりました。
意識して作品を見たのは長浜大通寺の「親鸞上人 七百五十回御縁忌」での18枚の障子からで、このコラボには圧倒される衝撃がありました。

大通寺の七百五十回御縁忌でのコラボが2019年。それ以降は長浜市「さざなみタウン」での「白鳥になった王子-絵本原画展-」(2020年1月)、「早川鉄平 切り絵の世界✖慶雲館」(2020年8月)。
2021年は、「長浜盆梅展」(2021年2月)に始まり、「大通寺 馬酔木展」での切り絵障子作品の展示(2021年4月)と今年3回目の作品展へ訪れることになりました。



「慶雲館」は、明治19年(1886年)に明治天皇皇后両陛下が大津から船で長浜に上陸され、鉄道へ乗り換える時間に滞留するための施設として、実業家・浅見又蔵氏が私財を投じて行在所を建設したといいます。
天皇皇后両陛下は、慶雲館で一時間足らずの休憩を取った後、列車で名古屋へ向かわれたそうですが、その一時間のために破格の建築費を投じた浅見又蔵の財力は凄いものだと感心します。



慶雲館の本館の和室へ入ると、盆梅展で見慣れた光景とは全く違い、広い和室のはずなのに狭く感じる。
おそらく盆梅の大鉢が並ぶことで奥行を感じて広く見えていたのでしょう。
盆梅が並んでいた場所には6面の大きな屏風に虎の見応えのある図柄の切り絵作品が目に飛び込んできます。



隣には同じく6面屏風で牛(山の神)の切り絵作品が並びます。
どちらも躰の部分に鳥や獣などの生き物の切り絵が施されています。



新館・梅の館では壁一面が巨大な切り絵の生き物たちの空間となっています。
象や虎は日本の自然界には生息していませんが、米原の山では(湖北全域でも)動物との出会いは多く、当方も大抵の動物には山で出会っていますので、親近感がわきます。



過去の新館での展示はライトアップされた行燈が多かったのですが、今回は切り絵の展示になっています。
下は狼でしょうか。体毛が細かく表現されている精密な作品ですね。



会場内では「白鳥になった王子」の画像とナレーションば流れ、物語に登場する動物たちの切り絵が並ぶ。
伊吹山は“ヤマトタケルが伊吹山の山の神を倒そうとして返り討ちにあったとされる伝説”が残る霊峰ですが、物語の方でも王子が動物たちの忠告を聞かず、山の神に戦いを挑むという話になっています。





今回の展示会は「白鳥になった王子」がベースになっていますので全く異質な作品はありませんでしたが、過去2回の慶雲館での展示とは趣向の違う構成になっていたと思います。
猛暑の中ではありましたが、風が良く通る涼しい縁側で庭園に置かれた作品を見る。



慶雲館の庭園は、2006年に国の名勝に指定されている庭園で、置かれている石材の大きさに驚かされる庭園です。
広さも感じますが、かつては長浜港と隣接していて、目の前まで船がきていたといいます。豪商・浅見又蔵はいいものを残してくれたと感謝します。



縁側に座って庭園を眺めていると、日本庭園の良さを感じることしきりで、ボーとした時間が流れ心地よくなります。
ただ、これだけ広いとハガリや整備も大変だろうなと思いますが、こういうところでシニアのパワーが大いに役に立っているのでしょう。



庭を歩きながら慶雲館の建物を眺める。
年に1~2度は訪れる憩いの場所となってきているかな。



余談ですが、以前に早川鉄平さんの作品に影響を受けて切り絵を始めてみたのですが、不器用すぎて断念しておりました。
ところが器用な妻があっさりと切り絵で仁王像を作ってしまい、ますます自信を喪失してしまい、もうチャレンジ不能です。




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余呉町菅並集落「六所神社」~山の神・野之神・お礼(御霊)の神~

2021-07-27 06:00:00 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 滋賀県の湖北地方は仏像が数多く残されている地域で、「観音の里」と呼ばれる高月町より以北の木之本町や西浅井町・余呉町にも数多くの仏像が点在します。
高月町や木之本町の観音堂は「観音の里ふるさとまつり」(令和2年・3年コロナ渦で中止)で拝観する機会はあるものの、余呉町の寺院は予約拝観が必要となります。

令和元年8月に4つの寺院・観音堂が公開された「「丹生谷文化財フェスタ」」では普段拝観することの出来ない仏像に出会える貴重な機会でしたので、丹生谷にはとてもいい印象が残っています。
丹生谷とは「下丹生」「上丹生」「菅並」の集落のことをいい、余呉町東部の山間部に点在する集落の総称となります。



現在、余呉谷の最奥は「菅並」集落となっていますが、かつては菅並集落より奥に「針川」「尾羽梨」「奥川並」「鷲見」「田戸「「小原」などの集落があったといいます。
奥地ゆえに離村された村もあるようですが、いくつかの村は「丹生ダム」建設のために住民方々は移転して村は廃村となったといいます。

「丹生ダム」は諸々の意見や当時の嘉田滋賀県知事が“もったいない”を合言葉に新幹線新駅やダム計画の見直しをしたこともあって、2016年に建設自体が中止となりました。
ダム建設計画の調印が行われたのは1984年といいますから、実に32年をかけて結論に達したという結果からは、一度スタートしたダム事業を止めることの困難さが浮き彫りになった事例の一つです。

その結果、現在は最奥の集落になった「菅並」集落には「六所神社」があり、再訪致しました。
朱色の妙理橋を渡るとすぐの場所にあり、「東林寺(菅並観音堂)」は同じ境内にある神と観音の神仏習合寺院です。



「六所神社」は、「伊弉諾尊」「大己漬命」「大山祇命」「菊理姫命」「金峰大神」「菅原道真公」の六柱を御祭神として祀り、境内社に「龍神社」を祀りするという。
神社のすぐ横には高時川が流れており、神社の御由緒によれば、“社の下の高時川に大蛇が住み、通行人に危害を加えるので、熊野より山伏6人当地へ来て留り、大蛇を殺した。”とある。
この由緒により「金峰大神」が祀られているのだと推定したが、この神社でも「菅原道真公」をお祀りしていて余呉の道真公信仰の強さが伺われる。



「六所神社」の鳥居は、両部鳥居の形となっており、この形の鳥居は湖北ではたまに見かける型式です。
近くにキャンプ場もある明るい雰囲気の集落ですが、鳥居を抜けて一歩境内に入るとスギの樹が鬱蒼として茂り、厳粛な空間が広がる。



鳥居のすぐ横には「野之神」が祀られている。
湖北の野神さんをかなり見てきましたが、菅並集落の野神さんは独特の迫力があり、“神聖な場所を犯すべからず”といった威圧感があります。



野之神の両方の樹の迫力もありますが、御神体として祀られるいくつかの石に霊的なものさえ感じてしまいます。
石の横には紙垂が付けられたお祓い棒があり、PE袋に入れて保管されているのは、必要な時に新しい幣を準備しなくてもよいようにするためかと思います。



拝殿の前にあったスギが一番大きかったかと思いますが、境内には何本ものスギが植えられ、本殿や後方の山にもそこそこの樹齢の樹が実に多くみられます。
川の水の音とアカショウビンの鳴き声しか聞こえない静寂の神社の境内にいると、心地よさというよりも掴みどころのない怖さのようなものすら感じてしまいます。



拝殿の奥には本殿。その隣には「聖観世音菩薩立像」や「持國天」「多聞天」ほか数躰の仏像をお祀りする「東林寺(菅並観音堂)」が並びます。
コロナ渦が去って、湖北各地の観音堂が公開される日が待ち遠しくなりますね。



拝殿の横辺りには「山之神」が祀られている。
神社と観音堂が並ぶ神仏習合であるうえに、「野神さん」「山神さん」が祀られているのは至極素晴らしい。



「山之神」にはいつの時代の物か灯籠や石仏・石塔の部分などが祀られていて、苔むしているため彫り物の詳細は読み取りづらい分、歳月の長さを感じることができる。
前方の灯籠も少し変わった形をしていますが、「菅並観音堂」の仏像も特徴的な造りとなっていた記憶がありますので、地方独特の信仰形態があったのかもしれません。



「六所神社」にはもう一カ所祭場があり、神社のお世話にやって来られた方に聞くと、「お礼(御霊?)の神」だとおっしゃります。
六所神社の全ての神さまにお参りして、最後にお参りするのがこの神さまだということです。

“石塔なども昔はもっとたくさんあったのだけど、持っていってしまう人(盗難)がいて、すっかり数が少なくなった。”と嘆いておられます。
また、“高齢化が進んで神社のお世話が出来る人が少なくなってしまい、ほおっておくと荒れてしまうので一週間に一度やってきてお世話をしている。”とのこと。
どの集落でも悩みの種となっている切実な状況についても話を聞かせていただくことができました。



「野神さん」「山神さん」「お礼の神さん」「拝殿」「本殿」など全ての場所の榊を新しいものに取り替えておられたことから、実に丁寧にお祀りされていることが分かります。
集落の神社や観音堂をどう守っていくのかは、集落の高齢化と価値観の違い等あって、悩ましい問題となってきているようです。



本殿の左奥へ行くと磐座と思える巨石と注連縄を巻かれた石がある。
苔で覆われていますが、後方の緑の部分は1個の巨石で、山や石に神の姿を感じる自然崇拝の姿がここにあります。



手前の岩に紙垂を付けた注連縄が巻かれて神社の最奥に祀られていることからすれば、これが六所神社の磐座または奥之院と想定してもよさそうです。
余呉町東部の最奥の集落である菅並には、古くからの信仰の形が今もそのまま残されていると言ってもいいのではないかと思います。



神社の参拝を終えて集落の中へ入っていくと「余呉型民家」と呼ばれる豪雪地帯特有の民家が並びます。
かつては茅葺屋根だったのだと思いますが、今はトタン屋根に替わっているとはいえ、風情のある集落の風景が続きます。



「丹生ダム」建設予定地だった集落を見てみたい気もしましたが、道路は通行止めとなって入れなくなっていた。
興味深かったのは菅並を走行していると「北海道トンネル」というトンネルがあったこと。

ダム建設用だったというこのトンネルは「ほっかいどう」ではなく、「きたかいどう」と読むそうです。
「街道」とは書かず「「海道」と表記されるのは、「海道」に古代末から中世初期に新しく開拓された耕地の意味があるからだともいわれる。



菅並集落から離れると次の集落までは人の暮らした気配のない道が続きますが、途中に「胡桃谷の名水」と呼ばれる名水が出ている場所があります。
山側の道路擁壁がくり抜かれてペットボトルが湧き水の排出口になっていて、うっかりしていると見落としそうな場所にあります。
山の林道や道路をうろうろしていると、こういった名水に出会うことが多いのですが、「胡桃」という字からはクルミ(ナッツ)を想像するより、胡蝶の桃とイメージした方が美味しそうです。



余呉町を流れる河川には「余呉川」と「高時川」がありますが、穏やかな感じのする余呉川に比べると高時川は勢いや渓谷感は強いと感じます。
清流のカエルの声があちこちから聞こえてきて、水音に解け合いながら、山からは野鳥の声。
当方は経験はないけど、キャンプしながら渓流釣りなんて趣味があったら楽しいでしょうね。






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余呉町下余呉集落「乎弥神社」と余呉湖~長浜市余呉町下余呉~

2021-07-24 16:50:00 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 余呉町の中之郷には、かつて国鉄 柳ケ瀬線の「中之郷駅」があり、現在の長浜市の木ノ本 -敦賀港間を結ぶ路線があったといいます。
福井県敦賀へと向かう柳ケ瀬トンネルは、急勾配のため上り列車がトンネル内で立ち往生したり逆行するなどして窒息事故が頻繁に起こったとされています。
急坂に対応するために中之郷駅は、補助機関車を付けるための駅となり、全ての列車が停車する駅として駅弁売りがでるほどのにぎわっていたようです。

中之郷駅は1882年(明治15年)に開業しましたが、1957年に余呉駅が開通して近江塩津経由の北陸線に路線が変わったため、1964年に廃線となる。
現在はそんな路線の名残りを残すかのようにホームの一部と駅名標のレプリカだけが残っています。



余呉町は、中之郷の辺りで丹生谷方面と余呉湖方面、坂口集落を通って木之本町へと進む分岐点となりますが、気ままに余呉湖方面へと向かってみる。
すぐに大きな神社が見えてきて獣除けの柵を開けて入ると、小川に架かる朱色の橋の先の石標には「乎弥神社」とあった。



「乎弥神社(おみじんじゃ)」の御祭神は「巨知人命」「梨津臣命」「海津見命」で、醍醐天皇の時代(平安時代前期)に創建されたという。
境内に入るとまず目に飛び込んでくるのは寄り添うように立つ2本のスギ。夫婦スギと呼ぶのが相応しい姿です。



2本のスギは根っこ近くで合体しているようであり、仲睦まじい印象を受ける御神木です。
片方のスギの方が幹が太いが、2本のスギをまとめるように注連縄が巻かれていることから、2本で1本の御神木ということなのでしょう。



境内には江戸時代に合祀された「乃弥神社」や、明治政府の指示により合祀されるようになった複数の摂社があり、祀られている境内社が多い。
境内社の内、「村草神社」「大名持神社」「塞神社」「八幡神社」は、もともとこの地域内に祀られていた神社だといい、他は明治の合祀のようです。
明治政府が指示した意図は分かりませんが、そこまで政治が信仰の世界に介入していたということなのでしょう。



拝殿・本殿は石垣の上のにあり、「乎弥神社」では石垣の高さが余呉町の他の神社より高く積まれている。
本殿は覆屋の中にありますが、豪雪地帯の余呉では覆屋の中に本殿がある神社が時々見られます。



石垣の上から御神木の夫婦スギを見降ろしてみる。
境内は広いが、綺麗に掃除されていて整っている。地元の方の神を祀る気持ちが伝わってきます。



本殿の裏側に回り込んでみると、興味深い看板がありました。
本殿裏の山には「ブナの御神木」があるといい、右側の山にも数本のブナ樹があるそうです。
ブナ樹は植樹されたものと考えられていて看板にあるような故事も残されており、旱魃に苦しむ余呉湖下流の農民の祈願があったと伝えられているようです。



裏山の坂を上ってみると確かにブナの樹が高々と枝分かれしながら立っています。
どこから登ってブナの下まで行かれたのか不思議に思えるほど、ブナへ続く道は確認できないが新しい御幣が巻かれているのが良く見える。



看板には“ブナは枝葉で受けた雨水を樹幹をつたって自分の株元に集め(樹幹流)株元の腐葉土は水を蓄えます。”とある。
数本のブナで下流の田圃を潤すとは思えませんが、植樹して願いを込めなければならないほど田圃に必要な水に切実な想いがあったのだろうと思います。



さて、ここまで来たので「余呉湖」を一周してから帰ります。
余呉湖の畔にかつてあった「天女の衣掛柳」は、2017年の台風によって根元から折れてしまい、今は見る影もない。

余呉湖の羽衣伝説には“白鳥の姿で舞い降りて水浴びをしていた八人の天女に恋した男が羽衣を隠し、逃げることの出来なくなった天女は男の妻になり、その子供がこの地を支配した伊香氏の祖になった。”とある。
さらには“羽衣が柳の木に掛かっていたので手に取ったところ、天女が現れ羽衣を返して欲しいと請われるが、男は返さず自分の妻とした。子供を陰陽丸と名付けられ、その陰陽丸が後の菅原道真になった。”という伝説もあります。
いずれにしても、隠されていた羽衣を見つけた天女は天に昇っていってしまったという逸話が付いている。



余呉湖は、琵琶湖とは賤ヶ岳(標高422m)で隔てられており、周囲6.4キロメートルの余呉湖は約3万年前の琵琶湖と分かれたとされます。
別名「鏡湖」の呼び名もある穏やかな湖ですが、如何せん天気が悪かった。



琵琶湖を見慣れていますので大きさに驚くことはありませんが、一周してみるとかなり大きな湖であることが分かります。
余呉湖は、冬はワカサギ釣りや水鳥観察が有名ですが、湖の周りには賤ヶ岳の登山口がいくつかあり、山の中へ入っていかれる方の姿もありました。
天気・季節・雲の状態・風・陽の当たり具合に恵まれた日に、リフレクションした反転世界を見てみたいものですね。




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余呉町文室集落「北野神社の山の神・野の神・綾神」~長浜市余呉町文室~

2021-07-21 17:55:55 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 余呉町の「文室集落」は余呉町の西の最奥になり、山の向こう側は西浅井町の塩津あたりになる奥まった場所にある集落で、なだらかな傾斜に作られた田園地帯は、国安集落や東野集落へと続きます。
同じ余呉町でも北部の山村風景とは全く景色が異なり、こんな広い田園地帯があったのには少し驚きました。

集落は、傾斜をあがった山麓にあり、村内には100名足らずの人口とはいえ、生活感は感じられて人の姿にもたまに出会える過疎の印象の薄い集落です。
電車の経路からは遠く、バスは通っているものの本数は少なく、車がなければ買い物に行くのも不便そうではありますが、湖北にはそういう場所が多い。



集落の中を奥へと進むと神社の鳥居が見えてきました。
神社の前には「北野神社」と彫られた碑が立っており、菅原道真公を祀る神社であることを示している。

余呉町と菅原道真公の関りは深く、坂口集落から大箕山を登ったところには764年に孝謙天皇の勅命により建立された「菅山寺」が残り、道真公は6歳から11歳になる885年まで寺院にて勉学したと伝わります。
889年になると道真公は勅使として再び大箕山に入り、3院49坊を建立し、「大箕山菅山寺」と寺号を改めたという。



文室集落の「北野神社」は、坂口集落の「菅山寺」の守護神である天満宮の御分霊を勧請して創建されたといい、余呉と道真公に関する伝承が残る。
「北野神社」には皇族に関係する伝承もあり、それは“村上天皇の第四皇子である為平親王が「安和の変」によって都を追われ、諸国巡歴され天禄3年(972年)当地に安住され農耕の業に従事された”というもの。



不遇な人生を辿った皇族が、流れ着いて暮らしたという伝承をあちこちで聞きます。
京の都と滋賀は近いとはいえ、実際にそういうことが多かったのかどうかの確証はなく、伝承の域の場合もあるのかもしれません。
ただ、勝手に創作した話が各所に残っているとは思えず、何らかの形跡(エビデンス)があったのではと考えたくなります。



「北野神社」の鳥居から入ると、まず境内社があり、右奥に本殿がある配置になっています。
境内社は、前に祠が2つあり、奥に祀られた祠の前には「式内 蔵王権現 足前神社」の石標が建つ。
「蔵王権現」は、山嶽仏教である修験道の本尊とされますから、山麓の集落であるこの地で修験道が信仰されていたのか、山の神として信仰されてきたのか...。



余呉の神社の本殿は石垣の上の一段高いところに祀られていることが多い。
拝所の扉にある彫り物も手が込んでいて見事な細工となっています。





本殿の横には2本の樹があり、注連縄や御幣はかかっていないが、御神木なのかもしれません。
100年、200年後には巨樹に育っているかと思いますので何世代か後の人はこの樹を見て霊的なものを感じることがあるかもしれません。



境内には石造りの3つの祠があり、それぞれ「山の神」「野の神」「綾の神」と書かれています。
山の麓の集落で、且つ農村でもありますので「山の神」と「野の神」は分かりますが、「綾の神」とはなんぞや?
「大綾津日神」と関係があるとすれば、厄除けの守護神のような意味合いとなるが、分からず仕舞い。



この祠のすぐ後方には、かつて野神さんとして祀られていたであろう巨樹の切り株がある。
朽ちて倒れたように見えるが、この切り株のサイズからすると、かなりの巨樹であったことが伺われる。



さらに奥には山の神の祭場であったのではないかと思われる石積みがあった。
おそらく野神さんがなくなり、山の神も足場が悪いため、拝みやすい境内に祠が祀られたのではないかと思います。
ただし、探してみたけど「綾の神」についてはそれらしい場所はありませんでした。



余呉町の西の最奥にある文室集落から少し離れたところに流れる余呉川。
余呉川は上流域も中流域も琵琶湖に近い下流域もあまり姿が変わらないように見えますね。




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余呉町国安集落 草岡神社のスギと野神さん」~長浜市余呉町国安~

2021-07-18 13:25:00 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 余呉町は、巨樹の多い地域で神社や村外れなどに集落の御神木や野神さんなどの巨樹が守り続けられています。
しかし、近年は「栃ノ木峠のトチノキ」や「管山寺のケヤキ」「余呉湖の衣掛柳」など枯死したり倒壊したりした巨樹が多くなっているといいます。

余呉町の田園地帯にある「国安」集落には「草岡神社」という神社があり、境内には5本の巨樹スギがありました。
国道365号線にあった案内板には「国安 天神前 五箇の野神祭」の文字。興味をひかれて国道を外れ国安の集落内に入ります。



国安の野神祭とは草岡神社の大祭のことをいい、境内では国安・今市・東野・池原・文室の五つの村人たちが集まって盆踊りをするという。
五つの村の盆踊りですから「五ヶ踊り」というそうで、集落同士の交流の場でもあり、余呉川をはさんで隣接する各集落が水争いなどしないよう円満な関係を築くことにも役立ったのかもしれません。



小谷集落から下余呉集落辺りのエリアには「賎ヶ岳合戦」時に羽柴秀吉軍により築かれた山の砦が各所にあったといい、草岡神社の裏山の天神山にも砦を築かせて警備に当たらせたといいます。
「賎ヶ岳合戦」は賎ヶ岳の攻防だけではなく、余呉湖周辺や柳ケ瀬に至るまでの北部の広い範囲に砦を築いて戦場として陣を構えて戦ったとされ、局地戦ではなかったとのこと。



砦のあった天神山の麓にある草岡神社の鳥居を入ると、目に飛び込んでくるのは石段の両脇に聳え立つ見事なスギ並木。
神社の石段などの両端にスギがあるのを見かけることがありますが、ある意味での結界なのかとも思います。



広い境内の先には石垣で一段高くなった場所に境内社が祀られ、その中央に本殿へと続く石段がある。
一番大きいと思われるスギは右の境内社の前にあり、石段の両脇には2本づつスギが立っている。
どのスギも真っすぐに上に伸びていて、両脇のスギを眺めながら石段を登っていくと、浄化されていくような気持にもなる。



石段の上から下を見降ろすと、4本のスギの向こうに鳥居が見える。
間にある広い境内では「五ヶ踊り」の時に大勢の人が集まって盆踊りに興じたことでしょう。



石段を登りきると拝殿・本殿があり、本殿は石垣の上の神社の一番高いところに祀られています。
草岡神社の御祭神は「高皇産霊神・神皇産霊神・彦坐王命・菅原道真公」。

本殿は覆屋で被われており、中の様子はよく見えませんが、豪雪対策なのでしょう。
地元の方の信仰の篤さが感じられる立派な社殿です。



石段の途中の下段右側に祀られるのは「金刀比羅社」と「秋葉社」。
前にあるスギの幹周は4m弱といったところで、高さは35mとも50mともされている。



左側に祀られる境内社は「稲荷神社」と「毘沙門社」。
滋賀県の山村・農村に参拝すると、ほぼどの集落にも立派な神社があります。
ただ、余呉の集落でも石造りの鳥居だけがあるとか、神社の碑だけがある集落もあって、移転された跡地なのか神社自体がなくなってしまったのかよく分からない集落もありました。



「五箇の野神祭」では午前中にそれぞれの村の野神さんにお参りした後、午後から草岡神社で祭典がおこなわれるといい、祭典が終わるといよいよ「五ヶ踊り」が始まるという。
盆踊りは昼の部と本番の夜の部があり、江州音頭で盛り上がりをみせるそうです。



「草岡神社」の拝殿の横には「野神さん」の碑が祀られてありました。
帰宅してから知ったのですが、国安集落には野神さんがなんと3カ所もあるとか。

野神さんは集落に一つというのが普通ですが、ここは珍しい。
看板に天神前と書かれていた野神さんは「草岡神社」横の集落と神社の境内の野神さんで、もう一カ所は国安村にある別の字の野神さんだとか。



余呉町は山深い場所のイメージがありますが、この辺りは平野部が多く、田園地帯が広がる地域です。
農村ゆえに野の神を祀り、水の恵みと怖れを神に祈ってきたことが、祭りという形で残ってきたのかと思います。



追記:国安の3つの野神さんが気になったので日を改めて探しに行きました。
余呉川の近くにあったのは「天神前の野神」と呼ばれる野神さんです。



広い田園地帯を見渡して樹のある場所を探せばそこに野神さんが祀られています。
草岡神社境内の野神さん・天神前の野神さんに続いて最後の野神さんは「本郷の野神」です。



野神さんではありませんが、同じように田園地帯にそれらしい場所があったので行ってみると、それは地蔵堂のようでした。
祠の中に厨子があったものの、扉が閉まっていましたので地蔵かどうかの確証はありませんので推定です。



地蔵堂の横には石仏や石塔が祀られています。
もしかしたら賤ケ岳の合戦で亡くなった人の菩提を弔っているのかもしれませんね。




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「調子ヶ滝」と「マキノ高原」セラピロードのキビタキ~高島市マキノ町~

2021-07-15 18:00:00 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 滋賀県の湖西地方の高島市にはキャンプ場が幾つか点在してにぎわっていますが、人が訪れる理由の一つには京都や大阪からのアクセスが良いことがあると思います。
また、コロナ渦の影響でアウトドアで自然を楽しむ人や、タレントの“ぼっちキャンプ(ソロキャンプ)”などが人気を集めていることからキャンプを楽しむ人が増えているようです。

高島市マキノ町の「マキノ高原」は、冬はスキー場が営業され、スキーのオフシーズンにはキャンプを楽しむ人や赤坂山や寒風大谷山への登山を楽しむ人が訪れるといいます。
「マキノ高原」からトレッキングコースを歩いて行くと「調子ヶ滝」という滝があると聞き、難コースではないようなので「マキノ高原」へ足を運びました。



「マキノ高原」前のキャンプ利用者でない人が駐車する登山者用駐車場に車を停めて歩き出すと、石積みのヨキトギ川の心地よい水音が響いてくる。
子供たちが魚つかみや水遊びが出来る場所もあるようですので、人工的に整備されていて真夏なら大人でも水遊びをしたくたるような川です。



キャンプ場エリアに入って驚くのはキャンプサイトの広さでしょう。
キャンプ場だから当たり前なのですが、キャンプする人に合わせて“林間サイト”“高原サイト”“森の隠れ家サイト”など趣味に合わせたサイトがあるのも面白い。

この高原サイトには赤坂山(標高824m)や大谷山(標高814m)の登山口があるため、登山の方も多く見受けられ、皆それぞれの休日を楽しんでおられるようでした。
高島市ではかつて近江商人が使っていた道を「中央分水嶺・高島トレイル」として整備して、12の山・12の峠を登山道でつないだ全長80キロのコースもあるようです。



緩やかな登りのキャンプ場サイトを抜けると“セラピーロード”が始まります。
セラピーロードは森林浴を目的に作られている道で、森林セラピーは医学的な証拠に裏付けられた森林浴効果のことだとあります。
高島市には「朽木森林公園・くつきの森」「今津旅行村ビラデスト今津」「マキノ高原」の3つのセラピー基地やセラピーロードが設定されていて、この道はその一つになります。



遊歩道と交差するセラピーロードに入るとキャンプ場サイトの人工的な岸辺とは打って変わって自然の渓流が流れ、歩いている間ずっと水音が聞こえてくる。
水の音には「1/fゆらぎ」の波形が含まれていてリラックス効果があるといい、木々の緑と水音だけの世界を歩いているのは心地良い。



水音がよく響いているのは、何ヶ所かに設けられた治山施設から流れ落ちる水の音によるものなのでしょう。
ヨキトギ川に段差が多いのを見ると、緩やかな道とはいえ高原を登っていっているのを実感できる。



やや傾斜のある道へ入ると奇妙な形に曲がった2本の樹に出会います。
根元から立ち上がったところで坂下の方へ曲がっているのは冬の雪の影響でしょうか。
高島市も雪の多い地域で、この下にはスキー場があるくらいですから、雪の重みで曲がったことも充分に考えられます。



セラピーロードには「三本杉」が2カ所にあり、下は最初に出会う三本杉です。
さほど幹周は太くはありませんので迫力には欠けますが、これは調子ヶ滝への目印となるのでしょう。



すぐ近くには2つ目の「三本杉」。
こちらもさほど大きなスギとはいえず、両方とも樹齢はさほどではなさそうです。



突如現れたのは白樺と思われる樹の群生。
案内図では「シラカバの空間」という場所があったようですが、そことは違うようで本当に白樺なのかも実はよく分かりません。



道を登りきると目に入ってきたのは「調子ヶ滝」の姿です。
想像していたより距離があり、登山者用駐車場から結局40分くらいかかったと思います。

滝は全長13mあるといい、水量が多く近くにいると大気中に漂う水飛沫でヒンヤリとして涼しい。
歩いている間にかいた汗も引いていくが、滝を横からしか眺めることが出来ない。



しばらく悩みましたが、正面から滝を眺めるには滝壺直下の沢を渡るしかない。
しかし、飛び石で渡れるような場所ではなかったため、靴を脱いで裸足で渡ることになりました。



沢は深い所だと膝辺りまであり、浅い場所をたどっていくが、なんとも足場が不安定なため、倒木の枝を頼りにして掴みながら歩いて行く。
ヒヤリとしたのは枝に弾かれて眼鏡が飛ばされたこと。浅瀬に落ちたので助かりましたが、流れの強いところに落ちていたら流されてしまっていたでしょうね。



「調子ヶ滝」の一番の魅力は水量の豊富さなのかと思います。
大きさよりも豊富な水量の水の迫力に圧倒されるような滝です。



マキノ高原の案内図には調子ヶ滝が最終地点になっていますが、この滝の奥には「不動滝」「三の滝」「無名滝」があるようです。
道がはっきりしませんが、調子ヶ滝の横に細い滝状のものがあり、その下に道があるにはありましたが、前日の雨で道はぬかるんでいるうえに傾斜が強そうであり、この先は断念致しました。



滝を眺めて癒され、少しだけスリリングなこともして充分に堪能した帰り道に現れたのはキビタキの愛らしい姿でした。
鳥用のカメラを持ってきてはいませんでしたが、何とか1枚撮るまで愛嬌を振りまいてくれたのはツイテましたね。
滝を眺めて、野鳥との出会いがあってと、当方にとっては最高のセラピーロードとなりました。



セラピーロードで見つけた看板です。
『こだま、木魂、木霊』...いい言葉ですね。



マキノ高原とメタセコイヤ並木は近い場所にありますので、帰り道に立ち寄ってみます。
並木道には途中で車を停めて写真を撮っている人が多かったので、横からのメタセコイヤ並木です。




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ゴイサギとホシゴイをパチリ!

2021-07-11 12:38:38 | 野鳥
 鬱陶しい天気が続いた梅雨の季節もいよいよ来週には梅雨明けして、夏本番になりそうです。
外では少し前からニイニイゼミの声が聞こえていましたが、今はクマゼミやアブラゼミのうるさいくらいの鳴き声にかき消されるようになりました。

どうやらセミにも鳴き出す順番があるようで、にぎやかな夏を経てツクツクボウシの声しか聞こえなくなるといよいよ初秋の季節が始まりを迎えます。
その頃になれば秋の渡りや移動の野鳥や気の早い冬鳥の到着などの野鳥シーズンが始まりますが、夏だからといって野鳥に会えないわけではないのが、湖北の野鳥の面白い所。



久しぶりに湖北の琵琶湖近くを探鳥して確認できたのは23種。珍しいのはいないのでゴイサギとホシゴイをパチリ!
川沿いを行くと、カルガモの子供はすっかり大きくなって親鳥と見分けが付きにくくなっていましたし、カンムリカイツブリやカイツブリはまだ抱卵中。
空を見上げると1羽のミサゴが琵琶湖に狩りに出かけ、川岸の茂みからはカワセミが飛び出す。



ゴイサギは湖北では、5月初旬にやってきて秋まで姿を見かける野鳥で、冬の野鳥の便りが聞こえる前にいなくなります。
地域によっては越冬するゴイサギもいるようですが、湖北の冬では稀に見かけることがあるだけです。

ゴイサギは幼鳥の頃と成鳥の頃で呼び名が変わる鳥で、幼鳥期は褐色の羽毛に入った斑点が星のように見えることから「ホシゴイ」の別名を持ちます。
目の色も成鳥が赤いのに対して、ホシゴイは黄味の強い虹彩なのも不思議です。下はホシゴイからゴイサギに羽毛が変わりつつある個体。



もっとホシゴイの特徴が強いのは下のやつで、嘴も黄色く虹彩も黄色い。
良く見ると頭部に産毛のようなものが残っていますから、今年生まれで巣立ちしたホシゴイのように見えます。
1年後の今頃には3枚目の写真のような過渡期の姿に変わっているのでしょう。



ところで、写真をPCに取り込んでいる時に気が付いたのですが、ホシゴイの足元の葉の上にホシミスジが留まっていますね。
ホシ(星)とホシ(星)の名を名乗る鳥と蝶が並んではいますが、両方とも地味やな~。



<今日見られた鳥>
スズメ、カワラヒワ、ムクドリ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、ツバメ、ダイサギ、コサギ、アオサギ、ゴイサギ
カワウ、オオヨシキリ(声)、カルガモ、バン、カンムリカイツブリ、カイツブリ、ドバト、キジバト、トビ、ミサゴ
カワセミ、ハシブトガラス、ハシボソガラス


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「今森光彦展 いのちめぐる水のふるさと-写真と切り絵の里山物語-」と仰木の棚田

2021-07-07 19:30:00 | アート・ライブ・読書
 今森光彦さんの写真・切り絵展には過去にも足を運んだことがありましたが、今回の「いのちめぐる水のふるさと-写真と切り絵の里山物語-」展は、今森さんのライフスタイルが垣間見えるような美術展でした。
アトリエ前に作られた「オーレリアン(チョウを愛する人)の庭」や竹林を開墾して里山を再生した棚田の「光の田園」。
失われた里山を再生した「環境農家」での暮らしを美しい写真や色彩豊かな切り絵で表現したオール今森を実感できるような構成です。



構成は「第1章 里山物語」「第2章 アトリエ」「第3章 里山のアトリエ」「「第4章 いのちをめぐる琵琶湖水系」に分かれる。
何ヶ所かで紹介ビデオが流れ、今森さんの庭仕事道具や収穫した食物の味覚の楽しみ方などが展示されていて、そのライフスタイルは羨ましい限り。



チラシやネットで事前に紹介されていた切り絵でもの凄く気になっていたのは、奄美時代の田中一村の絵画との印象が共通していること。
表現手法は全く違うとはいえ、自然を観察して色彩豊かにその魅力を表現している作品に心を引き付けられます。

田中一村「初夏の海に赤翡翠」(アカショウビン)と今森光彦「ヤツガシラとジキタリス」の美しさを比べてみると、両方それぞれの凄さと魅力が分かります。
下はコロナの緊急事態宣言があって行くことが出来なかった「田中一村展-奄美へと続く道-」のチラシです。楽しみにしていたのに残念でした。



今森さんの切り絵は過去に何度か見ているはずでしたが、今回は大作が多いことがあって見応えは充分。
左は「キョウチクトウスズメとドリアン」、左は「ヨウムとチューリップツリー」。

キョウチクトウスズメは日本では九州・奄美大島・徳之島・沖縄本島・宮古島に分布し、ドリアンは東南アジアのマレー半島を現産地とする。
チューリップツリーはアメリカ東部が原産のチューリップに似た花を咲かせる樹木で、アフリカ西海岸の森林地帯に分布する大型インコだといい、今森さんも自然界では見た事はないそうです。



左の「クジャクチョウとオリーブ」のクジャクチョウは滋賀以北に分布するとされますが、未だに出会ったことのない蝶で、オリーブは小豆島が日本最初の栽培地で国内最大の生産量を誇る。
「キサントパンスズメガと彗星蘭」のキサントパンスズメガは「ダーウィンの蛾」と呼ばれ、長い口吻を持つ蛾と距の内外蘭との間で共生してくため進化していったといわれています。



今森さんは、アトリエ「オーレリアンの庭」で理想の里山を造ってきた方ですが、2018年頃からは45年間放置されていたという棚田を買い取り、農家になられたのだという。
竹林と化してしまった棚田を開墾して、「環境農家」と呼ぶ、“豊かな土の匂いを取り戻すプロジェクト”を実現されているといい、日本の里山を蘇らせようとされています。

となると、やはり気になるのはいったい仰木ってどんなところなのだろう?ということです。
今森光彦展が開催されている佐川美術館から仰木集落は琵琶湖大橋を渡ってすぐ近くというこもあって、仰木の棚田へと向かいます。



仰木の棚田に入ると道の両サイドに獣除けの鉄柵が張られ、1台通るのがやっとの道が入り組んだ迷路のようになっている。
何ヶ所も鉄柵の扉があり、入ることは可能なようだが、農業の軽トラしか通らない道は荒れている。狭いスペースで何度も車を切り返して戻る羽目になる。



区画された棚田が広がる場所もありますが、自然の傾斜を利用している棚田が多い場所もあります。
棚田は高い場所から鳥瞰した写真を眺めると美しいのですが、棚田に沿って進んでいると全体像が分からないのが難点です。



仰木の集落は、昔からの集落と思われる区域と新興のニュータウンがありましたが、古くからの集落には祠に祀られたお地蔵さんや、祠の周辺に祀られた石仏を何度か見ました。
棚田の畔にも石仏が祀られ、色鮮やかなグラジオラスが添えられていました。誰かお世話をされている方がおられるのでしょうね。



また、棚田は山を背にして造られているため、山麓ではカカシの姿を見かけます。
鹿とか猪や猿を威圧していますが、獣より当方のようなよそ者の人間の方が見て驚いてしまいます。



迷路のような道を進んで行くと、突然ダチョウの姿が!
いや、ダチョウにしては小さいし、姿も違う。これはエミューのようです。

何でこんなところで飼われているのか。しかも柵の外側にエサ(キャベツ)があり、エサをやれるようにもなっています。
エミューは大きいのが3羽、小さいのが3~4羽。オーストラリアの生き物が仰木の棚田で暮らしているなんて驚きますよね。



驚いている当方とは反対にエミューは奥の小屋から出てきて近づいてきます。
エミューは警戒心が薄く、人懐っこいやつなのですが、オーストラリアではかつては農地を荒らす害鳥として大量虐殺された時代があったようです。(エミュー戦争)



「今森光彦展 いのちめぐる水のふるさと-写真と切り絵の里山物語-」では「オーレリアンの庭」の春夏秋冬を写真に収められていましたが、「仰木の棚田」の四季もさぞや美しいことでしょう。
水を張った田植え前の田圃や黄金の稲穂が垂れる秋の田圃。ゆっくり回れば面白い生き物たちとの出会いが期待できそうですね。


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『はたよしこという衝動』~ボーダレス・アートミュージアムNO-MA企画展~

2021-07-03 18:12:22 | アート・ライブ・読書
 はたよしこさんは、絵本作家であるとともに「ボーダレス・アートミュージアムNO-MA」アートディレクターでもあり、知的障がい者支援施設「武庫川すずかけ作業所」(西宮市)で絵画クラブを主宰されてきた方だそうです。
また、日本全国の障がいのある人の作品の調査・発掘を行い、ドキュメンタリー映画の企画制作や2010年のパリ市立美術館主催の「アール・ブリュット・ジャポネ」展も手がけた方だといいます。

「NO-MA美術館」は障がい者アートや現代アートをボーダレスに企画展示する美術館ですが、はたさんはアートディレクターとしてNO-MAの創立前から関わり、20本以上の展覧会を企画されたという。
今回の『はたよしこという衝動』展は、はたよしこさんの活動の軌跡をたどりながら、アールブリュット作家たちの表現の衝動に触れるような企画展となっています。



【1.Replay】ではまず入館してすぐの場所に設けられた暗室と蔵の中の2カ所での展示になる。
暗室では「ムラギしマナヴ≪アロアンヌ製造中止≫」「と「吉田格也≪鶴の恩返し又は夕鶴≫」のボーダレスなコラボ作品が展示。

吉田格也さんは、小学校の頃に隣のクラスの出し物として上演された演劇を、記号化された不思議な図形が並ぶ絵巻物に描くとともに、テーマソングを唄っている。
ムラギしマナヴさんはその絵巻をアニメ作品に読み替えて映像での表現を試みています。



橋脇健一≪無題≫は、腕時計で測りながら一枚の絵を一分ちょうどで描くといい、家族からは“写真を撮っているつもりなんだと思う。”と言われているとるそうです。
時計や窓など同じモチーフの絵が描かれているが、それらの絵は壁面を覆うように展示されており、これは過去の美術展ではたさんが展示した手法のReplayだという。



「すずかけ絵画クラブ」は、はたさんが兵庫県西宮市の障がい者施設で始めた絵画クラブだといいます。
尼崎昌弘 ≪花魁≫はすずかけ絵画クラブの初期メンバーで30年近く油絵を描いてきた尼崎さんの力強くもインパクトのある作品です。



舛次崇さんは黒を基調としてアイボリーの背景色を使って花瓶に活けられた花を描かれています。
左から《植木鉢の花Ⅳ》《花瓶の花 カラー2》《ローラーと花瓶とカエデ》。
描く題材ははたさんがテーブルの上にモティーフを置いてセッティングされていたそうです。



富塚純光さんは、思いつくことを全てメモし、日々描き溜める膨大な量の記憶の中から選びだした一枚を、月に一度行われる絵画クラブに来て描くのだという。
その事実と空想の入り混じった物語は、描き続けるうちにストーリーが分からなくなってしまうため、スタッフが一名つきっきりになって、過程をデータ化されているそうです。
物語は《明るい話 正しい人-衣を投げつけた一休さん-》《丹波篠山お城ドーナッツ》《明るい話 正しい人-心がけ一つ-》。どの絵にも物語があるようです。



三角形の記号が描かれた作品は、安田文春 さんの《on the maunten(夏)》《お花と三角形と四角形のみなさん》《さんかくけいのみなさん》。
周囲の人がこれは何かをイメージして描いているのかと議論していたら「これは、さんかくけいのみなさんでございますよ」と答えたといいます。感性の妙を感じます。



安田さんの絵にインスパイヤされて、はたよしこさんが描いたのは絵本《さんかっけいのみなさん》。
アールブリュットは“専門的な美術教育を受けていない人が、湧き上がる衝動に従って自分のために制作するアート”と定義されていますが、美術教育を受けているはたさんがアールブリュットの感性に影響を受け作品を作る。
こういう現象は今後も増えてくるのではないでしょうか。



3つ目のカテゴリーは2階にあり、「信楽青年寮と田島征三」。
滋賀県は障がい者福祉に力を入れている県で、その施設のひとつに信楽青年寮があり、絵本作家の田島征三さんが自著で紹介されているのを読んで、はたさんは興味をひかれたといいます。

信楽は土の良さから陶芸が盛んな地で、粘土のアールブリュット作家を多く輩出しています。
伊藤善彦さんの《鬼の顔》では丸い穴状のものが密集していて顔なのかどうかよく分かりませんが、じっと見ていると角や口があり顔に見えてくる不思議な作品でうs。



パステル調の色彩でたくさんの顔が描かれているのは村田清司さんの《無題》。
絵はとても柔らかい印象を受けますが、それもそのはず和紙に描かれています。
村田さんは施設では最初は「紙漉き班」にいたそうで、施設で漉いた紙に描かれているのでしょう。やさしいタッチの絵ですね。



なんともいえないレトロな味わいのある作品は犬伏大助さんの《無題》で、映画のポスターを模して描かれています。
幼い頃に新作映画のロードショーが来る前に、看板屋さんが大きな看板に映画の絵を描いていた記憶があります。
本当に絵を描いているのを見たのか、映画の中での1シーンで見たのか分からないほどボンヤリとした記憶なんですが、そんな記憶への郷愁を思い出させてくれるような作品です。



描かれているポスターは昭和30年~40年代前半くらいの映画でしょうか?
クレイジーキャッツ、長谷川和夫、勝新太郎、舟木一夫、若乃花...名前は知っていますが、全盛期にはまだ当方は生まれていませんでしたしし、1969年生まれの犬伏さんも生まれていない。
「男はつらいよ」は27作目、昭和56年に公開された映画でマドンナは松坂慶子。もう40年も前の映画だ。



美術展は、犬伏大助さん川村紀子さん木村茜さんを紹介した「DNA パラダイス――全国の作者との出会い」に
続いて「はたよしこの絵本」のカテゴリーとなります。
はたよしこさんの絵本や原画が並ぶ中、興味深かったのは、はたさんがアートデレクションをつとめられた企画展のチラシです。
どのチラシを見てもワクワクするような企画となっていますが、当方が初めてNOMA美術館に訪れた時の「鳥の目から世界を見る(2015年)」は、はたさんのキュレーションによるものでした。



最後に蔵の中で展示されている高嶺格さんの《水位と体内音》のインスタレーションを見る。
この作品はNO-MAのオープン企画展で公開された作品のReplayで、全裸の女性が水中を漂う映像作品。
“胎内回帰のような感覚を呼び起こす”とのキャプションがありましたが、むしろ死や漂う魂のような印象を受けてしまう作品で、現代アートの難解さを感じる作品でした。




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