僕はびわ湖のカイツブリ

滋賀県の風景・野鳥・蝶・花などの自然をメインに何でもありです。
“男のためのガーデニング”改め

「鎌ヶ岳」武平峠ルートを登る!~鈴鹿セブンマウンテン2座目~

2023-05-26 18:05:05 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 滋賀県と三重県の境には「鈴鹿セブンマウンテン」と呼ばれる7つの山や「鈴鹿10座」に選ばれた10の山があり、登山ファンの人気を集めている反面、鈴鹿=事故のイメージもあります。
当方はまだ山登りを始めて1年足らずですし、山登りのスキルや体力は足りないと自覚していますので、登れる山・登れるルートでの山登りをしています。

鈴鹿セブンマウンテンは御在所岳・藤原岳・鎌ヶ岳・竜ヶ岳・入道ヶ岳・釈迦ヶ岳・雨乞岳の七山を指し、1964年から34年間続いた登山大会の山といいます。
昨年は「竜ヶ岳」に登りましたので、今回の「鎌ヶ岳」で2座目になりますが、初心者コースとはいえ鈴鹿の山はなかなかハードですね。



鈴鹿スカイラインを延々と走り、武平トンネルを三重県側に抜けた所にある駐車場に車を停めて登山口まで歩きます。
登山口に入って武平峠までは5分程度で到着し、この分岐から「鎌ヶ岳」「御在所岳」「雨乞岳」へとそれぞれ進んで行けるようになっています。
コースタイムとしては「雨乞岳」は180分を要するが、「御在所岳」は「鎌ヶ岳」より15分長いだけの1時間程度になっていますので、ここからなら「鎌ヶ岳」や「御在所岳」も登れそうです。



「鎌ヶ岳」の登山コースは平坦な稜線もありますが、基本はザレた道と岩場でした。
急勾配の道にはロープ場が何ヶ所あるとはいえ、岩と掴み・木の幹を掴み・木の根っこを掴みながら登っていくような場所が多く、しっかり体を支えておかないとザレた道で滑りそうです。



「鎌ヶ岳」は山頂部が槍ヶ岳の穂先のように見える山容から「鈴鹿の槍」や「マッターホルン」と呼ばれます。
この位置からだと「鈴鹿の槍」の山頂が遥か遠くに感じられてしまいますが、山頂は遠くに見えて近いものだったりしますのでワクワクしながら登ります。



次々と岩場が現れますので岩場に岩好きの当方としては嬉しい限りで、ザレザレの足場で足の置き位置と掴み所を確認しながら登っていきます。
鎌ヶ岳は山全体が花崗岩でできているとされており、砂場を歩くような感じで土を踏みしめてという感覚はほぼありません。



砂場のような場所に登ると景観抜群の場所がありました。
正面に「雨乞岳」、右手に「御在所岳」でしょうか。強者は縦走して走破されるようですよ。



「雨乞岳」は標高1238mで鈴鹿セブンマウンテンではもっとも高く、その名の通り雨乞をするための信仰の山のようです、
尚、鈴鹿山脈の最高峰は「御池山(標高1247m)」で、「鈴鹿10座」にカウントされていますがセブンマウンテンには入っていない山です。



その隣には「御在所岳(標高1212m)」があり、ロープウエイの鉄塔や山頂の観光施設も見えます。
観光地としても有名な山ですから一度は訪れてみたい山です。



ちょうど一休みしたくなった頃に岩場と絶景の景観の見渡せる場所に出る。
花崗岩の岩が風化していますが、何万年も先には山自体が風化して低くなってしまっているのでは?と思えてしまいます。



この岩場までくると山頂がかなり近くに見えるようになります。
「鈴鹿の槍」と呼ばれる尖った山頂直下は随分とザレた岩場に見えますが、あんなところが登れるのか楽しみであり不安を感じたりします。



岩場の上から見えるのは四日市の町並みや伊勢湾かと思います。
霞んでしまっていますので伊勢湾ははっきりとは見えませんでした。



そしていよいよ「鈴鹿の槍」「マッターホルン」を正面に捉えられる場所まできました。
山肌のほとんで崩れ落ちそうになっているのは「赤ガレ」と呼ばれる場所かと思います。
山頂直下にも岩場があるのが見えます。



この岩場を越えると「赤ガレ」を横に山頂までの道が始まります。
このルートは巨石の後方から巻くようにして岩の上に出て、向こう側に越えて行く面白いコースです。



「赤ガレ」はとんでもない傾斜と浮石の崩壊した道です。
死にたくはありませんので迂回道を巻きながら登ります。



晴れていますので不気味さはありませんが、薄暗かったら賽の河原に思えてしまうかもしれない。
道を巻きながら登っていくので、自分が滑っても滑落はしないだろうけど、落石させないことの方が大事かなと思いながら登る。



小石が積まれている場所があり、これも賽の河原を連想させることになっています。過去に事故があったのかもしれません。
ここにはやや赤みのある石が無数に積まれており、先行されていた方も小石をお供えされていました。



鎌ヶ岳の武平峠ルートは初心者コースなんて本当なのでしょうか。
確かに距離は短いですが、ザレてガレた道の急登がかなりあります。
道迷いする箇所はありませんので初心者でも登れる山ということなんでしょうけど、鈴鹿は厳しい。



もう山頂の稜線は見えているぞ。
ここさえ登り切ったら360°ビューの山頂です。



山頂へ到着すると最高点にある岩や山頂標識の周囲に数名の方がおられて、記念写真の撮影待ちをされています。
山頂にはそれほど広いスペースがありませんので南側のスペースに移動して少し休みます。
遥か先まで尾根筋(鎌尾根?)が続いており、ここを縦走して行かれる鈴鹿トレイユの強者もおられるのだと思います。



山頂には鉄製の鳥居と「天照大神皇大神宮社」の祠が祀られています。
かつて国見岳と御在所山と鎌ヶ岳を三岳とし、三山を巡る山岳信仰があったとされ、三岳は修験道場となっていたようです。



やっと山頂の岩場が空きましたので山頂部で記念撮影。
ポーズを決めて写真を撮ったら入れ替わるのですが、岩の上に腰かけて食事している人がいて皆さん写真が撮れず困っていましたね。



山頂の奥は鎖で通行禁止となっていますが、御在所岳が近くに見えています。
まだ時間も体力も余裕がありましたので、御在所岳まで行こうかと一瞬頭をよぎりましたが、計画にないことはしないに限る。
機会を見つけて武平峠から御在所岳のルートで登ってみよう。



山頂の横には別の登山道があり、どうやら「雲母峰」という所につながっているようです。
登山ルートがほぼ決まっている山がありますが、複数のルートがある山だと次は別ルートから登るのを楽しみにされることも多いのではないでしょうか。



鎌ヶ岳の山頂標識は固定されておらず、場所を変えたり手持ちしたりしてもいいようで、標識を移動して撮影されている方がおられましたので、その場にいた一同で看板撮影会です。
人がはけたのを見計らって、看板を持って自撮りしましたが、とても満ち足りた表情をしているのに気付く。
鈴鹿の山は初心者コースでもいろいろな魅力の詰まった山が多いですね。次はどの山に登ろうか?




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山岳信仰の山「綿向山」に登る!~滋賀県蒲生郡日野町北畑~

2023-05-21 17:00:00 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 「綿向山」は、滋賀県と三重県の県境に連なる鈴鹿山系の中でも最も滋賀県側に突き出した山で、古くから山岳信仰の対象として崇拝されてきた山とされます。
日野町に祀られる「馬見岡綿向神社」の御由緒によると“「神武天皇の御代、綿向山に出雲国開拓の祖神を迎え祀り、545年、その頂上に祠を建てたのが始まり。”とある。

「馬見岡綿向神社」は796年に里宮として現在地に遷されたとされ、綿向山山頂(標高1110m)に祀られる奥之宮(大嵩神社)は20年ごとに社殿を建て替える式年遷宮が続けられているといいます。
また山麓の南側の熊野には、綿向山の修験道山伏により「熊野神社」が祀られており、山岳信仰や熊野修験道の信仰の形跡が今も感じられます。



綿向山へは御幸橋の駐車場に車を置き、山から流れ出る清流に沿って砂防堰堤に向かって歩き、登山口を目指すことになります。
清流ではカワガラスの姿が確認でき、ゴロゴロとした岩の間を流れる水は透明度が高く、水量も豊富です。

清流沿いから林道に入ると「接触変質地帯」と彫られた石標が見えてきます。
この地帯の岩石はジュラ期(1.4億年~1.9奥年前)に堆積した土山層が高温のマグマによって変質して大理石化し、珪灰石・透輝石・ベスブ石・ざくろ石で形成される地質となったという。



岩の表面には違う岩の境界があることは分かる程度で、細かいことは分からずです。
尚、この接触変質地帯は「綿向山麓の接触変質地帯」として国の天然記念物に指定されているそうです。



林道の終点まで歩くと「表参道登山口」と「水無山北尾根コース」の分岐点であり登山口である「ヒミズ谷出合小屋」に到着します。
綿向山には大嵩神社のある山頂(標高1110m)以外に水無山(標高990m、南峰985m)や竜王山(標高826m)がありますが、今回は表参道コースをピストンで登ります。



表参道コースはほぼ全コースがなだらかな九十九折のコースとなっていて急登などはありませんが、その分距離が長い。
九合目までの看板に出会うとどこまで登ってきたか把握はできるものの、まだそのくらいしか登っていない?と思えてしまうほど。



山頂までは2時間ほどで登りきることが出来ますが、五合目までは日陰になるスギ林の間となる同じような風景の単調な道が続きます。
登山者と出会うこともありませんでしたので、合目の標識が出てくるのを待ちながら黙々と登っていくのみです。



三合目を過ぎると「あざみ小舎」という小屋が見えてきます。
綿向山は標高千m少々の山ではありますが、登山コースに3つの避難小屋があり、それぞれ整備されています。
綿向山は雪山登山の山として人気が高いと聞きますので、避難小屋が整備されているのかもしれませんね。



山に入ってから初めて人に会ったのは五合目小屋で、登りでは山頂までこのご家族しか見かけませんでした。
下山時は登ってくる方多数とすれ違いましたので、当方のような7時登山開始の9時登頂組は少なかったようです。
せっかくなので小屋の入口に吊るされた「夢咲の鐘」を景気よく鳴らして残り半分の道を登ります。



日陰で薄暗かった道も五合目小屋を過ぎると日当りが良くなり、体が温まって汗がにじむ様になってきて上着を脱ぎます。
日当りが良くなったので小さなスミレの花が見られるようになってきて、飛んできて樹木に留まるアカゲラやホオジロの姿が見えるようになってきました。



綿向山は山岳信仰や修験道が盛んだった山だとされているものの、ここまで信仰や修験の霊山と感じる場所に出会うことが出来ませんでした。
七合目でやっと「行者コバ」という不動明王と役行者が祀られている祠に到着し、修験道場としての綿向山のかつての信仰を感じられる場所と出会う。



「日野綿向行者尊」と彫られた石碑の奥には小さな祠が祀られており、明治期に登山道が開かれるまでは尾根の北のタカオチ谷を登って行者コパに取りついたのだといいます。
修行する山伏はこの尾根で服装などを整える儀礼を行った場所とされ、戦後に行者尊を安置し平成には役行者・不動明王を安置し、日野町民の無事息災を祈念しているという。



八合目辺りにに「金明水」への方向を示す看板があり、どんな場所か立ち寄ってみることにします。
こんとんと涌き出る清水は登山道唯一の水飲み場だとされていますが、この水を飲むのは躊躇われます。
足場も傾斜があってあまりよくないので登山道へ戻りますが、少し上に登山道が見えていましたので急登を無理やり登ってショートカットする。



この日は快晴の青空ではありましたが、行者コパの辺りからは強風にさらされることになり、道が狭くなってきたりやや危険な場所もあります。
そして山頂までの最後の難関の石段登りが始まります。
九十九折の道とはいえ2時間近く歩いた後のこの石段はは苦しいが「天国への階段」と思い登って行きます。



石段の最後に近づくと「大嵩神社」の鳥居が見えてきて、その奥には大嵩神社の祠や山頂表示と360°ビューの山頂の光景が広がります。
当方が下山した時間帯は登って来る人のピークの頃でしたので、何人かの方とすれ違いましたが、さすがに皆さん最後のこの石段はきつそうでしたね。



「大嵩神社」の主祭神は里宮の「馬見岡綿向神社」と同じ「天穂日命・天夷鳥命・武三熊大人命」。
神武天皇の時代に出雲国の神を迎えて祀ったとされ、545年(欽明天皇6年)に祠を建てたといい、毎年4月20日には嶽祭りの祭礼が行われ、水の恵み・自然の恩恵を乞い祈るといいます。



日野町では綿向山の標高1110mにちなんで、11月10日を「綿向山の日」と制定していて、開催される「ふれあい綿向山 Day」には大勢の登山客が参加されるそうです。
また地元の方から綿向山は「おおだけさん」と呼ばれて親しまれ、町内各学校の校歌や町を代表するものに「おおだけさん」が使われているそうです。
湖北地方の「伊吹山」と似たような親しまれ方のように感じられますね。



綿向山の山頂の写真でよく見かける「青年の塔」は、1970年に日野青年団を中心にして後世に何か残そうと建設されたのがタイムカプセルを埋設したのだという。
50年後の若者たちにタイムカプセルを取り出してほしいと期待して埋設されたタイムカプセルは、2022年に取り出されそうです。
さらには次の50年後に夢をつなげるため新たなタイムカプセルを埋設したということです。



山頂からの眺望は360°見渡せる絶景が広がります。
正面が雨乞岳で奥に見える尖ったピークは鎌ヶ岳でしょうか。



雨乞岳への縦走路の看板はありましたが、“ルート不明瞭 遭難多発”と書かれていました。
山の配置が彫られた東方展望図の金属板では、遠くに知多半島や渥美半島、伊良湖岬や伊勢湾などまで書かれているが、霞みの中で識別不能です。



山頂の右手に道がありますが、あの道は水無山に続いているようです。
ヒミズ谷出合小屋から水無山北尾根コースを進むと、あちら側から綿向山の山頂に来るのでしょう。



山頂は強い風が吹きつけていて寒かったのですが、竜王山へと続く尾根筋を歩いてみると台風のような爆風で歩くのに怖さを感じ、突然の突風にバランスを崩されないよう意識して歩く。
すぐに「ブナの珍変木(幸福ブナ)」という変形生育したブナの木がありますが、こんな珍妙な形になったのは風雪の影響だとか。



竜王山への分岐とイハイガ岳大峠・雨乞岳への分岐がありましたが、雨乞岳は遭難多発・龍王山へは難路とありますので、進むつもりはなく目の前の小ピークで折り返します。
稜線から振り返ってみると綿向山の山頂が見え、山頂部に青年の塔がわずかに突き出しているのが確認できます。



山頂の景色に満足したら再び九十九折の登山道を下りて下山します。
下りばかりなので膝が痛くなってきますが、登山道を無事下り終えて水木砂防堰堤まで戻る。
砂防堰堤付近の道には「野鳥道標」が並んでおり、探鳥スポットとしてもいいかもしれませんね。




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近江富士「三上山」を花緑公園ルートから登る!~「天狗岩」へも立ち寄り~

2023-05-14 06:30:00 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 「三上山」は山麓に鎮座する「御上神社」の神体山として祀られ、その美しい円錐形の姿は和歌に“打ち出でて三上の山をながむれば 雪こそなけれ富士のあけぼの”と詠まれます。
三上山の山頂近くには天之御影神が御降臨されたという「磐座」と「奥宮」がありますが、降臨されたのは第7代天皇・孝霊天皇の時代ですので欠史八代の神話の世界。

里宮となる「御上神社」は718年に藤原不比等が勅命を受けて遷座されたといい、御祭神には山頂の磐座に御降臨された天之御影神をお祀りしています。
天之御影神は鍛冶神とされ、三上山の麓の大岩山からは数多くの銅鐸が発見されていることから弥生時代には既に最新の文化が栄えていた地域だったことが伺われます。



三上山に登るのは今回が3度目で、最初は表登山道から奥宮へ参拝し、下山は裏参道で「姥の懐」を経由して下山。
2度目も表登山道から奥宮に参拝し、裏参道から女山の山頂に立ち寄ってから下山しました。

三上山は山頂の磐座の他にも「割岩」や「姥の懐」「東竜王の祠」など興味深い場所が多い山ですが、心残りだったのは奥宮からわずか数mにある山頂を過去2度ともスルーしてしまったこと。
このままでは如何にも心残りですので、今回は近江富士花緑公園ルートで登って、スルーしてしまっていた山頂を目指しました。



花緑公園のロッジからの道を進むと、最初はシダの群生とニョキニョキと顔を出す渦巻状のシダの新芽が道の両端を覆います。
分岐まで来ると道は山道らしい雰囲気となってくるが、裾野の辺りは緩やかな登りといった感じで軽快に登ることが出来ます。



山頂へと向かう道は直登(健脚向け)と巻道(一般向け)があり、2つの道は途中で何度か交差します。
直登は急勾配の木段が続くが距離は短い。巻道は急勾配を迂回する道もあるとはいえ決して楽な道ではありませんでした。



登山道は木段があって整備はされていますが、一段の段差が高いところなどがあって苦しくなってしまい、立ち止まって一息つく場所もあった。
直登コースを登られる方が多かったように感じましたが、先行される方は一定のペースを守りながらどんどん上へ行ってしまわれるので、後ろ姿を眺めるばかり。



山頂まで160mの看板が出てきたところには巨石がデンと構えています。
三上山が巨石の山との印象はあまりありませんが、「磐座」や「展望台」付近・「割岩」や「姥の懐」など巨石に遭遇することが出来る山でもあります。



続いて花緑公園ルート唯一の鎖場です。
細い道を鎖を掴んで登って行くことになりますが、こんな道でも一般向けの巻道になります。



そろそろ山頂かなという雰囲気になってきた時に岩門のような岩の多い道の間を通り抜けます。
個人的には山頂近くの岩の間の道は、結界のように感じられてしまいますが、こういう場所って案外多いように感じています。



そして山頂に到着。
三上山の山頂は奥宮の裏側にあるため、これまでは奥宮に参拝した後、山頂を素通りして裏登山道の鳥居から下山してしまっていたのです。
ピークハントにこだわりはないものの、すぐ目の前に山頂があったのに2回も素通りしてしまっていて3度目の正直でやっと山頂を踏むことが出来ました。



山頂からの眺望はありませんでしたが、標識には「登頂証明」「おつかれ様」と書かれており、登頂をこなした感を感じます。
山頂の広場にはベンチが3つありますので、お昼時には休憩される方が多くなるかもしれませんね。



山頂は奥宮のすぐ裏側ですので正面に回って奥宮に参拝します。
注連縄が巻かれた磐座が祀られている下に広がる一枚岩はかなりの大きさで、聖域でありつつも大勢の登山客が足を休める場所でもあります。



磐座から表登山道側へ少し下った所には展望台があり、野洲川と周辺に広がる田園地帯の向こうには琵琶湖と比叡山が見える。
左側には金勝山や龍王山や阿星山と思われる山々。雨が降った後でしたのでこの日は景色がスッキリと見えておりました。





三上山の花緑公園ルートは複数のルートがあり、案内板にあった「天狗岩」に興味を抱き、寄り道して探しに行きます。
一旦、麓近くまで下山して、分岐から別の道を登り直すことになってしまい、凄く遠回りをしてしまいました。
分岐からの道を進んでいくと突然巨石が見えてきて、その下には「天狗岩」の標柱が立てられてあります。



周囲にはシダが茂った中に2つの巨石が並び、頂部にも巨石が重なる奇岩群です。
天狗岩は左にある岩だと思われ、天狗の長い鼻が上を向いて突き出しています。
右の巨石も見ようによっては顔のように見えますので、顔2つが同じ方向を見ているような印象すら受けます。



信仰のある山などでは「天狗岩」と呼ばれる岩や天狗に関する伝説や伝承が伝わることがあります。
天狗は山の神であったり妖怪であったりする訳ですが、各地で山の怪のような出来事があって、それがその地の怪として語り継がれたのか。

それとも近世になって創作された話が広く伝わって、あたかもその土地で実際に起こった出来事のように伝承されたのか。
もしや修験者や山の民のような異界の人々が各地の山の中にいて、山中で出会った人が天狗と認識してしまったのかもしれません。
あるいは理屈では語れない山の怪異のようなことが本当に起こっていたとも考えられます。



「天狗岩」の天狗は空を見上げるように上を向いています。
なんでこんな変わった形で岩が残ったのでしょうか。確かに天狗の鼻のように見えますね。



奥宮が山頂だと信じ込んでしまい山頂を踏んでいなかった三上山ですが、これで何とか登頂できました。
三上山にはいくつもの登山ルートがあり、それぞれのルートでの楽しみ方が出来る山だと思います。


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金勝アルプスの「天狗岩」と「スラックライン」~金勝山その2~

2023-05-10 06:15:15 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 金勝山に登るのは3度目になりますが、今回は「龍王山」山頂から「天狗岩」を経由しての「鶏冠山」山頂のピストン縦走で登りました。
金勝アルプスの名の通りの巨石・奇石の道に至福感を感じながらの登山となり、続編の今回は「天狗岩」のプチ・クライミングと超絶アドベンチャーの「スラックライン」についてです。

「天狗岩」はまさに剥き出しの岩が山を成しているという場所で、谷を挟んで天狗岩の反対側となる側も巨石の岩山、天狗岩を越えて鶏冠山方向に進んでも岩山。
「国見岩」から眺める景色とは随分違って猛々しさが増した山容です。



“この岩、よくこんな形で立ってるよな”思わず感心してしまうような岩がありました。
地震が来たら倒れそうな岩が各所にありますが、巨石が組み合わされて積みあがっているというより、岩は根っこの部分がつながっていて安定しているのかと思います。



巨石の岩山がありましたので、これが天狗岩かと思って登ってみたが、上まで登れそうな道がない。
人がいたので聞いてみると、天狗岩は谷の向こう側だとのこと。
ロープの固定などを3名でやっておられたので不思議に思いましたが、実はこの岩山と谷を挟んだ天狗岩との間にラインを張って歩いて渡るための準備だったようです。



谷を横目に稜線を進むと巨大な岩山の下に到着して「天狗岩」の標識のある場所に来ます。
天狗岩登りは下から見るとかなり怖ろしそうでしたが、前の週に「飯道山」の山伏修行の行者巡りをしていたので、あれに比べれば怖くはないと自分に言い聞かせる。



まずは写真左側のロープ2本を頼りに平面がある場所まで登っていきます。
足場を確認してロープあるいは木の幹との三点保持になりますが、見ていると子供の方が軽やかに登っていきますね。



なだらかな場所まで登って来ると後は岩伝いに更に上を目指します。
先の尖った大岩が天狗岩の高さ的には最高地点だと思いますが、さすがにそこまで登っている人は見かけませんでした。



次はチェーンで天狗岩の上を目指します。
老若男女が次々と登っていかれ、続いて当方も登っていって皆さん楽しまれていますが、実は落下したら死ぬかもしれない岩登りなんですよ。



天狗岩の先端部分と思われる場所に到着。
風をもろに受けるのに岩の最上部に立って写真を撮っておられる方がおられましたので、“よくそこに立っていられますね”と声を掛けたが、まったく怖くないとのことでした。



下にある岩にもチェーンが付けられていましたが、このチェーンの先は奈落につながっているようにしか見えません。
当方がいた岩と下の岩の間には段差がありましたので、下りることは断念しましたので、チェーンの先がどうなっているのかは不明です。



この岩場はどこをどう通っていったらいいのか?
スルスルと登って行かれる方が多く、何て身軽な人なんだろうと感心してしまう人を何人も見ることになり、羨ましく思う。



しかし、本当の超絶アドベンチャーは実は他におられました。
天狗岩と谷を挟んだ反対側の岩場までラインが作られており、ラインの入口に複数の方が準備をしておられます。

数十mかそれ以上ある高い場所に、向こう側まで70~80mの距離にラインを張り、しかも幅5センチくらいしかないラインの上をバンザイしてバランスを取りながら進んで行く。
「スラックライン」というスポーツ綱渡りなんだそうですが、命綱はあるとはいえ超絶アドベンチャーとしか言いようがありません。



ちょうどスラックラインを渡り始めた方がおられましたので動画で撮らせていただきました。
途中で落下されますが、立て直して再び進み始められます。

こんなスポーツがあるなんて驚くほかありませんが、ラインを設置する技術はまさにプロのスキル。
細いラインを渡っていける(立てる)バランス感覚や体幹の安定度の凄さにも恐れ入ります。
当方なら立つことも出来ないでしょうし、もし立てたとしても1歩目で落下してしまうことでしょう。



天狗岩を越えた鶏冠山方向にも奇石の岩場が続きます。
すっかり巨石に堪能しましたが、この岩場を見ていると右の方に鬼のような怖い顔をした巨石が見えます。



この巨石が、角はないけど般若のお面のように見えてしまうのは当方だけでしょうか。




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金勝アルプスの「龍王山」と「鶏冠山」をピストン縦走~金勝山その1~

2023-05-07 06:30:00 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 金勝山には最高峰の「龍王山」や「鶏冠山」の山頂があり、総称として「金勝アルプス」と呼ばれる山系です。
山中には剥き出しとなっている巨石・奇岩が多く、変化に富んだコースという意味ではその標高以上の魅力のある山だと思います。

山中には奈良時代から続き、興福寺の山岳仏教道場でもあったという「金勝寺」が祀られ、狛坂寺廃寺跡には「狛坂磨崖仏」が安置される。
摩崖仏は他にも「逆さ観音」や「泣き地蔵」などがあり、迫力のある「九品の滝」や「落ヶ滝」も山中にある。



金勝山へ山登りとしてはこれが3度となり、最初は「逆さ観音」から「落ヶ滝」を巡り、2度目は「龍王山」から「狛坂磨崖仏」を巡った。
今回は「龍王山」から「天狗岩」を経由して「鶏冠山」の山頂を目指すピストン縦走で2つの山頂を目指すことにしました。
最初に登った頃は滝や摩崖仏や巨石だったのに、目的が少し変わってきているような気がしますね。



馬頭観音前の登山口からスタートして平坦な道を進むとほどなくして「金勝寺八大龍王本殿」の祠へと到着します。
この神殿は麓にある大野神社の境外社で「八大龍王(天之水分神)」をお祀りし、水の神として信仰されており、千魃時には雨乞い行事が行われたといいます。



近くにある分岐から「龍王山」の山頂へはすぐに登ることができ、眺望はあまりないものの、木々の間からはごつごつした奇石群と下界の様子が見える場所がある。
「龍王」と名の付く山ですから、麓に暮らす人にとっては水源の山であり、農業に欠かせない水の神として信仰されてきた山だったのでしょう。



「龍王山」の標高は604.7mと低山の部類になり、金勝アルプスの最高峰とされていますが、金勝アルプスを標高で侮るなかれ。決して標高だけでは語れない山です。
ここまでで出会った人はトレランの方が一人だけでしたので、この山は上桐生から登るのが一般的なのかもしれませんね。





途中で見た花は、アセビがちょうど見頃を迎えており、山のスミレの小さな花やショウジョウバカマが花を咲かせていた頃。
ウグイスの囀りがにぎやかだが、夏鳥にはまだ早く、見聞きできるのはヤマガラやシジュウカラやホオジロといったところ。



登山道から見え隠れしだしたのは「鶏冠山」の姿です。
なんか随分と遠くに見えてしまいますが、無事たどり着けるのでしょうかね。



少し歩いた先には「茶沸観音」の石仏が大きな岩を削った窪みの中に祀られています。
石仏は鎌倉時代に彫られたとされており、ここで参詣者に茶のもてなしをしていたことから名が付いたとする説があるようです。
山中にある「金勝寺」は、現在は林道を経由して参拝することが可能ですが、林道がなければ参拝するにも一苦労するような山の奥深くに祀られた寺院です。





金勝山にある幾つかのルートが交差するのが「白石峰」で、ここで4方向に分岐します。
前回は狛坂線方向を進み「重岩」「国見岩」を経由して狛坂寺廃寺跡の「狛坂磨崖仏」へ行きましたが、今回は「耳岩」「天狗岩」「鶏冠山」方向へ進みます。
コースタイムは鶏冠山まで90分とのことですからここからピストン往復で3時間。何とかなるか..。



白石峰から耳岩の分岐まで向かうと、下りの多い道は風化した花崗岩でザレてはいるが、巨石に挟まれながら進むような山歩きに至福感に満ちた気持ちになってくる。
陽射しは最高で、上着を脱いでシャツ1枚になるがそれでも汗ばんでくる好天の登山日和です。



巨石・奇石には次々に遭遇し、このルートの面白さを実感しますが、天狗岩へ向かうこのルートは実際に巨石・奇石の中心部へと向かう道ですから岩が多いのも納得です。
滋賀県の湖南・湖東地方には巨石の山が多いですが、やはり金勝アルプスと呼ばれるだけあって岩だらけ、岩で出来ているような山です。



滑りやすい急登のザレ場にはプラ段や場所によってロープが張ってありますので滑らないで済みます。
白石峰以降は反対側から登ってこられた方と次々とすれ違います。やはり上桐生から登るのが一般的なのかもしれませんね。





どれほど岩の間をすり抜けて歩いてきたでしょうか。まもなく「耳岩」の分岐までやってきました。
ここで出会った方に“これ耳岩ですよね?”と確認すると“地図ではそうですよね。”とお互いここは初めてでしたので確信は持てずでした。



さてここからが金勝山の中枢部の巨石・奇岩地帯に入ります。
手前のピークにも巨石群があり、向こう側に見えるのが「天狗岩」の巨石群です。
「天狗岩」の奥の方に見えているのが最終目的地の「鶏冠山」の山頂で、まだ1時間以上はかかりそうです。



「天狗岩」については後編に記載しますが、最高にスリリングなプチ・クライミングと命知らずの人達のアドベンチャー「スラックライン」を見学することが出来ました。
「天狗岩」などがある巨石エリアを越えてもまだ「鶏冠山」の山頂は遠くに見えますね。



「鶏冠山」山頂へは一旦下って山に近づいた後、山頂まで急登を登りきることになります。
山の上に空が見えてますので、あと少し登ったら山頂というのは分かるのですが、中々苦しい登りが続きます。



ザレた急登。
滑りそうです。



登りきると「鶏冠山」の山頂です。
あまり眺望のない山頂でしたが、ここで持ってきた塩おにぎりを食べて栄養補給。

山頂では先客の方がバーナーで山ご飯を調理中。“水が少なかった”とか“まだ堅かった”など中々うまくいかないようでしたが、楽しそうに調理して召し上がっておられました。
山ご飯の世界もはまると楽しそうですね。





これで「龍王山」から「鶏冠山」までの縦走は完了です。
お疲れ山でした!と言いたいところですが、ピストンなので歩いてきた道をすべて登り下りしないとお家に帰れない。
では折り返しましょう。...「天狗岩」と「スラックライン」は後編で!


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三雲城址と落ちそうで落ちない八丈岩

2023-05-03 20:10:10 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 湖南市の三雲山には戦国大名・六角氏の六宿老のひとりである三雲成持が城主を勤めた「三雲城址」があり、山の中腹には「八丈岩」と呼ばれる巨大な岩がある山です。
「八丈岩」へは過去に訪れたことがあったのですが、三雲山の山頂は三雲城址の山頂郭にあると知り、再び「八丈岩」と「三雲城址」の散策に訪れました。

六角氏は観音寺城を居城としていたが織田信長軍に攻め込まれると、三雲城に入り甲賀へ逃走したという。
三雲城城主だった三雲成持の三雲氏は、甲賀五十三家の一つだとされ、兄・三雲賢持の子は忍者・猿飛佐助のモデルになったとも言われています。
六角氏の没落後は浪人となり、蒲生氏に仕えた後、江戸時代に入ると旗本として旧領復帰を果たして幕府に仕え、幕末まで家名を存続出来たといいます。



三雲城址の登城口から登って行くと八丈岩と三雲城址の分岐がありますが、まず先に「八丈岩」へ行ってから「三雲城址」へ行く周回コースとしました。
「八丈岩」への木段の前には「琵琶湖龍神」と書かれた扁額が掛かり、ここが一之鳥居となっている。



鳥居を抜けると緩やかな木段が続き、目指す「八丈岩」へはあっという間に到着出来ます。
実はこの日の2つ目の山でしたが、これくらいの傾斜だと特に疲労も感じず、陽射しも良かったので心地よく登っていけます。



木段の途中に注連縄を巻かれた石と願い事を書いた小石が積まれていましたが、八丈岩に供えられた願い石が溜まり過ぎるとここへ降ろしているかと推測します。
八丈岩は“落ちそうで落ちない岩”として受験生の人気を集めているとされますが、願い事は様々で今の世界情勢から“世界平和”の文字も幾つかありました。



「琵琶湖龍神」の二之鳥居までくるともう鳥居の先に巨大な八丈岩が見えています。
三雲山で龍神をお祀りしているのは、麓の田畑を潤す山の水に対する信仰と近くを流れる野洲川の氾濫を抑えて欲しいとの願いや畏怖の信仰があったのでしょう。



「八丈岩」は麓からでも岩が光っているのが見えるほどよく目立つ岩で、8mを越える高さの岩が2本に分かれてそそり立っている。
最初は1枚岩だったのが自然環境などによって割れたのか、最初からこういう状態だったのかは定かではないが、まさに見上げるような巨石です。



巨大な方の岩は崖側にあり、祠や注連縄が掛けられていることから、信仰されている巨石なのが伺われる。
ただし巨石直下の場所からは、あまりに岩が大きすぎてフレームにおさめることは出来ません。



八丈岩が“落ちそうで落ちない岩”と呼ばれるのは裏側から見るこの姿でしょう。
今にも倒れて落ちそうな角度をしており、岩の下で岩を支えるポーズで写真を撮られる方の多い場所です。



ある角度から岩を眺めると、まさに今にも落ちそうに見えます。
“落ちそうで落ちない岩”として受験生が訪れて「合格祈願石」に願いを託すのも理解できますね。



「合格祈願石」は崖側の岩の上に奉納してあり、ここから見渡せる景色は竜王方面でしょうか。胸のすくような景色です。
三雲城城主だった三雲成持の兄・賢持の子とされる猿飛佐助はこの八丈岩を忍者修行に使ったとの伝説が残ります。



さて前回はどこにあるか分からなかった「六角氏家紋の刻印岩」と呼ばれる「隅立て四つ目結」の刻印岩を今回は見つけることができました。
刻印岩は八丈岩に刻まれていると勘違いしておりましたが、別の巨石群に看板があったので探してみると巨石の壁面に確認出来る。



六角氏は近江源氏・佐々木氏の嫡流で鎌倉時代から戦国時代にかけて近江南部を地盤とする守護大名だったとされていた名門でした。
しかし、三好氏や浅井氏との争いや内紛で勢力に陰りをみせると最後は織田信長の上洛軍と戦って敗れ、歴史の表舞台から姿を消していきます。



六角氏の家紋「隅立て四つ目結」が刻印されている巨石群を裏側から見ると、八丈岩ほどではないものの刻印岩の巨石群も迫力を感じます。
湖南地方の巨石の多さを感じるとともに山伝いに京都南部や奈良まで続く山々は。まさに石の道とでも呼びたくなるような巨石の山が多い。



三雲城は戦国時代に落城・廃城となっているにも関わらず分かりやすく整備がされており、城の規模は東西300南北200mとされ八丈岩や刻印岩からは馬の背道という稜線を歩きます。
兵站地という兵器や食料などの物資の補給地を越えると「近代の採石場跡」が見えてきます。
つい最近まで採石していたかのように切り出した岩がゴロゴロと転がり、途中で放棄されてしまったような場所です。



まもなく「主郭北・東辺の石垣」が見えてきて、堅牢な山城があったことが伺われます。
六角氏は1563年の観音寺騒動や1568年の織田信長の侵攻の際に、居城であった観音寺城から落ち延びこの三雲城に逃げ込んだとされたといいます。



「枡形虎口の石垣」は虎口の石垣を屈折させて敵の侵入を防ぐためのもの。
案内板には六角氏没落後の戦国時代後期に穴太積みで造営されたものとされているそうです。
廃城となった城ではあるものの、場所的な利便性から利用されていたのかもしれません。



山城に欠かせないのが生きるために必要な水の確保で、主郭跡には井戸が残されています。
井戸は口径が1.9mφで深さ6.2mの穴太積みの野面積みとありました。
恐る恐る覗いてみましたが、6m以上の深さがあり、シダが茂っていることから水面は全く見えず。





「城郭2」と呼ばれる場所が三雲山の山頂部(334m)になり、磐座のような巨石が“倒れそうで倒れない”ように置かれている。
城址によっては土塁や竪堀や曲輪が分かりにくい城址もありますが、三雲城址はどちらかというと分かりやすい感じのする城跡だったと思います。



山頂から見る景色は平野部に三上山、琵琶湖を隔てて対岸に連なるのは比良山系。
滋賀県には高層ビル群がほとんどないので、周辺に高い山のない三上山はどこからでも見えるような感覚になってしまいますね。




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