僕はびわ湖のカイツブリ

滋賀県の風景・野鳥・蝶・花などの自然をメインに何でもありです。
“男のためのガーデニング”改め

長浜盆梅展~早川鉄平 切り絵の世界~

2022-02-27 19:28:15 | アート・ライブ・読書
 長浜慶雲館で開催される「長浜盆梅展」は今年で第71回を迎える春の風物詩となっており、館内にほのかに漂う梅の香りは春の訪れを感じさせてくれます。
盆梅展の始まりは昭和27年(1952年)、明治2年に明治天皇の京都行幸に際して行在所として建設されたのが始まりで、国の名勝に指定された庭園と館は長浜の迎賓館として使われてきたといいます。

慶雲館の周辺には明治の時代には、汽船が通う港を始め、大垣(岐阜県)敦賀(福井県)大津や京都を結ぶ鉄道が開設され、交通の要所であったとされます。
「長浜盆梅展」では毎年盆梅の展示以外にも趣向を凝らした展示がされていますが、ここ何年かは切り絵作家の早川鉄平さんの切り絵とのコラボが行われています。

 

早川鉄平さんは米原市に移住して創作活動をされている方で、慶雲館での展示や大通寺の襖絵の他、滋賀県の各所で展示が行われ、「白鳥になった王子」という伊吹山の神とヤマトタケルの物語を出版されている方です。
作品は伊吹山の生き物たちや想像上の生き物を含めて伊吹の豊かな自然に根差したものが多く、灯りに照らし出された作品群は動物たちの生き生きとした姿を際立たせます。



湖北はここ何年かは暖冬で梅の開花が早かったといいますが、今年は大雪に見舞われて開花が遅れているようです。
大広間に並ぶ古木は盆梅の入れ替えもありますが、花はチラホラといった感じのものや、蕾の状態のものもあり、春を実感できるのはまだもう少し先のよう。

玄関には金屏風の前に展示されている盆梅はちょうど見頃を迎えており、横には竹灯りが置かれている。
昨年は早川鉄平さんの切り絵と鳥取大山和傘が盆梅とのコラボでしたが、今年は切り絵・竹灯りと盆梅のコラボになっています。



玄関の前の土間に続く式台には早川さんの行燈が2つ光に照らし出されて来場者を出迎えてくれます。
灯籠の世界には梅が咲き誇り、横には本物の小さな梅鉢が並べられている。



この行燈は上から見ると、梅の花を模った切り絵にサギ・ウサギ・シカ・キツネが描かれ、周辺には梅の枝に花が表現されています。
行燈を上から眺めることはなかったのですが、気が付きにくい所にまで細かな表現をされているのには驚きました。



玄関の板敷きから先が本屋となりますが、まず案内されるのは明治天皇をお迎えした「玉座の間」のある2階です。
赤いカーペットの階段の横には 「竹灯篭ゆるぎの郷」の方が造られた竹灯籠が並び、玉座の間へと導いてくれます。



2階の大広間には竹灯りが幻想的な姿で並び、盆梅との競演の空間が広がります。
正面右側の盆梅は、同じ幹から紅白の梅が咲く変わった盆梅で、「思いのまま」と名付けられており、小ぶりながらも変わった種の梅です。



二面ある硝子障子の向こうには巨石が目を引く池泉回遊式庭園が広がり、室内の電灯は梅の花を模ったモダンなデザインのもの。
建築当時は琵琶湖がすぐ近くにあり、高い建物がなかったため伊吹山も一望できたといいますので、明治の迎賓館として歴史に残る建築物といえます。



1階の広間には盆梅の巨木や古木が並び、満開の梅は少ないものの、梅の甘い香りがほのかに漂います。
金屏風を背景にリフレクションが美しい「蓬莱」の周りにも竹灯りが並び、前にはカメラを持った方々がそれぞれの感性で写真を撮られていました。



楽しみにしていた早川鉄平さんの切り絵は、慶雲館の新館となる「梅の館」に展示されており、いきなり目に入ってくるのは天井を舞う無数の野鳥たちの姿です。
湖北の自然の豊かさをぎっしりと詰め込んだような展示には感心するばかり。



室内は空調や解放された扉があるので緩やかな風で、野鳥たちもユラユラと揺らめいている。
野鳥の好きな方は切り絵の鳥を識別してみるのも楽しいかもしれませんね。



床を見ると、雪の上を歩いたかの如く獣たちの足跡が点々とついています。
足跡も識別してみるのも面白く、続いている足跡を追っていくと動物の姿が見えてきます。



動物の切り絵板と魚の行燈。
この紅の梅は満開のようですね。



ヤマドリは一つのモチーフになっていますが、お茶所にあるヤマドリは白一色で、後方には黒一色のヤマドリが垣間見えます。
現実のヤマドリには久しく会っておりませんので、また出会いたいところです。



お茶所には6幅のトラの屏風がデンと構え、机上の飛散防止版はウサギたちが支えています。
盆梅展の楽しみの一つに抹茶と和菓子がありますが、オミクロン蔓延の折、今年も諦めます。



とはいえ、盆梅名物の「盆梅しそもち」は食べたいので、お土産コーナーで購入して持って帰ります。
白あんを求肥餅に包んだ上に紫蘇の葉を巻いたこの変わった和菓子は、紫蘇の塩味と白あんの甘さが混じりあう奇妙な味ですが、この「盆梅しそもち」も湖北の春の風物詩ですね。




コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

竜王町の勧請縄2~七里・鵜川・須恵~

2022-02-24 05:39:55 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 滋賀県の湖東・湖南地方には勧請縄の民俗行事が伝わり、勧請縄は集落ごとに個性豊かで独特の伝統が引き継がれています。
勧請縄は集落に悪いものをいれないための魔よけとして信仰され、同時に五穀豊穣・村内安全を祈願する年頭行事でもあります。

昨年から滋賀の勧請縄を巡っていますが、昨年や数年前にはあったはずなのに中断または途絶えそうになっている勧請縄があり、行事が失われつつあることを実感しています。
竜王町の岡屋・小口・薬師集落の勧請縄を巡った後、あと3ヶ所の勧請縄を見て回ることとしました。

<七里「石部神社」>

石部神社の最初の鳥居は七里集落内にあり、2つ目の鳥居は三井アウトレットパークへ通じる国道の脇にあり、この鳥居に勧請縄は吊るされています。
勧請縄にはトククグラズや祈祷札や小幣はなく、12本の小縄が吊るされているのみ。
本殿へは善光寺川の端を渡って石段を登っていくことになるが、かつてはこの奥にある石段の登り口の木に吊るされていたようです。



元は集落から鏡山の山麓への参拝道があったのだと思いますが、国道や河川改修で分断されてしまい、道路沿いに建てられた鳥居に移動してきたのかもしれません。
神社は国道沿いの鳥居がなければ神社があるとは思えない場所にありますが、石段でお参りの方に会いましたので、氏子の方は日常的に参拝されている神社なのかと思います。



御祭神は天照皇大神を祀り、境内社として左右に春日社と八幡社が並んでおり、拝殿は立て替えて真新しい建物です。
不思議だったのは本堂への石段の前にあった何か祭礼に使われると思われる石です。
何か書いてあったのですが、文字は不明瞭で読み取れなかったものの、石部神社にとっては重要な場所なのかと思います。



<鵜川「天満宮」>

鵜川集落は山麓から少し離れた蒲生野の田園地帯にあり、田圃の真ん中に集落があるという印象を持ちました。
鵜川天満宮も鳥居のある場所と境内が道路によって分断され、勧請縄は祖父川の堤防の下にひっそりと祀られています。



勧請縄は参道の2本の木に吊るされ、小縄が12本、主縄の上には小幣が12本刺さり、中央には特徴的なトリクグラズが付けられています。
小縄の先の枝葉は複数の種類あるように見えますが、この枝葉はヒノキ・ユズリハ・グミ・カシの4種を使っているそうです。



トリクグラズは牛の顔を模したもので丸に十の先に突き出ているのはウシの角を表しているとされます。
牛は神使いとも菅原道真に由来する撫牛信仰として聖なるものや縁起の良いものとされていますが、農耕の神として霊力を持つ牛を魔よけにするといった意味にもとれます。



牛の顔と角を表すトリクグラスと小縄に付けられた4種の枝葉を見ていると、豊作祈願と農耕に必要だった牛に感謝する気持ち。
神使いの牛の角で魔よけをするという気持ちが伝わってくるように感じます。



境内の奥にある天満宮には当然ながら菅原道真公が祀られ、境内社に八幡社と若宮社が祀られています。
境内を掃き清めておられる方がおられ、掃いたばかりの参道に当方が参拝して砂を乱してしまい申し訳なく思います。



<須恵「八幡神社」>

雪野山と鏡山に挟まれた竜王町の田園地帯には牛の角を模したトリクグラズが見受けられ、集落の勧請縄の個性と共に地域性のようなものが感じられます。
須恵の八幡神社の勧請縄のトリクグラズは牛の角を表わしながらも、黒い✖が入ってくるものを拒む象徴のように見えます。



勧請縄は主縄に小縄を12本下げたもので、祈祷札や小幣は見られず、トリクグラズの✖が目立っています。
竜王町のトリクグラズは弓矢や矢が刺さった様式のものや、牛の角を模したものが幾つかあり、祈祷札に願いを込めるというよりも、威圧するようなものが多いようです。



須恵八幡神社は、鎌倉時代の弘長年間に男山八幡宮より勧請され、男山八幡宮は源氏諸氏族の武将から氏神として祀られていたといいます。
武将ゆかりの神を祀ることが威圧感のあるトリクグラズに影響しているのかもしれません。
各神社で祀られる御祭神と、祀る側が後世まで影響を受けてきたことを想定すると、なぜその地にその神を祀ったのか興味深く感じます。



本殿は石垣の上に社殿を構え、境内社には若宮八幡宮・天満宮・日吉神社・林幸神社が祀られます。
地図から想像すると、祖父川が大きく曲がる場所の堤防下に神社がありますので、水害の被害から護るかのような位置に神社があるようにも思えます。



本殿の祠の横には龍が祀られていました。
龍は水神。水は農耕には欠かせないものであり、氾濫すれば被害を受ける。
竜王町巡りの最後に、集落を守護する龍王にやっと出会いました。




コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

竜王町の勧請縄(トリクグラズ)1~岡屋・小口・薬師~

2022-02-20 18:22:22 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 勧請縄は集落の出入口や村の神社の参道に大繩を吊るして、災厄が村内に入るのを防いだり、五穀豊穣や村内安全を祈願する民俗行事で、滋賀県では湖東・湖南地域に集中しています。
“村境の魔よけ”とも称される勧請縄は、集落により独特の個性があり、地域によっても影響を受けあった傾向も見られます。

竜王町は「東の竜王山・雪野山」・「西の竜王山・鏡山」と呼ばれるように東西を山に挟まれた地にあり、「龍王」の名の由来する地域になります。
万葉のロマンや古墳群の多い竜王町にはどんな勧請縄が吊られているかと楽しみにして竜王町を巡ってみました。

<岡屋「勝手神社」>

岡屋にある「勝手神社」の御祭神は、大和国吉野山の勝手神社の御祭神の「受鬘命(ウケノリノミコト)」を勧請したといい、配祀神の「若宮神」「八王子神」と共に勝手大明神と称したとされます。
一之鳥居と二之鳥居から参道を進むと勧請縄はあるが、興味深いのはそれぞれの鳥居に注連縄があり、勧請縄は参道の木に吊るされている事。



神聖な神の領域を示す注連縄と集落を守る勧請縄は別のものということがはっきりと分かる祀り方です。
竜王町には「道切り」はありませんでしたので、神社の鳥居や参道に注連縄がありつつも勧請縄が別に吊るされるという信仰の違いがみえてきます。



岡屋の勝手神社の勧請縄には小縄が3本。それぞれ七本・五本・三本に束ねて下げられています。
小幣は刺されておらず、祈祷札も見られませんが、トリクグラズは見たことのない珍しいものが付けられています。



トリクグラズは弓矢を模したものが付けられいて、「魔」が入ってこないように矢を向けて魔よけとしていると考えられます。
まさに岡屋集落の個性。地域によって傾向はあるとはいえ、集落ごとの特徴があるのが勧請縄の面白さです。



勝手神社の創立は奈良時代の天平年間と伝えられ、現在の本殿は1400年に上棟されていると伝わり、本殿は重要文化財に指定をされています。
参道や境内は掃き清められていましたので、足跡を付けてしまうのが申し訳なく思いつつも、拝所で手を合わせて背筋を伸ばして気持ちを引き締める。



<小口「眞氣神社」>

竜王町は新興住宅地と昔ながらの農村部が同じ集落内にあるように感じましたが、神社は集落の中というより集落から外れた山麓にあることが多いようです。
小口の「眞氣神社」は集落の居住地から離れて、溜池の横の細い道を進んだ先にありました。



眞氣神社は御祭神に第11代天皇の垂仁天皇を祀り、創建は社伝によると鎌倉時代の1218年とされ、牛を神使として農耕の守護神としているという。
石段を登った先に拝殿・本殿があり、勧請縄は石段の終点辺りにある2本の木に竹竿を渡して吊るされており、石段から見上げる位置にある。



小縄はトリグラズを中心にして右に5本、左に5本、さらに左のもう1本の木との間に2本の計12本が下げられ、トリクグラズの上に小幣が刺されている。
竹の上には細い縄が渡されており、竹は勧請縄を吊るすためのものには見えないので結界の役割を果たしているのかもしれません。



スギの枝葉で造られたトリクグラズには小幣が12本刺されており、この小幣は矢を模したものだとされ、勝手神社の弓矢のトリクグラズと近い発想のように思える。
また、このトリクグラズの矢は昔の流鏑馬の名残りだともされており、その時代には神社の境内も今とは随分異なったものだったと想像してみます。



本殿に参拝すると、本殿横には結界の中に御神木と書かれた若木がありました。
かつてあった御神木が無くなり、新しい御神木を植樹されたようですが、聳えるような御神木に育つのは遥か先の事。
しかし、こういう尽力が続けられることで何世代も先の人々に信仰が伝わっていく、あるいは過去からつながってきたのでしょう。



<薬師「勝手神社」>

岡屋から小口、さらに薬師に向かうと、もう目と鼻の先に三井アウトレットがあるエリアに入ってきます。
にぎわいのあるショッピングモールのすぐ近くには不動明王石仏が前方後円墳の横穴式石室に刻まれている薬師山岩屋不動明王が祀られ、聖俗混じり合った地域です。



蒲生郡竜王町には先述の岡屋の勝手神社と、薬師の勝手神社の2つがあり、両方の勝手神社に勧請縄が吊られています。
岡屋の勧請縄は2つの鳥居を抜けた先の参道に吊られていましたが、薬師の勧請縄は鳥居の前の松の木に渡されている。



勧請縄は中央にトリクグラズが下げられ、小幣はなく、小縄はサカキの枝で造られた縄束となっている。
縄束は家の数だけ下げるとされますが、過去の画像ではもっと縄束が多かったので、だんだんと家の数が減ってきているのかと感じてしまいます。
トリクグラズは丸十の形をしていて、風が強い日でしたので風に吹かれてユラユラと揺らめいている。



御祭神は岡屋の勝手神社と同じく受鬘尾命を祀り、創祀年代は不詳ながらも江戸時代の宝永6年に再興された記録があるといいます。
本殿の前には石塔が祀られていて雰囲気があるが、詳細は不明。



拝殿から本堂へつながる廊下を進み、参拝を済ませる。
気になったのは竜王町の神社には“撫で牛”が奉納されている神社が多い事。
菅原道真信仰があるのもあると思いますが、農村の多い地だったゆえに農耕の守護神として牛を神の使いとしてきた信仰が強かったのではないかと勝手に想像します。



参道には前に倒れ掛かった姿のまま祀られている地蔵石仏。
通り過ぎようとしたけど気になって立ち止まる。なぜか魅かれてしまう石仏でした。



竜王町の勧請縄には弓矢や矢が刺さった様子を模したトリクグラズが複数見られるのが特徴で、祈祷札などは見られない様式となっていました。
また、鳥居の前ないしは参道に吊るされており、鳥居に吊るされた注連縄と勧請縄が別の信仰に基づいていることも確認できました。
もう少し竜王町の勧請縄を巡ってみたいと思います。...続く。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トラツグミとミコアイサをパチリ!

2022-02-13 15:30:30 | 野鳥
 オミクロンが猛威と何年ぶりかの大雪で外に出れずストレスが溜まっていましたが、三連休の初日と中日は好天に恵まれ、やっと外へ出ることが出来ました。
野鳥は雪が積もると普段見られない鳥に出会うことがありますが、積雪が多すぎると逆に出が悪かったりしますし、雪が道を塞いで入れない場所が多くなるのが難点。

山本山周辺や早崎ビオトープ、野鳥センター前には大勢の野鳥撮影者や観察者が集まり、にぎわっていましたので人の来ないローカルテリトリーを一回り。
植え込みの蔭にトラツグミの姿が見えましたので、待っていたら出てきましたよ!今年の干支の虎にちなんだトラツグミ!



雪のある所ではエサがとれないでしょうから、雪のない所まで出てくるだろうの読みが当たりましたね。
植え込みの蔭に見え隠れするトラツグミが予想通り出てきたのは嬉しかったですよ。



枝が被らない場所まで出てきて!との願いが通じたのか少しづつ姿を現した。
見てる方はもうちょっと前へとか、向きを変えてとか勝手な事を言っていますが、当のトラツグミはエサを探すのに夢中です。



なんとか全身が見える所まで出てきてくれたので、今年初見のトラツグミに堪能させてもらいました。
おや?近くの植え込みには太ったトラツグミ?,...いや違いますよ。キジの♀です。



例年ならよく見かけたシロハラは姿を見せてくれず、場所を移動。
移動中に目の前に出てきてくれたのはジョウビタキの♂でした。



このジョウビタキは積雪のせいもあったのかほぼ警戒心がありませんでした。
大袈裟にいうと、もう少し手を伸ばせば触れられそうな距離にいても、すぐ横の枝に移る程度。



しばらくすると道路に降りてエサを食べ始める。
ジョウビタキは綺麗な小鳥ですが、食べてるのは虫かな?あまり美味しそうではないですね。



虫を飲み込んでホッと一息のジョウビタキ。
警戒心はほぼないんだけど、日陰に入って陽の当たる所にはあまり出てきてくれないのは習性でしょうか。



しばらく楽しませてもらったので、ではまたお会いしましょう!ということで水辺へ移動する。
おやおやミコアイサが近くに寄ってきてくれましたよ。



カモにはいろいろな姿をしている仲間がいますが、ミコアイサはかなり特殊な色合いのカモですね。
通称パンダカモと言われるだけあって、白い体に目の周りが黒く縁どられた愛嬌のあるカモさんです。



パンダもミコアイサも白ベースに黒が入って似た感じがしますが、正面顔を見ると目の周りの黒い縁は吊り上がっていて、垂れ目のパンダとは違いがあります。
とはいえ色合いからパンダのように見えてしまいますね。



水面にはカモが密集して休んでおり、気持ち悪いくらいです。
マガモ・コガモ・カルガモ・ヒドリガモ・ヒシクイといった面々でしたが、岸辺にいたオナガガモの夫婦をパチリ!



寒々とした風景を見ているとまだまだ冬が続くように思えますが、冬の野鳥を楽しめるのもあと少しになってきています。
2月の終盤にはウグイスの初鳴きが聞こえてくるでしょうし、初春の花や蝶も見られるようになってくるのでしょう。
季節を楽しみながら最後はシメで〆です。




コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東近江市の「白鳥神社」の勧請縄~池之脇・上二俣・高木・市原野・如来・石谷~

2022-02-10 17:48:02 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 勧請縄は村に疫病や禍が入るのを防ぐ魔よけとし、五穀豊穣や天下泰平を祈願する年頭行事として、滋賀県の湖東・湖南地方に多くみられる民俗行事です。
湖東地方でも特に東近江市には勧請縄の伝統が色濃く残り、村々の魔よけとして受け継がれてきています。

東近江市の東に位置する旧永源寺町には勧請縄の行事が多く残ると共に、滋賀県ではこの一帯にしか存在しない「白鳥神社」が密集している地域でもあります。
複数ある「白鳥神社」は御祭神に日本武尊(ヤマトタケル)を祀り、日本武尊の白鳥伝説との関連があるかと想像はされるものの、白鳥(シラトリ)信仰にまつわる説もあります。

古代史家で白鳥研究家でもある芦野泉さんは、著書「白鳥と古代史」の中で、古代白鳥と初期農耕の頃の人間の生活に関係する地名について語られています。
また、東北地方を除く本州・四国・九州で確認できる地名の位置関係と白鳥の渡りのルートとの共通性についても述べられていて興味深い。
旧永源寺町地方にも山間部の最奥の甲津畑→和南→多度神社と白鳥(シラトリ)ゆかりとされる地名や神社があり、平野部には「白鳥神社」が密集する地域があります。
このラインは琵琶湖近くの「白鳥神社」まで続き、白鳥(シラトリ)の渡りのルートと考えると、白鳥信仰があったと思われる痕跡が見えてくるように思います。

<池之脇町の「白鳥神社」>

平野部へ入って最初の集落は池之脇で、集落は南は山麓に面し、それ以外の3方には田園地帯が広がる。
集落から少し離れたところに「白鳥神社」はあり、鳥居を抜けた先に勧請縄が吊るされている。



勧請縄は主縄に頭と尾があるオーソドックスな形をしており、中央の小さな丸いトリクグラズに祈祷札が付けられ、主縄の上には3本の御幣が刺されている。
小縄は通常は12本あることが多いが、この勧請縄は左に6本、右に5本と変わっており、トリクグラズに近い右の小縄は短いように見えます。





トリクグラズに付けられた祈祷札には“天下泰平・五穀豊穣・息災延寿・交通安全”と書かれ、裏側には奉納者の名前がある。
楕円形の枝葉で造られたトリクグラズは、シンプルながらも他ではあまり見かけない形です。



本殿は石段の上にひっそりと祀られており、里から少し離れた山の麓の神社ですが、江戸時代の天保3年までは山腹に鎮座されていたのだという。
神社の東方向には2つの溜池があり、その池が池之脇の町名になっているのかと思います。



<上二俣町の「白鳥若宮神社」>

池之脇町と隣接する上二俣町には「白鳥若宮神社」が祀られ、鳥居に勧請縄が吊るされています。
「若宮」は本宮の主神の分霊を勧請した社とされますが、近隣に「白鳥神社」が複数あるため、どこが本宮とされるのかは不明です。



上二俣の勧請縄は、主縄に頭と尾があるが、小縄はトリクグラズなどは見られず、シンプルな形状をしている。
シンプルゆえに注連縄のように見えてしまいますが、この勧請縄は以前は参道にある2本の木に吊るされていたといいます。



拝殿・本殿はこじんまりとした造りで、横にはお稲荷さんが祀られる。
その前には御神木の巨樹スギがありますが、幹周はおそらく4mはあろうかという太さがありこの御神木の迫力に圧倒されてしまいます。



<高木町の「白鳥神社」>

「白鳥と古代史」の痕跡を追って当地を訪れたのは昨年10月で、その時に何ヶ所かの神社で勧請縄を発見していたのが今回再訪したきっかけです。
この地域では勧請縄を「道切り」として祀られている集落はなく、集落の「白鳥神社」の参道に吊るされる。
集落は田園を挟んで独立していたり、つながったりしてはいますが、こんもりと木が茂った森があるとそこが神社なので目的地が見つけやすい。



高木の「白鳥神社」には昨年10月に参拝した時に勧請縄がありましたが、今年はどこにも見当たりません。
勧請縄を探していると、あると思っていてもないことが多々あり、行事を継続していく難しさを感じることがあります。



参拝だけ済まして次へ行きますが、昨年10月に偶然見た勧請縄はトリクグラズが四角形をしており、馬酔木の枝葉で造るのだといいます。
鳥居の前の木に吊るされた勧請縄は、主縄とトリクグラズだけの形状をした勧請縄でした。


(2021年10月撮影)

<市原野町の「白鳥神社」>

市原野の「白鳥神社」の勧請縄は主縄の両端に大きな房を付け、小縄やトリクグラズはないものの、主縄の上に蛇を模したような飾りが幣のように刺されています。
前回参拝した時は蛇のような飾りは取り外されていましたので、今回の訪問で是非とも見たかった勧請縄です。



房も立派なもので細い縄を絞るように巻き付け、まるで巨大な筆のように見えてしまいます。
どの「白鳥神社」も田園地帯の集落にある神社で、伊吹山で荒神と戦って傷ついた死んだ日本武尊が白鳥に姿を変えて飛びったったという伝説とのつながりがみえない。
総称としての「白鳥」(ハクチョウ・コウノトリ・ツル、シラサギ)が初期農耕における糞の肥料効果あるいは食料となってくれたことによる信仰と考えた方がしっくりくる。





さて、主縄の上に串刺しにされているのは、蛇を模したような七曲がり・五曲がり・三曲がりの飾りです。
蛇は水神とされますので農耕とは切っても切れない水を象徴すると共に、魔除けとして結界の役割を果たしているのではないでしょうか。



滋賀県の神社(村社)は立派な造りの建物が多いのですが、市原野の「白鳥神社」も創祀年代不詳ながらも立派な社殿です。
社殿や行事を続けることは大変な事ですが、氏子の信仰の篤さによって守り続けられているのだと思います。



<如来の「白鳥若宮神社」>

如来の勧請縄は、市原野町の「白鳥神社」の勧請縄とほぼ同じような造りとなっているが、西村泰郎さん著の「勧請縄-個性豊かな村境の魔よけ-」によると、縄は市原野町の「白鳥神社」と一緒に造っているのだという。
両端に大きな房があり、トリクグラズや小縄や幣がない代わりに、七曲がり・五曲がり・三曲がりの飾りが幣のように串刺しされている。



勧請縄を一緒に造っていることからすると、如来の「白鳥若宮神社」は市原野町の「白鳥神社」から勧請されたといえそうです。
2社共に、樹木や鳥居に吊るすのではなく、勧請縄を吊るす台まで設置されている。

反対側から勧請縄を見ると、道路沿いに神社ののぼりか旗を掛けたりするポールがあり、祭りの時などにのぼりを掛けられるのでしょう。
勧請縄の吊るし台やのぼりを掛けるポールが設置されている神社がこの辺りには多いように感じます。



如来の「白鳥若宮神社」にも勧請縄の上に七曲がり・五曲がり・三曲がりの飾りが串刺しされています。
一緒に造っているのですから当然なのかと思いますが、この信仰はこの2社特有のもので、見た中では他にはない信仰になります。



神社が社殿ではなく祠なのは如来だけでしたが、本宮から御神体が勧請された若宮だからなのでしょう。
石段右側の碑には「白鳥大明神」と彫られていて、白鳥を神と崇めていることが分かります。



<石谷町の「白鳥神社」>

最後に参拝したのは石谷の「白鳥神社」です。
石谷の勧請縄も両端が房になっており、小縄はないものの、主縄の中央にトリクグラズが付けられています。



両端に房を付けるのはこの一帯特有の造り方なのかと考えられます。
集落独特の勧請縄を伝えながらも、隣接する集落の影響は受けていると考えられます。
ここより西へ行くと、トリクグラズや小縄がある勧請縄が増えてくるようですので、勧請縄に独自性と地域性の両方が感じられます。



トリクグラズは円形に枝葉が巻きつけられ、一般的には主縄にバラバラと吊るされる小縄がトリクグラズに重なるように6本吊るされています。
主縄の上には御幣が3本刺さり、旧永源寺町域ではむしろ変わった姿となっている。





石谷の「白鳥神社」はかつて石谷町と一式町で2本の勧請縄を造っていたそうですが、近年になって2町が分かれ、一式町は「若宮八幡宮」に勧請縄を吊るすようになったといいます、
「白鳥神社」の本殿の横に境内社がありますが、「八幡神社」ですのでかつては2村の産土神だったのではないかと想像されます。



「白鳥神社(および若宮神社)」を巡ってきましたが、この一帯にある勧請縄は全て神社に吊られていて、「道切り」や集落外れの道沿いに吊られていることはありませんでした。
両端に大きな房があるものが多く、小縄やトリクグラズのない勧請縄もあり、祈祷札は池之脇の「白鳥神社」のみでした。
集落によって独特で個性的な勧請縄ではありますが、地域による特徴が見られるようです。

最後に「白鳥神社」の位置関係の略図です。
鈴鹿山系に面した甲津畑から平野に出ると「白鳥神社」が密集し、琵琶湖近くの「白鳥神社」まで北北西のラインで結ばれます。
“何かある”としか思えませんよね。




コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

湖東の勧請縄5(トリクグラズ)~鎌若宮神社・西老蘇・白王町白部~

2022-02-04 06:22:22 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 勧請縄は村に悪霊や疫病が入って来ないよう、また五穀豊穣や安寧を祈願して村の出入り口などに吊る(道切り)とされ、主縄の中央にはトリクグラズという魔よけの呪具を付けることが多い。
トリクグラズに祈祷札を付ける集落があるが、安土町西老蘇の「鎌若宮神社」では勧請縄を吊るしてお祓いをした後、祈祷札に石を投げて祈祷札を割ってしまうのだという。

同じように祈祷札を割るのは東近江市の市辺東の勧請縄でもみられましたが、西老蘇では千年以上続く行事だといい、祈祷札が割れるとその年は健康で過ごせるという伝承があるそうです。
鎌若宮神社のこの神事は「まじゃらこ(魔蛇羅講)」と呼ばれ、石を投げるのは小学生で低学年から石を投げていくのだといいます。



旧中山道沿いにある鎌若宮神社は御祭神に大己貴命(大国主神)を祀る神社で、かつて一つの村だった老蘇が東西分立するに至って鎌宮四座の中で西老蘇に鎌宮の若宮として勧請されたという。
東老蘇にある「奥石神社」は大正期まで鎌宮と称していたといいますし、鎌若宮神社と奥石神社の御神紋は四ツ木瓜ですので、つながる部分は多い。



勧請縄は主縄に頭と尾があり、小縄は左右6本づつで中央に直径90cmほどのトリクグラズが付けられて上部には3本の御幣が刺さる。
トリクグラズの中に付けられた祈祷札は下半分が割れてしまっており、これは「まじゃらこ」神事で割られたもの。



祈祷札が割られる前に書かれていた文字は「天下泰平」。
この2年ちょっとでいえば「天下泰平」は、コロナ退散を願う気持ちが万人の共通の願いです。



鎌若宮神社の境内には「神武天皇遥拝所」がありました。
日本の初代天皇とされる神武天皇ですが、遥拝所の先は橿原神宮なのでしょうか。



境内にはもう1カ所遥拝所があり、こちらの碑には「秋葉〇神(〇は読み取れず)とあります。
秋葉信仰は山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神とされ、火伏せの霊験があるとして信仰されています。



鎌若宮神社の本殿は寛文12年造営、寛政3年暴風雨により本殿破損し同年再建。
安政3年に拝殿が建立とされ、明治以降に村社となったとされます。



西老蘇の集落には中心部の鎌若宮神社の勧請縄を東側の道切りとすると、西側にも勧請縄が吊るされています。
この辺りは、旧中山道沿いに集落が点在し、西老蘇には鎌若宮神社、東老蘇には奥石神社が中心となり、東と西に道切りが吊るされるような位置関係に見えます。

西老蘇集落の西の道路脇に勧請縄が立てられており、トリクグラズに沿って主縄が巻かれた少し変わった形をしています。
元々こういう吊るし方(立て方)をしていたのか、かつては道路を横切る道切りだったのかは不明ですが、道切りが簡略化されて今の立て方になった可能性がありそうです。



トリクグラズに付けられた祈祷札には「天下泰平」の文字。
同じ西老蘇でも鎌若宮神社のように札を割る「まじゃらこ(魔蛇羅講)」の神事は行われていないようです。



さて次は、西の湖方面へと向かい白王町白部の若宮神社へ参拝します。
若宮神社は御祭神に惟喬親王を祀りますが、惟喬親王といえば奥永源寺の君ヶ畑に隠棲して木地師の技術を伝えた人で悲運の皇子と伝えられている方。
君ヶ畑と白王町は現在の感覚ではかなり離れていると思いますが、鈴鹿山系の山村で信仰された惟喬親王が琵琶湖にほど近い西の湖近くの白王町で祀られているのは不思議にも感じます。



白王町の若宮神社は集落から外れた山麓のひっそりとした場所にあり、石段を登って行った先に吊られている。
最初は石段の上にある勧請縄に気が付かず、本殿まで行ってふと振り返った時に目に入ってきた。



トリクグラズは主縄の上に付けられ、杉の葉が巻きつけられて、小幣3本が主縄とトリクグラズを突き抜けるように刺されている。
小縄は通常12本吊るされることが多いが、この勧請縄の小縄は7本なので珍しい本数になっている。



近江八幡市には春に各集落で独自の松明を作って奉火するという神事があるといい、全域で大証00基を超える松明が結われて奉火されるのだという。
若宮神社でも毎年4月頃に数基の松明を作られているようですが、松明を作った残り屑などを積み上げて、吊るしていた勧請縄を巻き付けたものも松明として奉火されるとのこと。



最後に円山町にある圓山神社に向かう。
急で長い石段の途中に勧請縄があるはずでしたが、残念ながら見当たらずで、おそらくかつて吊るしていたであろう2本の木だけが確認出来ました。



せっかくきて参拝せずに帰るのも無礼な話ですので、石段を登り切って本殿へ参拝します。
圓山神社は本殿の後方に巨大な磐座がある巨石信仰の神社ですが、この磐座は何度見ても圧倒されます。



昨年初頭と今年これまでで滋賀県内で確認できた勧請縄は30種。
それぞれの集落によって勧請縄の個性や祀り方は違い、同じものはありませんでした。
それは集落で守られてきた伝統や信仰の違いではありますが、共通する願いは同じもののように感じます。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする