針外し/爺さんの独り言。役にたたない情報ばかり。

自作のスピナーベイトで今日もバスを釣るぞ!。人はそれを「G」と呼ぶ。爺さんの「G(ジー)」の意味だった。ガクン!。

今からでも遅くないよ。

2017-03-21 05:47:10 | 日記

昔から自分の知識の無さ、社会の経験値の不足を補うのに、「書」と言うものを最大限に活用したものだが。諸国を漫遊して経験するのも生きた勉強が出来ていいのだが、なかなか、生活に縛られていると、そうもいかない。

書は、その作者が自分の考えを書に代弁させている。それを受け手の「読み手」は自分に無い考えや経験を居ながらにして摂取、取り込む事が出来る。テレビが無い時代は情報量が極端に少なかったので、情報を得て知識を豊富に出来ないので、書に頼らざるを得なかったのだが、その分、真剣に本を読んで摂取する事が出来た。

それに引き換え、現代はテレビが発達してカラーになって、まるで当事者のような経験をする事が出来るのだが、テレビ局の一方的な見解を鵜呑みにしてしまう。昔の書も多少あって、一つの本、作者にかぶれてしまう傾向があったけど、現代のマスコミ一辺倒な、それも、くだらない見解の報道に何の抵抗もなく取り入れてしまう。

最近では、それに輪をかけて、「ゲーム時代」となった。それは面白いだろうけど、大事な青春期に受験に受かるためにしかしない勉強と、ゲームばかりして、自分の確立には目もくれていないね。

仏教の「お釈迦様」の教えに大乗、小乗の考えがあります。大乗のが優れている。という見解が多数をしめていましたが、本来の小乗仏教は「自分の確立」に主眼を置いた。これは自分勝手とか一人よがりと言う意味ではなくて、人を助けるのに「自分が確立出来てもいないのに何で、人を助けれれるんだ」と言う事です。

人は自分という器でしか物を考えられない。それは時代が多分に影響する。第二次世界大戦の戦争下では勉強なんか出来なかったし(それはそれで貴重な経験ですが)困窮した生活では生きていく為に勉強どころではなかった。
書を読めば。第三者の意見知識が入ってきて、物事を客観的にみる事が出来るようになる。 

話はちょっとずれますが、その当時の人は、教養の不足が無い反面「バイタリティー」は物凄いものがあったが、知識が無い為に法に触れる事も考えずに行動する人が多かったので、会社を設立してワンマン社長になる人が多かった。(人の意見を聞かずにね)一方今の子達は教養が豊富になった反面「法に縛られて」自分の成長の芽を摘んでしまう傾向にあります。

どっちもどっちだ!、それが社会だと言ってしまえばそれまでだけど、秩序ある、人間同士は和気あいあいと生活出来るのは教養を持っている方が勝るね。 と言う訳で、今からでも書を読もう。決して遅くはありません。

一生勉強です。

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