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(増補版)717E2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(紀元前6550万年~紀元前1万年)

2022-01-14 16:19:41 | 日記
題:(増補版)717E2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(紀元前6550万年~紀元前1万年)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
...(悲惨な戦争を無くせないのでしょうか?)
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 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なものにする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆様の、そして、
  人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切なこと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆大きな解決を図(はか)ろうとすればするほど、原理原則に立ち戻らなけ
  ればならない。
 ☆正しい事実の認識があってこそ寛容が生まれ、捏造される認識の元では寛
  容は生まれない。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・だからこそ、正し
  いことを言って正しい関係を作らなければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはならない・・正しいこと
  を教えてあげねばならない。
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解することにつとめなければ
  ならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならない・・民の選択を受
  けない独裁の指導者たち・・民主化が達成できない独裁国=中国・・
 ☆力による現状変更をしている中国の九段線否定の国連決議をするべき・・
  また、国民の信託を受けていない政権は正式な政権ではない・・
  (参考)信託:しんたく、信用して任せること。「国民の信託による政治」
 ☆中国の利することばかりする公明党を与党の座から降ろそう・・与党席を
  剥奪し、止めさせよう・・この度も国土交通省の大臣職を欲しがって、そ
  の大臣の席に座り、今までの様に中国に利することをする予定・・「証拠
  がない」と言って中国を庇(かば)ったなど中国に利することばかりして
  いる・・
 ☆NHKは国や民を守る大事さを放送しない放送局・・
  国民の命や暮らしを護る大切さを放送せよ・・
  愛する人たちを守る話を放送しない親中放送局=NHK
  ハワイまでの第3列島線の中華圏を主張する中国になびくNHK・・
 ☆第二次世界大戦はアメリカが始めた戦争
   日本の連合艦隊が到着する前に、日本の潜水艦をアメリカが攻撃したこ
  とから始まった(潜水艦は足が遅いので先に出発してハワイに来て待機し
  ていた、その日本の潜水艦をアメリカは攻撃した・・これが開戦・・アメ
  リカが先に手を出していた・・NHKはこの事実を隠す。
 ☆1264年、モンゴルの元に襲われてアイヌが日本に逃げて来た・・『北の元
  寇』と言われる元に追われたアイヌの日本への逃亡移住・・当然、日本の
  先住民ではない・・しかし、アイヌを先住民と書く法律が日本にはある、
  当然、正しい法律にしなければならない・・
   また、当然、これ以前のアイヌの遺跡は無い。あるのは縄文遺跡だけ・・
  その縄文遺跡が、北海道で壊されている・・ウポポイのアイヌ記念館の下
  にも縄文遺跡があり埋められて見られない状態にされている・・
 ☆国連が独裁者になろうとしている・・国連がある指針と称するものを与え
  て国際的な絶対的指針としているが、普遍的なものではない・・また、国
  連はロビー活動に弱い、その少数者の意見を国際的な意見としている・・
 ☆世界の若者たちよ!、世界や国連の不正に対してインターネットなどで正
  義の声を上げよう!
 ☆声を上げ続けることで社会は変えられる。
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  (今日の言葉)
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  題:十万年も前に、アフリカに生まれた人類が、アフリカを出て五万年前にアジアに到達し、
   そして、日本に渡って来た日本人の祖先の方たち。
    その長い長い歴史の中を、アフリカからの人類のうねりの様に日本列島を南の沖縄から
   北海道そして北方四島をそのうねりで往き来した。
    その中で交雑が繰り返されたその長い長い歴史は、ADからの2000年間を短い期間だね
   と言う様にその歴史は長い長い歴史だった。
    しかし、この長い長い歴史の中で作られた日本人の歴史を笑うかの様に、本当は北の
   元寇でわずか600年前に追われて日本に逃げて来たアイヌの人たちが先住民だという法律
   ができた。
    何の根拠もないアイヌの人たちを先住民だとする法律、この無根拠で間違った法律は
   正さなければならない。
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紀元前1億3500万年~紀元前6500万年、中生代、白亜紀、新白亜紀、哺乳類
 の先祖が現れた。
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紀元前6550万年、生物が大量絶滅した(白亜紀末)
  この頃、恐竜が絶滅し、アンモナイトも絶滅した。
  隕石の落下による環境の激変を原因とする説が有力と考えられている。
  そして、この頃、霊長類が出現した。
  → KーT境界、チクシュルーブ・クレーター
.
紀元前6500万年~紀元前150万年、新生代第三紀(クジラ、鳥類、食肉類、
 サル、ヒト、ウマ、ゾウ、有袋類)・・古い順に暁新生、始新生、漸新
 生、中新生、鮮新生という。
.
紀元前6500万年、衛星衝突の影響から生き残れたグルガトリウス(猿の仲
 間)は、果物や昆虫を食べていた。
  これが猿の先祖であり、遠い人類の先祖である・・
  恐竜の絶滅以後、熱帯雨林が繁殖していた・・
  猿もこの森の中に居た・・
  森は、豊富な果物に恵まれていた・・豊かな安全な森の中で猿は種類
 を増やした・・人類の先祖につながる猿もこの森で生まれた。
  キリスト教は、突然、アダムと言う男が現れて来るが、あたかも飛び
 出してくるが如く、キリスト教の神が創ったと言っている・・
  そして、そのアダムの体の一部の骨(あばら骨)でイブと言う女性を
 キリスト教の神が創ったと言っている・・まったく男の従属物のように
 女性を考え、あつかうキリスト教であるが、男尊女卑的に女性は作り出
 された・・当然、この様な話はあり得ない・・
  男に従属して創られたというキリスト教の女性像は、キリスト教の底
 流に大きく流れている・・『女性蔑視観念』をゴリゴリに持つキリスト
 教・・この基本的考え方は、キリスト教が世界に与える悪影響の基本に
 存在する・・
.
紀元前5600万年、日本列島:始新世(5,600万年前~3,400万年前)の頃か
 らその原型が形成された。
  中新世(2,300万年前~530万年前)に、日本海が形成され、ユーラシ
 ア大陸と分離した・・
  (中新世になると今度は、日本列島が大陸から引き裂かれる地殻変動
 が発生し、大陸に低地が出来始めた)
  2100万年前~1100万年前には、さらに断裂は大きくなり、西南日本は、
 対馬南西部付近を中心に時計回りに40度~50度回転した・・
  同時に、東北日本は、北海道知床半島沖付近を中心に、こちらは反時
 計回りに40度~50度回転したとされる。
  これによって今の日本列島の関東以北は南北に、中部以西は東西に延
 びる形になった・・いわゆる「観音開きモデル説」・・
  そして、およそ1500万年前には、日本海となる大きな窪みが形成され、
 海が侵入して来て、現在の日本海の大きさまで拡大した。
  1600万年前~1100万年前までは、西南日本(今の中部地方以西)のか
 なり広い範囲は陸地であった。
  東北日本(今の東北地方)は、広く海に覆われ、多島海の状況であっ
 た・・
  その後、東北日本は、太平洋プレートなどによる東西からの圧縮によ
 り隆起して陸地となり、現在の奥羽山脈・出羽丘陵が形成されるにいた
 った。
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紀元前5500万年頃、この頃に現れたアダピス類が、初期の霊長類と考えら
れている。
  これより前の約7000万年前に、北米に出現したプレシアダピス類のプ
ルガトリウスを最古とする考え方もある。
  霊長目で、ビタミンC合成能力が失われたのは、約6300万年前であり、
 直鼻猿亜目(合成能力なし)と曲鼻猿亜目(合成能力あり)の分岐が起
 こったのと、ほぼ同時である。
  ビタミンC合成能力を失った直鼻猿亜目には、メガネザル下目や真猿
 下目(サル、類人猿、ヒト)を含んでいる。
  ビタミンC合成能力を有する曲鼻猿亜目には、マダガスカルに生息す
 るキツネザルなどが含まれる。
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紀元前4500万年、インド亜大陸が北上を続け、ユーラシア大陸に衝突し、
 ヒマラヤ山脈を形成した。
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紀元前3000万年、2色型色覚(赤緑色盲)に退化した哺乳類のうち、霊長
 目狭鼻下目が、3色型色覚を再獲得した。
  ビタミンCを豊富に含む色鮮やかな果実等の獲得と生存に有利だった。
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紀元前2800万年~紀元前2400万年、狭鼻下目のヒト上科(テナガザル、オ
 ランウータン、チンパンジー、ゴリラ、ヒトの共通祖先)が、オナガザ
 ル上科から分岐した・・
  同時に、ヒト上科で、尿酸を分解する尿酸オキシダーゼ活性が消失し
 た・・尿酸が、直鼻猿亜目で、合成能が失われたビタミンCの抗酸化物
 質としての部分的な代用となった。
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紀元前2600万年、アフリカ大地溝帯の形成
  化石人骨が多数発見される「グレートリフト・バレー」と呼ばれる幅
 30㎞~60㎞の細長い窪地の列を「アフリカ大地溝帯」呼ぶ・・
  この「アフリカ大地溝帯」は、亀裂の縁と底の高低差が1000メートル
 にも達し・・この大陥没滞は、南北6,400㎞にも達している。
  アフリカの約660%は、標高500メートル以上の大地で、「アフリカ・
 プレート」と呼ばれる。
  この大地溝帯のアフリカ東部の台地の「裂け目」は、紀元前2600万年
 前からその形成が始まった。
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紀元前2500万年、最古の類人猿と思われる化石・・?
  アフリカのケニヤで発見された。
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紀元前2000万年~紀元前1600万年、ヒト科とテナガザル科が分岐した。
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紀元前1900万年、大陸(ユーラシアプレート)の縁(へり)の地溝帯に、海
 が侵入して、海底の拡大が始まり、200万年~300万年の間に日本海が出
 来上がった(1450万年前)
.
紀元前1800万年、ルシンガ島で、人類の先祖につながる猿の手掛かりが発
 見された。
  1800万年前の骨で、人類につながる猿の骨だった・・
  プロコンスルと呼ばれた猿で、指が長く、木をしっかり掴んでいた・・
 歯にも特徴があった・・現在、奥歯の奥がふくらんでいる(臼歯)のは
 類人猿と人間だけである・・この猿は、1日のほとんどを木の上に住んで
 いた。
.
紀元前1800万年、400万年前に現代人は生まれたが、この時、プロポンスル
 は4本足で歩いていた・・
  1800万年前~400万年前の間の空白の時間が謎であった・・
  森にその謎を解くヒントがあった・・森には豊富な食料があった・・
  1800万年前のプロホンスルは、豊富な果物を食べていただろう・・そ
 の子孫が、アフリカにいるチンパンジーである・・遺伝子が人間に一番
 近く、人間の先祖もチンパンジーと同じような生活をしていた。
  ニューヨーク州立大学は、チンパンジーを歩かせ、筋肉の使われ方を
 研究している・・その結果、二本足歩行で中殿筋が一番使われる事が分
 かった・・中殿筋は、バランスをとって歩くには大切な筋肉で、普通の
 動作時には、この筋肉は使われていない・・
  しかし、木の幹を登る時には、盛んに中殿筋は使われる事が分かった・・
 幹をよじ登る時の後ろ足が、体を持ち上げる動作や二本足で歩く動作の
 練習となっていたのである・・
  木から木へ移る時は手でぶら下がる、これも背筋が伸び、歩く動作に
 必要な背骨を真っ直ぐにする練習となっていた・・森の木の上のプロポ
 ンスル、その子孫で次第に大型になったものもあった・・それが、人類
 とチンパンジーとの共通の先祖であった。
  では、人類とチンパンジーを分けた出来事とは何か?
.
紀元前1500万年、日本列島が今の位置に来た。
  日本列島が今の位置にやって来たのは1500万年前・・
  その形は現在と同様ではなかった・・気温や海面の変化、氷河の拡大・
 縮小などに起因するダイナミックな変動を繰り返しながら、現在の日本
 列島の姿へとなった。
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紀元前1400万年頃、ヒト科が、ヒト亜科とオランウータン亜科に分岐した
 と推定されている。
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紀元前1300万年、この頃からヨーロッパ、南アジア、東アジアなどユーラ
 シア各地にも類人猿の化石が現れた。
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紀元前1000万年頃、ヒト亜科が、ヒト族とゴリラ族に分岐したと推定され
 ている。
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紀元前1000万年~紀元前500万年、アフリカで大地溝帯(グレート・リフト・
 バレー)の形成が始まる・・人類誕生に大きな影響を与えたとする説。
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紀元前700万年、初期猿人がアフリカに出現した。
  二足歩行をした・・そして、猿人へと進化して行く。
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紀元前700万年~紀元前600万年、現在最古の人類化石は、中央アフリカ発
 見のサヘラントロプス・チャデンシスとされている・・2002年に報告さ
 れた。
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紀元前600万年頃~紀元前400万年前、琵琶湖が形成された。
  琵琶湖は、世界に現存する湖の中では3番目に古い湖と考えられている。
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紀元前500万年、アフリカで人類の先祖が生まれた。
  最初の人類は、猿と同じ能力しか持っていなかった・・
  草原に出た人類は、脳を大きくして行った・・そして、アジア、ヨー
 ロッパ、オセアニアに広がって行った。
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紀元前500万年、アウストラロピテクスが発見された
  化石人骨の発掘によって最古の人類の祖先が、アフリカのエチオピア
 のタンザニアで発見された・・
  「アウストラロピテクス(ラテン語で南の猿の意味)」で背骨、骨盤、
 下肢などの形態から、直立二足歩行をしていたことが明らかで・・、人
 類最古の祖先と見なされている。
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紀元前500万年、人類とチンパンジーを分けた出来事とは何か?
  国立遺伝子学研究所の宝来博士は、遺伝子を調べている・・人類とチ
 ンパンジーは、490万年前頃に分岐した(誤差は20万年)・・
  500万年前に分かれたと考えても良い・・アフリカを襲った大異変があ
 った・・地下変動である・・火山は火を噴いた・・アフリカ大陸の下の
 マントルが地表を100メートルも押し上げた・・
  隆起させられた地表は、広大なアフリカ大陸の森の中を南北に走り、
 山脈を形成し、大陸を東西に分けた・・
  その東西を分断した山脈は、東西の行き来を出来なくした・・
  東側の土地は乾燥し、西側の土地には雨が降った・・
  東側は草原となって行った・・そして、森林は消えて行った・・木の
 上に居た人類とチンパンジーの共通の先祖は草原の生活を強いられた・・
 それが『人類への進化』をもたらした・・
  東側の地域で化石が発見された・・それはラハール猿人と呼ばれた。
  発掘された骨と同じ土壌の花粉を分析し、猿人の住んでいた環境を調
 べてみた・・
  草原の植物であるイネ科の植物が発見された・・
  ラハール猿人は、草原に住んでいたことが証明された・・森は次第に
 消えて行き、草原が開けて行った・・ラハール猿人は木から降り、だん
 だん地上で生活するようになって行った・・
  豊かな森は消え、ラハール猿人は、小さな森から森へと草原を歩いて
 渡って行った・・住み慣れた森から森へ渡るときには、二本足で歩く歩
 行現象が起こった。
  現在のチンパンジーは、西側の大陸の木のある森で生活し、そのまま
 現在まで進化してきた・・
  二本足で歩く機能を持ちながら、それを発達させなかった・・草原が
 無ければ、東側も二本足で歩くことが起こらなかったかもしれない・・
 森は楽園であったが、その森が無くなった事が二本足で歩くきっかけを
 作った。
  現在の人類は、二本足で歩いているが、猿の特徴をまだいっぱい持っ
 ている・・
  草原は新しい環境であった・・ラハール猿人は、だんだんその環境に
 適応していった・・
  草原は、森と違って危険がいっぱいあった・・肉食動物であるヒョウ
 は、木の上に獲物を引っ張り上げた・・そのヒョウの食べ残しがある洞
 窟の中で、ラハール猿人の化石は発見された・・
  当時の人類も、ヒョウの餌食になっていたという事である。
.
紀元前500万年、人の祖先が、チンパンジーとの共通祖先から分岐した。
  因みに、現時点で、人とチンパンジーとはDNAで、98.5%が一致し
ている・・
  また、この時以降、東アフリカの大地溝帯で、十数種類のヒト科の化
 石人類が次々と出現した。
  「キリスト教の神が、その都度、創造した?」という「キリスト教の
 神の食い違いの間違い話」は言っても始まらない・・
 (参考)化石人類:化石として発見される古い人類・・具体的には、約
    400万年前~1万年前までの更新世以前の人類のこと。
     次のように4つの進化段階に分けられている。
   (1) 猿人:パラントロプスを含んだアウストラロピテクス類のこと・・
    およそ400万年前~100万年前、不完全ながら二足歩行をして、礫
    石器を使用していた。
     礫石器:れきせっき、礫の周囲を簡単に打ち欠いた石器。
   (2) 原人:ピテカントロプス、北京原人などホモ・エレクトスをさ
    す・・およそ、150万年前~20万年前、完全に直立二足歩行し、
    握斧を作った・・火を使用したと思われる。
   (3) 旧人:ネアンデルタール人などのことで、およそ、20万年前~
    5万年前、おもに剥片石器を使用した。
     剥片石器:はくへんせっき、石材の外面を次々に打剥した剥片
    をそのまま、あるいは整形加工を加え、鋭利な側縁を刃器として
    用いた石器。
   (4) 新人:現生人類と同類である。
     石刃を多目的に加工して使用した。
     (参考)石刃:せきじん、円錐状石刃核の打面を周縁に沿って
        打撃し、側面から次々に打剥された剥片石器。
     約3万5000年前、更新世の最終寒冷期(いわゆるビュルム氷期)
    以降に生存したとみられるため、化石現生人類とも称せられる。
     上記の人類は、いずれも現生人類の先祖であるとの可能性が考
    えられている。
     今後、残存DNAなどにより、系統が明らかになる可能性があ
    る。
     尚、上記の二つの段階の中間に位置する化石も存在する。
     また、人類に近縁な化石類人猿として古くからドリオピテクス
    類があげられているが、今日では、ヒトとは、若干、道を異にし
    たゴリラやチンパンジーなど、現生類人猿の祖先とみられている。
  また、因みに、現代人の祖先であるホモ・サピエンスは、その前に発
 生したネアンデルタール人と交雑していることが、最近、科学的に立証
 された。
  ネアンデルタール人のDNAの2%を、現代人の我々ホモ・サピエン
 スは持っている。
  両者の遺伝子差異は、他の動物種ならば、当然、別種と認定されるレ
 ベルで、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは混血できなかったと
 する考え方が有力だった。
  しかし、ここ約10年の化石人類の発見ラッシュと遺伝学的研究の発展
 によって、この定説は大きく書き換えられた。
  2010年、ネアンデルタール人のゲノムが解読された。
  そして、あらゆる地域の染色体6万個とネアンデルタール人のハプロタ
 イプを比較したところ、サハラ以南アフリカの地域以外の世界中の人々
 の遺伝子に、ネアンデルタール人のDNA配列が存在することが分かっ
 た。
  アフリカ人を除く全ての現生人類は、ネアンデルタール人の遺伝子を
 平均で2%持っていた。
  ネアンデルタール人は、2万数千年前に絶滅したヒト属の一種。
  体格はがっしりしており、脳容量も現生人類より大きく、男性の平均
 が1600cm3あった。
  (現代人男性の平均は1450cm3)。
  ヨーロッパに分布し、肌は白く、髪は金髪もしくは赤かったとされる。
.
紀元前500万年、日本に不完全ながらも弧状列島の形が出来上がりつつあっ
 たのは、今からおよそ500万年前。
  その頃は、まだユーラシア大陸と陸続きであった。
  その後、火山の噴火による地殻変動があり、氷期と間氷期が交互に繰
 り返す氷河時代には地形の変化が起こった。
.
紀元前500万年、伊豆・小笠原孤の高まり隆起が付加して丹沢山塊などを作
 った。
.
紀元前440万年、「人類最古の化石発見、エチオピア、440万年前の猿人」
 と報道がされた(朝日新聞、H6/9/22)
  エチオピアで、日本・アメリカ・エチオピアなどの研究者による共同
 調査の成果・・新種の猿人で、名前をアウストラロピテクス・ラミダス
 (ラミダス猿人)と名付けられた・・この発見で、人類の歴史は、従来、
 考えられて来た事より、少なくとも数十万年はさかのぼることになる・・
 猿人から、人類の祖先が進化したという過程の新たな化石が見つかった
 という事は、人類の起源と進化を探る大きな手掛かりとなりそうだ・・
 化石が見つかったのは、アウシュ川中流のアラミス地域。
  発掘と調査は、東京大学の諏訪元講師たちのグループが進めた・・化
 石は、あごや腕の骨など計17点・・数キロに渡って、鮮新世(約530万年
 前~約160万年前)の地層から発見された・・年代測定の結果、約440万
 年前のものと分かり、これまで見つかっているものの中で、最も古い人
 類のアファール猿人の化石より、更に、50万年~100万年近く古い・・化
 石には、猿人と類人猿との中間的な要素が多くみられる・・だが、犬歯
 や頭骨底部の構造などに猿人の特徴が強く表れており、猿人の一種で人
 類の祖先にあたると判断された・・名前のラミダスは現地語の「根(ル
 ーツ)」を意味する・・腕や歯の特徴から、森林に近い環境で生活して
 いたと考えられるが、足の骨などが見つかっておらず、どんな行動をし
 ていたかまでは明らかではない。
 これまでの化石で見つかった最古の人類は、エチオピアやタンザニア
 から発掘されたアファール猿人(アウストラロピテクス・アファレンシ
 ス)だ。
.
300万年前~400万年前頃に居たと考えられ、これを祖先としてアフリカヌ
 ス猿人やエチオピクス猿人などにつながったとみられる。
 人類の起源は、最近の遺伝子や化石の形態的な研究から500万年前頃と
 の見方が強まっていたが、アファール猿人以前の人類の祖先を知る具体
 的な証拠はなかった。
  今回、見つかったラミダス猿人は、正に、このアファール猿人と人類
 の起源とのギャップを埋める「ミッシングリンク(失われた環)」だ。
  500万年前からのわずか100万年ほどの間に、類人猿から猿人へ、二足
 歩行への移行を含む大きな変化があったかどうか、疑問視する見方もあ
 る。
 しかし、今回の化石は、中間的な特徴をかなり備えており、急速な進
 化を裏付けているようだ。
 「ヒトとサルとの分岐点が、500万年前ごろだったと考える上では有力
 な知見になる」という。
 「これが人類の第1号とは思わないが、見つかった最古の人類化石とい
 うだけで大きな意味がある」と、人類学者の間の評価は高い。
.
紀元前400万年、人類登場。アウストラロピテクス(猿人・エンジン)、現
 在、認められている最初の人類。身長:約125センチメートル、脳の大き
 さ:約450立方センチ。
 前かがみだが二本足で歩く。~160万年前。前記の朝日新聞の報道の通
 り、人類の歴史はさかのぼった。
.
紀元前370万年~紀元前100万年、アウストラロピテクス(猿人)
  最初の人類とされる。
  一定の道具を使用した。
.
紀元前350万年、アフリカ大陸で人類が生まれた。
  人間の足跡の350万年前の化石がある。
  立って歩くという事は人間だけの特徴である。
 人は森にすむ猿から発達した。ある時、二本足で立った。
  ホモサピエンスと呼ばれる人間。
  人間の特徴は、言葉を話す、家族を持っている、などだが、二本で立
 って歩くのは最大の特徴である。
  恐竜の仲間のティラノサウルスも二本で立って歩くが、背骨をまっす
 ぐにしていない。
  また、前後を天秤の様にバランスを取って歩いている。
  人間の歩き方は非常な特徴がある。バランスを取って歩いている最大
 の特徴であり、いつから歩いたかが最大の謎であった。
.
紀元前340万年~紀元前390万年、これまで見つかっている最も古い人類の
 先祖=アファール猿人が生息した。
.
紀元前318万年、ルシーの死因
  「ルーシー」の愛称で知られる約318万年前の猿人の死因は、「木から
 落ちたためだった」とする研究成果を、アメリカのテキサス大学などの
 チームが発表した。
  地上の生活が増え、木登りの能力が落ちた可能性があるという。
  論文が、29日、イギリス科学誌ネイチャーに掲載された。
  ルーシーは、1974年に、エチオピアで骨が見つかった猿人の女性。
  地上と樹上の両方で暮らした初期人類で、それ以前の猿人より二足歩
 行に適応していたと考えられている。
  チームは、骨をコンピューター断層撮影法(CT)で分析。
  腕や足首などの折れ方から、12メートル以上の高さから落ちて骨折し
 た可能性があることが分かった。
  骨折が治った後がなく、チームは木から落ちた直後に命を落としたと
 推定した(読売新聞、2016・8・31)
.
紀元前300万年~紀元前400万年、最古の人類であるエチオピアやタンザニ
 アから発掘されたアファール猿人(アウストラロピテクス・アファレン
 シス)・・これを先祖としてアフリカヌス猿人やエチオピクス猿人など
 につながったとみられる。
.
紀元前260万年~紀元前250万年、世界最古の石器
  ヒト属(ホモ属)によるものは、エチオピアはアファール盆地のゴナ
  (Gona) にある化石人類遺跡で発見された『オルドワン型礫石器群』(
 新生代新第三紀鮮新世後期)
  ホモ・ハビリスによるものと推定される。
  『磨製石器の最古のものは日本の岩宿遺跡』・・日本の群馬県みどり
 市笠懸町にある岩宿遺跡(いわじゅくいせき)で出土したもの、人の手
 によって磨きがかけられた石器としては、これが「世界最古」の石器で
 ある。
.
紀元前260万年、世界最古の石器
  ヒト属(ホモ属)によるものは、エチオピアのアファール盆地のゴナ
 にある化石人類遺跡で発見されたオルドワン型礫石器群。
  約260万~約250万年前(新生代新第三紀鮮新世後期)、ホモ・ハビリ
 スによるものと推定されている。
  (参考)オルドワン石器:堅いハンマーで打撃を加えて製作された剥
     片やチョッピング・ツールを特徴とする石器文化。
      製作は、250万年前に始まり、アフリカやアジアの各地で2万
     年前まで続く。
      アフリカの大地溝帯(オルドヴァイ峡谷など)で遺跡ととも
     に最古の石器が発見される。
      これらの石器は、礫を打ち欠いて制作した簡単な礫器や剥片
     からなり、解体された動物骨とともに見つかる。
      ホモ属(ホモ・ハビリス、ホモ・エレクトスなど)はもとよ
     り、アウストラロピテクス猿人などにより製作された可能性が
     ある。
  また、これ以前には、加工しない自然石の使用もあったと予想される・・
 この場合、無石器時代と呼ぶ時代も予想される。
  因みに、我々ホモ・サピエンスの出現は、紀元前20万年である。
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紀元前250万年~紀元前280万年、南アフリカの洞窟から、新種の人類の化
 石が発見された。
  手足が人類のように進化している一方で、脳や肩などには原始的な特
 徴が残っている。
  研究者は、「約250万年~280万年前に生きた人類の可能性がある」と
 推定しており、猿人(アウストラロピテクス)から原人〈ホモ)へと進
 化する移行期の人類とみられる。
  そして、『ホモ・レディ』と名付けた。
  また、化石は、15本以上が特定の場所に集中した状態で見つかり、「
 葬られていた可能性がある」と指摘している(読売新聞、2015・9・11)
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紀元前250万年、「250万年前の人類、道具使い肉食」猿人から、現代人な
 ど「ホモ属」の人類につながる進化の道筋で、これまでの空白域を埋め
 る約250万年前の新種猿人の化石を、日本・アメリカ・エチオピアの研究
 チームがエチオピアで見つけた。
  23日付の米科学誌サイエンスに発表した(朝日新聞、H11/4/23)
  一緒に見つかった石器などから、道具を使って肉食をした最古の人類
 とみられている。
  化石が見つかったのは、アディスアベバから約250キロ北東の乾燥地帯。
  東京大学の諏訪元助教授や、米カリフォルニア大学バークリー校のテ
 ィム・ホワイト教授らのチームが、1996年~1998年12月にかけて調査と
 発掘をした・・6人分の頭部や腕、足の骨が得られ、年代測定で約250万
 年前のものと分かった・・一部の頭骨と歯の大きさから新種の猿人と判
 定し、現地語の「驚き」を意味するアウストラロピテクス・ガルヒと名
 付けられた・・腕の長さは、過去に見つかった猿人に近いが、脚の長さ
 は現代人に近かった・・また、同じ地層から見つかった石器や馬などの
 骨の状態から、この猿人は、石器を使ってこれらの動物の肉をそいだり、
 骨髄を取るなどしたりしていたらしいと分かった・・研究グループは、
 道具を使って肉食する種としては最古とみられるとしている・・これま
 で道具を使って肉食をした例としては、約200万年前に居たホモ・ハビリ
 スが最も古いとされていた・・諏訪さんは、「肉食になって栄養状態も
 良くなり、その後の脳の発達につながった可能性もある」としている・・
 アフリカでは、様々な猿人の化石が見つかっているが、300万年前~400
 万年前に居たと見られえるアファール猿人以降に、ホモ・ハビリスなど、
 ホモ属への枝分かれが始まったとみられている・・その途中をつなぐも
 のとしては、200万年~300万年前に居たとされるアフリカヌス猿人が候
 補だったが、はっきりした証拠はなかった・・今回の化石は、頭骨や歯
 の形などがアフリカヌス猿人とは異なり、アファール猿人の特徴を残し
 ていた・・諏訪さんは、「今回の化石は、アファール猿人とホモ属とを
 つなぎ、現代人の祖先となり得ることが分かった」と話して居る・・馬
 場国立科学博物館人類研究部長の話:「猿人からホモ属へ進化する道筋
 としては、これまでアフリカヌス猿人から進化したのか、そうでないの
 かがあいまいだったが、今回の化石でアフリカヌスを経由しないで進化
 していたことが、かなりはっきりしてきた。我々の祖先に直接つながる
 道筋が明らかになったことは、非常に意義深い」。
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紀元前250万年頃~紀元前180万年、この頃、石器の使用がはじまった。
  エレクトス原人が出現する(250万年前)。
  丹沢山地の大爆発(約250万年前)面積1万1750km2、降下火山灰のみの
 体積は2.8km3を超え、火山爆発指数VEIは5。
  オルドヴァイ文化、オルドワン石器
  (参考)オルドヴァイ文化:東アフリカのタンザニア北部にあり、リ
     ーキーらが調査したオルドバイ遺跡を標式とする世界最古の旧
     石器文化。
      その担い手は、アウストラロピテクスで、この文化は東アフ
     リカに始まり、中央アフリカを除くアフリカ全土、および、西
     アジアにひろがる。
      主体となる石器は、円礫、もしくは、角礫の一端を打ち欠い
     て刃をつけ、ものをたたき切ったりつぶしたりするのに用いた
     チョッパーであるが、その他、肉を切ったりものを削ったりす
     るスクレーパーをはじめ、数種類の石器があり、すでに用途に
     よって形態が分化していた。
  (参考)円礫:えんれき、岩石の破片のうち、大きさが2mm以上のもの
     を礫といい、川原の玉石のような丸いものを円礫、砂利道の砂
     利のような角張ったものを角礫という。
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紀元前200万年頃、フィリピン海プレートに乗って移動してきた伊豆半島が、
 北アメリカプレートに衝突し、富士山や箱根などの噴火の引き金になっ
 た。
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紀元前200万年、氷河期に入った(~紀元前8000年)
  地球には、定期的に氷期(=氷河期)がやって来た。
  200万年前~1万年前(紀元前8000年)までを「氷河時代」と言う。
  そして、その後の紀元前8000年~現代を「後氷期」と言う。
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紀元前200万年、アフリカに、200万年前と思われる頃のホモ・ハビリスか
 ら、アウストラロピテクス群、ジンジャントロプスを経て、50万年前の
 アトラントロプスに至る化石人類が存在する。
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紀元前200万年、現代人の祖先のホモ・ハビリスが生息した。
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紀元前200万年、人類の先祖が南アフリカの草原に出現する。
  (山極寿一・京都大学学長、人類学、霊長類学)は、
  「人類の祖先は森を出たことで、貴重な食物を持ち運び、仲間と共に
 食べる様になった。
  近年の研究では、人類が社会の発達させた根本要因として「食物の共
 有」が注目されており、「目の前にいない相手を思いやる共感の能力に
 基づく、最初に起こった人間らしい行動」。
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紀元前200万年~紀元前1万年、旧石器時代と言い、土器を作る知恵を持た
 ない石器だけの人類の時代。
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紀元前200万年、ロブストス猿人が居た・・脳の重さは500グラム。
  同じ地層から石器が発見された・・脳が小さな猿人に石器が出来たの
 か?・・手の構造が石器を作るのを可能にしたのではないか・・親指の
 骨が猿と違う・・親指と人差し指で物を持つことができた。
  アファール猿人の手は、チンパンジーと似ている。
  ロブストス猿人は、器用で石器が作れた。
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紀元前200万年~紀元前300万年、現代人の先祖のアフリカヌス猿人、絶滅
 したロブストス猿人やボイセイ猿人の祖先のエチオピクス猿人が生息し
 た。
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紀元前200万年、猿人:能容積500㏄、ゴリラもこの程度、
  木製の道具を使ったか?)から原人(能容積500㏄から1200㏄、石器
 を使うようになる)へ移り変わって行く・・そして、この原人がアフリ
 カから出ていく(180万年前)・・ジャワへ180万年前から160万年前に
 至る・・ジョージアへ170万年前に至る・・アジアへ160万年前から120万
 年前に至る・・ヨーロッパへ100万年前に至る・・
  そして、各地で人種が形成されていく・・
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紀元前180万年、原人は、アフリカを出て、欧州やアジアに進出した最初の
 人類・・石器や火を使用したと考えられている・・人類の進化は、猿人
 →原人→旧人→新人(現生人類)と大きく4段階に分けられる。
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紀元前180万年、グルジアのクラ川下流の下カルトリ地方ドゥマニスィ(ド
 マニシ)で発見された化石は、ユーラシア最古の原人として知られる。
  180万年前~150万年前に、アフリカの地を脱してユーラシア大陸の熱
 帯・温帯に拡散したらしい。
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紀元前160万年、人類の先祖は、草原の生活で洗練された歩きをした。
  160万年前のホモエレクトス・・画期的な進化・・言葉が話せる脳の
 進化である・・まっすぐ立つことによって、喉の奥に空間が出来、複雑
 な音が出せるようになったからだった・・
  脳の拡大は、足や手が発達した後に与えられた・・木から降りて、猿
 と違って、二本の足で歩った・・アファール猿人から400万年が経ってい
 た・・人類は、またたく間に、地球の隅々に広がって行った。
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紀元前160万年、人類の先祖が、この頃、草原の生活で洗練された歩き方を
 始めた・・160万年前のホモエレクトスだった・・画期的な進化が現れた
 のだった・・垂直に立つことによって脳は進化し、重く、大きく・・言
 葉の話せる脳への進化だった・・情報伝達力の向上であった。
 アファール猿人の場合は、喉の奥が広くなく、まだ、音の種類は狭か
 った・・が・・まっすぐ立つことによって、喉の奥に空間が出来て、複
 雑な音が出せるようになった・・
  この脳は、足や手が発達した後に与えられたものだった・・
  木から降りて、猿と違って、二本の足で立って歩く生活になって・・
 貴方の祖先も・・ここから・・アダムとイブもここから・・キリスト教
 のアダムとイブの話の前に、これが無いと始まりません・・そうでなけ
 ればいけません・・その様な進化があったのでした・・
  『進化する力を持つ人間』が存在していた・・思考を固定化しては、
 発展はありません・・キリスト教は、この最初から間違っていた・・
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紀元前100万年、デニソワ人
  2010年3月25日付のイギリスの科学雑誌『ネイチャー』に、マックス・
 プランク進化人類学研究所の研究チームは、発見された骨のミトコンド
 リアDNAの解析結果から、「デニソワ人」は、100万年ほど前に現生人
 類から分岐した未知の新系統の人類と発表した。
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紀元前100万年~紀元前200万年、絶滅した猿人の祖先のロブストス猿人や
 ボイセイ猿人が生息した。
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紀元前100万年、現代人の祖先のホモ・エレクトス(原人)が生息した。
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紀元前80万4000年、「ネアンデルタール人」と「デニソワ人」の祖先が分
 岐した。
  2008年、ロシア西シベリア・アルタイ山脈のデニソワ洞窟で子どもの
 骨の断片が発見された。
  2010年12月23日、マックス・プランク進化人類学研究所などの国際研
 究チームは、『ネイチャー』に論文を掲載した・・その内容は・・、
  見つかった骨の一部は、5歳~7歳の少女の小指の骨であり、細胞核D
 NAの解析の結果、デニソワ人はネアンデルタール人と近縁なグループ
 で・・80万4000年前に、現生人類であるホモ・サピエンスとの共通祖先
 からネアンデルタール人・デニソワ人の祖先が分岐し、64万年前にネア
 ンデルタール人から分岐した人類であることが推定された。
  デニソワ洞窟は、ネアンデルタール人化石発見地のうち最も近いイラ
 ク北部シャニダール遺跡から、約4000kmの距離を隔てている。
  メラネシア人のゲノムの4%~6%がデニソワ人固有のものと一致する
 ことから、現在のメラネシア人にデニソワ人の遺伝情報の一部が伝えら
 れている可能性が高いことが判明した。
  また、中国南部の住人の遺伝子構造の約1%が、デニソワ人由来という
 研究発表も、スウェーデンのウプサラ大学の研究チームより出されてい
 る・・ネアンデルタール人と分岐した年数も、35万年ほど前との説もあ
 る・・ジョージ・ワシントン大学の古人類学者のブライアン・リッチモ
 ンドは、デニソワ洞窟で見つかった巨大臼歯からデニソワ人は体格はネ
 アンデルタール人と同じか、それよりも大きいとみている。
  概略のところは、40万年前~30万年前にアフリカを出て、中東を経て、
 ヨーロッパに拡がった集団がネアンデルタール人に・・中東を経て、ア
 ジア内陸部に移動した集団がデニソワ人になった。
  それに遅れて、6万年前~5万年前に、アフリカを出た我々現生人類(
 ホモ・サピエンス)の祖先は、まず、中東でネアンデルタール人と交わ
 り、さらに、アジア内陸部でも先住者のデニソワ人と交雑し、世界中に
 拡がって現在に至ったという推定もある。
  ネアンデルタール人やデニソワ人は、その後、絶滅してしまったが、
 アフリカ土着のネグロイドを除く現在の現生人類遺伝子のうち数%は、
 ネアンデルタール人由来である。
  中東での現生人類祖先とネアンデルタール人との交雑を示す研究成果
 は、2010年5月に発表されているが、2010年12月に、アジア内陸部におけ
 るデニソワ人とも現生人類祖先は交雑したとする研究結果が出たことか
 ら、この結果が正しければ、過去には異種の人類祖先同士の交雑・共存
 は「通常のことだった可能性が出てきた」。
  (この例の様に、我々の祖先は、広い交雑域の中に、長い長い年月に
 居た・・アイヌと琉球は別民族というキリスト教系大学の独断は、まっ
 たくの科学性のない主観的見解である)
  なお、アジア内陸部で、デニソワ人と交雑した現生人類祖先は、その
 後、長い期間をかけてメラネシアなどに南下していったと考えられてい
 る。
  また、中国方面に移住したグループは漢民族となり、高地に移住した
 グループはチベット人の「別民族となった」。
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紀元前70万年、ジャワ原人:まっすぐ立って歩く。身長:約150センチメー
 トル、脳の大きさ:約900立方センチ。~紀元前50万年まで。
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紀元前70万年、ペキン原人:石器や火を使っていた・・家族で生活をして
 いた。身長:約150センチメートル、脳の大きさ:約1000立方センチ。
 ~紀元前20万年まで。
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紀元前55万年、日本列島を形成する要素の一つの堆積が始まる。
  日本列島形成の一例・・55万年前から、55万年かかって南海トラフの
 堆積層が作られて来た・・この堆積層が、プレートテクトニクスによっ
 て列島を作っていく。
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紀元前50万年、伊豆半島の衝突が始まる。
  その力で、本州に褶曲山脈が作られた・・伊豆半島は、巨大な海底台
 地となる・・伊豆・小笠原弧の高まりは、次々に本州に衝突して来た。
  海洋プレートの水分の作用で温められマントルが熔け、火山の列を作
 った・・火山の列は、海溝に並行して作られた・・また、地震の震源が、
 海溝に並行して分布し、プレートの沈み込みによって歪が溜まる。
.
紀元前約50万年前、北京原人
  中国北京郊外、周口店の石灰岩洞穴から発見された化石人類。
  更新世中期、50万~20万年前の生息と推定されている・・原始的な石
 器を用い、火を使った・・ホモエレクトゥス‐ペキネンシス
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紀元前50万年、アフリカに50万年前のアトラントロプスに至る化石人類が
 存在する。
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紀元前45万年~紀元前1万年、台湾沖の海底から原人の化石が見つかった・・
 台湾と台湾西方沖にある澎湖諸島とには挟まれた海域・・下あごと歯は
 大きく進化の初期の特徴をとどめている・・既知の原人とは別の集団と
 見られている・・教科書を塗り替える発見という・・国立科学博物館な
 どの国際チームが発表予定(読売新聞、2015・1・28)
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紀元前約40万年前、マンモスは、北東シベリアで誕生したとされている。
  別の説は、最古のマンモスが、約500万年前~400万年前、北アフリカ
 において生まれたと考えられている・・
  また、別の説は、マンモスゾウの化石は、これまでおもに、ユーラシ
 ア北部から北アメリカ北部にかけての約11万5000年前から1万年前にかけ
 ての地層から発見されている。
  しかし、2001年に、東シベリア海東部のウランゲリ島で発掘されたマ
 ンモスゾウの化石は、7000年から4000年前のものだった・・もっとも新
 しい発見。
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紀元前40万年、ネアンデルタール人がアフリカを出た。
  40万年前~30万年前に、アフリカを出て、中東を経て、ヨーロッパに
 拡がった集団・ネアンデルタール人に・・、中東を経てアジア内陸部に
 移動した集団がデニソワ人になった。
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紀元前40万年、ネアンデルタール人は、約40万年前に出現し、2万数千年前
 に絶滅したとみられるヒト属の一種・・ただし、新しい学説では、以前
 の学説よりも約1万年早く4万年前に絶滅していたと新しい化石年代は示
 しているとする・・そのネアンデルタール人は、花を敷いて葬送したと
 いう・・また、身体的に欠陥のある人(手の悪い人)を丁重に葬ったと
 いう遺跡があるという。
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紀元前35万年、ナウマン象が、日本列島に現れた。
  日本列島の旧石器時代は、日本列島へ人類が移住して来た時に始まり、
 その終りは1万6000年前である・・最終氷期の時に、大陸と繋がった北海
 道だけはマンモス動物群が宗谷陸峡を渡って来ることが出来た・・ナウ
 マン象は、約35万年前に日本列島に現れ、約1万7000年前に絶滅した。
  長野県野尻湖遺跡の約4万年前の地層からナウマン象の骨製品がまと
 まって発見された。
  12万年前の島根県出雲市多岐町砂原にある砂原遺跡は、中期旧石器時
 代の遺跡である。
  岩手県遠野市の金取遺跡(9〜8万年前)から中期旧石器が発見されて
 いる。
  そして、約4万年前の後期旧石器時代早期より黒曜石の採掘が続けられ
 た栃木県高原山黒曜石原産地遺跡群では知的で効率的な作業の痕跡も確
 認されている。
  日本の旧石器時代の調査・研究が始まるきっかけを作った相沢忠洋氏
 の岩宿での旧石器が発見され・・それ以降、日本列島の全域で4000ヶ所
 を超える遺跡が確認されている・・そして・・これらの遺跡のほとんど
 が約3万年前から1.2万年前の後期旧石器時代となる。
  日本列島の後期旧石器時代は、3.5万年前に始まり、縄文時代へ移行す
 る1.5万年前までの「2万年間続いた」。
  遺跡は、樺太から沖縄まで約1万ヶ所以上が確認された・・また、青森
 県外ヶ浜町大平山元遺跡出土の土器に付着した炭化物のAMS法放射性
 炭素年代測定暦年較正年代法で、1万6500年前と出た。
  北海道の何万年も続く旧石器時代・・そして、それに続く1万年以上の
 縄文時代と弥生時代に生きた本当の日本の先住民・・日本の本当の祖先
 たちは、この様な長い年月を北海道の地にも居た。
  その北海道の生活の痕跡は、本州奥羽地方などより、逆に濃いのだと
 古代史研究家の歴史学者(東大教授)は言う。
  わずかな年数・・最近の七百年前に、北海道に来たアイヌが日本の先
 住民であるはずがない。
  日本の政治家は、圧力に屈して「アイヌが先住民」という法律を作っ
 てしまったが、これは間違い・・この科学的に間違った法律は改正すべ
 きである・・また、圧力をかけた者は、「間違いを認めて、謝罪を表明
 すべきである」・・また、この者たちへ数々の名目で渡した金は「その
 返済を求めるべきである」・・その返還訴訟もすべきである。
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紀元前35万年、日本列島にナウマン象が現れる(~1万7000年前に絶滅)
  ナウマン象は、約35万年前に日本列島に現れ、約1万7000年前に絶滅し
 た。
  日本列島には、幾度となく北、西、南の陸峡(間宮・宗谷・津軽・対
 馬海峡)を通って、色々な動物が渡って来たと考えられている・・さら
 に、それらの動物群を追って旧石器人が渡って来た・・最終氷期に大陸
 と繋がった北海道だけは、マンモス動物群が宗谷陸橋を渡ってくること
 が出来たので、それらの混合相となった。
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紀元前23万年頃、ネアンデルタール人が出現した。
  この頃、温暖期のピーク。
  この後、緩やかに寒冷化へと向かい、14万年前頃に氷期のピークとな
 った。
  別の説は、約25万〜3万年前に、欧州と西アジアに住んでいた。
  また、別の説は、第三間氷期およびビュルム氷期第一期、年代として
 は15万年前~3万5000年前に生存していたと考えられている。
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紀元前20万年頃~紀元前19万年、ホモ・サピエンス(現在のヒト)が出現
 した。
  別の説は、ヒト属とチンパンジーの共通祖先が分岐したのは・・およ
 そ200万年前~1000万年前・・、ホモ・サピエンスとホモ・エレクトスの
 共通祖先が分岐したのは・・およそ20万年前~180万年前と見られている。
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紀元前20万年、人類の起源のホモ・サピエンスが、アフリカに登場した。
  人類はアフリカに誕生したあと、数回にわたってアフリカからユーラ
 シア大陸へと移動した・・しかし、現在のように地球の広い範囲に拡散
 移動したのはホモ・サピエンスの登場以降のことである。
  現代に生きる人類の起源を遺伝学的に研究すると、20万年前ごろにア
 フリカにいた人類集団の一つにその起源をたどれる
  ホモ・サピエンスが全地球的な拡散をはじめたのは、今から5万年前頃
 であった。
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紀元前20万年~10万年前、人類がアフリカに誕生した。
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紀元前20万年頃~紀元前19万年、ホモ・サピエンス(現在のヒト)が出現
 した。
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紀元前20万年、現在の人間と同じ形質を持ったホモ・サピエンス(新人)
 が出現した・・このホモ・サピエンスは、二度の氷期を乗り越えた・・
 「リス氷期」「リス・ビュルム間氷期」「ビュルム氷期」を経て現在に
 至った。
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紀元前20万年、現生人類が生まれた。
  この時の世界人口は・・と言ってもアフリカだけに居たのであるが、
 5000人程度と言われている・・そして、生涯出 産数は4.4程度で、生後
 1年間に4分の1近くが死亡しただろうと推定されている・・平均寿命は20
 歳ちょっとぐらいとされている。
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紀元前20万年、旧人(能容積1500㏄、現代人とほぼ同じ容積)から新人(
 ホモ・サピエンス)へ・・
  この新人(ホモ・サピエンス)がアフリカから出ていく・・ホモ・サ
 ピエンスの化石はアフリカか中東からしか出土しない・・その他の地域
 から、ホモ・サピエンスの化石が出て来るのは紀元前5万年前くらいの年
 代からとなる・・
  ヨーロッパからの化石の出土も紀元前4万年くらい前からとなる・・南
 アジア・東アジア・オーストラリアも、どんなに古くても紀元前4万年く
 らい前からの化石の出土となる。
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紀元前15万年頃、マンモスがヨーロッパに現れた。
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紀元前15万年、日本は大陸とつながっていた。
  この頃のリス氷期末期、日本は樺太ともつながり、また、朝鮮半島や
 中国とも繋がっていた。
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紀元前15万年~紀元前7万年、対馬海峡ができる。
  対馬と朝鮮半島の間の対馬海峡ができた。
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紀元前14万年頃、氷期(リス氷期)のピーク。
  この後、急速に温暖化へと向かった。
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紀元前13万年頃~紀元前12万年、温暖期のピーク。
  現在よりも温暖であったと考えられている。
  この後、急速に寒冷化し、約11万年前頃から緩やかに上下を繰り返し
 ながら徐々に氷期へと向かった。
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紀元前12万5千年頃、初期のヒト属による火の利用
  日常的に、広範囲にわたって、火が使われるようになったことを示す
 証拠が、約12万5千年前の遺跡から見つかっている。
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紀元前12万年、日本の旧石器時代の始まり・・
  日本に人類が移住して来た時が始まり、旧石器時代は無土器時代、先
 土器時代、先縄文時代ともいう・・日本列島での人類の足跡は、12年前
 (島根県出雲市多伎町砂原、砂原遺跡)がある。
  因みに、日本人の祖先たちは、舟に乗って海上をかなり自由に往来し
 た・・それは、伊豆諸島や神津島産の黒曜石が、関東地方の後期旧石器
 時代の遺跡から発見されている事からも分かる・・また、特筆できるこ
 とは、磨製石器の世界最古のものが日本列島で製作されていて、かなり
 独自の文化が形成されていたと言える・・その年代は4万年前~3万年前。
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紀元前12万年、島根県出雲市の砂原遺跡(約12万年前)の前期旧石器など
 の遺物が発見されている。
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紀元前12万年前、島根県出雲市の砂原遺跡
  砂原遺跡の前期旧石器などの遺物が発見されている。
.
紀元前12万年、デニソワ人の旧人が日本列島に居た。
  現生人類(ホモ・サピエンス)は7〜6万年前にアフリカを出発し、そ
 れ以前にはアフリカ外には分布していなかった。
  従って、日本列島最古の石器(砂原遺跡の12万年前)を遺したのはデ
 ニソワ人などの旧人である・・日本列島に現生人類(ホモ・サピエンス)
 が現れるのは4〜3.5万年前と考えられており、これは日本固有のハプロ
 グループD1b (Y染色体)の起源年代とおおむね一致する。
  (参考)デニソワ人:ロシア・アルタイ地方のデニソワ洞窟(ロシア、
     中国、モンゴルの国境に近い地域)に約4万1千年前に住んでい
     たとされるヒト属の個体および同種のヒト属の人類である。
      デニソワ洞窟は、アルタイ地方の中心都市バルナウルから約
     150km南方に位置する・・Homo sapiensの亜種とされることが多
     い・・ネアンデルタール人と並んで、我々現生人類であるホモ・
     サピエンス・サピエンスに最も近い化石人類である。
      また、現生人類の一部(メラネシア人など)と遺伝子情報を
     部分的に共有する可能性が高いとしている。
      マックス・プランク進化人類学研究所の研究チームは、発見
     された骨のミトコンドリアDNAの解析結果から、デニソワ人
     は100万年ほど前に現生人類から分岐した未知の新系統の人類と
     発表した。
.
紀元前12万年、ナウマンゾウが本州から津軽海峡を渡って北海道へ行った。
  紀元前1万3000年になると、最後の氷期は終了した。
  この氷期には、海水面が80~140mも下がっていて、津軽海峡や宗谷海
 峡がなくなっていて大陸と地続きとなっていた。
  幕別町忠類村(ちゅうるいむら)で見つかったナウマンゾウの全身化
 石は、12万年前のものだった。
  このゾウは、本州から津軽海峡を渡って北海道へ行った・・
  また、その様なゾウを食糧としようと本州から人々が渡って行った。
  4万5千年前から2万年前頃になると、サハリンを通って大陸から渡っ
 てきたマンモスゾウがいた。
  マンモスゾウを追って、北海道に北方の人々が渡って来た。
  また、渡ることが出来る津軽海峡で、北海道と本州の人の行き来がな
 されていた。
  日本人の先住民である縄文文化の人びとの暮らしが、北海道各地に残
 された遺跡から知ることができる。
  北海道では、旧石器文化、縄文文化など約1万2,000ヶ所の遺跡が確認
 されている。
  そのうちの約7,000ヶ所という多くの遺跡が、縄文時代の遺跡となっ
 ている。
  日本の各地を、沖縄から北海道まで、アフリカからの人類のうねりの
 様に、日本の先住民たちは移動し、そして、交雑した。
  縄文文化の遺跡から、住居や「ムラ」の跡、土器や石器などの道具が
 たくさん見つかっている。
  墓地や水場、狩りの跡なども見つかる。
  また、北海道では、多くの「貝塚」も見つかっている。
  伊達市北黄金貝塚からは、ハマグリ、カキ、ホタテなどの貝がらだけ
 でなく、マグロやヒラメの骨、オットセイやクジラなど海獣の骨、さら
 に、縄文文化の人びとのお墓やシカの頭の骨をならべた儀式の跡なども
 見つかっている・・この人たちはアイヌの人々とは違う。
  釧路市にある東釧路貝塚からも、貝類や魚の骨のほか、イルカの頭骨
 を放射状に並べたものが出土している。
  縄文文化の人びとは、すべてのものや事象に魂があると考えていた。
  「貝塚」は、人びとが使い終わったものを、恵みをもたらしてくれる
 世界へ送る場だったと想像もできる。
  函館市大船遺跡や垣ノ島遺跡で見つかった「盛土(もりど)」遺構も、
 同じような祭祀や儀礼の場であったと想像され推定されている。
  このような「送り場」は、縄文文化の人びとの精神文化を伝えてくれ
 ていると推定されている。
  北海道北東部には、約7,000年前に「石刃鏃(せきじんぞく)」とい
 う独特な鏃(やじり)が伝わった。
  これはシベリアなど大陸の影響を受けたものと想像されている。
  また、北海道の西南部と津軽海峡を挟んだ北東北は、縄文時代前・中
 期に同じ特徴の円筒状の土器を使うなど、共通の文化圏を持ち、つなが
 りがあった。
  このことからも津軽海峡を挟む18ヶ所の縄文遺跡群は、現在、世界遺
 産登録を目指している。
  北海道からは、北黄金貝塚、入江・高砂貝塚、鷲ノ木遺跡、大船遺跡、
 キウス周堤墓群、垣ノ島遺跡の6ヶ所が入っている。
  (北海道博物館 赤れんがサテライトを参考にした)
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紀元前11万年、気候が冷涼になった。
  約11万年前には気候が涼しくなり始めた。
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紀元前10万年頃、マンモスは、ヨーロッパから北アメリカ大陸にまで生息
 分布を広げた。
  マンモスは、寒冷な草原での生活に適応していた。
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紀元前10万年頃、現代人(ホモ・サピエンス)が、アフリカを出て、世界
 各地に拡がった。
  日本列島での人類の足跡は、9〜8万年前(岩手県遠野市金取遺跡・中
 期旧石器)に遡(さかのぼ)る。
  現生人類(ホモ・サピエンス)は7〜6万年前にアフリカを出発した(
 別説)
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紀元前10万年頃、現代人(ホモ・サピエンス)が、アフリカを出て、世界
 各地に拡がった(アフリカ単一起源説を裏付けるもの)
  7万年前との説(後述)もある。
  ミトコンドリアDNAの分析では、現代人の共通祖先の分岐年代は14万
 3000年前±1万8000年である。
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紀元前10万年、現代人が生まれた。生命の発生を1月1日とすると人類の誕
 生は12月31日午後11時47分である。
  その時から、脳の大きさは変わってないと言われている。
  新しい進化を人類はしている。
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紀元前10万年、ネアンデルタール人が生きた。
  石を叩いたり、削ったりして、尖らせて石槍や石斧を作った。
  火も使って、肉を焼いて食べた。
  身長:約170センチメートル、脳の大きさ:約1400立方センチ。~紀元
 前3万5000年まで。
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紀元前9万年~紀元前8万年、日本列島での人類の足跡は、9〜8万年前(岩
 手県遠野市金取遺跡・中期旧石器)に遡(さかのぼ)る。
  この時代に属する遺跡は、日本列島全体で数千ヵ所と推定されている。
  地質学的には氷河時代と言われる第四紀の更新世の終末から完新世初
 頭までである。
  (参考)更新世:こうしんせい、地質時代の区分の一つで、約258万年
     前から約1万年前までの期間。
      大陸の形は現在とほとんど変わらないが、氷期・間氷期の氷
     床の拡大・縮小による海水準変動に伴って、海岸線の位置が移
     動した。
      更新世の後期では海水準にして百数十メートルの変動があっ
     た。
      海水準が低下した時期は、現在浅い海である海域の多くが陸
     地となっている。
  また、日本列島は、氷床によって大陸と陸続きだった。
  完全に渤海は氷床に埋まり、また、黄海も完全に氷床に埋まり、東シ
 ナ海も北半分は氷床に埋まっていた。
  また、対馬海峡も氷床で埋まり、台湾も大陸と氷床で埋まり地続きだ
 った。
  人類は容易にこの氷床上を歩いて日本に渡って来れた。
  また、樺太と大陸は地続きで、樺太から北海道、本州、四国、九州は、
 氷床があり歩いて渡れる状態にあった。
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紀元前9万年、9万年前、阿蘇山が大爆発した。20Kmのカルデラが出来た。
  溶岩流が山口県まで達した。
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紀元前8万1000年、地球温暖化に伴う海面の急速な上昇が起こっていた。
  国際研究グループが、気候変動に伴う氷床の拡大、縮小は、今まで考
 えられていたよりも急速に起きる可能性があると発表した。
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紀元前7万5000年頃、世界最古の装身具の貝殻ビーズ
  南アフリカ共和国の都市ケープタウンの300km東に所在する『ブロン
 ボス洞窟遺跡』にある約7万5000年前の地層から、大きさが完璧に揃っ
 ている上に、例外なく開口部の反対側の同一箇所に孔が開いている巻貝
 の貝殻が60個あまり発見された。
  孔は、ビーズ飾りを作るための、紐の通し孔であったと考えられてい
 る。
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紀元前7万3000年頃、スマトラ島のトバ

(字数制限のため、中略します。全文は、是非、かきのブログを御覧ください)
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紀元前1万年、全能で唯一の神、そして、正しい神が思い立ち始める。
  これは、キリスト教の聖書に、この様に書かれている。
  「初めに、神は天地を創造された」と。
  始めたのだと・・。
  だから、故に、キリスト教の聖書に書かれている事だから間違いない
 こと。
  しかし、ここでよく見て戴きたい、考えて戴きたい、思っていただき
 たい。
  そのキリスト教の神以外の存在が居られ、キリスト教の神がこの様な
 事が出来る状態を設(しつら)えて居られたという事を・・
  キリスト教の神が作ろうとする空間と時間を設(しつら)え、キリス
 ト教の神が作ろうとする状況のしつらえをして戴いていたという事を・・
  キリスト教の神は、その『ある存在』によって創造ができた、そして、
 始められた、そして、始める事が出来た。
  キリスト教の神は、この『ある存在』には気づかれなかった、気付く
 ことが出来なかった・・故に、そのことは聖書に記されていない・・気
 付かない範囲の聖書となっている・・気付けない範囲の聖書となってい
 る・・そこまでの認識が不充分の中にあるキリスト教となっている・・
 故に、だから、間違いも数多く侵すことになった・・
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紀元前1万年、キリスト教の聖書の系図を計算すると約10000年になる。
  キリスト教は、故に、だから、世の始まりとするその時は1万年前とな
 っている。
  現代科学はビックバンが始まりとしているが、BC(紀元前)の100億
 年以上も以前である。
  キリスト教はこの現代科学のビックバンに乗っかった・・そうだ、そ
 れだと・・
  キリスト教の神が創造した時はと言っているが、前記のようになって
 いる聖書の記述とは、まったく矛盾している。
  また、キリスト教にはノアの方舟の話がある・・この話も、シッチャ
 カメッチャカである・・ノアの方舟のキリスト教の話は、『科学的に、
 完全に成立していない』・・大洪水の水か引いて、ノアの方舟は、アラ
 ラト山の頂上に、その舟が着いていたという・・アララト山は、標高が
 5,137メートルある・・これは海抜である。
  『地球上の全表面が水に満たされ、標高5,137メートルのアララト山も
 水没するという大洪水になったのだ』とキリスト教は言うが・・??
  地球上の全表面積を覆う水があったという・・陸地がまったくないと
 言うこの水・・『アララト山の頂上も隠れるという水』が、『雨が長く
 降ったから』と、その根拠をキリスト教は言うが・・説明になっていな
 い・・その様に、キリスト教が言ったって、ちょっとした日数・・一日
 にどのくらいの雨が降ったのだと言うのだ。
  全地球上の水位が、海抜が、1日に100メートル以上も上がるという雨
 が降る訳ない・・その水はどこから供給されると言うのだ・・
  1時間に4000ミリ(4メートル)以上の降水量など、あり得ないもあ
 り得ない・・日本の降水量は、1年間1000ミリである・・日本の4年間分
 の雨が1時間で降るという話になる・・もう笑い話だ、あり得ない・・
 4,000ミリの降水量と言ったら4メートル、こんな雨が1時間に降る訳が
 ない・・年単位ではないのと聞き返したいくらい・・その位の雨が降ら
 ないと、雨量がないと、キリスト教の聖書の日数では、アララト山が隠
 れるくらいの海抜の『水面の上昇』がないのだ・・
  そしてまた、その空の水はどこから供給されたの?・・とキリスト教
 に問いたい・・非科学的な話に『沸いている』キリスト教である・・キ
 リスト教は、長い歴史、「この話に、花を咲かせて来た」・・馬鹿馬鹿
 しい限りである・・ノアの方舟が本当かどうかを調査団を組織して、行
 ったという・・お金がもったいないということだ・・そして、その事を、
 キリスト教に偏するNHKが放送した。
  その様なくだらない外国の映像を買っているNHKである。
  そして、放送までしている。
  そして、くだらない言いがかり的な事で『本当だった。本当だ』とい
 う結論をNHKは放送した。
  視聴者の大切な受信料の無駄遣いである。
  キリスト教は、「ノアの方舟」が起こり得ないと心では思っているの
 で、その様な気持ちがあるから、この様な調査をしたり、必死に「大洪
 水はあった」「あった」とプロパガンダ(嘘宣伝)しているのだ・・そ
 の位の科学知識はあるだろう。
  そして言う、英国人探検家が、古代シュメールの都・ウルで発掘して
 たら、紀元前2000年期の洪水跡を発見したと、これは、ノアの方舟の頃
 だと言う・・その様な話なら、日本においても、紀元前2000年頃の地層
 を掘れば、洪水の堆積層はあるだろう・・だから、全地球がノアの方舟
 の洪水だった、日本でも見つかったなどと言わないでください。
  キリスト教は飽きずに言い続ける。
  イラクのバクダッド近くのキシという所でも発見されたと。
  「ウルクでも云々」
  「シュルパク云々」・・など。
  ノアの方舟の史実は一杯あると言いたいのだろう。
  チグリス・ユーフラテス川は、毎年のように洪水を起こしていたと言
 える。
  キリスト教徒は、この例の様な、この類いの話などで、マインド・コ
 ントロールされている。
  元々、この地方は洪水が頻繁に起きる地方だという知識があれば、『
 一笑に付す』ことができるのだが。
  また、このノアの方舟の話は色々ある。
  古代とは、この様な時代なのだ。
  例えば、主人公ウト・ナピシュテムは、エア神の命に従って方舟を作
 るという話もある。
  話の展開が、ノアの方舟とまったく同じ。
  雨の降る日数が違うくらい。
  そして、山の名が違うくらい。
  何しろ、キリスト教は、架空の話とはっきりしている事でも、マイン
 ド・コントロールで真実にする事をするという宗教。
  アララト山の頂上が見えない大洪水が起きる訳がない。
  しかも、その大洪水は、全地球的に起きたという。
  嘘付き宗教です。
  当然、信じるに足る宗教ではありません。
  ただ、人は大勢何だかんだと殺されました。
  「卑怯な宗教め」と言いたい。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
.
  https://hanachan28.exblog.jp/
または
  http://kitaguni29.sapolog.com/
または
  http://stff2010.blog29.fc2.com/
または
  https://32983602.at.webry.info/


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