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(増補版)630E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年10月~1895年11月)

2019-01-26 03:30:49 | 日記
題:(増補版)630E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年10月~1895年11月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
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  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
.
1895年10月31日、清国政府の、講和条約に基づく、第1次
 軍事賠償金の振込分5000万両を日本が受領した。
  日本は受け取りをポンドで、ロンドンで受け取ること
 を提起した。
  条約は銀であったが、銀で受け取ると日本へ輸送しな
 ければならなかった。
  清国にその輸送の失費が生じる。
  また、銀価は傾向的に下落状況にあった。
  また、為替相場への影響を避けたいとの意思も働いた。
  そこで、当時、一番、国際通貨で強力だったポンドに
 したのだった。
  それと、日本の貿易も増える傾向があり、その支払い
 に便利であった。
  貿易の決済に於いて、ロンドンは国際金融の中心であ
 った。
  この様な事もあり、日英の結びつきも高まって行く。
.
1895年10月31日、帝国京都博物館(明治古都館)(旧称:
 本館)が完成した。
  設計、片山東熊、
  煉瓦造平屋建て、フレンチ・ルネサンス様式
  1892年6月、建築工事に着工。
  1895年10月、完成。
  1897年5月、開館、諸準備が整い、開館した。
  当初、3階建てで計画されたが、1891年に発生した濃尾
 地震でレンガ造2階建ての建物が多く倒壊した。
  このことを踏まえ、平屋建てに変更した。
  経緯・・
  1888年、宮内省に臨時全国宝物取調局(局長:九鬼隆
   一)が設置され・・、
    日本各地の社寺等の文化財(当時の用語では「宝
   物」)の調査が行われた。
    その結果、京都・奈良には、特に、文化財が集中
   しており、それらを収蔵保管する施設の整備が急務
   とされた。
    こうして当時の日本政府は、京都と奈良に国立の
   博物館を設置することとした。
  1889年5月、宮内大臣通達により、「帝国京都博物館」
   と「帝国奈良博物館」の官制が定められた。
    京都国立博物館の前身である帝国京都博物館が機
   関として発足したのはこの時だった。
    初代の館長は、森本後凋(こうちょう)。
    この人の在任中は、博物館開館以前の準備期間で
   あり、実質的な初代館長は・・
  1894年2月に就任した山高信離(のぶあきら)だった。
  1890年、帝国京都博物館の建設地が東山七条の現在地
   に定められる。
    この土地は、方広寺(大仏)旧境内にあたり、こ
   の当時、東半が民有地、西半は七条御料地(旧:恭
   明宮)であった。
    恭明宮とは、明治初年の神仏分離後、それまで御
   所の御黒戸に安置されていた仏像や歴代天皇陛下の
   御位牌を安置していた施設(1870年設置、1876年廃
   止)。
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1895年11月3日、奈良鉄道の伏見駅~桃山駅間が開通した。
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1895年11月4日、日本鉄道土浦線の土浦駅~友部駅間が開通
 した。
.
1895年11月5日、西洋音楽家で、幸田露伴の妹の幸田延(こ
 うだのぶ)が、留学から帰国した。
  1870年3月19日~1946年6月14日、バイオリニスト、ピ
 アニスト、東京音楽学校教授。
  文部省音楽取調掛(東京音楽学校の前身)卒業後、母校
 に奉職した。
  1870年3月19日、東京下谷に生まれる。
  1880年(10歳)10歳の時に、文部省音楽取調掛に勤務
   していたお雇い外国人メーソンに音楽の才能を見出
   された。
    その個人指導でピアノや洋楽を学んだ。
  1885年(15歳)音楽取調所(同掛から改称)を優秀な成
   績で卒業した後、同所研究科に在籍する傍ら同校助
   手となり、弱冠15歳で教える立場となった。
  1888年(18歳)ルドルフ・ディットリヒの薫陶を受け
   る。
  1889年(19歳)~1895年(25歳)ルドルフ・ディット
   リヒの推薦により、第1回文部省留学生としてボスト
   ンのニューイングランド音楽院へ・・
  1891年(21歳)さらに、ウィーン音楽院に留学する。
   バイオリン、ピアノ、そして、作曲を学ぶなど本格
   的な音楽教育を受ける。
  1892年(22歳)新しい時代を象徴する女性として期待
   と人気を集め、新聞紙上の「婦人音楽家の人気投票」
   で洋楽部門の第1位に輝いた。
  1895年(25歳)帰国、母校の助教授となる。
  1896年(26歳)帰朝披露演奏会では、メンデルスゾー
   ン「バイオリン協奏曲ホ短調」第一楽章の独奏や、
   シューベルト「死と乙女」の独唱などを行い、好評
   を博す。
    作曲や編曲でも才能を発揮し、帰朝早々にバッハ
   の「バイオリン・ソナタ」を弦楽合奏用に編曲した。
  1897年(27歳)日本人による最初の本格的な器楽曲で
   ある「バイオリン・ソナタ ニ短調」を作曲する。
  1898年(28歳)東大哲学科の教師であり、すぐれたピ
   アニストでもあったラファエル・フォン・ケーベル
   が東京音楽学校でピアノレッスンを行った際の通訳
   も務め、その後、ケーベルの教えを受けてピアノ教
   師に転向する。
    以来、「音楽教育界の大御所」「上野の女王」と
   呼ばれた。
    滝廉太郎、本居長世、久野久子、三浦環ら次代を
   担う多くの俊英を育てる・・とともに、皇族方の音
   楽指導にも当たるなど、明治音楽界における女性の
   第一人者として尊敬を集めた。
  1899年(29歳)教授に就任。
  1906年(36歳)従五位を授けられる。
  1909年(39歳)同校を退職。
  1909年(39歳)~1910年(40歳)欧米視察。
  1912年(42歳)自宅に審声会を開き、ピアノの個人教
   授を行う。
    東宮職御用掛となり皇族に音楽を教授する。
  1915年(45歳)日本の女性の手による初の交響曲「大
   礼奉祝曲」(混声四部合唱付)を作曲する。
    これは、大正天皇陛下の御即位を祝した曲だった。
  1916年(46歳)唯一の歌曲である神奈川県立高等女学
   校(現:神奈川県立横浜平沼高等学校)の校歌を作
   曲する(作詞は佐佐木信綱)
    この曲の冒頭は瀧廉太郎作曲の『荒城の月』と同
   じ音型であるが、早世した弟子の瀧へのオマージュ
   であるという。
   (参考)オマージュ:尊敬。敬意。芸術や文学にお
      いて、尊敬する作家や作品に影響を受けて、
      似たような作品を創作することを指す用語。
  1931年(61歳)楽壇生活50周年を記念した祝賀演奏会
   が開かれ、明治天皇陛下の御製を歌詞とした自作曲
   「あさみどり」が演奏された。
  1937年(67歳)音楽家として、また、女性としてはじ
   めて帝国芸術院会員となる。
    他の作品に「地久節の歌」などがある。
  1946年6月14日、逝去される。76歳
    生涯独身を通した。
  (追伸)幸田延:ヴァイオリンソナタ 第1番 変ホ長調/
      (Nobu Koda:Violin Sonata No.1 Es-major)
    https://www.youtube.com/watch?v=yryTmyT_0QA
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1895年11月6日、樺山台湾総督、各軍へ凱旋帰還命令を出す。
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1895年11月7日、関西鉄道の桑名駅~弥富駅間が開通し、草
 津駅~名古屋駅間が全通する。
.
1895年11月8日、ドイツ人物理学者のヴィルヘルム・レント
 ゲンが、エックス線を発見した(10月説あり)
  レントゲン線と呼ばれる
  エックス線(X-ray)は物理学では波長が1pm~10nm程
 度の電磁波のことを言い、放射線の一種。
  レントゲンは、放電管を用いて「陰極線」の研究をし
 ている時にX線を発見した。
  排気されたガラス管内に陰陽二本の金属電極を封入し、
 両極に電圧を加えると、空気中よりはるかに低い電圧で
 放電が起こった。
  そして、管内に蛍光が生じた。
  この現象は、17世紀中頃から分かっていた。
  多くの研究も行われていた。
  最初の実験を行ったのが、イギリスのホークスビー(
 1666頃~1713年)だと言われている。
  その後、1855年、ドイツのガイスラー(1814年~1875年)
 が高性能の水銀ポンプを開発し、真空度の高い放電管を
 作ることに成功する。
  さらに、1858年、ドイツのプリュッカー(1801年~1868
 年)が、この放電管を用いて、真空放電の実験をしてい
 て、陰極に向かい合った部分のガラスが緑色の蛍光を発
 して輝くことに気付いた。
  また、蛍光を発する場所が、磁石を使って移動できる
 ことも観察した。
  これらのことから、磁石によって影響を受けるある種
 の線が、陰極から発していると考えた。
  1876年、ドイツのゴルトシュタイン(1851年~1931年)
 が、この線を「陰極線」と命名し、その性質の研究に着
 手した。
  同じ頃、ヒットルフ(1823年~1931年)、 クルックス(
 1832年~1919年)など多くの科学者が、それぞれの放電管
 (ヒットルフ管、クルックス管と呼ばれる)を開発し、
 陰極線の正体を解明する研究をした。
  こうした流れの中、19世紀末の1895年、レントゲン(
 1845年~1923年)がX線が発見した。
  その後の1897年、トムソン(1856年~1940年)が、X線と
 陰極線の正体である「電子」を発見した。
  これを契機に、人類は、ミクロの世界の物理学に足を
 踏み入れた。
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  (今日の言葉)
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  題:今の様なNHKであるならば・・、
    日本中の人々のすべてが・・、
    一旦、NHK受信料を不払いして・・、
    そして、NHKを解体しなければならない。
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1895年、この年の日清戦争で清国が日本に敗れて以降、中
 国大陸をめぐる情勢は一変した。
  日本への賠償金を支払うため、清国政府は、ロシア帝
 国とフランスから借款し、その見返りとして露仏両国に
 清国内における様々な権益を付与した・・させられた。
  その様な羽目になったが、これがきっかけとなり、急
 速に列強諸国による中国分割が進み・・、
  (眠れる獅子の如くに言われていた清国の化けの皮が
 はがれたという状況だった・・その弱みに付け込む列強
 という状況だった)
  阿片戦争以来の清の「イギリス一国の植民地」(非公
 式帝国)状態が崩れた・・寄ってたかる状況となる。
  とりわけ、シベリア鉄道の満洲北部敷設権獲得に代表
 される『ロシア』の満洲や北中国への進出は激しかった。
  フランスも、フランス領ベトナムから進出して、雲南
 省、広西省、広東省、四川省など、南中国を勢力圏に収
 めて行った。
  そして、既に、利を得ていたイギリスに対して、北中
 国を勢力圏とするロシアと連携して、イギリスを挟撃し
 てくる恐れが生じていた。
  (ロシアとフランスは、1893年に露仏同盟を締結して
 いて、三国干渉に代表されるように中国分割においても
 貪欲に、密接に連携していた)
  これに対抗したイギリス・・イギリス首相第3代ソール
 ズベリー侯爵ロバート・ガスコイン=セシルは、清国の
 領土保全を訴えた。
  その様なことをして、イギリスは、ロシア・フランス
 の中国大陸におけるイギリスの権益の食い荒らしを防ご
 うとした。
  さらに、1896年3月、ドイツ帝国と連携して、露仏に先
 んじて、清政府に対日賠償金支払いのための新たな押し
 付け借款を与えることで、イギリス・ドイツの両国の清
 国内における権益を認めさせた。
  また、1896年1月、フランスと協定を締結して、イギリ
 ス・フランス両国とも、メコン川上流に軍隊を駐屯させ
 ず、四川省と雲南省を門戸開放することを約定した。
  これによってフランスの北上の食い込みに一定の歯止
 めをかけることに成功した・・列強の血眼な中国の食い
 放題状況だった。
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1945年8月18日、ソ連軍が千島列島へ侵略を開始した。
  占守島で日本軍交戦(21日、停戦令出る)。
.
1945年8月18日、占守島(しゅむしゅとう)の戦い(~1945年
 8月21日)
  日本の領土の千島列島の最北端の島の占守島・・
  この島で・・この日に、この日本の領土の占守島に、
 ソ連が、突然、攻めて来た。
  この防衛戦で、日本は勝利した。
  まったくおかしいのは、戦争はすでに終わっているの
 に、「ソ連が、不法に攻めて来た」ということであった。
  日本は、すでに、1945年8月14日に、「日本の降伏を連
 合国に伝えていた」・・、
  連合国も「これを了解していた」・・
  そして、「連合国と日本との戦闘行為は止まっていた」。
  ここが大事なのである・・『戦いは終了していたので
 ある』。
  ソ連は、その様な状況であるのに、突然、攻めて来た。
  2019年1月23日の読売新聞によると・・
  この度、安倍首相が、ロシアを訪問され、北方領土問
 題を含む平和条約交渉に臨んだ・・が、しかし・・
  ロシア(旧:ソ連)の言い分は・・、
  「日本側は北方領土について、1945年8月にポツダム宣
 言を日本が受諾したにもかかわらず、ソ連が日ソ中立条
 約を無視して、『不法占拠』したという立場をとる」と
 主張し、歴史認識が違うと言った。
  しかし、明らかに「戦争は終結していた」のだ。
  連合国は、戦闘行為を止めていたのだ。
  ただ、その連合国のソ連(現:ロシア)だけが、突然、
 不法に戦闘行為をしたのだ。
  日ソ中立条約も存在しているのにである・・
  既に、アメリカやイギリスの連合国は、「日本の降伏
 を了解し、戦闘行為を止めている」のだ。
  また、ロシア(旧:ソ連)の主張は・・、
  「ソ連が、第二次世界大戦の結果で領土を取ったのだ」
 と言った・・が・・これは、おかしい。
  そして、日本は、この『占守島の戦いで勝利している』
 のだ。
  戦いは占守島で日本が勝ったように(ソ連を敗かせた
 ように)日本はソ連との戦いに勝利しているのだ。
  しかし、「終戦だ」「戦いは終わったのだ」「日本は
 降伏したのだ」と、「日本とソ連が合意した」から日本
 は武器を置いたのだ。
  そして、日本とソ連は合意のもとで、日本は武器を引
 き渡し、ソ連は合意のもとでその武器を受け取り、「武
 器の引き渡し式は、両国の合意のもとで終わった」。
  つまり、この時点で、「日本とソ連は、戦争は終わっ
 たと合意していた」のだ。
  ソ連がこの事態を認めたから、この占守島の戦いに勝
 利した日本は武器を置き、双方がその事態の収拾を行な
 ったのだ。
  ソ連政府も、この事態の成り行きを受け入れた。
  この様な事があるのに、武器を置いている日本に対し、
 ソ連は、不法に、日本の領土の奪い取り行為をその他の
 島々で続けた・・日本領の北方四島まで続けた。
  そして、またまたソ連が卑劣なのは、この時、占守島
 でソ連に勝った日本の兵士たちを、シベリアに連れて行
 くという『不法な拉致行為』を行なった。
  そして、この勝利した多くの日本兵が、不埒な環境に
 置かれ、その多くの日本兵が死んだ・・殺されたと言っ
 ても良い。
  また、ソ連が、「戦争に勝ったから取った」と言うの
 なら、この日本が勝った占守島は日本の管理下に置かれ
 るべきだ。
  それ以外の、既に、武器を置いた日本兵の居る島々を
 盗ることは許されない。、
  また、韓国の徴用工の言い方をするならば・・拉致さ
 れて、不適切な環境下で働かせられて、シベリアで多く
 の日本人が死んだことを補償すべきだ・・
  韓国が言う様に、一人当たり1000万円の金をソ連(現:
 ロシア)は日本へ支払うべきだ。
  日本は、大金を、すでに、韓国に支払っている・・
  ただ、韓国政府が、しっかり対応をしていないから、
 日本がとやかく言われる状態となっている。
  ロシアは、この件で、何らの補償をしていない状況と
 なっていて、日本との何の決着もつけていない。
.
2004年9月、NHKの北九州放送局の経理職員が、印鑑の不
 正使用をして、NHKの銀行口座から約100万円を着服し
 た。
.
2004年9月、NHKエンタープライズアメリカに出向中の職
 員が、経費約370万円を着服した。
.
2004年9月、NHKの経理職員が、取引銀行通帳を改竄(か
 いざん)し、約300万円を着服した。
.
2004年9月、NHKの甲府放送局職員が、総額38万円相当の
 備品を窃盗した。
.
2004年9月、NHKの放送技術職員が、外部制作会社に約
 1240万円を架空請求させて、約1120万円を着服した。
.
2005年3月、NHKのシンガポール駐在の特派員2人が、経
 費の約795万円を着服した。
.
2005年4月、NHKの番組制作局ディレクターが、電車内で
 女子高校生を触り、強制わいせつ容疑で逮捕された。
  NHKは、「異常」と言えるほど犯罪が多い。
  考えられるその理由は、「給料がべらぼうに多いこと」
 そして、「働く時間が本当に少ないこと(自由な半拘束
 時間ばかりの勤務状態)」・・
  NHKに異常に犯罪が多いのは、「ここに原因がある」。
  金があって、時間がある・・という状態。
  NHKは、もっと「自らを律せよ!」・・
  放漫給料をお手盛り状態から正せ!
  余裕のあり過ぎる人員体制を正せ!
  NHKは、身を引き締める努力をせよ!
.
2016年2月11日、NHKのEテレで、偏向放送をしていた・・
  この様な放送ばかりするNHKである・・その1例を記
 せば・・、
  この日の午後2時14分などに現認・・高校講座、科学と
 人間生活、
  無意味に「神」「神」と連発し、「仏」とは絶対に言
 わない。
  また、現地も「神殿」なんて言わないのにNHKは、
 「神殿」「神殿」と神殿を連発して高校生を洗脳した。
  キリスト教に偏するNHKは、「キリスト教の神」と
 でも言いたいのだろう。
  NHKは、いつも仏教は、蔑視である。
  NHKは、学校放送をする資格なし、学校放送を止め
 よ!
.
2017年2月10日、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送
 人権委員会は・・、
  2014年7月27日に放送された番組『NHKスペシャル
 調査報告 STAP細胞 不正の深層』について・・、
  真実性・相当性の認められない疑惑の指摘と受け取ら
 れる編集になっており、申立人である小保方晴子氏の名
 誉を毀損し、人権を侵害したと認めた。
  そして、再発防止を勧告した。
  これに対し、NHKは、番組内容は客観的事実に留ま
 るとして人権侵害を否定した。
.
2017年4月3日、ニュースウオッチ9の放送で、日本の国旗を
 中国の国旗の真下に表示していたことが発覚した。
  常に、中国寄りの立場をとるNHKが、やっと取り上
 げられる状況となった。
  4月13日の参院内閣委員会で自民党の有村治子議員が、
 「NHKはどこの国の公共放送か」と述べて批判した。
  岸信夫外務副大臣は、独立国の国旗を上下に位置させ
 ることについて「下の国旗は下位、服従、敵への降参な
 どを意味し、外交儀礼上、適切ではなく、あってはなら
 ない」と答えた。
  NHK広報部は、産経新聞の取材に対し、「上空を飛
 行する中国機に対し、スクランブルをかける自衛隊機の
 イメージをわかりやすく示すため、両国の国旗と機体の
 画像を使って放送した。
  国の上下関係を示す意図はなかった」と屁理屈説明を
 した。
.
2018年12月22日、NHK:本来の役目を果たしていない・・
  芸人が、盛んに、NHKを「NHKさん」と「さん付
 け」で呼ぶ。
  この様に、NHKには、芸人にとって、「さん付け」
 で呼ばなければならない『NHK圧力』がある。
  NHK側から見れば、「NHK特権・NHK強権」が
 ある。
  それは、視聴者から得た「巨大な金の力・資金力」で
 ある。
  また、強力なNHK放送機構での日本全国への「NH
 K放送力」である。
  しかし、この様な、NHK本来から出た力ではない『
 虚構の力』である「見た目の力」に、NHKは謙虚に向
 き合っていない。
  NHKは、本来の役目を放棄して、この甘い言葉を許
 している。
  全国放送を実施している。
  芸人のごますり言葉に気分良くしている風である。
  本来のNHKの仕事である「正しい日本語の伝播とい
 う第一の大切な役目」を放棄している。
  当然、NHKが知っている・・NHKは、正しい日本
 語ではない「企業名やNHKに『さん付け』をするとい
 う話し方」に心地よく甘受している。
  このNHKへの「尊称付き呼び方に酔っている」。
  芸人に注意することすらしないNHKとなっている。
  この様な事例の多いNHKとなっているが、その一例・・
  2018年12月22日、午後23時00分~午後23時45分、NH
 K総合テレビ、番組名「時事ネタ王2018~ニュースVS
 芸人~」
  また、この他にも、NHKには、正しい日本語を話す
 事に鈍感になっている事例が多い・・例えば、盛んに
 「お」を付けるなどなど・・
.
2018年12月27日、日本を骨抜きにしようとする動きが盛ん・・
  【桜無門関】馬渕睦夫×水島総 第2回「日本解体!デ
 ィープステートによる日本のグローバル化、
  その尖兵としての霞ヶ関官僚」[桜H30/12/27]
 https://www.youtube.com/watch?v=tOqOn3ttvPg&t=65s
 ・ヨーロッパのグローバル化の次は日本をターゲットに
  することが決まっていた。
 ・ジャック・アタリ・・日本を移民国にすると2000年頃
  から決めていた。
 ・菅・二階ラインが進めている。
 ・入管法(移民法)改正問題がある。
 ・メディアと菅が一体となっている。
 ・ジャパン・ハンドラーズ・・ネオコン・・安倍おろし
  をしている・・
 ・自民党に、昔、居た保守が居なくなっている・・
 ・霞が関の官僚が、新自由主義のグローバル化を推し進
  めている・・アメリカのウォール街の代弁者となって
  いる・・財務省がその最大の組織・・
 ・緊縮財政論の嘘・・財務省の嘘・・
 ・財務省はズーット安倍首相の足を引っ張り、安倍おろ
  しをやって来た。
 ・日本の株主の半分は外国人・・この外国人株主を儲け
  させるために日本人は働いていることになっている・・
  外国人の安い労働力を入れて配当金受領が多く上がる
  ように仕向けている・・
 ・武田薬品は外国の会社化している・・実質的には外国
  会社だ・・会社トップは外国人・・7兆円の生きるか死
  ぬかの投資の賭けをしている・・
 ・日本人の名前で日本をコントロールしている・・日本
  がターゲットとなっている・・この様な事は「アラブ
  の春」でやられて来た・・それは失敗に終わっている
  ことは、今や明確化している・・
 ・入管法の改正はやるべきではない・・
 ・ピザ(査証)を引き締めよ・・中国や韓国のピザはゆ
  るゆる・・
 ・入国管理庁が格上げされる・・観光庁ができている・・
  失踪者が増えている・・この弊害が多発している・・
  年間に1億人が来るが、コントロールできるかが問題化
  する・・
 ・北海道のアイヌはほとんどアイヌの血ではない・・ま
  た、縄文の同じ遺伝子の人々なのだ・・しかし、アイ
  ヌを特別化し、特殊化してアイヌの自治権を与えよう
  とする動きとなっている・・これが中国と関係を持つ
  方向へ行くことが明確に予測されている・・
 ・警察権が入れない北海道のすすき野・・この様な日本
  の自治権が及ばない北海道となる・・
 ・すすき野は中国化と完全になっている・・
 ・自民党はチャイナマネーにまみれている・・菅・二階
  ラインだと皆が言っている・・(この様な日本の議員
  の情報・映像情報での中国への提供者がNHK)・・
  この様な事をする官僚が、今、自己増殖している・・
 ・人権擁護法案の怪しい法案が出て来る・・それに抵抗
  する議員は以前のように今は居ない・・
 ・日本の皇室を変えようとしている・・日本の国柄を変
  えようとしている・・日本の国家の形態を壊そうとし
  ている・・
 ・宮内庁はなるべき人ではなくてもなれるから、そして、
  入れるから、怪しい人が入りやすい・・この人たちが
  動かしている・・
 ・ヨーロッパのロイヤリファミリーと同じにしようとし
  ている・・また、国連が介入しようとしている・・介
  入できる理由が国連には無いが、国連は介入しようと
  している・・など・・
.
2019年1月15日、NHK:学校放送の資質に欠けるNHK・・
  NHKが、高校講座の学校放送で、必死に光エネルギ
 ーは循環しないと教えていた。
  これは間違い。
  光エネルギーの循環サイクルが大きいだけだ。
  循環しないと教えるのは間違い。
  そして、地球上で循環しているエネルギーも存在して
 いるのだ。
  この様な事もNHKは教えていない。
  キリスト教に偏するNHKは、何度も洗脳的にこの「
 循環しない」を「繰り返して」この事を言った。
  これは、キリスト教に偏するNHKが、キリスト教が
 嫌う仏教の「輪廻の循環を否定したい」からだった。
  だから、洗脳的なこの様なNHKの放送態度になった
 のだった。
  「天空の冷域との冷輻射の熱のやり取り」をNHKは
 「消えた」と教えた。
  これは間違い。
  アメリカの学校で進化論を否定する教育をしているが、
 このNHKの放送も「その類いとなっている」。
  アメリカの学校で進化論を認めたくない理由は、「キ
 リスト教の神が猿から人間を造るわけがない」という理
 由だった。
  だから、科学的に立証されているダーウィンの進化論
 を否定したのだった。
  NHKは、この様に宗教的に中立ではない。
  この結果、アメリカの様な「正しくない知識の教え方
 をする」。
  NHKは、学校放送に携わる資質に欠けている。
  NHKには、学校放送をさせないようにしなければな
 らない。
  2019年1月15日、午後2時40分~午後3時00分、NHKE
 テレビ、高校講座、「生物基礎」
.
2019年、日本を貶(おとし)める教科書は、その具体名を
 明らかにして、糾弾をすべきだ。
  また、どのような嘘を子供たちに教えているかを明ら
 かにして、「人々の判断を仰(あお)ぐべきだ」。
  また、認可した文部科学省に、その間違いを指摘して、
 糾弾せよ。
  秘密の壁の中にある「子供たちの教育と教科書」を、
 ガラス張りにすべきだ。
  中国と韓国の工作の影響を受けているというが、その
 排除に努力せよ!
  また、「中国・韓国に影響されている教科書を糾弾す
 る会」を結成せよ!・・活動を開始せよ!
  中国の僅かな金を貰って、日本を売る教科書会社を糾
 弾せよ!
.
2019年、北方四島の一括返還か、千島列島含みの一括返還
 かの検討をせよ!
  少なくとも、日本が勝利した占守島は、日本に返還さ
 せる様にせよ!
.
2019年、本「『日本国紀』の副読本」百田尚樹・有本香対
 談・・の新聞広告に書かれた読者の声
 ・子供が小学校で歴史を教わっていますが、日本が悪か
  ったというニュアンスの表現がそこここにちりばめら
  れていることがよく分かる・・
 ・日本国紀を補完する素晴らしい本。
  文中の○○教科書は多くの日本人を惑わす無用の書だ
  と分かった。
  小中高生が日本国紀と本書で歴史を勉強してもらえた
  らと願います。
 ・○○の教科書は報道で「素晴らしい本」みたいに紹介
  していたが本書を読んでびっくり。
  韓国の本ですか?
 ・久しぶりに感銘を受けました。
  戦前を知っているものとして全く同感(80歳代以上)
 ・本書で日本を誇らしく思う。
  子供達(孫達)が私のように日本に生まれて良かった
  と思って育ってくれたら何より・・
 ・日本の歴史のどの部分が修正されているかがわかった。
 ・感激しました。
  75歳の老人です。
  百田さんの言われる「洗脳された世代」ですがテレビ
  の偏向報道にさすがにおかしいとネットなどで勉強中・・
 ・日本がニュートラルな国家になることを望みます。
  日の丸、君が代が当たり前のように扱われる国になっ
  てほしい・・
 ・日本人として、これからの日本を創り残していく一人
  として、生きていく勇気をもらいました。
  自分が生きているうちに日本を日本人を生かしていく
  ような人になりたいです(20代)
 ・「敗戦による負の遺産」は戦中戦後体験者として絶対
  に払拭してこの世を去りたい。
 ・GHQと日教組に騙された世代。
  生きているうちに本書と日本国紀を読めてよかった。
 ・チャイナ・コリアに対し条件反射的に「悪いことをし
  た」と口に出す人が多い。
  本書を読んでその原因に納得。
  今の我々が安易に「謝罪」を口にすることは(先の大
  戦の教訓は必要ですが)当時の国際情勢の中で必死に
  生き抜いてきた先人に対して無礼と感じる・・
 ・などなど
.
2019年1月19日、韓国が日本海の呼称に異議を言う。
  この日の読売新聞に・・「外相『日本海、問題ない』
 国際機関の呼称協議要求に」という表題で報じられた。
  以下はその記事・・
  韓国が日本海の呼称に「東海」を併記するよう求めて
 いる問題を巡り、日本海の単独呼称が国際的に認知され
 ている根拠の一つである国際水路機関(IHO)の指針
 について、IHOが、改訂を望む韓国との協議を日本に
 要求していることがわかった。
  河野外相は18日の記者会見で「日本海の呼称に問題は
 なく、(協議の)必要はない」と述べた。
  IHOは世界の海洋名などが記され、各国の海図作成
 の指針となる「大洋と海の境界」を出版。
  1929年の初版から現行版(53年作成)まで日本海の海
 域には「Japan Sea」と一貫して記載されている。
  日本海の名称について、韓国は1992年から「植民地支
 配の結果広がった」などとして、「東海」への改称や併
 記を国際社会に訴え、近年はIHOの指針改定も求めて
 いる。
  日本は日本海の名称が19世紀から国際的に定着してい
 ることを理由に、併記や改訂に反対してきた。
  だが、IHOなどによれば、2017年4月のIHO総会で
 指針改定が議論され、2020年の次回総会で報告が行われ
 る事が決定。
  IHO事務局は関係国間で非公式協議を行うよう求め
 た。
  日本側は難色を示していたが、「応じなければ改訂の
 ほか、廃止も検討する」と、強く迫っているという。
  IHOのマティアス・ヨナス事務局長は読売新聞の取
 材に対し、関係国に非公式協議を開くよう働きかけてい
 ることを認め、「敏感な問題であり、次回総会まで一切
 の声明を発表するつもりはない」と回答した。
  一方、河野外相は会見で「日本海が世界で唯一認めら
 れた名称。修正の必要は全くない」と強調した。
                (以上)
  韓国が、日本海の名を変えたいのなら、同時に、「東
 シナ海」も変えたいと主張をするべき。
  「西朝鮮海」とかに変えたいと主張をするべき。
  また、「インド洋」も、また、カリフォルニア湾を「
 カリフォルニア・メキシコ湾」にと主張するべき・・
  この様な話は世界に一杯ある・・
  「南シナ海」は、フィリピンやベトナムの名も入れな
 ければならない・・
  「イギリス海峡」も変える様に主張すべき状況にある。
  韓国の後ろで指図している中国・・その中国にも「東
 シナ海」や「南シナ海」を変えるように言うべきだ。
  韓国を代理にして、日本を貶めようとしている中国が、
 ここに存在している。
  中国は、自国の中で蹂躙しているチベット国や、ウイ
 グル国や、内モンゴル国の人々への蹂躙を隠し、薄める
 ために、日本への貶め行為をやっている。
  ソ連(ロシア)が、「カチンの森」の卑劣な大虐殺を
 隠し、薄めるために、ナチスを過大に貶めた行為などと
 同じ。
.
2019年、ファーウェイに代わる企業を「日本やアメリカで、
 国策として、育成せよ!」。
  優れた日本の部品を使って・・「やりたいことをやっ
 ている中国」。
  もう、この辺で、「中国を、ストップしなければなら
 ない」。
  最悪の政治体制・・独裁も変えさせなければ「世界の
 平和は到来しない」。
  すべての問題の発信の元・根源には・・ここにある。
.
2019年1月19日、専守防衛は、今も有効な戦略たり得るか。
  戦い方が変われば、守り方も変わらざるを得ない。
  上記の言葉は、この日に、調査研究本部客員研究員の
 小田尚氏が、読売新聞に書いた言葉・・
  小生も、このブログに・・
  「専守防衛はあり得ない」。
  「専守攻撃があってこそ専守防衛が成立する」と書い
 たが・・、
  状況が大きく変わってきた今・現在、今までの専守防
 衛の戦略を転換するべき時が来た。
  標記の読売新聞の記事を以下に書く・・
  「新しい戦争、見えない戦争にどう対処するか。
  戦争の領域や戦い方自体が一変しつつある。
  安倍政権は、昨年12月18日の閣議で、新たな防衛計画
 大綱と中期防衛力整備計画(2019~2023年度)を決定し
 た。
  日本の安全保障の将来を決定づける、極めて大切な見
 直し作業の成果と言える。
  新大綱は、宇宙やサイバー、電磁波といった新たな領
 域で日本が優位性を得ることが死活的に重要と位置づけ、
 陸海空という従来の区分を超えた領域横断(クロス・ド
 メイン)作戦により、劣勢を克服し、防衛を全うすると
 いう。
  宇宙では、相手方の指揮統制・情報通信を妨げる能力
 の保有をうたった。
  地上から電磁波を使い、敵の通信衛星への通信を妨害
 する装置の導入が念頭にある。
  2022年度に宇宙領域部隊を創設する。
  サイバーでは、相手の通信ネットワークを妨げる反撃
 能力の保持を提起した。
  陸海空の共同部隊を保持し、現在の110人から、5年間
 で関連部隊を1000人以上に引き上げることを目指す。
  電磁波・電子戦でも、相手方のレーダーや通信などを
 無力化する能力を高めることを掲げた。
  相手のサーバーに大量のデータを送ってまひさせるデ
 ィードス攻撃、マルウェア(悪意あるプログラム)を使
 い、相手のシステムを破壊することも検討する。
  考え方は積極的な防衛体制(アクティブ・ディフェン
 ス)だ。
  サイバー、電子線の分野は攻撃主体の特定が難しい。
  防御側は解析などの対応に追われるうえ、相手が軍(
 国権の発動)なのか、民間のハッカー(個人の犯罪)な
 のか、すぐには見極められない。
  攻撃側が圧倒的に優位を保つ。
  安倍首相も「この分野に専守防衛はあり得ない。やら
 れたら、おしまい」と危機感を募らせる。
  見えない戦争はすでに始まっている。
  2014年に、ロシアが、ウクライナのクリミア半島に侵
 攻した際、従来の物理的打撃に加え、サイバー・電磁波
 攻撃をかけている。
  昨年11月、小野寺五典・前防衛相は、都内のシンポジ
 ウムで、2016年の米上院軍事委員会の公聴会の模様を引
 いて、こう語った。
  「ロシア軍は、電子戦でウクライナ軍の通信を遮断し、
 砲弾の電子信管を誤動作させて無力化し、ウクライナ軍
 の電波を探知して砲撃目標発見に使用している」。
  クリミア併合でロシアが取った作戦はこれにとどまら
 ない。
  民兵を装ったロシア軍の投入に始まり、情報・世論操
 作で住民投票にも介入し、ロシア編入を望む民意が示さ
 れたと主張するなど、軍事と非軍事を組み合わせたハイ
 ブリッド戦を展開していた。
  ロシアのサイバー部隊は1000人規模に上る。
  その後も、サイバー攻撃によって欧米の選挙に干渉し
 ているとされている。
  北朝鮮は、サイバー部隊を7000人抱える。
  サイバー攻撃を外貨獲得に利用したこともある。
  中国は、さらにその先を行く。
  諸外国へのサイバー攻撃を担当する部隊は13万人に達
 するという。
  昨年秋の日中首脳会談で、習近平国家主席はこう言い
 放った。
  「中国にサイバー部隊はある。
  攻撃してはいけないと言い聞かせているが、中国は発
 展途上国だから、民間のハッカーが攻撃することがある
 かもしれない」。
  折しも、米司法省が12月20日、中国の国家安全省と関
 係のあるハッカー集団の2人を長年、日米など12カ国のネ
 ットワークに不正侵入し、政府機関や民間企業の機密情
 報を盗んだ罪で起訴した。
  日本政府も、この集団による攻撃を確認し、批判して
 いる。
  日本では、4月から中国通信機器大手の華為技術(フ
 ァーウェイ)など2社の製品を政府調達から排除する。
  重要インフラ業者もこれに追随する見通しだ。
  安全保障上のリスク回避の一環だろう。
  その対中国で、目に見える抑止力が海上自衛隊護衛艦
 「いずも」の空母化と言える。
  離着陸する最新鋭のステルス戦闘機F35Bは空自機だ
 けでなく、米軍機も含まれる。
  太平洋の海空に進出してくる中国軍への牽制(けんせ
 い)になり得る。
  中期防には、空自機F35Aなどに搭載するスタンド・
 オブ・ミサイル(長距離巡行ミサイル)の整備も記した。
  これを敢(あ)えて敵基地攻撃能力と言う必要はない。
  「今までの常識はもはな通用しない」。
  首相はそう訴え、新大綱では抜本的に異なる速度で防
 衛力を強化することを打ち出した。
  専守防衛は、今も有効な戦略たり得るのか。
  戦い方が変われば、守り方も変わらざるを得ない。
                (以上)
  (追伸)相手が日本を殲滅しようと核弾頭ミサイルを
     多数発射した場合、そのすべてを日本の迎撃ミ
     サイルで撃ち落とす事は出来ない。
      故に、「迎撃ミサイルの専守防衛は無理だ」
     「おとぎ話なのだ」
      だから、その相手の核弾頭ミサイルの電子制
     御をコントロールして、そのいくつかを核弾頭
     ミサイルの発射国へ向かい、発射国へ落下させ
     るようにする、「そのような技術の領域になっ
     ている」。
      その様な領域がはっきりわからない状況で、
     核弾頭ミサイル発射国も、発射の決断ができな
     い状況が生まれる。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/

(増補版)629E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年10月~1895年10月)

2019-01-21 05:49:34 | 日記
題:(増補版)629E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年10月~1895年10月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
.
1895年10月15日、東京の大丸呉服店で、大売出しが行われ
 た(10月19日説あり)
  大丸呉服店は東京駅の上にあり、これは日本初の大売
 り出しだった(冬物のバーゲン)
.
1895年10月16日、房総鉄道会社が、建設区間を大網駅~一
 ノ宮駅間、大網駅~成東駅間、千葉駅~蘇我駅間として
 出願した。
.
1895年10月17日、大阪鉄道の玉造駅~梅田駅間が開通した。
  先に開通していた天王寺駅~玉造駅間に続いてこの玉
 造駅~梅田駅間が開通して大阪鉄道城東線が形成された。
.
1895年10月20日、山陽鉄道会社線の京都駅~広島駅間に直
 通旅客列車が運転された。
  山陽鉄道という国鉄山陽本線の前身にあたる私有鉄道
 会社が山陽線を造っていく。
  1886年、兵庫県の石田寛之助、小西新左衛門や灘の酒
   造業者が、神戸駅~姫路駅間の鉄道建設を計画した。
   そして、児島湾干拓の藤田伝三郎らの16人で願書を
   出した。
    明治政府は、これを政治・軍事上の幹線として下
   関までの延長を指導して許可した。
  1888年、三菱の岩崎久弥らの三菱系と、大阪資本から
   なる山陽鉄道(株)が発足した
   そして、また、この年1888年、兵庫駅~姫路駅間が
   開通した。
  1890年船坂トンネルが、、難工事で工事が遅れ・・
  1891年3月、三石駅~岡山駅間が開通し・・、
  1891年9月、岡山駅~福山駅間が開通し・・、
  1891年11月、福山駅~尾道駅間が開通し・・、
  1894年6月、広島までが開通した。
   2軸横扉の客車と荷物車の混成7両列車が1日15本、
   昼間だけの単線運行を行った。
  岡山県内ルートでは、西大寺、玉島の港町などで鉄道
 通過反対運動があり、やむなくこれらの市街地をはずし、
 北よりのルートに鉄道を敷設した。
  結果的に西大寺や玉島は時代の波から取り残されて行
 った。
  広島まで開通の直後に日清戦争があり、山陽鉄道は重
 要な役割を果たした。
  1894年、全国最初の急行列車(神戸駅~広島駅間8時
   間56分)を走らせた。
   炭水車つきテンダー機関車を導入して、列車編成お
   よび走行距離を大きくした。
  1895年10月20日、山陽鉄道会社線の京都駅~広島駅間
   に直通旅客列車が運転し、(1897年説あり)
  1898年、車内電灯がつけられ、
  1899年、官営鉄道に先駆けて食堂車増結などのサービ
   スが行われた。
   これは、阪神駅~岡山駅~高松駅間の航路、および、
   官営鉄道に対抗する競争だった。
  1901年、下関までの全線が開通した。
  1905年、営業キロ数は565キロメートルとなり、輸送旅
   客数が、年間1246万人となった。
  日清戦争後の不況で、私鉄の経営難が生じた。
  この時、山陽鉄道は、讃岐鉄道など2社を合併した。
  そして、さらに、四国連絡航路を設け、宇野線建設計
 画も立てた・・が・・
  1906年、「鉄道国有法」が制定され、国に買収され、
   国営鉄道となった。
.
1895年10月21日、乙未戦争が集結した。
  清国の外交的な動きの中で生まれていた台湾の不穏な
 動きが終結した。
  終結している日清の戦争状態の再発を恐れた李鴻章も
 平穏化を望んでいた。
  6月2日は、清国側との台湾授受手続きも完了させてい
 た。
  不穏な動きにあった一部の清国人の割譲阻止活動は失
 敗していた。
  しかし、この日に、その組織的活動は終わった。
  劉永福が中国に逃亡し、台南、安平が平穏化した。
  (参考)劉永福:りゅうえいふく、1837年、中国広東
     生まれの中国軍人。
      貧農出身で、1867年、ベトナムに入り、農民
     を主体とする黒旗軍を編成し、トンキンに入り
     フランスと、10数年間、戦った。
      台湾での騒動の前歴の持ち主。
      清国政府から台湾へ派遣されていた。
      この様な働きをした劉永福だったが、1885年、
     ベトナムから帰国しても清国政府から冷遇され
     た。
.
1895年10月21日、奥羽北線の弘前駅~碇ヶ関駅間が開通し
 た。
.
1895年10月22日、パリ・モンパルナス駅で列車がブレーキ
 故障のため減速しないまま駅に進入し、車止めを乗り越
 えて駅舎を突き破るという事故が起きた。
  この事故は、鉄道史に刻まれる衝撃的な事故と言われ
 ている。
  機関車は車止めを乗り越えた後、駅舎を突き破り、先
 端が約10m下のレンヌ広場の路面電車停留所に落下した。
  駅前で新聞を売っていた女性が駅舎の破片に当たり死
 亡した。
  また、乗客2名、消防士1名、鉄道員2名の計5名が重傷
 を負った。
  事故の際に連結器が外れたため、客車はすべて駅内部
 にとどまっていた。
  事故現場を撮影した写真の2枚が、衝撃的な写真として
 世界に公開された。
  ロックバンド・Mr.Bigは、1991年に発表したアルバム
 『リーン・イントゥ・イット』のジャケットにこの写真
 を使用した。
.
1895年10月26日、広州蜂起(恵州事件)
  孫文らの興中会が、広東省恵州で反清の武装蜂起を起
 こした。
  失敗に終わる。
  広東省出身で、貧しい農家の次男として生まれた(1866
 年)孫文は、初め医者であったが、革命を志し革命運動
 に入る・・略歴は以下・・
  1887年(21歳)~1892年(26歳)香港の西医書院に在
   学中に革命を志す・・
  1892年(26歳)マカオ、広州で開業し、同時に、反清
   運動に入る・・
  1894年(28歳)ハワイへ出稼ぎで成功した長兄の所へ
   行く・・
   帰国後、広州・香港で医学を学び、開業したが、秘
   密結社・興中会を華僑や会党と組織・・
  1895年(29歳)10月、最初の蜂起である、興中会が広
   州で蜂起する・・清朝打倒、民主主義国家樹立を目
   指す(共産国家ではない)・・失敗し日本へ亡命へ・・
  1897年(31歳)アメリカを経て日本へ
   宮崎滔天(みやざきとうてん)らと交わり、康有為(こ
   うゆうい)らとの提携や、フィリピン独立援助を試み
   たが、ともに、失敗・・
  1900年(34歳)恵州蜂起
   宮崎滔天(とうてん、熊本県の人、1897年に、来日中
   の孫文と知り合う)らの援助を受け恵州で挙兵・・
   失敗
  1905年(39歳)東京で中国革命同盟会を結成し、三民
   主義を主唱し、綱領とした。
  1906年(40歳)東京で開催された「民報」記念会で五
   権憲法を初めて公表する・・後に、国民党などの憲
   法の基礎となる。
  1911年(45歳)10月10日、武昌蜂起を切っ掛けに、中
   国各地で革命派が蜂起した(辛亥革命)
   この時、アメリカにいた孫文は、辛亥革命の勃発を
   知り、軍資金の募集をしていた。
  1912年1月(46歳)南京に孫文を大総統とする臨時政府
   が樹立された。
  1912年2月(46歳)清帝が退位し、中華民国が成立した。
   しかし、まもなく清朝軍閥の袁世凱が大総統に就任
   した(孫文は、袁世凱に譲った)
   しかし、その独裁化に抗して第二革命を開始・・
   袁一派・軍閥派に反対し、広東を地盤に臨時政府を
   組織し、また、三民主義の実現に努力し国民党の基
   礎を固めた・・
   しかし、失敗し日本に亡命・・
  1914年(48歳)中華革命党を組織した。
  1915年(49歳)日本に亡命中、宋慶齢と結婚。
  1917年(51歳)広東政府を樹立。
  1919年(53歳)中華革命党を中国国民党と改組。
  1924年(58歳)第一次国共合作を実現し総理に就任し
   た。
  1925年3月12日、北京で病死する。60歳。
  中国革命の象徴、国父として敬愛され続けている。
.
  (今日の言葉)
.
  題:漢民族は強制的な民族大移動をした。
    手強い民族には、民族の総べての全部を、他へ移住させ「洗国」した。
    強いものは奥地へ追いやった。
    近世になっても、毛沢東が、盛んにやった。
    沖縄や北海道の人たちが、この様にならない様に・・
.
1368年、中国に明が建国された。
  朱元璋(しゅげんしょう)は中国・明朝の初代皇帝。
  1328年、元朝末期に安徽省(あんきしょう)に貧民の
 子として生まれた。
  20歳代に起きた農民反乱の紅巾の乱に参加し、頭角を
 現した。
  自らの軍閥を率いて、1356年に、南京を占領し、南方
 の雄として勢力を拡大する。
  1368年に、皇帝を名のり(洪武帝・こうぶてい)、明
 王朝をひらいた。
  その後、北の元王朝をモンゴルに退け、中国をほぼ統
 一した。
  晩年は、建国の功臣たちの主要な部下とその一族への
 粛正を繰り返した・・大量の犠牲者を生む。
  1398年、死去した。
  16世紀後半に入ると、豊臣秀吉の朝鮮出兵への対応な
 どで戦争出費がかさんだうえに、朝廷内の政治闘争が続
 き、さらには、増税も行われたことで、明国内で立て続
 けに反乱が起こった。
  そして・・
  1644年に、明は滅んだ。
  朱元璋が生まれた安徽省は、黄河と長江との間にあり、
 淮河(わいが)が流れている・・
  そして、この地域は洪水もあり干ばつもあり、「10年
 に9年は凶作」という貧しい地帯だった。
  どん底の貧農の生活が当たり前という地域の4男とし
 て生まれた。
  1344年には、飢饉と疫病が猛威をふるう不幸の年とな
 った。
  この時、朱元璋は両親と兄を亡くした・・ペストだっ
 た・・
  生き残った兄弟とも離散のバラバラとなった。
  この時のことを記した石碑には・・、
  「我が身には技能もなく、天を仰いで呆然とするばか
 り、己の影のみを道連れに、朝もやを突いて出かければ
 暮れれば古寺に投ずるあてどなき流浪の日々・・
  3年の浮雲の生活を経て年は20歳余りとなった。
  ときに淮河流域の盗賊が蜂起し、民は不安を増した」。
  この民衆の蜂起は、紅巾(こうきん)の乱という大き
 な動きとなり、モンゴルの元朝を弱体化させた。
  朱元璋は、この紅巾賊の一勢力を率いて、頭角を現し
 た。
  朱元璋と共闘する武将の多くが、無学の土豪たちの武
 闘集団だった。
  この様な野武士たちの棟梁から脱皮する朱元璋は、儒
 教の素養を持つ知識人を登用した。
  ただ武を振り回すだけでは駄目な事を朱元璋へ言う賢
 者も居た。
  戦いに勝って領土を得て行って、おごり高ぶる武将も
 居たが・・、
  朱元璋は、武だけ大事が成し遂げられなという事も知
 っていた。
  朱元璋は、武を誇る武将たちを諌め、略奪した婦女を
 捜し出し、家に送り返させることまでした。
  この頃の中国は、武を誇り、群雄が割拠し・・
  婦女を手に入れ、宝石や絹織物など民衆の物を奪うこ
 とに血道をあげる輩たちの時代だった。
  だから、朱元璋のやることは、ひときわ輝いていた。
  民衆から、「民衆を救う武将」として噂となった。
  戦いでも、降伏者が出て来て、攻防が少なく済んだ。
  朱元璋は、群雄を制圧して、1368年、明を建国した。
  首都を南京にして、年号を洪武とした。
  16年前は、ただの乞食の僧だった朱元璋が、洪武帝の
 皇帝となった。
  この年・1368年、大都(現:北京)を占領する・・
  そして、元朝のモンゴルをモンゴル高原に駆逐した。
  農民を保護をしたりして、配慮したりして、種々の改
 革をし、社会秩序を回復させていった。
  しかし、力を得て行くにつれ、組織統制が成り立って
 行くにつれ、洪武帝は、側近集団が気になる様になって
 行った。
  かつては、ともに苦労して戦った同輩の武将たちが、
 皇帝の座を狙うのではということが気になりだした。
  武将だけではなく、教養のある学者たちが、成りあが
 りの洪武帝を、心の底では蔑視しているのではと思い始
 めた。
  洪武帝は、猜疑心の塊となって行った。
  やがて、功臣たちが次々を粛清され、恐怖政治が生ま
 れた。
  晩年の漢民族の洪武帝は「孤独だった」。
  今、現在、漢民族の共産中国政権は、チベット民族、
 ウイグル民族、内モンゴル民族などに、洪武帝と同じよ
 うな事をしている。
.
1895年5月26日、李氏朝鮮の行政区画の改編、道、県、都護
 府を廃止して、観察府と郡にした。
  それまでの朝鮮八道制を廃し、全国を23の府と337の郡
 に再編した。
  従来の府、大都護府、牧、都護府、県といった下部行
 政区画の名称を廃して「郡」に一本化・・府の長官は観
 察使、郡の長官は郡守とした。
.
1910年代、中国のキリスト教会の自立は進展を見せたもの
 の、アメリカの目論見通りにはいかなかった。
  アメリカは、中国に、数千万元の金を使って、数千人
 のキリスト教宣教師を送って、中国をキリスト教化しよ
 うとした。
  戦後、日本をキリスト教化しようとしたアメリカは、
 中国でもやっていた。
  そして、数千のキリスト教会を、中国の支郡各地に造
 った。
  そして、蒋介石が、キリスト教の信者になったという
 が・・、
  彼が、信者になったのは「アメリカの歓心を買うため」
 ということが分かっている。
  1918年、外国人宣教師の全体に占める割合・・アメリ
 カから派遣されたが、このアメリカの宣教師の比率は60
 %に達した。
  しかし、1922年から、学生を中心に、非キリスト教運
 動が展開されて行った。
  資本主義国家の「経済侵略の前衛部隊だ」として厳し
 く批判された。
  1924年、「キリスト教系学校の教育権」を返還させる
 運動が始まり、より一層の非キリスト教運動が激しくな
 った。
  外国による中国に対する「文化侵略だ」として中国国
 民は受け取った。
  1925年の5・30事件によって、キリスト教界とその教
 育事業への批判が激化した。
  北伐が始まるとキリスト教会事業への破壊運動も始ま
 った・・それは破壊活動と共に掠奪行為も伴った。
  蒋介石政権の国民政府も国権回復運動を展開した。
  第二次世界大戦後、中華人民共和国を樹立した中国共
 産党は、国内に外国の勢力の影響を受けた宗教団体の存
 在を否定した。
  キリスト教は、政府主導で三自愛国教会を組織した。
  そして、外国人聖職者を中国国内から退去させた。
  ヒラリー・クリントンは、「中国に宗教が無い。この
 国は、半世紀後に最貧国になる」と言った。
.
1930年代、中国のプロパガンダに踊らされたアメリカ・・
  2019年の今・現代は、世界は、中国のプロパガンダに
 気付き、今・現在、中国がズーッとやって来たプロパガ
 ンダ手法が効かなくなっているが・・
  それは、近年の情報技術の進展にある・・
  中国のプロパガンダは、すぐに「嘘だ」と見破られて
 しまう現代になっている。
  今までの日本は、この中国のプロパガンダの打撃の大
 きさに気付かずに来た。
  戦前においても、この様な事が大いに仕組まれ、起き
 ていた。
  例えば・・、
  1930年代について、ジョン・アントワープ・マクマリ
 ーは、本「平和はいかにして失われていったか・・大戦
 前の米中日関係、もう一つの選択」の中で言っている。
  「日本が、アジアを戦争に投げ込むドラマの悪役であ
 る」と、アメリカに信じさせていた・・しかし・・、
  1930年代の日本の政策は、一方的な侵略とか、軍国主
 義のウイルスに侵された結果などではなかった。
  それより、それに先立つ時期のアメリカを含む(中国
 などの)諸国の行為がもたらしていた・・と指摘した。
  そして、アメリカは、(中国のプロパガンダで騙され
 て)中国を優先し、正当な理由なく、日本を退けた・・
 と・・アメリカとイギリスの政策の非を指摘した。
  しかし、この1930年代の当時、このマクマリーの明晰
 な分析は、まったく受け入れられなかった。
  種々の史実を知ることができる現代・・、
  このマクマリーの指摘は、まったく正しいと分かる。
  しかし、1921年のワシントン軍縮会議は、アメリカが、
 あからさまに中国に肩入れを始めた会議でもあった・・
  この流れは変わらなかった。
  そんな事を知らない日本は、世界の平和を願って「日
 本、一国だけが、忠実にひたすら、このワシントン軍縮
 会議の条文を守った」。
  中国は、このワシントン体制を、馬鹿にし、無視し、
 知ってか知らずか、まったく自制する中国ではなかった。
  それを、はっきりと中国へ要請すべきアメリカやイギ
 リスの立場だった。
  特に、アメリカは、その様な行動をしなかった。
  逆に、アメリカのルーズベルトは、蒋介石の中国を引
 き立て、イギリスやロシアにも認めさせた。
  そして、中国を、世界のメンバーという立ち位置に置
 いた。
  そして、日本排斥の流れを作った。
  そして、アメリカは、中国の広西省に空軍基地さえ持
 った。
  そして、桂林や蘇州にも空軍基地を持とうとした。
  そして、日本を、その基地から隠密裏に爆撃さえしよ
 うとした。
  真珠湾のことを言えるアメリカではない。
  また、日本を騙して、アメリカ軍のフライング・タイ
 ガーが、真珠湾攻撃前に、日本を攻撃してさえした。
  アメリカが、日本を奇襲をしていた。
  中国以上の嘘つきのアメリカだった。
  さらに、「戦争を作った」と言ったアメリカのルーズ
 ベルトは、この中国を含めた「米、英、中国、ソ連」の
 4カ国の構想は、大戦争という馬鹿げた殺戮の道を進み、
 その大戦の後に、大いなる悲劇だけが残った。
  そして、アメリカが応援した中国の蒋介石・国民党は、
 現在、共産党中国の政権となってしまっている。
  そして、ルーズベルトが、そそのかしてやらせたソ連
 の侵略の結果、日本領の樺太・千島列島・北方四島も、
 「共産・ソ連」に奪われ・・、
  ロシアになっても奪われたままとなっている・・不法
 占拠が続けられている。
.
1950年代、この時の中国の対日プロパガンダ工作は、実に、
 激しく多彩を極めていた。
  日本学術会議は、中国に完全に飲み込まれた。
  これは、今・現代でも続いている。
  中国はしつこく洗脳して行く。
  日本学術会議のメンバーという優秀な人々でも、中国
 の洗脳にはまって行く。
.
2010年7月1日、中国の国防動員法が施行された。
  中国がやって来た「洗国」
  中国以外の国はした事が無いこの「洗国」は、中国は
 常にやって来た・・洗国の歴史だった。
  中国の南にある広東(かんとん)や広西(こうせい)
 などは、元々は苗(みゃお)族の地だった。
  苗族は、日本人に近い民族と言われていて、古代に日
 本に渡来した人たちではとも言われている。
  紀元前3世紀~紀元前4世紀、この中国の戦国時代に、
 苗族は、楚(そ)の支配下に入った。
  そして、秦の時代になると、苗族は、秦の企(くわだ)
 てにより、移民をを大々的にさせられた。
  そして、流民50万人を移して苗族を攻略した。
  そして、漢の時代になると、苗族は、揚子江の北岸に
 移させられた。
  そして、その後に、漢民族を入れて雑居させた。
  この様にして、漢族の地ではなかった中国の南方諸地
 域が、漢民族の地になって行った。
  これを「洗国」と言った。
  放牧をする民族は、従来から移動をするので、中国人
 は、「牧畜民族は容易に駆逐した」。
  しかし、農耕民族は、土着性が強いので前記したよう
 な非常手段をしょっちゅう用い、常套(じょうとう)し、
 民族大移動の様な整理を常套して行って駆逐した。
  苗族は、土着性の強い農耕民であった。
  漢民族は強制的な民族大移動をした。
  手強い民族には、民族の総べての全部を、他へ移住さ
 せ「洗国」した。
  強いものは奥地へ追いやった。
  近世になっても、毛沢東が、盛んにやった。
  満州民族は、あちこちの中国内に散らされ、虐殺され、
 今はどこに居るか不明状態。
  朝鮮民族は、カザフスタンへ住まわされた。
  韓国は、小学校で、満州地域に朝鮮人が多く居るので
 朝鮮の地だと教えているが・・今はクエスチョン・・、
  中国は、この様な事をやり続けている。
  今、日本に、大勢の中国人が、入って来ているが、こ
 の一端か?
  中国は、2010年7月1日から「国防動員法」を施行した。
  これは、日本などの中国以外にいる者にも、中国の指
 令で国防活動をしなければならないとなっている。
  日本やアメリカなどに居る中国人が、長野の事件の様
 に常に活動する事があるという状況になっている。
  長野の時は、中国の軍人的な者もいたという。
.
2016年1月29日、犯罪の多NHK・・NHKのさいたま放送
 局が・・「埼玉県警察の記者クラブに所属する記者3人が、
 1年余りに渡り、業務用タクシーチケットを友人との会食
 など私的な移動に使用していた」として・・、
  31歳の記者を諭旨免職(約36万円分)、
  23歳の記者を停職1ヶ月(約12万円分)、
  29歳の記者を出勤停止5日(6,850円分)としたほか、
 管理・監督責任のある放送局長や放送部副部長など、上
 司5人も3日から14日の出勤停止とした。
.
2016年5月4日、フジテレビの番組名「直撃LIVE]で、
 韓国で加湿器の殺菌剤で146人が死んだと放送した。
  そして、子供が多く死んでいるという。
  現認した放送時間:午後13時50分。
.
2018年12月26日、今、世界は不安定要素に満ちている・・
  そして、竹中平蔵、政権にゴマすりの政商となり、う
 まい汁を吸っている。
【桜便り】株安は戦争勃発への道程 / 政商・パソナ・竹中
     平蔵氏はこれでいいのか[桜H30/12/26]
    https://www.youtube.com/watch?v=YYmaL0H6BDs
  アメリカの経済はピークアウトした、最高値に行って
 しまった・・下がるしかない。
  アメリカは株安になって来る。
  経済恐慌の恐れもある。
  日本の消費税も実施しないという状況が生まれる可能
 性が大きい。
  アメリカのマチス国防長官が辞め、戦争が起きる可能
 性が増している。
  アフガンは息を吹き返して来る。
  サウジアラビアの王家を3分割しようという動きが暗
 躍している。
  サウジアラビアが不安定化している・・その様に仕向
 けられている。
  石油の値段も上昇するだろう。
  石油の値段が、安値安定していることが都合が悪いと
 いう流れになって来ている。
  ドイツ銀行は、底知れない負債を抱えている銀行。
  イギリスが、EUを離脱をするときにこの問題が噴出
 する。
  今、中国も株安で、これ等の影響をもろにさらに受け
 る。
  そして、朝鮮の韓国政権の不安定化リスクが高い。
  そして、韓国の後ろにいる中国が、韓国が問題化すれ
 ば震え上がる。
  中国・北朝鮮より、韓国が問題化の中心になる。
  そして、経済の見た目以上の不安定化が進んでいる。
  2019年には、動乱と呼ぶべきものが起きる可能性が高
 い。
  この様な荒れた世界の動きに、日本の自民党は適切に
 対応して行けるか?
  アメリカが助けてくれるという神話はもう止めよ!
  そして、竹中平蔵について・・
  大学教授だという表札ではなく、パソナの会長をして
 いる立場で私腹を肥やしている。
  本「日本が売られる」著者:堤未果氏。
  経済諮問会議で得た地位・情報などを私的に流用して
 いる。
  竹中氏は、パソナ会長として受注に優位な位置をつか
 って、政府からの発注を受けている。
  平成29年度を、ざっと言っても・・、
  厚生労働省から受注(2億8400万円)、同(1億8900万
 円)、同(500万円)、同(1900万円)、同(8830万円)、
 同(4870万円)、同(550万円)、同(250万円)、同
 (1億9000万円)、農水省(1600万円)、同(1500万円)、
 オリンピック関連(契約金非公開)、女性活躍(2億8000
 万円)、経産省(2億5000万円)、中企業支援(9億800万
 円)、経産省(1億7000万円)、同(4億7200万円)、同
 (3億4300万円)、などなどなど・・切りがないほど。
  竹中氏が委員をやって利益誘導している。
  この竹中は、アメリカ政府の言い分に立って「日本政
 府にものを言う」という(アメリカのゴマすり役)も
 している。
  戦後、GHQは、日本を監視するための人間(スパイ)
 を、大勢、日本に送り込んだ。
  GHQにゴマをすったものが大勢いた・・この様な人
 間が、日本のテレビ局を造った人として、今、君臨して
 いる。
  また、財団などに君臨して、戦後の利得者として存在
 している。
  高額所得者・大金持ちとして存在している・・
  これと同じことを竹中がやっている・・
  美味しい情報も、皆、自分のものとして利用している。
.
2018年12月28日、地に落ちた毛沢東
  一時は神格化された毛沢東が怪しくなっている・・
  この日の読売新聞に・・「毛沢東信奉、中国が警戒」
 との表題で記している・・
  以下はその抜粋・・
  中国建国の父、毛沢東の誕生から125年の26日、信奉者
 らによる自発的な記念活動が毛の故郷の湖南省韶山(し
 ょうざん)市などで行われた。
  香港紙・信報などは、記念活動の規模は例年より控え
 めだったと報じた。
  信奉者は貧富の差の拡大など現状に不満を持っている
 傾向が強い事から、当局が警戒感を強めているとみられ
 る。
  工場労働者らを支援する大学生らの組織によると、記
 念活動を企画していた北京大学マルクス主義学会会長の
 男子学生は26日午前に校門から車に押し込まれて連れ去
 られ、27日朝まで北京市の公安当局に拘束された。
  学生は全国の仲間に、北京で記念活動を行う事を呼び
 掛けていたが、大学当局は中止を求めていた。
  格差拡大を問題視し、マルクス主義や毛沢東思想を信
 奉する学生らの一部が今夏から、深圳の工場の労働争議
 で拘束された労働者らを支援する活動を行なっている。
  これに対し、学生と労働者が共闘する動きを警戒する
 当局は、関係する学生らを拘束するなど、締め付けを強
 めている。
  信報は、学生以外の信奉者らも、当局の圧力を受け、
 今年は大規模な誕生記念行事を行わなかったと報じた。
  (中略)
  習近平国家主席も毛を度々賞賛し、強権的手法を模倣
 しているとされる。
  ただ、習氏は毛信奉者を社会の安定を乱す存在と捉え、
 活動を制限したとみられる。
  (追伸)スパイ摘発などを担当している国家安全省の
     馬建・元次官は、逃亡先のアメリカで習近平政
     権を批判している実業家に便宜を図ったと認定
     され・・中国遼寧省の大連市中級人民法院は27
     日、収賄罪などで無期懲役の判決を下した。
      便宜を図ってもらったとする郭文貴氏は、ア
     メリカを拠点に、習近平政権の実力者、王岐山
     (おうきざん)国家副主席の不正疑惑を暴露し
     ている。
.
2019年1月13日、中国はハワイ攻撃を計画している。
  この日付けの読売新聞によると・・
  中国の新兵器の一つ「H(轟)20」。
  これは核兵器が搭載できる戦略爆撃機。
  アメリカ軍の拠点であるハワイを標的に開発された。
  西太平洋の覇権をアメリカから奪うのが目的。
  中国による「真珠湾攻撃が計画されている」。
  その為の核兵器の搭載できる戦略爆撃機が出来上がっ
 たという。
  この「H(轟)20」は、2019年10月1日に、北京で行わ
 れる予定の軍事パレードで公開される。
 これは最新鋭のステルス機。
.
2019年、日本の一般紙は、中国に進出した日本企業が、ど
 んなに悲惨な目に会っているかの報道を「タブー」とし
 て・・報道の一切をしない。
  絶対と言っていいほど報道しない。
  中国べったりのNHKも同様という状況。
  中国企業に貸した金が返済されない事が多発した。
  日本の銀行は困って、当然の行為である返済を求める
 が返済がされない。
  そのため取り戻そうと裁判を起こそうとしたら、「裁
 判を起こす事が禁止された」。
  中国のやることはこんなこと・・。、
  WTOに加盟している中国なら、この様な事は出来な
 いのだが、中国はお構いなしで、無視してこの様な事を
 した。
  しかし、日本の新聞やNHKは、この様なことを一切
 報道しない・・裏切りのメディアとなっている・・
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive

(増補版)628E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年8月~1895年10月)

2019-01-14 04:12:23 | 日記
題:(増補版)628E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年8月~1895年10月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
.
1895年8月25日、臨時台湾鉄道隊が設置された。
  台湾の鉄道輸送に携わった。
  それまでは、1891年10月に台北駅~基隆駅間の28.6キ
 ロメートルの鉄道しかなかった。
  それも、1日に1往復であった。
  そして、1893年10月、新竹駅まで延長され、総延長は
 約100キロメートルとなった。
  この後に、日本が台湾の鉄道を整備して行く。
  1899年には、総督府鉄道部官制が公布されて、本数も
 4往復へ増発された・・そして、鉄道敷設も本格化して行
 く。
  1908年4月、幹線となる元隆駅~高雄駅間404.2キロメ
 ートルの台湾縦貫鉄道が全通させた。
  この間、その他にも、台東線や、阿里山森林鉄路など
 を敷設し、台湾の近代化を進める大きな役割を持つ鉄道
 も敷設した。
  この後も、着々と台湾鉄道を整備し、充実して行った。
.
1895年8月、鳥居龍蔵が、東京人類学会の依頼で、満洲地方
 (遼東半島一帯)を約5ヶ月間滞在し、考古学的に調査
 した。
  鳥居龍蔵(とりいりゅうぞう)1870年4月4日~1953年
 1月14日、考古学者、人類学者。
  徳島市に生まれ、
  正規の学生ではかなったが、東京大学の坪井正五郎に
 師事し、人類学その他を学んだ・・
  東京帝国大学人類学教室の標本整理係となる。
  その後、東京大学助教授、国学院大学教授、上智大学
 教授などを歴任した。
  日本だけではなく、海外の諸民族を精力的に調査をし
 た・・周辺諸民族の実態調査の先駆者。
  その実態調査の地域は広範で、台湾、北千島、樺太、
 蒙古、満州、東シベリア、朝鮮、中国南西部など・・
  考古学的調査だけでなく民俗学的方面にも広く観察は
 及んだ・・民具の収集も行ない、物質文化研究の開拓者
 となった。
  因みに、中国語では、先住民は「今は存在しない」と
 いう意味がある・・存在するのなら「原住民」を用いる。
.
1895年8月、神田小川町にローラースケート場(車滑り場)、
 現れる。
  1877年頃、日本にローラースケートが紹介され・・
  1895年頃から普及し始めた。
.
1895年9月5日、奈良鉄道の七條(京都)駅~伏見駅間が開
 通した。
  奈良鉄道(ならてつどう)は、現在の奈良線全線、桜
 井線の過半などを建設、運営していた日本の私鉄で・・、
  伏見駅は、奈良鉄道の開業当社の南の終着駅として開
 設された。
.
1895年9月7日、三菱合資会社銀行部が設立された。
  第百十九国立銀行の業務を継承して設立された。
  そして、1919年に分離して独立の(株)三菱銀行が設立
 される。
  1880年、郵便汽船三菱会社(現在の日本郵船)から分
 離独立した 三菱為換店 が始まり。
  この三菱為換店は、一度閉鎖されるが、間もなく第百
 十九国立銀行の経営を承継する。
.
1895年9月18日、住友銀行が設立された。
  この年に、住友吉左衛門によって個人経営の銀行とし
 て創業された。
  1875年、金融事業は並合業(自己資金による物品抵当
   の金融事業)として再開された。
   並合業は、年々業容を拡大していった。
  1890年、銀行条令が発布されたのを機に・・、
  1895年5月、広島県尾道市で行われた住友家の重役会議
   で本格的な銀行業への進出が決定した。
  1895年11月1日、住友本店銀行部として、住友吉左衛門
   の個人経営による資本金100万円の住友銀行(本店は
   大阪市中之島)が開業した。
.
1895年10月1日、野中至・千代子夫妻、気象予報の研究のた
 め、富士山頂で観測を開始する。
  野中到(のなかいたる)は、「天気予報が当たらない
 のは、高層気象観測所がないからだ」・・と考えた。
  天気は高い空から変わってくる。
  富士山の山頂に気象観測所を設置して、そこで一年中、
 気象観測を続ければ、天気予報は必ず当たるようになる。
  しかし、いきなり、そんな危険なところへ観測所を建
 てることは国としては決定できない。
  誰かが、厳冬期の富士山頂で気象観測をし、実証しな
 いかぎり、実現は不可能だと、常日頃、言っていた。
  1895年2月16日、富士山冬季初登頂を果たし、富士山頂
   での越冬が可能であることを確信した。
  1895年8月30日、富士山頂に私財を投じて日本最初の富
   士気象観測所を建設。
    測候用の小屋は、約6坪で、これを、剣ヶ峰 (富士
   山)に新設、中央気象台の技師らも合流した。
    剣ヶ峰にした理由を「風が弱いところは積雪が多
   いため、積雪の少ない風の強いところを選んだ」と
   語っている。
  1895年9月末、食料など備蓄財の調達のため一旦下山し、
   閉山後の10月に再び登頂した・・薪炭や食料、観測
   機器を設置して・・、
  1895年10月1日、妻:千代子と共に気象観測を開始した。
   観測は2時間毎に行った。
  1895年10月12日、過酷な条件のもと夫妻は体調を崩す。
  1895年12月22日、越年観測を、病気で断念し下山・・、
  1896年1月12日、東京へ帰る・・、
  この当時、富士山より高いところにある観測所は南米
 のエル・ミスチー山とフランスのモンブラン山だったが、
 いずれも夏期しか観測していなかった。
  富士山での冬期観測は世界記録だった。
  この夫妻の記録の37年後の1932年、国際協同極地観測
 のため・・中央気象台は、富士山頂に測候所を設置した。
   そして、通年の観測を開始した。
  1932年8月、野中到は、65歳の高齢をもって、娘と息子
   を伴い山頂を極めた。
   かつて、共に死線をさまよった妻の千代子はすでに
   他界し、写真を抱いての登頂だった。
  そして・・
  1955年2月28日、野中到が没する(88歳)
  その10年後・・
  1965年、富士山山頂にレーダーが設置された。
   気象衛星が稼働し、南海上の台風観測に威力を発揮
   し始めた・・、
.
1895年10月6日、瀬木博尚が、広告業の博報堂を神田区鍋町
 (現:日本橋近く)に、創業者一人という体制で創業し
 た。
  博報堂の創立して広告業を始め、『太陽』などの雑誌
 広告で成功した。
  博報堂(はくほうどう)は、電通に次ぐ日本第2の広
 告会社。
  創業時から教育雑誌の広告取次店・雑誌広告取次所と
 してスタートし、電通より早く、日本の近代広告業の創
 成期から活動した。
.
1895年10月8日、乙未事変(いつみじへん)
  朝鮮王朝の状況は乱れていた・・
  日清戦争の結果の下関条約で、清の宋主権が否定され
 たが・・そして、朝鮮は、正式に独立を確定できたが、
 朝鮮李朝内での権力闘争は激しかった・・、
  今度はロシアがからんで来ていた・・
  ロシアは、フランス・ドイツを味方につけ、武力をち
 らつかせて、三国干渉を日本に認めさせた。
  この三国干渉により、日本の威信が落ちたことによっ
 て・・朝鮮王朝内の閔妃派はロシアに接近した、そして・・
  ロシアの工作と結んで、日本を排撃しようとした。
  ロシア軍の武力を利用し、閔妃派はクーデターを成功
 させた。
  このため、日本に好意的だった朝鮮李朝・大院君派と
 の軋轢が高じて行き・・また、クーデターということに
 なっていく・・
  ロシアと日本は、この様に乱れた朝鮮の・・閔妃派と
 大院君派との内紛に巻き込まれていた・・
  この事変は、事変と言われる様に異常な状況であった。
  朝鮮訓錬隊(日本の指導下で設立された朝鮮の軍隊)
 がからんだ・・また、朝鮮警務使(王城を守る警察)が
 からんだ・・そして、開化派(李氏朝鮮の政治グループ)
 がからみ・・そこに大院君派などが居た。
  そして、真霊君(ちるりょんぐん、実在した巫女)と
 いう占い的な者の言葉に心酔するということも影響した。
  この様な中に、日本官憲も動ごいてしまった。
  この様な勢力が、ソウルの朝鮮漢城・景福宮に乱入し、
 親露派(反日派)の中心と目された高宗の妃の閔妃を殺
 害するという事変が起きた。
  李氏朝鮮の第26代国王・高宗の王妃であった閔妃は、
 大院君の貯めた国庫を浪費するなど不届きな行為もあっ
 て、また、閔妃の国政壟断(ろうだん、利益・権利を一
 人じめにする)に不満を持つ朝鮮人たちも多く居た。
  閔妃は、その様な人・禹範善(うぼむそん、朝鮮人武
 官)に暗殺されたのだった。
  また、この後の閔妃の死後にも、朝鮮王朝内は平穏に
 ならなかった・・親族や相手派を暗殺し合うなど対立し
 ていた興宣大院君(こうせんだいいんくん、李氏朝鮮の
 王族、高宗の実父)によって、大院君は弾劾され、平民
 に降格された。
  この時までにも、朝鮮は混乱に混乱を重ねていた・・
  1894年3月28日、閔氏政権によって、開化派の中心人物
 の金玉均(きんぎょくきん、日本に遊学し、福沢諭吉の
 指導を受け、そして、朝鮮を、日本の明治維新の様に発
 展させ、改革したいとしていた親日派)が、閔妃の刺客
 である洪鐘宇の回転式拳銃で暗殺されていた。
  また、1894年5月31日には、閔氏政権に不満をもつ農民
 が蜂起し、甲午農民戦争が勃発したりもした。
  農民軍は全州を占領したが、統治能力を失った閔氏政
 権は中国・清に軍の出動を要請し、事態は一層混乱して
 行く・・
  三国干渉の時は、日本が後退すると、その甲午改革に
 よって政権を追われていた閔妃とその一族は、ロシア公
 使のカール・イバノビッチ・ヴェーバーと、ロシア軍の
 力を借りて、クーデターを引き起こした・・そして、
  1895年7月6日、政権を奪った。
  このことが大原因で、朝鮮李朝内の対立を決定的な
 ものにしていた。
  これ等の素地の下にこの事変は起きていた。
.
  (今日の言葉)
.
  題:それを阻止したのが日本だった・・日本は大きな戦争をした・・
    その戦いの後、アジア諸国は独立して行った。
    今、その諸国=ASEAN(東南アジア諸国連合)は、
   次の世界の繁栄の中心になろうとしている。
.
1591年閏3月21日、日本とベトナムの通交文書の最古と見な
 される文書が存在する・・今、九州国立博物館に所蔵さ
 れている。
  記載内容は・・、
  日本国王(豊臣秀吉とされる)が、牡象を好むとある。
  それを、日本の使者から聞いた阮氏が、一頭の牡象を
 日本へ送ろうとした・・しかし・・
  日本からの使者の船が小さく、象が乗せられなかった。
  やむなく、象牙などの別の贈り物を贈った・・と。
  日本とベトナムとは、この頃から友好関係にあった。
.
1602年と1728年、ベトナムから、ベトナム象が日本に運ば
 れた。
    ・
    ・
1881年、能楽社の設立
  能楽保護のため、「能楽社」が華族の方々を中心に組
 織された。
  一時衰退していた能・狂言の復興に尽くした。
  能界は、幕府や藩からの保護を受けて成り立っていた。
  それが、明治維新になって、存続の危機に立たされる
 こととなった。
  この時期に、多くの役者が廃業・転業を余儀なくされ、
 また、残念なことであるが多くの流儀が消滅した。
  しかし、維新直後の混乱が落ち着くと、宮中や旧大名
 に代表される華族の方々が、能・狂言の保護に向け動き
 出された。
  1878年には、能を好んだ英照皇太后のため、青山御所
 に能舞台が建てられた。
  ことに、岩倉具視は、欧米外遊の際、各国が芸術保護
 を厚く行っていることを実見した。
  1878年頃から、華族の方々による能・狂言の後援団体
 の設立に向けての動きが活発化していた。
  そして、計画が進んでいた組織は、発起人に加わって
 いた前田斉泰と世話人の重野安繹の発案によって「能楽
 社」として設立されることとなった。
  能楽社の名について・・
  「前田斉泰ノ意見ニテ、猿楽ノ名称字面穏当ナラサル
 ヲ以テ、能楽ト改称シ、因リテ能楽社ト名付ケ・・云々」
 とある。
  これが、現在の「能楽」という言葉の起こりとなった。
  (参考)前田斉泰:まえだなりやす、幕末の加賀(金
     沢)藩主。
  1881年4月16日、能舞台の落成を受けて「能楽社」が正
 式に設立された。
  発起人は、九条道孝、前田斉泰、池田茂政、藤堂高潔、
 坊城俊政、前田利鬯・・だった・・
  そして、この日、英照皇太后の行啓を仰いで、舞台開
 きが催された。
  宝生九郎が、「翁」「高砂」(ワキ・宝生新朔)を、
  観世清孝が、「田村」、
  梅若実が、「桜川」、
  金剛唯一が、「鞍馬天狗」、そして・・
  櫻間伴馬が、半能「加茂」を舞った。
  また、1881年4月17日には、華族の方々を対象に、
  そして、1881年4月18日には、一般への公開能が開かれ
 700人あまりの観客が集まった。
  当初のこの頃、この舞台は単に「能舞台」と称されて
 いたが・・、
  1881年6月、宝生九郎が出した新聞広告に「芝公園内
 楓山能楽堂」という語がある。
  1882年には、能楽社関係者の中でも「能楽堂」の称が
 用いられている。
  1882年頃からは、「芝能楽堂」ともなり・・
  後に、この呼称が一般的となった。
  ちなみに・・前田斉泰のエピソードに・・、
  1854年、アメリカからもたらされた「アッフル(りん
 ご)」が、加賀藩下屋敷(巣鴨近隣の板橋宿)にて栽培
 された。
  そして、この翌年・1855年、実をつけたために食用と
 され、近習ら藩士にも配られた。
  このことが、当時の加賀藩士の記録に残っていて・・、
  藩主の斉泰から、「小さな餅に塗って食べるように」
 と言われたという・・
  近習らはそのようにしていることから、ジャムにして
 食したものと言われている。
     ・
     ・
1945年8月10日、この日の午後8時、日本政府が、ポツダム
 宣言受諾を『連合軍に通知した』との短波放送を行った。
  1945年8月12日、午前0時頃、サンフランシスコ放送は、
 連合国の回答を放送した。
  この時に、日本の降伏の意思が確定していた。
  (完全にソ連の行為は違反行為・・日本領土侵略は成
 立しない)
  この情報は世界各地で受信していた。
  例えば、ラジオで情報を得たホーチミンは、日本の降
 伏を革命のチャンスとみた。
  ホーチミンは、フランス軍が、再度、進駐して来るよ
 り前に自国領のベトナムに実権を確立しようと計画を始
 めた。
.
1945年、戦後の日本の女性の方々は、これからの日本の復
 興の必要性を肌で感じた。
  女性の方々の鋭い直感で感じたのだった・・
  日本のこの今の危機を救うという・・
  そして、この後、多くの子供たちが生まれ・・育てら
 れた。
  爆発的な状況で増えた子供たちは『団塊の世代』と呼
 ばれた。
  そして、この子供たちが、輝かしい日本の戦後の復興
 に加わって行った。
  日本は、『奇跡的と言われる復興の姿』を世界に見せ
 て行った。
  今、ASEANが輝かしい発展を遂げているが、戦後
 日本の輝かしい復興の姿が、また、発展の姿が、このA
 SEANの方々へ復興・発展への勇気を差し上げている。
  それは、日本の女性の方々が作ったと言ってもよい日
 本の復興の姿だった。
  マレーシアのマハティール氏の「ルックイースト」と
 いう言葉があるが(1981年12月15日)・・これは、日本
 を見習えという意味であり・・
  ルックイースト政策ともなり、マレーシアの発展の理
 念ともなっている。
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1946年4月4日、卑劣な事に・・200人~300人の武器を持っ
 たアメリカ兵が、強姦目的で大森の中村病院に乱入した。
  そして、約100人の妊婦や看護婦らを強姦した。
  生まれたばかりの子供も殺害された。
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1946年4月、ベトナムで独立を目指すベトミンが、残留して
 いた日本兵に戦い方の指導を受けるための軍士官学校を
 設立した。
  それは、ベトナム中部沿岸のクァンガイ陸軍士官学校
 だった・・
  教官は、元日本軍の士官や下士官であった。
  残留した日本兵は、「新ベトナム人」と呼ばれた。
  日本軍インドシナ駐屯軍参謀・井川省少佐は、ベトナ
 ム名のレ・チ・ゴと名乗った。
  そして、ベトミンに、武器や壕の掘り方、戦闘指揮の
 方法、夜間戦闘訓練などの技術、戦術などを教えた。
  また、井川参謀の部下の青年将校の中原光信は、ベト
 ナム名のヴェト・ミン・ゴックを名乗り、第二大隊教官
 としてベトミンに協力して独立戦争を戦った。
  この他にも、石井卓雄、谷本喜久男(第一大隊教官)、
 猪狩和正(第三大隊教官)、加茂徳治(第四大隊教官)
 らがいた。
  この様に日本敗戦後、ベトミンに協力してベトナム独
 立戦争でフランス軍と戦ったインドシナ残留日本兵は
 766人にのぼる。
  また、武器の多くが日本軍からのもので、38式小銃な
 どが多かった。
  ベトナムを、再度、植民地にしようと考えたフランス
 のえげつなさがこの様な事態を引き起こしていた。
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1946年5月3日~1948年11月12日、極東国際軍事裁判(東京
 裁判)が行なわれたが、この時、横田喜三郎・東京大学
 教授は、この裁判の翻訳責任者を務めた。
  しかし、卑劣なこの男・学者の人生が、この時から始
 まる・・
  横田喜三郎は国際法の教授であるが、この立場から、
 東京裁判の明らかなる違法性を指摘する立場にあるのに
 東京裁判を擁護した。
  横田喜三郎は、マルクス主義の読書会(ベルリン社会
 科学研究会)に参加するなど親社会主義的な法学者とし
 て知られていた(左派系学者)
  1930年、東京大学の国際法の教授となり・・
  1945年、日本が戦争に負けると豹変した。
  1947年~1949年、3冊の本を書くが、GHQにすり寄り、
 進行中の東京裁判を擁護した。
  「事後法で裁いてはならない」という大原則でさえ擁
 護した(この学者の法理は弁解の出来ない「しっちゃか
 めっちゃか」状態だった・・自分さえ良くなればよいと
 いう行動をした)
  この近代法の根幹の原則に対して、「そんなものは大
 して考慮する必要はない(取り立てて言うほどでは無い)
 とまで、この男は言った。
  『裁判は正当なのだ』と力説した。
  法律家が、絶対に言ってはいけないということまで言
 うという状況だった。
  (参考)法理:ほうり、法律の(哲学的な)原理
  また、この様な類いの輩が多いという東京大学だった。
  今・現在でも、日本を売る輩が多く居る大学である。
  近隣諸国と問題となるネタを与えるという行動をする
 輩さえ居る(朝日新聞だけではない)
  1960年、この横田喜三郎は、最高裁判所長官となり、
 文化功労者として表彰された・・
  また、文化勲章も貰い、勲一等旭日大綬章まで貰った。
  左翼から豹変し、GHQが日本を牛耳っている時には、
 GHQにすり寄り、その時の都合に合わせて言うという
 男だった。
  そして、日本政府にすり寄って栄達する時は・・、
  過去に書いた本が邪魔になるので、東京中の本屋へ弟
 子を走らせ、自分の本を隠す目的で買占めをさせるとい
 う男だった。
  この話は、この頃、誰でもが知る有名な話となった。
  笑い話的な事は、この時、この為に、この本の価格が
 値上がったという。
  国は、表彰などをして報いたが、この男は、最後に書
 いた回想録で先祖返り(せんぞがえり)をして、日本を
 裏切った。
  ちゃらちゃらと豹変する男のする様な事だった。
  中国のハニートラップに引っ掛かって、日本を裏切る
 政治家が居るが、日本の中枢の学者もよく日本を裏切り、
 日本を売る・・。
.
1961年5月、アメリカのベトナム戦争介入
  アメリカが、正規軍の特殊作戦部隊600人をベトナムに
 派遣し、軍事物資とともに本格的介入を、この時、始め
 た。
  南ベトナム解放民族戦線を壊滅させる目的で、クラス
 ター爆弾、ナパーム弾、枯葉剤を使用する攻撃を開始し
 た。
  ケネディ政権は、就任直後に、東南アジアにおけるド
 ミノ理論の最前線にあったベトナムに関する特別委員会
 を設置し、統合参謀本部に対してベトナム情勢について
 の提言を求めた。
  特別委員会と統合参謀本部は、ともに、ソ連や中華人
 民共和国の支援を受けてその勢力を拡大する北ベトナム
 による軍事的脅威を受け続けていたベトナム共和国(南
 ベトナム)へのアメリカ正規軍による援助を提言した。
  ケネディは、正規軍の派兵は、ピッグス湾事件やキュ
 ーバ危機、ベルリン危機など世界各地で緊張の度を増し
 ていたソビエト連邦や中華人民共和国との対立を刺激す
 るとして行わなかったものの・・、
  「(北ベトナムとの間で)ジュネーブ協定の履行につ
 いての交渉を行うべき」とのチェスター・ボウルズ国務
 次官と、W・アヴェレル・ハリマン国務次官補の助言を
 却下した。
  「南ベトナムにおける共産主義の浸透を止めるため」
 との名目で、1961年5月に、アメリカ軍の正規軍から構成
 された「軍事顧問団」という名目の、実際は、ゲリラに
 対する掃討作戦を行う特殊作戦部隊600人の派遣と軍事
 物資の支援を増強することを決定した。
  そして、南ベトナム解放民族戦線を壊滅させる目的で、
 クラスター爆弾、ナパーム弾、枯葉剤を使用する攻撃が
 開始された。
  日本は、第二次世界大戦の後、「平和に対する罪があ
 る」とされて裁かれ、多くの日本の軍人が殺されたが・・
  しかし、アメリカの、このベトナム戦争の侵略戦争を
 遂行したことは、「平和に対する罪がある」。
  この裁きが、まだ行われていない。
  また、同様に、アメリカは、「グレナダ侵攻」でも同
 様な罪がある。
  また、「パナマ侵攻」でも、「リビア空襲」でも、ア
 メリカには、「平和に対する罪がある」。
  そして、中国も、数々の侵略戦争を遂行していて、中
 国にも多くの「平和に対する罪」がある。
  中国には、「朝鮮戦争」「チベット侵攻」「中印紛争」
 「中ソ国境紛争」「中越紛争」などなど・・、
  また、アメリカは、ジェノサイド(大虐殺)を、ベト
 ナム戦争で行っていて、「人道に対する罪」がある。
  また、中国も、ジェノサイド(大虐殺)を、度々、行
 なっている。
  「人道に対する罪」を免(まぬが)れられない、「毛
 沢東による大躍進・文化大革命」「天安門事件」「チベ
 ット人弾圧」など・・
  本「共産主義国書」(ステファス・クルトワ・ニコラ・
 ヴェルト著)には、国別の残虐行為・蛮行を仔細に分析
 されている。
  それによると、中国が断然多数の非道な殺戮を行なっ
 ている。
  その数は、何と! 6500万人となっている。
  虐殺国家=中国となっている。
  こんなに虐殺を行なっている国は、他にはない。
  この事柄だけでも「共産主義国家=中国の存在理由は
 無い」・・
  中国の存在は否定されなければならない。
.
1998年、中国の江沢民総書記が、日本を訪問する直前、中
 国共産党が「21世紀の中日関係の展望」をまとめた。
  それに、「日本人をコントロールするために、日本へ
 歴史問題を突き付ける。そして、日本人を後退させる」
 と書かれている。
  そして、この中に、「日本国内に孔子学院を設立する」
 という事も書かれている。
  孔子学院は、中国語の教育機関とされている、その様
 な触れ込みであるが・・、
  アメリカやドイツなどでも問題となっているように、
 完全に中国のプロパガンダ機関・・中国の洗脳機関で、
 コントロールの為の機関となっている。
  20年を経て、この様な中国の目論見・本音が露呈して
 いる。
  中国から金を貰っているのか? キリスト教系大学の
 桜美林大学や、また、早稲田大学などに設立されている。
.
2018年12月26日、NHKの小会社整理
  この日の読売新聞に、NHKの2子会社が経営統合す
 ると報道された。
  NHKには、NHKの豊満で放漫な金に群がって、N
 HK職員の天下り先でもある子会社が数限りなくある。
  それにしても、この統合をNHKは2020年の春にする
 とした。
  いつもの・・そして、総べてのやることがNHKは、
 この様な状況だ・・遅い・・まったく遅い・・民間会社
 だったら半年でやってしまうことを・・ちんたらやる。
  NHKは、やることの総べてに、厳しさがない。
  再来年(さらいねん)の2020年の統合だという甘いと
 ころがNHKのだらしなさを象徴している。
  NHKは、長い期間、「頑張るな!」という番組をキ
 ャンペーンとしてやって来たが、その様なNHK体質が
 この小会社統合にも現れている。
  「再来年と言われて・・いつまでチンタラやるのだ!」
 と喝(かつ)を入れたい・・
  NHKは、この統合を半年で民間の様に終わらせ、ど
 んどん業務を整理統合し、合理化して行け!
  そして、NHKは受信料を半分する目標を掲げよ!
.
2019年1月8日、北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)が中国
 を電撃訪問・・
  この2日前の2019年1月7日には、アメリカが軍艦を南シ
 ナ海に入れ、「航行の自由作戦」を実施している。
  この南シナ海は、今では、中国は世界へ嘘をついて、
 完全な軍事基地・要塞と化している・・
  『軍事基地化はしない』などと言っていた中国である
 が、この海の多くの島々は、今は、各種の軍事の諸設備
 および兵器・戦闘機・ミサイル・レーダーなどが置かれ
 た要塞となっている。
  もう、アメリカは、この地を叩くことはできないであ
 ろう・・
  確実な中国の軍事拠点として確立されてしまっている・・
  北朝鮮の金正恩にしても、ほぼ対等に何度も会ってく
 れる中国のこの状況などから、核保有国になったからだ
 との表にあらわせない気持ちもあって、今後の核放棄は
 『まずあり得ない状況になってしまった』・・
  この段階でやれることと言ったら、アメリカの核の日
 本国内の核展開・・
  日本をやるのなら、中国も北朝鮮も一瞬にして蒸発す
 るぞという対抗措置しかない・・
  これによって、日本への手出しもできにくくなると同
 時に、アメリカへの手出しもできにくくなる・・
  そして、国連には、「国連という虎の威を借る狐」が
 居る。
  アメリカのジョン・ロバート・ボルトン(国家安全保
 障問題担当大統領補佐官、元米国国連大使)が、「国連
 の上の10階を取ってしまえ」と言ったという・・
  これは、国連が何もしてない組織であり、取ってしま
 ってもよい様な何も役に立たない機関なのだという意味
 だという・・
  その様な国連の状況で、国連は捉らえられ方をしてい
 る組織となっている。
  国連という場に万国が会し、意見を出し合い、討論を
 する。
  まったく理想的な、合理的な機関の様に見える国連。
  しかし、それは、全体会合がなされる本会議の情景で
 あって、
  そして、この場面が報道機関・メディアによく報道さ
 れ、流れるから、国連はこの様な事をする「理想的な機
 関だ」なんて見え、思えるが・・、
  この全体会合がなされる本会議以外の国連の場は、少
 数の者が意思を決定するという、「少数意見が横暴に決
 定される、独裁的に決定がなされる場」となっている。
  まったく一握りの少数の者の独断の場となっている。
  この様な決定が、国連の場の決定という事で「さも公
 正の様にに行われた」と世界に誤解を与えている。
  そして、まちがった認識・・誤認を与える結果となっ
 ている。
  その少数の者達の弾圧が、国連という虎の威を借りて
 行なわれる。
  この不合理な事を知る不埒なキリスト教は、この国連
 機関の少数の者たちへ働きかけ・・そして、洗脳などを
 行ない・・キリスト教の意見を世界の意見の様にしてい
 る。
  「アイヌが日本の先住民だ」と、科学的にまったく間
 違ったことを国連決議をしている。
  クジラが食べられなくなったのも、やはり、このキリ
 スト教の働きかけ・運動の仕業(しわざ)。
  遠い昔から食べて来た日本の食べ物を奪った・・食文
 化を消し去られた。
  キリスト教の教義による「クジラは食べてはいけない
 という事を日本は押し付けられた」。
  ならば、キリスト教よ!「七面鳥を食べることを止め
 よ」「牛を食べることを止めなさい!」・・できますか?
  キリスト教は、仲間を集めて多数を形成し、クジラを
 食べる少数のマイノリティ意見を握りつぶした。
  キリスト教という宗教的取り決め・決定であるため、
 何ら説明しても聞く耳を持たなかった。
  議論の場があっても、その議論の場での正常な意見の
 交換は出来なかった。
  宗教裁判所状態であった。
  「最初から結論ありき」だった。
  何度、説明しても、その意見を受け入れるそぶりも無
 かった。
  何度、説明しても受け入れられない「ガリレオの地動
 説」の如く、宗教タブーに触れた話だった。
  この件もガリレオの地動説の如く、ローマ法王が何百
 年かの後に「悔い改めのミサ」をやり、ガリレオに謝っ
 たが如くになるだろう。
  聞く耳を持たない宗教裁判の如きの場から日本は脱退
 した。
  これから中世ヨーロッパで、キリスト教が卑劣な弾圧
 をやり続けたが、日本もこの様な卑劣な弾圧を受け続け
 ることになるのだろう。
  そして、北朝鮮の金正恩が電撃訪中した時・・
  北朝鮮の金正恩がアメリカの真似をして、アメリカに
 届くかどうかはわからないが、そのミサイルの発射装置
 をもって中国へ出かけた。
  そのミサイルの方向は、日本・アメリカは勿論、その
 北京へも向いているのだろう。
  北京がそそのかして技術援助をした結果が今なのであ
 るが・・そのミサイルが北京へ向くということもあり得
 る状況にある。
  北朝鮮は、自国が生き残りのために作ったミサイル。
  自分以外に対しては、北朝鮮の生き残り目的の・・生
 き残るためにはそのミサイルの数には差があるだろうが・・
 北朝鮮のリスク回避のため、皆無状態にしている訳はな
 い・・当然、中国にも向けている・・
  当然、韓国にも向いている。
  ゴマを磨っているから韓国には向いてないと、韓国は
 思いたいのだろうが?
  この男は、近距離のミサイルも持っているが、これは
 韓国用だ。
  危ないと思えば伯父さんだって除外する者・・そして、
 兄だって・・誰だってやる様な男なのだ・・
  こんな事を書きたくないが、これが現実・・
  この愚かな領域を人類は乗り越えられるか?
  一旦、最低状態を経験しなければ、人類は立ち直れな
 いのだろうか・・
.
2019年1月9日、この日の読売新聞で、イギリス人の政治学
 者のエリック・カウフマン氏が言う・・、
  全紙を使った堂々たる寄稿であった・・が・・
  カウフマン氏は書く・・
  「白人としてのアイデンティティーを抑圧し、過去の
 歴史への罪悪感を煽ることは、白人を追い込み、ポピュ
 リズム的な不満を掻き立て、テロに発展する恐れすらあ
 る」・・と・・
  確かに、歴史の過去に、白人たちのやって来た事は極
 悪で・・卑劣だった。
  それを、ひたすら指摘し、煽らないでくれという書き
 出しだった。
  そう・・イギリス人は、特に、世界のあちこちで極悪
 な事をした。
  オーストラリアへ行けば、先住民のアボリジニの方々
 を、動物の如くに、狩りをする様に、殺戮した。
  タスマニア島のアボリジニの方々は、可哀想に全滅し
 てしまった。
  インドでも、様々な極悪行為をしたが・・
  その一つを書けば・・インドの方々を並木道の木々へ
 吊るして、殺した・・高い木の上に、インドの方々は吊
 るされたままに居た・・
  何日もそのままにして晒(さら)されて・・インドの
 方々を威圧した・・
  インドの方々は、それを、道を通るときに見ざるを得
 ない状態にされ、抑圧された・・恐怖された・・
  この様なイギリス人のやった例は、書き切れないほど
 ある。
  スペイン人も、キリスト教の最高権威者のローマ法王
 (教皇)から、問い合わせた返事に、「現地人のインデ
 ィオの方々を『人と見なすな』という返事」で・・
 これを切っ掛けに1000万人以上という殺戮が始まった。
  60年に渡って、南北アメリカ大陸の先住民の方々を殺
 戮し続けた。
  キリスト教の「有色人種蔑視」の教え・教義にこの根
 本原因があった。
  ローマ法王(教皇)は、この非を数百年後に認め、
 「悔い改めの謝罪のミサを行った」。
  しかし、キリスト教が、また、白人が、悔い改めの謝
 罪のミサをすべきところは、まだまだある。
  白人が、多数の人種という位置にいたから起きた横暴
 でもあった。
  その位置から・・白人が多数の人種の位置から降りる
 今・・白人に虐げられて来た少数民族の悲哀さを身をも
 って感じる事が出来るだろう今・現在、標記の様な事を
 言い出す。
  キリスト教の一神教は、その宗教性から多様性を否定
 した。
  我がキリスト教の神のみが「唯一の神だ」と、他を認
 めず、他を異端とし、異教徒とした。
  その異教徒を・・キリスト教の教義は「異教徒を殺せ」
 と指示し、教義とした。
  そして、異教徒を虫けらのように進んだ武器でもって
 劣った有色人種を殺戮した。
  その様にして来た白人が、その論理を取って返して、
 「白人文化の罪悪感を煽るな」と言う。
  今まで散々自分たちがやって来た事々を棚の上にあげ
 て、免罪符が欲しいと言うが如くに論理展開する。
  今になって、やっと、悲痛な人々の声を、やっと発す
 ることができる・・今まで虐げられてきた人々なのだ・・
 その様な段階になって来たところの今なのだ。
  この段階は、この悲痛な虐げを受けた人々の声がやっ
 と白人たちへ届く時代となって来たところなのだ。
  また、カウフマン氏は、「西側社会は総じて、多文化、
 多様性の受け入れを重視しますが、東アジアでは、国際
 主義的なリベラリズムを遠ざける傾向が強い」と言う。
  そして、この見方を根幹の基本として、この後の論理
 展開をするが・・、
  この根幹の基本的考え方の捉え方は大間違いだ。
  キリスト教の教義に洗脳された白人・ヨーロッパ人は、
 一例をあげれば、キリスト教カトリックが、キリスト教
 プロテスタントを異端だとして、受け入れられないとし
 て・・、
  また、この反対に、キリスト教プロテスタントもキリ
 スト教カトリックを、異端だとして受け入れられないと
 した。
  お互いの考え方の違いを、キリスト教の教義の如く異
 端として見て、愚かにも30年間もの長い間、卑劣な30年
 戦争を戦い、殺し合った。
  ヨーロッパの白人の人口の3分の1が死んだという卑劣
 な歴史である。
  カウフマン氏が美しく言う「西側社会は総じて、多文
 化、多様性を受け入れを重視する」・・と・・これは大
 間違いだ・・話が逆だ。
  日本を例にして言えば・・日本には、アメリカが建国
 されるズーット以前・・また、イギリスが、まだ国とし
 て成り立っていないという以前の遠い昔に、平等院が日
 本にある如く、差別なく、すべてを平等に受け入れる社
 会は、すでになされていた。
  また、世界一古い長編小説の著者が、日本女性である
 如く、男女の差別も無く、教養ある女性方たちが活躍し
 ていた。
  カウフマン氏よ! 貴方には、有色人種の東アジアの
 人々を蔑視するキリスト教の洗脳があるのではないです
 か?
  東アジアをもっと冷静に見直しをして下さい。
  キリスト教には、「他民族へ、娘を嫁になるな」など
 の律があるなど、この様な差別的な閉鎖的な社会規律が
 一杯ある。
  この宗教の考え方の下に貴方たちは居る・・
  この様な点を見ないで、無視して論理展開をしないで
 下さい。
  東アジアは、「自民族同士の結婚が多いから悪い」と
 いう言い方も偏頗ではありませんか?
  この考え方も偏見に満ちています。
  結婚は、各人の自由意思の下に自由に行われるだけで、
 自民族同士が多いから悪いとか・・とやかく批判し・・
 どうのこうのと言うべきものではない・・
  カウフマンさん、貴方には、「白人がやっていること
 が最高なんだ」という「白人優越の意識」が垣間見えま
 す。
  白人は、これから、未体験のマイノリティの人々とな
 って行く。
  大多数の時にした黒人奴隷の歴史のごとき歴史が待っ
 てない様にと祈ります。
  白人の方々こそ、自分たちが何をやって来たかをよく
 見定めて・・
  自分たちの行く先に、その虐(しいた)げたマイノリ
 ティの人々と同じ様な姿が無きようにと・・
  問題なく歴史を紡いで行けるようにと、沈思し、行動
 を思い描きなさい。
  「白人の罪悪感を煽らないこと」と、自分をさておい
 て・・他の人々の対応だけを求めることの愚かさに気付
 きなさい。
  お互いがやるべき事であって、一方にだけ求めるなど、
 片手落ちであってはいけません。
  (追伸)上記の浅はかな論理展開したエリック・カウ
     フマンの略歴:48歳、ロンドン大学バークベッ
     ク・カレッジ教授。
      香港に生まれ、幼少期の8年間、東京で育つ。
      カナダで大学卒業後、ロンドン・スクール・
     オブ・エコノミクスで博士号。
      専門は、民族、宗教、ナショナリズムなど。
      近著「ホワイトシフトーーポピュリズム、移
     民、白人多数社会の将来」を2018年10月に刊行、
     イギリス内外の言論界で高い注目を集めた。
.
2019年、専守防衛なんて絵に描いた餅。
  中国が、核弾頭ミサイルを300発から600発持っている
 というが・・、
  これが、日本に飛んで来たら、日本は「ひとたまりも
 ない」。
  そのすべてを撃ち落とす事は出来ない・・
  撃ち落とせると思っているのだったら・・悲惨な事実
 から目を背(そむ)けたい・・だから、撃ち落とせると
 思っているのだ・・ということになる・・
  中国の核弾頭ミサイルは、日本のほとんどの都市に照
 準を合わせている・・中国はその様に言っている。
  第二次世界大戦の時は、アメリカが、何万発という爆
 弾を・・日本中の都市に落したが・・そして、壊滅した
 が・・、
  今・現代、その核弾頭ミサイルは、一発でも落された
 ら、それで終わりだ。
  投下された都市の「すべてが、蒸発してしまう」。
  専守防衛は「おとぎ話」なのだ。
  防衛が不可能なのに「専守防衛する」と言う・・
  この論理は成立しない。
  生半可な防衛力を放棄して、「殺すんなら殺せ」と言
 った庶民の心になるか?である・・
  生半可な防衛力があるから攻めて来るとも言える・・
  だから・・はっきりと・・無責任な行為は止めて・・
  専守防衛を止めて「専守攻撃」に変えなければ「専守
 防衛」は出来ない。
  もし、あなたの国が、日本を攻撃するのでしたら、「
 日本は、あらゆる日本の攻撃手段を使って、あなたの国
 を攻撃します」という『専守攻撃宣言』をしなければな
 らない。
  これでなければ、専守防衛なんてできない。
  迎撃ミサイルは、単なる、「精神安定剤」。
  日本中に、そして、広い広い日本の領海中に、中国・
 北朝鮮・ロシアを殲滅できる核弾頭ミサイルを展開しな
 ければならない。
  「恐ろしくて日本なんて攻撃できない」という気持ち
 を起こさせなければならない。
  この「専守攻撃」の核弾頭ミサイルの展開は、アメリ
 カと協議し、早期に実現しなければならないという今・
 現在となっている。
  この様な現状にある今・現在を、冷静に見れば、日本
 国憲法の前文の記述が、あまりにもかけ離れた夢の世界
 の中に浮いていることが分かる。
  日本国憲法の前文は、現実の実情にそぐわない状態に
 なっている。
  日本は立派な国であるから、日本以外の国々の公正と
 信義に信頼してと、それを信じて、まったく理想的な憲
 法を掲げてやって来たが・・??・・今までは・・
  今・現在、その現状は、その様な状況ではまったくな
 いという状態になってしまっている。
  近隣の諸国は、陰で日本の憲法をうすら笑っているだ
 ろう・・都合が良いと思っているだろう。
  日本国民の方々は、お人好しだから、日本国憲法が現
 状とはまったくかけ離れて・・現状にそぐわないと思っ
 ていても・・我慢し、耐えている。
  しかし、これからの子供たちの為には・・
  「もうこのような我慢をさせる事は酷である」。
  子供を産みたくなる様な憲法にしなくてはならない・・
  今・現在の現状に沿う憲法を「未来へ残さなければな
 らない」。
  それが出来て日本の戦後は終わる。
  それにしても、ベトナムの方々もよく戦った。
  不合理なものへ対して、その戦いが必要な時には、強
 い相手であっても「毅然と戦わねばならない」として戦
 った。
  今、平和憲法なんて・・自画自賛の状況となっている。
  その憲法が、現状に於いて「何の役にも立たない」と
 いう状況が、戦後の経過の中で生まれ・・そして、証明
 された。
.
2019年、中国は、日本の中国研究者が、中国について批判
 的な研究結果を公表すると、とたんに、睨(にら)み・・
  そして、研究行為について不利な扱いをする。
  中国への入国は拒否される。
  研究のための中国入国の拒否だからたまらない。
  また、入国が出来たとしても、史料の閲覧の拒否を受
 ける。
  研究の材料を得られなくなるという事は致命的だ。
  中国は、この様な卑劣な事をする。
  だから、中国へゴマをする研究者ばかりになる。
  こんなことは誰でも知っている事で、だから、若い研
 究者は、中国の反応を怖がる。
  中国からのプレッシャーの中で研究している。
  だからなのか、中国べったりという方針にしたのか・・
 その様な中国べったりの研究者が居る。
  大学もその様な「いざこざ」が起きないことを願って
 いる。
  この様な大学の姿勢からのプレッシャーも研究者へ与
 えられている。
  また、大学へ来る研究者についても、中国とトラブル
 を起こしそうな研究者に対し、「わが大学にだけは来な
 いで欲しい」という態度をとる。
  研究者だけでなく、ジャーナリストへもこの様な戦略
 が中国にとられ、この戦略にはまってしまう。
  また、招聘(しょうへい)する人などについても、中
 国に不利な人の招聘の場合、中国は嫌がらせをする。
  何もかもが中国に寄り添う行動になるというプレッシ
 ャーの中での研究などの行動となる。
  この様に、きめの細かい情報を本国へ伝える工作員が
 存在しているということが分かる。
  その存在はものすごく厚い・・
.
2019年、中国の地の覇者は、以前からズーット漢民族であ
 ったのではない。
  色々な民族が、入れ代わり立ち代わり中国の歴史をつ
 ないで来たのだった。
  漢民族の現政権は、「中国、5000年の歴史」と言って
 いるが、中国の文明の発祥からの歴史の事を言っている
 のであって、現政権の漢民族の歴史が、さも、5000年間、
 続いたように言うのは大間違いで・・錯覚させている。
  中国の漢民族の現政権の歴史は『数十年』である。
  「つい、この間」という歴史である。
  漢民族の現政権の歴史は、新参者の新興なのである。
  現政権の漢民族中国政権は、この様な錯覚を「この他
 にも、色々、行なって」いて、世界を錯覚させ、その様
 に思わせている・・
  色々な事で、事実の誤認を起こさせているから注意を
 要する。
  「中国人民解放軍」と言わせられているが、その実態
 は『中国人民侵略軍』である。
  この中国共産党軍は、中国に接する近隣諸国の侵略ば
 かりをしている。
  解放とは程遠い事ばかりをしている。
  近隣諸民族の殺戮と弾圧である。
  チベット、ウイグル、内モンゴルなどは、とうとう、
 中国の国の様にされてしまっている。
  この他にも、ベトナムなどは、何度も、共産中国軍(
 中国人民侵略軍)の侵略を受けたか知れないという悲惨
 な歴史となっている。
  そして、今、ネパールやブータンが怪しい・・
  また、「中国東北部」と呼ばされている地域は・・『
 満州族の地域』であった・・
  そして、今は、その民族が、満州族が、まったくこの
 地域に居ないという事である・・
  殺されたのか? 追放されたのか? 不明であるが?? 
  だが本来は、まったく中国とは関係のない地域で・・、
 「中国東北部」ではなく、『満州族部』とでも呼ぶべき
 地域だった・・強いていうのなら「中国東北侵略部」。
  万里の長城のはるか北にあるこの地を、なんで中国と
 呼ぶのか?・・である・・その様な地ではない。
  万里の長城のはるか北のこの地を、中国と呼ぶのは『
 不適切である』。
  中国は、この万里の長城の北の「外の地」を、まった
 く関係ないという意味の『化外の地』として・・中国の
 力の及ばない他民族の地としていた・・
  だから、その中国と関係のない民族が、中国の地に入
 って来ない様にと「万里の長城を築いた」のだった。
  中国は、この様な地を『中国東北部』と呼はさせて、
 世界を錯覚に陥(おちい)らせようとしている。
  満州族の地の痕跡を消そうとしている。
  「中国東北侵略部」なのである。
  「チベット」も「ウイグル」も「内モンゴル」も、皆、
 同じ『中国侵略部』である。
  チベット民族は、隣国のインドに、チベット亡命政府
 を樹立している。
  1959年から、ダラムサラに、中国の侵略・軍事制圧か
 ら逃れた人々が建設を始めた。
  1953年3月、インド政府は、チベット本国を追われたダ
 ライラマ14世に対し、この地を提供し・・
  1960年、チベット亡命政府は発足した。
  そして、各種の官庁も築かれた。
  この様に、国際法無視の行動をする中国は、グローバ
 ル化が進むと「都合が良いと考えている」。
  自らは漢民族の世界にしようとしているが・・それ以
 外の民族性を薄めたいと、グローバル化が都合よいと考
 えている。
  中国は、南シナ海も、近隣諸国の領地を奪い軍事基地
 化した・・
  これはアメリカの真似をしている・・
  それを阻止したのが日本だった・・日本は大きな戦争
 をした・・その戦いの後、アジア諸国は独立して行った。
  今、その諸国=ASEAN(東南アジア諸国連合)は、
 次の世界の繁栄の中心になろうとしている。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive

(増補版)627E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年5月~1895年8月)

2019-01-07 04:41:14 | 日記
題:(増補版)627E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年5月~1895年8月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
.
1895年5月21日、台湾総督府仮条例が制定され、総督府に
民政局、陸軍局、海軍局が設置された。
.
1895年5月28日、大阪鉄道の天王寺駅~玉造駅間が開通した。
  (参考)初代大阪鉄道は、1888年から1900年まで存在
     した日本の鉄道事業者(私鉄)
.
1895年5月29日、日本軍が、台湾北部に上陸した。
  1895年4月17日、日清両国は、下関条約によって日清戦
 争が終結させた。
  そして、日本は、清国から正式に台湾の割譲(かつじ
 ょう、国家間の合意によって領土主権の全部、または、
 一部を譲渡すること)を受け、両国間に平和が回復した。
  しかし、台湾割譲に反対する清国の文武官は、列強の
 干渉を呼び込むために、イギリスやフランスに台湾を貸
 与する計画や陰謀などの割譲阻止工作を実行した。
  これを起因として台湾問題が発生した。
.
1895年6月1日、凱旋門見学
  樋口一葉は、凱旋門が取り壊される当日、慌てて見学
 に行った。
  しかし、たまたま天皇陛下の還御の行列に当たり、よ
 うやくたどり着いた。
  「やがて凱旋門ちかく成れば、もはや取崩しに取かか
 れりとおぼしく、取りおろしたる杉の葉などここかしこ
 に山とつまれぬ」
    (日記『水の上』1895年6月1日)
  天皇陛下、還御(氷川清話)
  (参考)還御:かんぎょ、天皇陛下、・三后、将軍、
     公卿(こうけい)が出先からお帰りになること。
  (参考)三后:さんこう、后位(こうい)は、日本の
     朝廷において天皇陛下の配偶者や母・祖母等に
     与えられた太皇太后・皇太后・皇后の地位の総
     称で、三宮(さんぐう)・三后(さんごう)と
     も言う。
.
1895年6月4日、閣議で「将来の対韓政略は成るべく干渉を
 やめ、朝鮮を自立せしむるの方針をとるべし、故に他動
 の方針をとるべきことに決す」と決議した。
.
1895年6月7日、日本軍が、台北を制圧し・・
  6月17日に、台北で総督府始政式を行なった。
.
1895年6月10日、台湾鉄道線司令部が設けられ、陸軍が台湾
 の鉄道の運営に当たり、基隆駅~台北駅間の運転が開始
 された。
.
1895年6月17日、台湾都督府で始政式が行なわれた。
  初代総督に樺山資紀海軍大将が就任した。
  台湾総督府開庁は、この日を台湾始政記念日とした。
.
1895年6月18日、仮設呉兵器製造所が設立された。
.
1895年7月4日、横浜クリケットクラブのトラックで自転車
 競技が行なわれた。
.
1895年7月6日、露仏両国による対清借款が成立した。
  4億フランが成立した。
  日清戦争の後、イギリス・フランス・ロシア・日本・
 ドイツの帝国主義諸国は、租借地の獲得や鉄道敷設権・
 鉱山採掘権などの利権という形態で中国の国土を分割支
 配して行く・・その手始めの借款だった・・ロシア・フ
 ランスなど列強に対して外債を発行し、借款した(外国
 から資金を借りた)
  列強は、この借款を通じて鉄道敷設権を獲得したり、
 鉱山採掘権を獲得して行った・・
  列強は、この借款という形で清朝政府から租借という
 形で奪って行った・・
  19世紀のこの頃、中国は、事実上、反植民地状態とな
 った・・
.
1895年7月13日、夏目漱石:愛媛県尋常中学校(松山中学)
 の英語教師を勤める漱石(28歳)
  日清戦争に出征していた松山連隊の凱旋を迎えるため、
 生徒を引率して、フロックコートに山高帽というハイカ
 ラな正装で、松山市郊外の八丁畷(なわて)へ出向いた。
  この式から帰る途中、師範学校の生徒と松山中学の生
 徒との間で乱闘騒ぎが起きた。
  教師にもそのとばっちりがおよび、田んぼの中に押し
 込まれたりした。
  漱石の小説「坊ちゃん」にも書かれている。
  「喧嘩は今が真最中である。
  師範の方は五六十人もあろうか、中学はたしかに三割
 方多い。(中略)
  入り乱れて組んず、ほぐれつ戦っているから、どこか
 ら、どう手をつけて引き分けていいか分らない。
  山嵐は困ったなという風で、しばらくこの乱雑なあり
 さまを眺めていたが、こうなっちゃ仕方がない。
  巡査がくると面倒だ。
  飛び込んで分けようと、おれの方を見ていうから、お
 れは返事もしないで、いきなり、一番喧嘩の烈しそうな
 ところへ躍り込んだ」
  大騒ぎしているところへ巡査が駆け付けて来て、生徒
 たちは逃げ去り、坊ちゃんと山嵐だけが警察に引っ張ら
 れる。
  翌日の新聞には、生徒たちを扇動して騒ぎを起こした
 と書き立てられる。
  我軍凱旋(氷川清話)
.
1895年7月25日、山陽鉄道の尾道駅~糸崎駅間で軍用列車が
 脱線転覆した(死者11人、重軽傷98人)
.
1895年7月、ラベンナ号事件の日本政府とピーオー汽船との
 損害賠償請求裁判で、イギリス上院の判決が出され、ピ
 ーオー汽船の訴えを退けた。
  賠償金は、1万ポンドでの和解成立となった。
.
1895年7月、北海道全道の鉄道調査が終了した。
.
1895年7月、三国干渉の影響で朝鮮が親露政権となった。
.
1895年8月5日、日清戦争論功行賞が行われ、伊藤博文、山
 県有朋、大山巌、西郷従道が侯爵となった。
.
1895年8月6日、台湾総督府条例が制定された(陸達第70号)
  総督幕僚、陸軍局、海軍局が置かれた。
 ・総督幕僚 参謀部
       副官部:第一課(文書関係)第二課(人事
           関係)第三課(用度関係)
 ・陸軍局  砲兵部 工兵部 憲兵部 監督部 軍医部 
       法官部 電信部 郵便部
 ・海軍局
.
1895年8月15日、豊州鉄道の行橋駅~伊田駅間が開通した。
.
1895年8月17日、三浦梧桜を朝鮮駐在公使に任命した。
  (参考)三浦梧桜:みうらごろう、政治家・陸軍中将・
     子爵。
      山口の生まれ、長州藩の尊攘運動に参加した。
      広島鎮台司令長官として萩の乱を鎮圧した。
      王事に尽瘁(じんすい、自分の労苦を顧みる
     ことなく、全力を尽くすこと)する。
      枢密顧問官。
      1926年、没、81才。
.
1895年8月22日、下総鉄道が、社名を成田鉄道会社と改称し
 た。
.
1895年8月22日、浪速鉄道の片町駅~四条畷駅間が開業した。
  運転時分38分、1日19往復の列車を50分間隔で等間隔運
 転。
.
  (今日の言葉)
.
  題:日本は、共産独裁国家に包囲されている。
    もう、韓国は共産国家だと考えてよい。
    アジアにおける「第二次世界大戦の勝者」は、アメリカではない。
    勝者は共産国家である・・
    「共産・中国」「共産・ソ連(現:ロシア)」である。
.
1896年、イギリス人で首相になったチャーチルは、若いこ
 ろ、ますます苦しくなっていた家計のために更なる従軍
 経験と新聞特派員としての原稿料を得たいと渇望した。
  そして、オスマン=トルコ帝国の支配に抗して蜂起し
 たクレタ島へ赴く事を希望した。
  また、ジェームソン侵入事件が発生した南アフリカな
 どに特派員として赴く事を希望した。
  結局、これらは、実現しなかった・・が・・
  1896年冬、第4女王所有軽騎兵連隊とともに、チャーチ
 ル(22歳)は、イギリス領インド帝国に転勤することに
 なった。
  インド駐留のイギリス軍将校は、まるで王侯のように
 暮らした。
  日常生活をすべてインド人召使に任せた。
  チャーチルもそのような生活を送った。
  インド人召使をかなり安い給料で雇うことができた。
  インドでチャーチルはよく読書をした。
  そして、このインド勤務時代、実戦に参加した。
  1897年夏、インド西北の国境付近で発生したパシュト
 ゥーン人の反乱を鎮圧した。
  この反乱が発生するとチャーチルは、マラカンド野戦
 軍に入隊を希望した。
  はじめは新聞の特派員として、
  また、将校に欠員が生じた後には、その後任として、
 戦闘に参加した。
  チャーチルは、勲章が得たいと焦った。
  その為、しばしば独断で無謀な行動に出た。
  そのため、チャーチルは、帰隊を命じられた。
  後になって、チャーチルは、「歴史に学べ」という言
 葉を繰り返し言った。
  (参考)パシュトゥーン人:アフガニスタンの中部・
     南部、および、パキスタン北西部のカイバル・
     パクトゥンクワ州・辺境部族自治区に各1千数百
     万人が居住している。
      アフガニスタン人口の45%とパキスタン人口の
     11%を占めている。
      インド・ヨーロッパ語族イラン語派のパシュ
     トー語を話し、多くの部族集団に分かれて伝統
     的には山岳地帯で遊牧などを行って暮らしてき
     た。
      強固な部族の紐帯を維持しており、パシュト
     ゥーンワーリと呼ばれる慣習法を持ち、男子は
     誇りを重んじている。
.
1927年、リンドバーグが、初めて単独で大西洋を無着陸横
 断飛行を成功させた(約33時間30分)
  この頃、アメリカは、すでに、イギリス、ドイツ、フ
 ランスの三国を、はるかに抜くという世界最大の工業国
 になっていた。
  そして、間もなく、その頃より一世紀、100年を越えよ
 うとしている今・現在・・
  その主役(アメリカ)の座が、今までの歴史の様に、
 「変わろうとしている」。
  イギリスもしかりだった。
  イギリスからアメリカへの変遷の様に、今・現在、ア
 メリカから次なる主役・中国へ「バトンタッチ」されよ
 うとしている。
.
1937年11月、日本を貶める嘘情報の本「what war means」
 が、イギリスで出版された。
  第二次世界大戦中、中国・国民党(この頃、中国・共
 産党は壊滅の憂き目にあっていた、そして、中国の奥地
 に潜んでいた)の国際宣伝処長は、日本への嘘の宣伝工
 作・プロパガンダが、あまりにもうまく行ったと言って
 いる。
  この嘘つきの男が牛耳っていた国民党から発信される
 作り話の嘘情報が、英訳され、世界を駆け巡った。
  日本は、この作り話で酷く貶(おとし)められた。
  その一つが、1937年11月、イギリスで出版されたティ
 ンパーリーの「what war means」。
  実に手際よく、中国国民党から発信され、英訳され、
 国際社会に喧伝(けんでん、盛んに言いふらし、宣伝す
 ること)され、広まった。
  その中国・国民党国際宣伝処長の曽虚白は、回想録で
 そのあまりにも巧(うま)く行き過ぎたことを驚きと共
 に記している。
  これで、南京事件がでっち上げられた。
  そして、このデッチ上げられた南京事件で、日本の無
 実の軍人たちが、アメリカがデッチ上げた東京裁判で有
 罪だとされ、殺された。
.
1945年9月15日、鳩山一郎の『正義の発言』・・発行媒体は
 停止処分を受ける・・アメリカの卑劣な口封じ行為。
  GHQは、「パージ」をして、GHQを批判しそうな
 記者を追放した。
  そして、GHQを気にする報道陣にさせられた。
  また、ゴマを刷る記事にされた。
  しかし、その様な中で・・、
  1945年9月15日、鳩山一郎は言った・・、
  「〝正義は力なり〟を標榜する米国である以上、原子
 爆弾の使用や無辜(むこ、何の罪もないこと)の国民殺
 傷が、病院船攻撃や毒ガス使用以上の国際法違反、戦争
 犯罪であることを否む(いなむ、嫌だと言って拒む)こ
 とは出来ぬであろう。
  極力、米人をして(広島・長崎の)罹災地の惨状を視
 察せしめ、彼ら自身彼らの行為に対する報償(ほうしょ
 う、損失のつぐない)の念と復興の責任とを自覚せしめ
 ること(略)」と・・
  まったく当たり前のアメリカに対する正義の発言をし
 た。
  アメリカは、これに対して「発行停止」の命令をする
 という卑劣な行為をした。
  日本の新聞は、この様なアメリカの卑劣な弾圧に屈し
 てしまった。
  東京裁判など、国際法違反の裁判などに迎合した報道
 をする。
  GHQの報道担当(インボーデン少佐)が、非常に威
 圧的で強権を行使していた。
  「追放処分」や「発行停止処分」の強権を使った。
  新聞社は、これにひれ伏した。
  「アメリカ占領軍に従わなかったら新聞が出せない」
 という悲鳴の声を発した。
  国民の情報源の重要部分にあったこの頃の新聞は、こ
 の様な牛耳られた状態だった。
  (参考)口封じ:くちふうじ、その事が外部に漏れな
     いように、強権で口止めをすること。
  (参考)パージ:purge、追放。公職などから締め出す
     こと。
.
1950年10月7日、中国のチベット侵略
  この日の深夜、中国人民解放軍は、張国華将軍を指揮
 官として、ラサの東方100kmの位置まで侵攻した。
  中国人民解放軍の兵力は4万人・・これに対してのチ
 ベットの義勇兵はわずかな8000人だった。
  中国人民解放軍は、東チベットを3方から同時に侵略し
 た。
  8000人のチベット軍が阻止を試みた。
  チベット軍は応戦をするも、多勢に無勢で、チベット
 兵は各地で全滅した。
  進んだ兵器を持つ中国軍は強力で、チベット各地を駆
 け巡った。
  チベット兵は、また、各地で孤立した。
  翌10月8日、中国人民解放軍は、波状攻撃を仕掛けた。
  チベット軍も善戦し、阻止することに成功する状況も
 あったが、交戦不可能なまでに戦力を失った。
  その夜、チベット部隊は組織を維持できない状態まで
 追い込まれた。
  10月16日に至り、チベットの知事ンガプー・ンガワン・
 ジクメ(アボ)が、潜伏していたチャムド付近の寺院で
 発見された。
  チベット指揮官ダポンは、ンガプーに対して戦力を集
 中し抵抗したが・・
  翌日の10月17日に、中国人民解放軍に投降した。
  10日間の抵抗の戦いは終わった。
  1950年10月24日、中国人民解放軍は、チャムドを占領
 した。
  チベットという国は、7世紀に、ソンツェン・ガムポト
 ウ王が建国した立派な独立国だった。
  ソンツェン・ガムポトウ王は、ヒマラヤ山脈の北部に
 広がる高原地帯を平定してチベット国を建国していた。
  この様なチベット民族の国が、何も関係のない漢民族
 の中国共産党軍(中国人民解放軍と呼ばれるが・・本当
 は、中国人民侵略軍)によって、この年・1951年、不本
 意な侵略を受けた。
  突然の侵攻で大虐殺を受け、併合されてしまった。
  そして、チベット民族の伝統的な文化が否定された。
  (日本も、第二次世界大戦の後に、アメリカによって、
 日本文化・神楽などの破壊の経験を持っている)・・
  チベット民族は、漢民族の毛沢東の思想教育・・洗脳
 教育を始められた。
  チベット人は600万人だったが・・中国は、漢民族の自
 国民を、720万人という多くの漢民族をチベットへ流入
 させた。
  チベットへ流入させた漢民族によって、チベットの地
 は、漢民族が大多数を形成するという地となった。
  チベットがチベットの国から漢民族の国になった。
  漢民族の中国は、この様なやり方で、チベットという
 国を乗っ取り、奪った。
  そして、強烈な「エスニック・クレンジング(民族浄
 化作戦)」を行なった。
  チベット民族の方々への弾圧も凄(すさ)まじかった。
  チベット民族の方々は、堪(たま)らず、1959年3月10
 日、チベット民族の方々は立ち上がり、蜂起した。
  漢民族の中国は、この時とばかり、大部隊を送る戦争
 が・・本職の軍隊を多数投入して、チベット民族の方々
 を、11万人以上もの方々を虐殺してしまった。
  この後も何度も、最悪の弾圧に起ち上がるチベット民
 族の方々は殺され続けた・・犠牲者数は120万人以上に
 達した。
  もし、その様なことが、あなたの国で起きたら・・あ
 なたはどうしますか?・・どう思いますか?
  胡錦濤は、この時の担当であった・・
  チベットでのこの卑劣な酷い弾圧が、功績だとされ・・
 中国国家主席にまでなった。
  (参考)胡錦濤:こきんとう、1942年12月、上海で生
     まれる。
     1964年(22歳)中国共産党に入党
     1965年(23歳)清華大学卒業。専門の水利学を
      生かし甘粛省水利部門などに技師として勤務。
      当時、甘粛省党委員会書記だった宋平・元政
      治局常務委員に見出される。
     1982年(40歳)中国共産主義青年団 (共青団)
      甘粛省委員会書記に就任し、党活動専任に転
      じた。
     1984年(42歳)共産主義青年団中央書記局第1書
      記
     1985年(43歳)貴州省党委員会書記
     1988年(46歳)チベット自治区党委員会書記を
      歴任。
     1992年(50歳)第 14回中国共産党全国代表大会
       (党大会) 後に中央政治局常務委員に抜擢さ
      れる。
     1993年(51歳)以降、中国共産党中央党校の校
      長
     1998年(56歳)第9期全国人民代表大会 (全人代)
       第1回会議で国家副主席
     1999年(57歳)以降、中国共産党中央軍事委員
      会副主席を務める。
     2002年(60歳)第16回党大会後に党中央委員会
      総書記
     2003年(61歳)第10期全人代第1回会議で国家主
      席に選出され、中国の党機関と国家機関のトッ
      プに就任した。
.
1959年~1962年、中国の大飢饉
  この飢饉で、最小でも4500万人が死んだ。
  そして、最近になって閲覧できるようになった中国共
 産党の古文書では・・、
  毛沢東が、全体主義的権力の構築と、その強化のため
 には、極度の暴力を用いるしかないと決断したことを明
 らかにしている。
  だから、毛沢東は、この真逆のことを実行した。
  残酷なだけの、まったく意味のない行為を組織的に遂
 行した。
  歴史学者のフランク・ディケーターは、「人民解放戦
 争」「大躍進政策」「文化大革命」の三つで、毛沢東は、
 5500万人、そして、それ以上の人々を虐殺したと言った。
  共産主義国家は、何処も独裁国家で、情報統制をする。
  都合の悪い情報は隠して、実態を分からなくしている。
  数々の残虐行為をしているにもかかわらず、その実態
 がなかなか出て来ない。
  逆に、美しくプロパガンダされ、多くの人々が騙(だ
 ま)されている。
  だから、多くの知識人が共産圏に「正義」を抱いてい
 る。
  しかし、今・現在は、その実態が分かられて来ていて、
 その卑劣さも白日の下にさらされて来ている。
  だから、共産主義国家は、反体制の人々を厳しく監視
 する監視社会となっている。
  家族や友人の間にまでスパイを潜(もぐ)り込ませて
 いる。
  共産社会の人権抑圧は卑劣なものとなっている。
  共産圏では、その一握りの者による政治の実権の奪取
 の体制により、その不埒な体制維持のため、人類の最悪
 の行為=ジェノサイド(大虐殺)がよく行われる。
  その実態が分かって来て、共産主義社会の幻想の実態
 が目の当たりに感じられるようになった。
  日教組も共産主義に傾倒している組織であるが、その
 共産主義の実態が、さすがに分かって来たのではないだ
 ろうか。
  朝日新聞も馬鹿な新聞なのだが、共産圏国家の大虐殺
 を最初は否定した。
  今は、その何度も行われた大虐殺を否定できなくなっ
 ている。
.
1970年代以降、中国が、日本の領土である尖閣諸島を、「
 中国の領土だ」と急に言い出した。
  尖閣諸島は、「中国の古文書にも、日本の領土と認め
 ている記述がある」。
  その様な史実を無視して、中国は、「言いたいことを
 言い出した」。
  日本は、日清戦争以前から尖閣諸島をどの国も支配し
 ていないことを10年間も確認した後、国際法の要件を満
 たして、1895年に、領土に編入した。
  中国が領有権を言い出したのは、1970年代以降、東シ
 ナ海に石油埋蔵の可能性が指摘された後のことだった。
  中国の李克強首相は、「尖閣諸島は、日清戦争のどさ
 くさに日本が盗んだ」と、欧州旅行で言って歩いた。
  何を言っているんだと言いたい・・
  この日清戦争の頃の中国の認識は「尖閣諸島は、日本
 の領土だ」だった。
  1970年代以降に、「石油が埋蔵されている」とされて
 から、尖閣諸島を盗もう・奪(うば)おうとしているの
 は中国の方だ。
  中国は、最近になって、自国の領土だとして奪う行為
 を南シナ海でもやっている。
  南シナ海に存在するベトナムや台湾やフィリピンの領
 土まで奪おうとしている。
  国際司法裁判所でも、「中国の領土ではない」とはっ
 きり判決が下りた・・それなのに、中国は不法な占拠を
 続けている。
  そして、最初、「軍事基地化はしない」と言っていた
 が、今では、強引に軍事基地化をしている・・ミサイル
 配備までもしている。
  中国こそ、窃盗行為をしている。
  この様な悪評判は、昔から、中国にはある。
  よくやったからと車賃を多くあげると、感謝するので
 はなく、「こいつは金持ちだ、もっと催促してやれ」と
 いう発想を中国人はする・・そして、「多額な金を要求
 する」。
  この様な事例・・アメリカ人夫妻が、強盗に変わった
 中国人に殺された。
  道にいた中国人の乞食に、1円銀貨をあげた。
  1円といえば、1ヶ月間、食べられる金額だった。
  早速、仲間と共に、先回りして、この夫妻を殺してし
 まった。
  だから、中国へ金を与えるのは、よほど、注意しなく
 てはならない。
  金を貰っている間は良い顔をしているが・・それが、
 終わった時の反動が、中国独特の反動となって、予測不
 可能状態となる。
  今・現在、北海道の帯広の広大な土地が、中国に買わ
 れてしまっている。
  この行為は、この後、留まることなく続けられるだろ
 う。
  中国は、輪転機を廻せばいくらでも人民元が刷れる国。
  その様な人民元で、次々と北海道の土地が買われる。
  チベット、ウイグル、内モンゴルの如くになる。
  今・現在、満州の地に居た満州人の方々は、満州の地
 には居ないという状態となっている。
  北海道の地に、北海道の人たちが居なくなることが無
 いようにしなければならない・・
.
1995年、この頃より、中国は「日本軍に殺された中国人は
 3500万人だ」と言い出した。
  嘘やデッチ上げばかりを言う中国共産党政権というこ
 とは分かっているが、この嘘も酷い嘘だとすぐ分かる。
  この当時、日本軍は35万人が居た。
  中国共産党政権の言う通りだったら、一人が100人を殺
 したことになってしまう。
  野戦病院に居た軍医や看護婦さんまでが100人殺したこ
 とになってしまう。
  この様な嘘を言う中国共産党政権は、自身が、自国民
 の中国の国民の方たちを6500万人も虐殺したことを隠し
 ている。
  また、因みに、ドイツのナチスが、ユダヤの方々に対
 する虐殺は400万人と言われていた。
  しかし、この人数に関し、冷戦の終結後、研究者の方
 たちが正確な数を検証した結果、約150万人だとなった。
  この数字が広く、今は、認知されている。
  何故? 400万人という数字になったかというと・・
 ソ連が、ナチスの罪を過大にしていた・・それは、自身
 が起こした「カチンの森」などの大虐殺の罪を薄めたい
 としてやったことだった。
  共産国家はこの様な安易な嘘をよく言う・・
.
2003年2月25日、韓国の第16代大統領に蘆武鉉(ノムヒョン)
 大統領がなった(~2008年2月24日)
  日本と韓国は、誠実に向き合い、1965年、日韓基本条
 約を締結し、それまでのすべての日韓間の問題や懸案事
 項をすべて解決した。
  もう、残る問題はないという状態にした。
  しかし、卑劣な事に、この韓国が、今までよくやって
 来たように、後になって、韓国の蘆武鉉(ノムヒョン)
 大統領は、言い出した・・「屈辱的な条約だった」と・・
 そして、「あの時は自分たちの認識が低くて、もっと(
 金を)貰うべきだった」とか、「個人補償はまだだ」な
 んて言っている。
  これは、韓国の方々へ真実を言っていない。
  それまで、韓国は、1965年の日韓基本条約の議事録を
 韓国国民の方々が見ることができない様にしていた。
  まったく卑劣である。
  また、個人補償は、韓国政府が「個人補償は、我々・
 韓国政府がやるから、その分の金は我々(韓国政府)に
 支払ってくれ」と・・、我々・韓国政府がやるからと言
 った。
  日本は、その通りに巨額な金を韓国へ支払った。
.
2006年10月24日、韓国で一心会事件が起きた。
  日本は、共産独裁国家に包囲されている。
  もう、韓国は共産国家だと考えてよい。
  アジアにおける「第二次世界大戦の勝者」は、アメリ
 カではない。
  勝者は共産国家である、「共産・中国」「共産・ソ連
 (現:ロシア)」である。
  アメリカに残ったのは「台湾」だけである。
  この台湾にしたって「軍事大国となった共産・中国の
 猛烈な圧力が加えられている」。
  台湾の自立も危(あや)うい。
  北朝鮮は、核保有国となった。
  ロシアも、プーチンの独裁資源大国として復活してい
 る。
  韓国は、国家の中枢まで共産勢力が浸透している国家
 となってしまっている。
  どこもかしこも共産化している。
  冷戦に自由主義陣営が勝利したなんて「思い込みであ
 る」。
  以上の実態から見た通り・・共産主義国家の勝利とな
 っている。
  「冷戦に勝利した」なんて日本は信じ、楽観的に言っ
 ているが・・冷静にアジアを見れば、そんな構図はどこ
 からも見えない・・
  それとは真逆な共産国家ばかりが見えて来る。
  2006年10月24日、「一心会事件」が韓国に起きた。
  この事件で韓国の政界の奥深くにまで共産スパイ組織
 が潜り込んでいる実態が世界に明らかになった。
  韓国は、この様な状態になっている。
  様々な大事な機密情報が・・北朝鮮へ漏れていた。
  また、韓国内の反米集会をやらせ、繰って、デモを扇
 動している。
  韓国の米軍情報をスパイしたり、韓国国会議員・政治
 家たちの思想傾向を分析したデーターを入手し、また、
 政治関係者にまで調べ上げ、総選挙や地方選挙などの機
 密情報まで北朝鮮へ渡していた。
  韓国と北朝鮮は、以前からかなり親密な関係になって
 いた。
  その様なことから、韓国は、PSI(大量破壊兵器拡
 散防止構想)に不参加を表明した。
  北朝鮮の核が・・我が物になる姿が見えていた。
  対北朝鮮制裁事項などにも馬耳東風で、北朝鮮観光を
 したり、工業団地事業をしていた。
  2007年には、1250億円という額となっている。
  もう、今・現在は、共産・北朝鮮と一体化が目の前状
 態となっている。
  2005年9月には、アメリカの韓国における戦時作戦統帥
 権を全面的に返還してくれと韓国は言い・・、
  2009年に、アメリカの統帥権は無くなった。
  北朝鮮への接近状態となった。
  韓国政権中枢部の心臓部には「熱烈に北朝鮮を支持す
 る者が大量に入り込んでいることが判明した」。
  過去に、韓国政府の転覆を目論(もくろ)んだ者たち
 まで入り込んでいた。
  だから、アメリカや日本が何を言おうが、まったく駄
 目な状態の政権が作られていた。
  今・現在の日本もその様な事になっていないか?
  その様な恐れはないのか?
  韓国は、野党まで反米反日になって北朝鮮路線は、変
 わりようがない状態にある。
  そんな韓国は、メディアを牛耳ろうと行動した。
  熾烈なメディア弾圧をした。
  言論統制をした。
  逆に、政権に好意的な記事を書く新聞には「新聞発展
 資金」を作って金を渡し、資金援助をした。
  広告も入れたりして応援した。
  気に入らないメディアには、非常に厳しい税務調査を
 行なったりして叩いた。
  また、役員の身柄拘束を、なんだかんだと言って行っ
 た。
  自殺をする経営者が居たほどだった。
  そして、偏った報道しかなされない韓国となった。
  韓国の国民の方々は、真実を知ることができない状況
 にされた。
  韓国大統領が、大金を北朝鮮へ渡したり、国会内は親
 北朝鮮が一杯状態。
  真実を知らされない韓国国民の方々となっている。
  共産・北朝鮮の独裁国家が良いと思い込まされている。
  ここに、情報戦に敗けた自由主義陣営がある。
  必ずしも、正義が勝つわけではない。
  一握りが牛耳る独裁国家が選択されている。
.
2012年9月15日、中国で官製と言われる反日デモが起きた。
  このデモに参加した人たちは、中国で虐げられている
 農民工で・・この方たちの不満が利用された。
  (参考)農民工は、広義と狭義の2種類があり、広義で
     は農村に定着しながら地元の郷鎮企業で働く者
     と、地元農村を離れいくつもの地方都市で複数
     の企業を渡り歩く者とを含み、それら以外の者
     が、狭義の農民工。
      中国国家統計局の発表によると、2011年の時
     点で全人口のほぼ2割に相当する2億5278万人の
     農民工がいるとされる。
      農民工は「世界の工場」を支える労働力であ
     り、進む都市化の中でインフラ建設を支える重
     要な人的資源として、工業化の進展のために不
     可欠な存在となっている。
      農民工の安い労働力が得られてこそ中国の
     「世界の工場」が成立する条件となっている。
      反日デモが収束したのは、その農民工の不満
     の先が、共産党へ向けられたので、政府が慌て
     て止めさせた。
  中国の実態を言えば、中国は、「金の力」と「軍事の
 力」が、ものを言うという国。
  だから、アメリカの政策は、大間違いだった。
  力を得たいと「ルールなんて無視して、中国は、日本
 の新幹線技術を盗んだ」・・
  また、中国は、「日本のとっておきの製鉄技術も手に
 入れた」。
  新幹線技術で、中国は、世界で手広く商売をしている。
  また、製鉄技術で鉄を大生産して、世界の鉄を牛耳っ
 ている。
  その様なことをしても、平然と盗んでも悪びれる風も
 無いという低劣な中国となっている。
  恩義ある日本にやることと言ったら、2012年に、煽っ
 て反日デモをさせた。
  中国に進出している日本資本の商店やマーケットを襲
 って破壊した。
  弁済補償もしようともしない中国となっている。
  そして、「日本が悪い」「日本が悪い」とだけ言う。
  まったく南京事件をデッチ上げたやり方と同じ。
  中国が出した南京事件の証拠だという写真は、嘘のデ
 ッチ上げと、今ではすべてが立証されている。
  また、事実を調べれば、南京へ迫る日本軍の恐ろしさ
 に、中国の最高司令部が真っ先に南京から逃げ出し・・
  中国兵の下っ端に至るまで、逃げ出すばかりの中国兵。
  その様な中国軍のだらしない混乱の中で、日本軍と戦
 えと、中国軍が、中国軍の自国の兵士へ銃を撃つという
 事態も起きた・・
  また、逃げるための川の舟の取り合いで自国民同士が
 殺し合うという事も起きた。
  中国には「ルールなんてない」「道義なんて無い」・・
 そんな国。
  日本と無電の契約を結んで30年間の独占権を与えても、
 すぐに、そんな事があったかと、アメリカに同じ権利の
 独占権を与え、10年間OKと許可を平気で言う国。
  また、満州の鉄道敷設の日本と契約した権利を無視し
 て、他国に同様な事をさせる・・まったく約束が意味の
 無い状況になっても・・平然と行なっている中国。
  嘘ばかりつき、約束も守らない中国。
  だから、結局、「金の力」と「軍事の力」を持つもの
 だけが牛耳る国となる。
  皆が、ここにゴマを刷り集まるという状況の国。
.
2016年8月3日、ネパールに浸透する中国
  ネパールでは、毛沢東主義者のテロが猛威をふるって
 いた。
  ネパール新首相に毛沢東主義派のダハル氏・・中印の
 外交に変化・・
  産経ニュースが報じるところによると・・
  ネパール議会は3日、議会第3党、ネパール共産党毛
 沢東主義派のダハル(別名プラチャンダ)書記長を新首
 相に選んだ。
  首相就任は2回目。
  第2党、統一共産党のオリ議長が先月、毛沢東派の連
 立離脱で首相辞任に追い込まれていた。
  オリ氏は、昨年10月に首相に就任したが、内戦時の
 戦争犯罪の扱いなどをめぐり毛沢東派が不満を表明し、
 連立を解消していた。
  オリ氏は、新憲法に反発する親インド住民によるイン
 ドとの国境封鎖への対応で中国に接近していたものの、
 新政権では、インドとの関係が深い第1党のネパール会
 議派が連立与党に復帰。
  近隣国外交の振り子がインド側にやや戻りそうだ。
  かつて王制打倒を掲げ、反政府武力闘争を展開した毛
 沢東派は、2006年に政府と包括和平協定に調印し、
 内戦が終結。
  2008年に、ギャネンドラ国王が王位を剥奪され、
 ダハル氏はこの年から翌年まで首相を務めた。
.
2019年、大いなる策士であり、巨大な策士であるルーズベ
 ルト・アメリカ大統領・・
  そのルーズベルト」が残したものは、「卑劣な原爆投
 下国としてのアメリカの汚名」・・と、
 「巨大な共産国の二つ・・ソ連と中国」だった。
  ルーズベルトによって、アメリカ国民の方々は、その
 巨大な二つの共産国によって、巨額な対応費を支払う羽
 目になった。
  そして、今・現在でも、その一つの中国と、これから
 長い対峙の時代に入る・・「新冷戦と言われる時代」に・・、
.
2019年、日本は、「平和に対する罪」「人道に対する罪」
 で、アメリカに裁かれた・・が・・
  そのアメリカは、また、その同じ基準で裁かれなくて
 はならない。
  しかし、ベトナム戦争の時もしかり、その様なことは
 おくびにも出さないで、この国は逃げ回り、とぼけてい
 る・・。
  そして、この様な日本の裁かれ方は、「この時だけ」
 で、この後に・・この日本の様な「なされ方」の実施例
 は皆無・・まったくない。
  つまり・・この事からも、この時に、日本にやったア
 メリカは異質で、そして、やるべき事ではないことをし
 ていたということが分かる・・
  第二次世界大戦の終結からの長い年月が証明している・・
  アメリカの間違いが証明されている。
.
2019年1月2日、「台湾に一国二制度」習主席演説、アメリ
 カをけん制・・読売オンラインは伝える・・
  中国の 習近平国家主席は2日、北京で台湾政策に関す
 る包括的な演説を初めて行い、平和統一の実現や、一つ
 の国家に異なる制度の存在を認める「一国二制度」の導
 入など5項目の対台湾方針を示した。
  習氏は、一方で「武力行使を放棄することは承諾しな
 い」とも明言し、台湾との関係強化に動く米国を念頭に
 「外部勢力の干渉」を拒否する姿勢を鮮明にした。
  演説は、中国が台湾に平和統一を呼びかけた「台湾同
 胞に告げる書」発表から40年に合わせて行われた。
  習氏の5項目の方針は、平和統一の実現と一国二制度
 適用のほか、「一つの中国」原則の堅持、中台の融合・
 発展、統一意識の増進だ。
  習氏は、香港などに「高度な自治」を保障した一国二
 制度を台湾の実情を踏まえて適用する考えを示し、将来
 の中台関係に関して台湾の政党や各界の代表者との政治
 協議を呼びかけた。
  中台融和による台湾への経済的利益にも触れた。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive

(増補版)626E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年5月~1895年5月)

2019-01-02 04:05:31 | 日記
題:(増補版)626E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1895年5月~1895年5月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
.
1895年5月1日、康有為らが、日清講和条約を拒絶し、都を
 奥地に移し、行政制度を変えろと上書した。
  (参考)上書:じょうしょ、意見を述べるため官・主
     君・貴人に書面を差し出すこと。
  (参考)康有為:こうゆうい、日清戦争の敗北に衝撃
     を受け、政治と社会の革新の必要を光緒帝に建
     言し、採用されて1898年の戊戌の変法の中心人
     物となった。
      しかし、西太后ら保守派のクーデター(戊戌
     の政変)によって失脚、日本に亡命した。
  (参考)戊戌の変法:ぼじゅつのへんぽう、清王朝時
     代の中国において、1898年6月11日から9月21日
     にかけて、光緒帝の全面的な支持の下、若い士
     大夫層である康有為・梁啓超・譚嗣同らの変法
     派によって行われた政治改革運動。
  (参考)戊戌の政変:ぼじゅつのせいへん、中国、清
     朝末期の1898年に、光緒帝が康有為を登用して
     始めた変法自強運動に対して、西太后を中心と
     する保守派が反撃・弾圧した事件。
      光緒帝は幽閉され、反動政治が復活した
  (参考)変法自強運動:へんぽうじきょううんどう、
      日本の明治維新に範を取って上からの改革に
     よって清朝を強国にするという変法自強運動の
     集大成。
      あまりに短い改革の日数をとって「百日維新」
     ともいう。
      これに先立って、1861年から30年以上洋務運
     動が行われ清朝の国勢は一時的に回復したが、
     旧体制を変えずに西洋技術のみを取り入れる洋
     務運動は日清戦争敗北により限界を露呈した。
  (参考)洋務運動:ようむうんどう、中国・清朝の漢
     人官僚によって推進された近代化政策。
      西洋軍事技術の導入、官営軍事工場の設立な
     どによって、清朝の衰退の回復を図った。
  (参考)光緒帝:こうちょうてい、中国、清朝の第11
     代皇帝 (在位 1875~1908)
  (参考)西太后:せいたいこう、中国、清朝、咸豊帝
     の側室で、同治帝の生母である慈禧 (じき) 皇
     太后のこと。
  (参考)咸豊帝:かんぽうてい、 中国、清の第九代皇
     帝(在位1850~1861)。
  (参考)同治帝:どうちてい、中国、清朝の第10代皇
     帝 (在位 1861~75)
  1895年、李鴻章が下関で日本と講和条約を結ぶ。
  遼東半島と台湾とを日本に割譲する内容となった。
  この頃、北京に会試(科挙の中央での試験)を受ける
 ために上京していた康有為は、集まっていた各省の挙人
 (科挙の地方試験に合格し中央試験を受験する資格を持
 つ人)によびかけ、千三百人と連名で講和に反対し、抗
 戦するため、奥地に都をうつし、科挙制度を始め清朝の
 旧い行政組織を改革すべきだという書簡を書いた。
  康有為は、進士に合格し、工部参事に任命されたが、
 光緒帝は、康有為の上書を読み、同感し、改革を行うつ
 もりだった・・しかし、事態が変わる・・康有為は、日
 本に亡命する。
.
1895年5月4日、御前会議で遼東半島の放棄を決定した。
  三国干渉を受けて、日本は、遼東半島を清へ返還した。
  遼東半島還付の詔勅が出され、国民の間に不満が噴出
 した。
  臥薪嘗胆の言葉が流行した。
  3000万両(4500万円)と引き換えに、遼東半島を清に
 返還した。
  三国干渉遼東還付(氷川清話)
  (参考)臥薪嘗胆:がしんしょうたん、薪(たきぎ)の
     上に臥(ふ)し、苦い胆(きも)を嘗(な)める意で、
     復讐(ふくしゅう)の志を忘れず、長い間、艱難
     辛苦(かんなんしんく)すること、
      また、将来の成功を期して、報われないまま
     に長い間苦労することをいう。
      中国春秋時代、越(えつ)王勾践(こうせん)に
     敗れて死んだ呉(ご)王闔呂(こうりょ)の子夫差
     (ふさ)は、薪の上に寝て父の仇(あだ)を忘れぬ
     ように努力し、ついに会稽(かいけい)山に勾践
     を破って降参させた。
      勾践はのち許されて帰国したが、以来、つね
     に苦い胆を部屋に掛けておき、それを嘗めては
     自ら復讐心をあおり、とうとう夫差を滅ぼして
     「会稽の恥」を雪(すす)いだ、と伝える『史記』
     「越世家」の故事による。
.
1895年5月5日、九州鉄道の佐賀駅~柄崎駅間が開通した。
.
1895年5月8日、日清講和条約の批准書を交換した。
  講和条約の批准書交換は、清国側の延期要請を拒否し
 て、この日(5月8日)芝罘(チーフー、中国山東省の都市
 で、煙台(えんたい)の古称)で行われた。
  そして、10月28日に発効する。
.
1895年5月10日、遼東半島還付に関する詔勅が出された。
  (参考)詔勅:しょうちょく、天皇陛下の御意志を伝
     える詔書(しょうしょ、天皇陛下の発する公文
     書)、勅書(ちょくしょ、)、勅語(ちょくご)
     の総称。
      古くは臨時の大事大権施行に関する勅旨は詔
     書で出され、尋常の 小事は勅書をもって出され
     た。
  (参考)勅書:ちょくしょ、(1)天皇陛下の勅命を
     下達する文書。
      勅旨と同じ意味で用いられる。
      (2)明治憲法下の公式令で、皇室および国
     家の事務に関する天皇陛下の御意思の表示で特
     定人または特定機関に発せられた文書。
  (参考)勅語:ちょくご、(1)天子の御言葉。みこ
     とのり。
      (2)明治憲法下で、天皇陛下が大権に基づ
     き、国務大臣の副署を要さないで、直接国民に
     対して発した御意思の表示。
      (3)教育勅語のこと。
.
1895年5月10日、台湾総督に海軍大将・樺山資紀を任命した。
  (参考)樺山資紀:かばやますけのり、1837年~1922
     年2月8日、
      1837年、薩摩国(鹿児島県鹿児島市)に、薩摩
       藩士・橋口与三次兼器の三男に生まれる。
      1867年(30歳)戊辰戦争に鳥羽、伏見、次い
       で東北を転戦。
      1871年(34歳)陸軍少佐、
      1872年(35歳)南清に出張。
      1874年(37歳)台湾出兵に、西郷従道に従っ
       て出征、中佐に昇進。
      1877年(40歳)西南戦争では、熊本鎮台司令
       長官・谷干城少将の下、参謀長として熊本
       城を死守した。
      1878年(41歳)大佐、近衛参謀長、
      1881年(44歳)警視総監を兼ね少将。
      1883年(46歳)海軍に転じ海軍大輔になる。
      1884年(47歳)海軍少将、
      1885年(48歳)海軍中将、
      1886年(49歳)海軍次官になる。
      1890年(53歳)第1次山県内閣の海軍大臣、
       第1次松方内閣でも留任。
      1894年(57歳)日清戦争では現役に復し、海
       軍軍令部長となり、黄海海戦に会した。
      1895年(58歳)海軍大将、初代台湾総督とな
       った。
      1895年(58歳)伯爵、枢密顧問官、
      1896年(59歳)第2次松方内閣内務大臣。
       改正条約発効の準備のための改正条約施行
       準備委員会委員長に就任。
      1898年(61歳)第2次山県内閣文相を務める。
      1903年(66歳)元帥となる。
      1905年(68歳)後備役(予備役等)になる。
      1910年(73歳)退役する。
      1922年(85歳)薨去。染井霊園。
       受賞大勲位菊花大綬章
  逸話として・・日清戦争中、「西京丸」に乗艦した(
 連合艦隊司令長官の伊東祐亨が慎重な性格であることを
 案じて督戦に行ったとされる)が、商船を改造した急ご
 しらえの艦船のため、他の艦船より取り残され、清の艦
 隊に狙い撃ちをされそうになった。
  その時、敵の旗艦へ突込み、敵船が砲撃し難いように
 し反転して逃げ切った(いわゆる「前退戦法」)。
  鹿児島・薩摩藩は関ヶ原の戦いのとき、この様な『捨
 て奸(すてがまり)』をした。
.
1895年5月11日、日本鉄道、官設鉄道・甲武鉄道・川越鉄道
 との間に4線連絡運輸を開始した。
.
1895年5月21日、日本の凱旋門が造られた。
  日清戦争の勝利の凱旋門が日比谷に作られた。
  長さ110m、中央の高さ30m、基礎は木造で、全体が杉
 の葉で覆われていた。
  東京日日新聞に、この日の日付で凱旋門の記事がある。
  「東京市有志奉迎会の依托により、
  清水組の技師・田島格造、岡本金太郎の両学士が考案
 になりたる設計にして、
  長さ一町に余り、央に高100尺以上の高塔を設け、前後
 に貫通門幅27尺のアーチを備え、
  高さ40尺、幅33尺の廻廊をもって連続す。
  けだし、設計者は、欧米にも前例なき斬新なるTriumph
 Archade(勝利のアーケード)の仮設工事をなす考案なり
 という。
  また、工学博士・辰野金吾氏は、凱旋門建築につき、
 大学において種々研究中なるをもって、奉迎会の依托を
 受け、設計上につき相談にあずかることを承諾せられし
 という。
  前後貫通門の上正面には、草花をもって「聖駕奉迎」
 の4大字を造出せし大額面を製し、
  その上には大国旗を交叉し、その左右に菊花の御紋章
 を造り、
  門の両側は左に「東京市商人」、右に「有志奉迎会」
 とこれまた草花をもって書き出し、
  高塔及び前後貫通門の天井は、いずれも草花をもって
 八角に組み合わす計画なり」
.
1895年5月23日、中国・清が台湾を日本に売ったが、その事
 に不満の一部の住民が台湾民主国の樹立を宣言した。
  台湾人の邱逢甲(きゆうほうこう)と、台湾巡撫・唐
 景崧(とうけいすう)らが樹立し、総統に唐景崧が就任
 し、副総統兼義勇統領に邱が就任した。
  これは清国の外交的工作の中で生まれた。
  清国は、三国干渉をしたロシア、ドイツ、フランス、
 イギリスが、もっと台湾民主国を承認したりして応援す
 ると思っていた。
  しかし、三国干渉をした国々は、日本の対応に満足し、
 清国が期待する様には動かなかった。
  (参考)台湾巡撫:たいわんじゅんぶ、最高地方統治
     官。
  この様な状況で生まれた台湾民主国は、国際的承認も
 受けられずに・・
  1895年5月29日、日本の近衛師団の上陸に、台湾民主国
 の首脳陣の逃亡が相次ぎ、平定された。
  (1895年5月24日の翌日に、出発していた)
  清国側も、再度、日本との戦争が再発されることを恐
 れ、日本の予定通り、要求通り事は進すみ・・
  1895年6月2日、樺山資紀・初代台湾総督と清国との間
 で台湾授受手続きが終了した。
.
1895年5月24日、日本台湾総督軍部隊が宇品港を出発した。
.
1895年5月24日、関西鉄道が、名古屋駅~前ヶ須駅(現:弥
 富)間が開通した。

1895年5月25日、台湾民主国の成立宣言。
  台湾島民の反乱(氷川清話)
  台湾が、本格的に開発されたのは日本統治時代になっ
 てからであるが・・、
  1895年5月25日、日本への割譲反対を唱える漢人によっ
 て台湾民主国の建国の騒動が起きた。
  進駐した日本軍との乙未戦争に発展した。
  (参考)乙未戦争:いつびせんそう、下関条約によっ
     て、日本への台湾割譲が決まり、上陸した日本
     軍に対して清国の残兵や一部の台湾住民が抵抗
     し戦闘となった。
.
1895年5月26日、ウィリアム・ラムゼー卿がヘリウムの単離
 に成功した。
  (参考)ウィリアム・ラムゼー:1852年10月2日~1916
     年7月23日、スコットランド出身の化学者。
      1904年、空気中の希ガスの発見によりノーベ
     ル化学賞を受賞。
  1894年4月19日の夜、ラムゼーは、レイリー卿の講演に
 参加した。
  1892年、レイリー卿は、空気から酸素を取り除いて得
 た窒素の密度は化合物を分解して得られる窒素のそれよ
 りも大きい、という事実を「ネイチャー」誌に報告して
 いた。
  これは、空気中には酸素、窒素以外のものが含まれて
 いるという事を暗示していた。
  ラムゼーとレイリーは、講演後に話し合い、これを追
 究することにした。
  当時、アンモニアの合成を研究していたラムゼーは、
 高温でマグネシウムと化合させて窒化マグネシウムとし
 て窒素を取り除くことにより、空気中の不活性な重い気
 体を取り出すことに成功した。
  ラムゼーは、これを、同年1892年8月に、レイリーに知
 らせている。
  これをアルゴンと名付け・・、
  1895年に、レイリーと共に発表した。
  (参考)レイリー:第3代レイリ―男爵ジョン・ウィリ
     アム・ストラット、1842年12月13日~1919年6月
     30日)、イギリスの物理学者。レイリー卿。
      光の散乱の研究から空が青くなる理由を示す
     (レイリー散乱)、
      地震の表面波(レイリー波)の発見、
      ラムゼーとの共同研究によるアルゴンの発見、
      熱放射を古典的に扱ったレイリー・ジーンズ
     の法則の導出などを行う。
      このほか流体力学(レイリー数)や毛細管現
     象の研究など、古典物理学の広範な分野に業績
     がある。
      「気体の密度に関する研究、および、この研
     究により成されたアルゴンの発見」により、
      1904年のノーベル物理学賞を受賞した。
.
  (今日の言葉)
.
  題:中国・人民元は・・通貨覇権を狙っている。
    アメリカ・ドルへの挑戦を始めた。
    しかし、実態は・・ただの紙切れ。
    その裏付けを保証するものは何もない。
    それは、実体のない通貨=人民元の身分不相応の
   振る舞い。
.
1921年3月3日、昭和天皇陛下が皇太子であられた時、6ヶ月
 間のヨーロッパ各国の歴訪がなされた(~1921年9月3日)
  1921年6月13日、第1次大戦のベルギーの激戦地イーペ
 ル(イープル)を訪問された。
  ここでイギリス国王に電報を送っている。
  「目前ノ風景ハ、(中略)『イープル戦場ノ流血凄惨
 (せいさん)』ノ語ヲ痛切ニ想起セシメ、予ヲシテ感激・
 敬虔(けいけん)ノ念、無量ナラシム」
  1921年6月25日、やはりフランスの激戦地ヴェルダンを
 視察なされた。
  「到るところに弾痕を留(とど)め、砲弾の破片、防
 毒マスク等がなお地上に残存する。
  付近に戦死者の遺族と思われる一婦人が、僧侶と共に
 柩(ひつぎ)を携え遺骨を収集する様子も一行の目に入
 る。(中略)
  皇太子殿下は、戦跡御視察中、戦争というものは実に
 悲惨なものだ、との感想を漏らされた。
  1921年7月7日には、現地紙にこんな談話を寄せられて
 います。
  「破壊せられたる諸都市、荒廃したる諸森林、蹂躙(
 じゅうりん)せられたる田野の景は、戦争を讃美(さん
 び)し、暴力を謳歌(おうか)する者の眼には如何(い
 か)に映ず可(べ)きか」
  ・・このご視察の時から、特に、後の、昭和天皇陛下
 は平和主義者となられた。
.
2004年7月、NHKの紅白歌合戦チーフプロデューサーが、
 制作費約2億円を横領し、実刑5年の判決を受けた。
.
2004年8月、NHKのソウル支局長が、不適切な経理処理で
 約4000万円を着服した。
.
2004年9月、NHKの岡山局放送部長が、架空の飲食費名目
 で約90万円を着服した。
.
2004年9月、NHKの編成局エグゼクティブプロデューサー
 とチーフプロデューサーが、カラ出張を繰り返し、約300
 万円を着服した。
.
2004年9月、NHKの京都放送局営業職員が、約208万円を
 着服した。
  NHKは、「異常」と言えるほど犯罪が多い。
  上記は、ほんの一部である。
  考えられるその理由は、「給料がべらぼうに多いこと」
 そして、「働く時間が本当に少ないこと(自由な半拘束
 時間ばかりの勤務状態)」・・
  NHKに異常に犯罪が多いのは、「ここに原因がある」。
  金があって、時間がある・・という状態。
  NHKは、もっと「自らを律せよ!」・・
  放漫給料をお手盛り状態から正せ!
  余裕のあり過ぎる人員体制を正せ!
  NHKは、身を引き締める努力をせよ!
.
2018年、中国・・人権を無視する国。
  「改革・開放」と美しく聞こえ、また、美しく見える
 表題を掲げてはいるが・・、
  やっていることは、個人の自由を認めないとか、差別
 の行為するなどなど・・だ・・、
  中国の資金を回すために、「計画だと称して無計画に」
 マンションをあちこちに建てている。
  資金回転の為だけで、「売れる見込みはまったく無い」。
  空室が、どんどん増えているのが現状。
  ものの見かたをそこで止めるのではなく、さらに奥深
 く見てみると・・
  誰も住まないマンションが建てられたその地で、平和
 に暮らしていた中国の民の方々が、そこに居たのだとい
 う事を思わなければならない。
  その為に、そこを追い出された人々は、流浪の民とな
 っている。
  政府の開発事業という「錦の御旗」で立ち退きをさせ
 られた人々は、僅かな補償で貧困層に転落する。
  持っていた農地も無くなる。
  ガラ捨て場で「売れるものを探す」人々となる。
  再度、移転を強いられる人々もいて、移転のたびごと
 に暮らしは悪くなる。
  移転させられ住んでいた所が、「違法だ」という烙印
 を押されると、頼りの補償もまったくもらえない。
  働く場を求めてその土地へ行くと、「所得が低い」と
 その都市から追い出される。
  この様に、仕事を求めて流入する人々が多いため、都
 市への流入・・都市の人口膨張が酷(ひど)くなる。
  都市への流入に、「大学卒で無いから駄目」などと差
 別的な事も行なわれる中国となっている。
  何が、「万民が公平な共産主義だ」なんだ??
  2014年には、2億5300万人が人口移動したと中国政府が
 発表した。
  農村も「再開発だ」と、農民の生活環境を改善すると
 いう名目は美しいが、その開発熱が皮肉にも農民に農地
 を失わせる・・「失地農民」と呼ばれる「かつて農民だ
 ったという人々が増えている」。
  北京郊外の大興区でも・・一つの村が消えた。
  2017年11月に、簡易宿泊所が火災になり19人が焼死し
 た時など・・中国政府は違法建築を壊し始めた。
  その様な場所は・・低所得の階層の方々の住む場所で、
 すべてが壊され、更地となった。
  密集し、肩よせ合って生活していた方々の住む場所が
 奪われた。
  その奪った場所は・・高さ2メートルの塀で囲われ、二
 度と家が建てられないようにされた。
  「流浪の民になるしかない」と元住民は語った。
  違法建築だからと「補償も無く追い出された」のだっ
 た。
  確かに、こんな政治が原因してて、都会へ流れるしか
 ない中国の民なのだが・・その貧困に苦しむ人たちが多
 く、北京の人口も2000万人を超えている。
  北京は水不足となり、交通渋滞となり、大気汚染も甚
 だしい。
  医療機関も機能マヒに陥(おちい)るという患者の殺
 到状態。
  北京に住むためには「多いポイント」が無ければ住め
 ないとして、「住む自由を取り上げた」。
  政府は、締め出しに躍起になっている。
  そして、政府は、あっちへ行け、こっちへ行けと、人々
 の住む自由を剥奪して指図している。
  知者は・・、
  「都市とは、その魅力にひかれ、人が自然と集まる場
 だ。
  人工的な人口分散が成功した例は国際的にもほとんど
 ない」・・と、政府のやることに批判的。
  また、中国の卑劣な事は、人口移動した人々に対し
 「教育の権利のはく奪をしている」。
.
2018年12月24日、中国が「技術移転」の強要を禁止した。
  この日に発行された読売新聞によると・・
  中国政府は23日、中国に進出した外国企業に対する技
 術移転の強要の禁止を明文化した「外商投資法」の草案
 を明らかにした。
  アメリカのトランプ政権の要求に応じて、法整備を進
 める姿勢を示し、貿易摩擦を早急に解消する狙いがある。
  23日から北京で始まった全国人民代表大会(全人代=
 国会)常務委員会に、政府が草案を説明した。
  国営新華社通信などによると・・、
  草案は、外国企業と中国企業の技術協力の条件につい
 て、「関係者が協議して決定するものであり、
  行政機関や職員が、行政手段を用いて強制的に技術移
 転させることはできない」と規定した。
  法にのっとって、外国企業の知的財産権を保護するほ
 か、
  外国の投資者が、中国で得た利益などは自由に国外に
 持ち出せるとしている。
  中国に進出した外国企業は、合弁先企業や地方政府か
 ら技術移転を強要されるケースがあるとされる。
  今月1日の米中首脳会談では、米国が今後の交渉項目の
 筆頭に掲げ、改善を求めた。
  日欧もこれまで批判を繰り返してきたが、中国は強要
 の存在自体を認めて来なかった。
  中国が、技術移転の強要禁止を法制化しても、実効性
 があるかどうか、見極める必要がある(下略)
.
2018年、中国は、日本を反面教師として・・
  日本は、第二次世界大戦で、情報戦で完全に、アメリ
 カに敗けていた。
  今・現代、中国は、それを教訓とするかのように、情
 報の戦略的優位を築こうとしている・・アメリカを駆逐
 しようとしている。
  そしてまた、かつてのアメリカのルーズベルト大統領
 の非情さと、狡知(こうち、わるがしこい知恵)さまで
 真似しようとしている。
  南シナ海を、屁理屈で埋めて、とうとう中国の軍事基
 地化してしまったのが良い例だ。
  かつては、日本も、そこに隙があった・・その様な日
 本を、中国は反面教師としている。
  第二次世界大戦を終わらせたいとする日本が、ソ連を
 和平の仲介者としてかなわぬ努力している日本に、その
 哀れささえある。
  情報が欠如しているから、日本は、ここまでされられ
 た。
  そして、悲劇な展開を、アメリカにされる。
  原爆の実験台にまでされるという日本となる。
  これに関連する記事が、2018年12月28日の読売新聞に
 記載されていた・・
  以下が・・その記事・・
  中国政府は、米国のGPS(全地球測位システム))
 に対抗して、独自開発を進めてきた衛星測位システム「
 北斗」が27日、全世界に向けたサービスを開始したと発
 表した。
  中国通信機器大手「華為技術」(ファーウェイ)など
 による次世代通信規格「5G]の技術覇権争いに続き、
 測位システムでも米国の優位さに挑む狙いがあるとみら
 れる。
  中国は、2012年から、アジア・太平洋地域を中心とし
 た約90ヶ国に北斗のサービスを提供してきた。
  全世界向けサービスはこれまで、20年までに開始する
 計画だったが、前倒しした。(中略)
  全世界にサービスを提供している測位システムは、米
 国の国防総省が31基体制で運用するGPSのほか、
  ロシアの「グロナス」や、欧州の「ガリレオ」があり、
 GPSが圧倒的な影響力を誇っているとされる。
  習近平政権は、中国とブラジル、ロシア、インド、南
 アフリカで作る新興5か国の枠組みで、北斗を利用した
 ビックデータの運用などにおける協力体制を提唱するな
 ど、北斗システムの普及を急ぎ、国際的な影響力拡大に
 利用する構え。
 ☆中国、データ集積加速・・米、警戒強める・・
  中国の測位システム「北斗」が、世界向けサービスを
 開始したことは、習近平政権の最先端技術開発に警戒を
 強める米トランプ政権が、対中強硬姿勢をさらに強める
 きっかけとなる可能性がある。
  米国の全地球測位システム(GPS)が先行して来た
 が、中国は軍事活動での米GPSへの依存から脱却する
 ために北斗の開発を進めた。
  一方、中国国内では、すでに、主要36都市の路線バ
 ス8万台、海上の管制設備2960基などが北斗を導入
 している。
  国内で販売されているスマートフォンの大部分も位置
 情報機能などで北斗を活用しており、民間への普及も進
 んでいる。
  測位システムは、位置情報を提供する一方、システム
 を運用する側も、システムを活用する機器の位置や移動
 に関する情報を収集する事が可能とされている。
  習政権は、国家ビッグデータ戦略を推進しており、携
 帯電話による電子決済などを通じ、国民の行動データを
 集積している。
  測位システムの情報も、こうした政府に利用されてい
 るとみられる。
  北斗を利用した製品はすでに、ロシアやインドネシア、
 アルジェリアなどの国で普及しつつある。
  今回の全世界向けサービスの開始を受け、中国は、北
 斗のさらなる市場拡大を見込む(全世界の情報を集め得
 る中国)
  さらに、将来的には、中国上空を飛行する国外の航空
 会社や、中国に輸出する外国企業の製品に対しても、北
 斗への対応が義務付けられるとの見方も出ている。
  今後、北斗のサービス拡大に伴い、国際的な懸念も呼
 びそう(ますます、中国だけにデーターが集積されてし
 まう)
 ☆ そして、2018年12月26日の読売新聞の「米国はどこ
 へ」の記事において・・
  ロバート・ケーガン氏(米政治史家、種々の大統領の
 下で要職を担った)は、以下の事を言っている(抜粋)・・
  「対中国、協調でなく競争」・・
  国際システムの自然な状態は、実は混乱と対立である。
  人間性の本質は、必ずしも民主主義の繁栄を導くもの
 ではなく、独裁国家に至ることもある。
  私は、その様な自然な状態を『ジャングル』と呼んで
 いる・・
  中国では、習近平国家主席に皇帝のように「全ての権
 力が集中している」。
  ロシアのプーチン大統領もそうだ。
  ドイツでは右翼が台頭している。
  もし、米国や民主主義国家が、彼らを押し返さなけれ
 ば・・彼らは成長し、増殖を続けるだろう・・
  米国もいつかは正気を取り戻すと思う。
  しかし問題なのは、その時には、世界を元に戻すには
 手遅れになっているかもしれないという事だ。・・
  米中は今や、競争関係にある。
  私たちは米中が協調に向かっていくという考えを「止
 めなければならない」。
  中国の野望と米国の目標は両立しない。
  中国は、地域の派遣国になることを望んでおり、日本
 を含む地域の国々に中国の支配的立場を受け入れさせた
 いのだ。
  米国は、中国がその目標を達成する障害となる。
  それが現実だ。
  したがって、どのようにその競争を管理するのかとい
 うことが課題となる。・・
  その際には、二つの点が重要だ。
  一つは、経済的に中国を締め付けようとするのではな
 く、彼らに成功する機会を与えなければならない。
  第二に、軍事的な選択肢を選べば彼らは敗けて、指導
 部が崩壊し、悪い結果になるということをはっきりと分
 からせなければならない。
  米国と日本は、軍事的な優位を維持し、中国が軍事行
 動に出る誘惑を持たないように努める必要がある。
.
2019年、中国・人民元は通貨覇権を狙っている。
  アメリカ・ドルへの挑戦を始めた。
  しかし、実態はただの紙切れ。
  その裏付けを保証するものは何もない。
  それは、実体のない通貨=人民元の身分不相応の振る
 舞い。
  何故? こんな大間違いが起きたのか?
  その中国・人民元の振る舞いの初めには、ウォール街
 の行なった間違いがあった。
  ウォール街は、中国を一時的に大いに助け、そして、
 援助し、そして、ウォールも大いに儲けた。
  アメリカの歴代政権も、「それはウィンウィンだ」と
 勘違いして、大いに進めた。
  そして、アジア・・
  アジアに大きな経済的影響力を持つ華僑・・
  この華僑と中国を刺戟させ、心身を興奮させないよう
 にという政策がとられ、固執し、続けられた。
  しかし、今、この間違いがとんでもないことになると、
 看過できない、見過ごせないと、何とかしなければとい
 う行動が・・とられ始めて来た。
  トランプ・アメリカ大統領は、中国・習近平のアキレ
 ス腱を撞く(つく)行動をとり始めた。
  その目標は、当然、「紙きれの中国・人民元に通貨覇
 権を絶対に握らせない」というところにある。
  高関税に始まり、金融戦争が始まる。
  例え、通商が犠牲になっても「国家の安全保障が大切
 だ」という理念がある。
  中国を甘やかせた最大のポイントは、人民元が変動相
 場制が通常なのに、その状態になっていない。
  中国・人民元は変動相場制に移行させるべき・・
  (日本は、堂々と、変動相場制に移行したが)・・こ
 の図体ばかり大きい中国は、変動相場制が恐怖なので、
 逃げ回ってばかりいた・・
  アメリカの保護下に居た・・そのアメリカを、身分不
 相応に食い始めた。
  今、中国は、ドルが枯渇している・・外貨準備も激減
 している・・資金が中国から逃げ、ますます、余計に、
 中国・人民元の裏付けが無くなっている・・
  それに、不動産バブルが崩壊・・空室ばかり・・株安
 も起きるという災禍・わざわいの中国となっている。
  直接投資が激減するだろう・・貿易も赤字となるだろ
 う・・もう中国の時代は終わった・・ASEANだ。
  異常な二桁の軍拡で作られた景気・・そして、人民元
 増発でも景気を煽るという嘘・・
  知的財産権無視で次世代技術を盗取し、軍事などへ転
 用している。
  アメリカのトランプ政権は、ファーウェイやZTEを
 阻止し、スパイ摘発をしている・・
  また、企業買収を止めさせ、拠点買収を阻止している。
  もう中国は、変動相場制へ移行させねばならない・・
 そんな最恵国待遇の特待席には、いつまでも置いておけ
 ない。
  有頂天でやっている「一帯一路」はしぼんで行く。
  世界の工場と言われた中国の生産拠点も「存在意義が
 無くなった」・・獅子身中の虫に成り下がった。
  中国の政治形態が変わり、真からの自由な経済社会に
 ならないのなら・・消えゆくのみ・・
  AIの熾烈な戦いが繰り広げられる戦国時代の後に、
 その様な社会が来る。
  少数の者が牛耳る監視社会が、多くの奴隷的農民層を
 使うという一時代前の形態の中国社会が生き残れるはず
 がない・・
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive