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キリスト教の話の初め・・アブラハムたち

2013-08-29 01:27:55 | 日記
 題:キリスト教の話の初め・・アブラハムたち
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 wikipediaに、以下の様に書かれていますが、まったく
キリスト教の話に都合のよい話に書いているプロパガンダ
(嘘宣伝)です。
 wikipedia記述内容:「アブラハム (英語 Abraham ) は、
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教を信じるいわゆる聖典
の民の始祖。ノアの洪水後、神による人類救済の出発点と
して選ばれ祝福された最初の預言者。『信仰の父』とも呼
ばれる」と。
 また、
 「ユダヤ教の教義では、全てのユダヤ人の、またイスラ
ム教の教義では、ユダヤ人に加えて全てのアラブ人の系譜
上の祖とされ、神の祝福も律法(戒律)も彼から始まる。
 イスラム教ではイブラーヒームと呼ばれ、ノア(ヌーフ)
、モーセ(ムーサー)、イエス(イーサー)、ムハンマド
と共に五大預言者のうちの一人とされる。キリスト教の正
教会においてはアウラアムと称され、聖人に列せられてい
る。族長と呼ばれるヘブル人の先祖たちの一人である」と。
 ・・・wikipediaには、上記の様に書かれているキリスト
教の聖書に書かれる最初の人たちアブラハムは、実は、
 キリスト教とは全く違う人たちだった。
 紀元前1700年の頃、今から約3700年前、アブラハムは、
チグリス・ユーフラテス川の下流にある「ウル」を出立し
た人たちだった。
 向かった先はパレスチナのカナンの地だった。
 アブラハムの一団は数100人で裸足であった。
 これで砂漠の地を羊を追いながら進んだ。
 彼らの宗教は『 多神教 』であり、
 また、特に、『 樫の木を崇拝した 』。
 彼等の住まいは天幕であった。
 多くの町を通過した。
 ナプルウスというアラブ人の町に着いた時には、
 彼等は、この石の城壁に守られた町に入らずに天幕を張
った。
 彼ら一行に途中から加わる者もいた。
 また、途中の町に長く留まった町もあった。ハランデと
言った。
 アブラハムの父のテラは、ここで亡くなった。
 彼等はこの様な苦難の後に「カナンの地」に至った。
 出立地のウルに残した親族もいた。
 ウルは肥沃であったが、時々、洪水に見舞われた。(創
世記11章、12章)を参照。
 ただ、この様な事、アブラハムたちがやった事は、アブ
ラハムたちだけが、やったという訳ではなかった。
 この様に、北へ向かう半放牧のセム諸部族は多くあった。
 キリスト教の聖書の記述だけが特別なのではない。
 また、キリスト教とは全く違う宗教・多神教であり
 また、『樫の木を崇拝する宗教』の話なのである。
 また、ユダヤ教徒も違う。
 自然崇拝である。
 ヤハウェ神も影も形もないアブラハムたちであった。
.
(追伸)
 カナンの地へ向かって、
 チグリス・ユーフラテス川のウルを出立したアブラハム
は、
 カナンへ向かったという訳ではなく、
 カナンの地へ着くまで、あちこちを彷徨(さまよ)った
のが事実。
 ダマスやシケムなどをたどり、天幕の旅の生活は続いた。
 そして、ネゲヴの荒野に行き、
 それからエジプトに行く。
 ここであやうく妻のサラを奪われそうになったりした。
 そして、ベテルに戻り、ヘブロンへ行く。
 この様にイスラエルの民となったアブラハムは、パレス
チナの地、、メソポタミアの地、エジプトの地などを彷徨(
さまよ)っていた。
 生きる糧を求めたさすらいだった。
 この様に、エジプトの地もよく出入りする地だった。
 また、イスラエルの民は、カナンの地に定着したらその
まま定着し続けたという訳ではなく、
 定着した後も、
 羊と山羊を連れて、
 生きるために方々を彷徨った。
 エジプトの地も、その様な地の一つだった。
 モーゼの話のような劇的な話ではない。
 エジプトは通常の行き先なのだ。
 エジプトの地はちょっとした出入りの地なのであった。
 モーゼの話は作り話なのである。
 モーゼの実在もないとされているのが真実。
.
(追伸の追伸)
 イスラエルの民は純粋種ではない。
 混血が、あらゆる機会に行なわれている。
 日本の様な島国で混血がない様な種族と違う。
 (海を渡って大陸から少しは来たが)
 イスラエルの民の地は、あらゆる種族が行き交(か)う、
 また、自分たちもさ迷(まよ)う歴史だった。
 その中で、血が混ざり、イスラエル種族は形成されて来
た。
 キリスト教の聖書には、「娘は異教徒へ嫁にやるな」「
異教徒が増えてしまう」などと説いているが、
 まったく、国際的な感覚の無くのないキリスト教の教義
であるが、事実は、イスラエルの民は混血に次ぐ混血であ
った。
 何でこんな狭量の教義を民へ押し付けているのかと軽蔑
する。
 カナンの地には、ヘテ人(ヒッタイト人)やアモリ人(
西方セム族)などの先住民が居た。
 カナンに渡ったアブラハムたちは、俗に言う「よそ者」
だった。
 アブラハムたちは、この先住の民と混血した。
 キリスト教の教義などそっちのけ。
 地になじむためもあったのだろう。
 例えば、アブラハムの孫(アブラハムの子・ヤコブの子
供のエサウ)は、ヘテ人の女性と結婚した。
 (エゼキエル書、16章)「汝の母はヘテ人、汝の父はア
モリ人なり」など。
 キリスト教の神の言葉は、アブラハムの時代においても
無視されていたと言える。
 因(ちな)みに、エサウの結婚したヘテ人は、インド=
ヨーロッパ系の民。
 アブラハムの家系にインド系の血も混血してる。
 同時に民が持っている宗教性も伝搬している。
.
(追伸の追伸の追伸)
 紀元前7000年頃から、中近東の全域および北アフリカ
一帯は砂漠化が始まった。
 パレスチナのカナンを含む「肥沃の三日月と呼ばれる地」
はその砂漠化から残された地となった。
 ここに住む人々は、はじめ「略奪農業」という「土地が
痩(や)せれば他へ移る」という行動であったが、次第に
定着して行った。
 紀元前5000年頃に、エルサレム周辺に人々は住みついた。
 ちなみに、紀元前2100年頃、チグリス・ユーフラテス川
の地に、スメール最後の王朝(ウル第三王朝)がたち、王
朝を樹立したウル・ナンムは、支配地のバビロン(ばべる)
に「バベルの塔」を作らせた。
.
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惑わす行為とイエスの『私の父の家』

2013-08-28 12:21:55 | 日記
 題:惑わす行為とイエスの「私の父の家」
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 科学に否定的な事を言われ、
 科学を対抗的に見るキリスト教だが、
 その科学の一分野の考古学の発掘という行為で、
 「ミクヴァオート(浴槽)」が、
 何に使うのか、
 使われているのかが分かった。
 つまり、科学的な探究・追求によって、
 より宗教の実際が分かって来ている。
 これからの方向を示唆もする『知見』である。
 今、進行中の宗教行為に、良い反映となってその科学の
恩恵が現出してくる『考古学の寄与』だった。
 科学的探究の寄与面なのである。
 しかし、あまりにも、今までが、
 キリスト教の教義を否定してきた科学の結果だった。
 キリスト教は、科学的な結果と信仰は別なのだと言って
いた。
 科学無視の言葉を言わざるを得ない『無残な結果』を、
科学から付きつけられていた状態のキリスト教だった。
 キリスト教の科学に対するこの調子から分かるように、
都合が悪くなると、その場が収(おさ)まる様な、
 都合のよい言い逃れを言って来たキリスト教だった。
 「ミクヴァオート」は、祭儀的清めのために必要とされ
たユダヤ教の浴槽。
 ユダヤ教からの流れをより深く理解するための『貴重な
知見』を得た形となった。
 今までは、その流れを適当に解釈していた。
 これ等に関連することが、「ヨハネによる福音書」の2章
などに書かれていたが、
 キリスト教は理解できずに、適当に解釈していた。
 また、イエスは、町の外で処刑されたと伝えられていた
が、紀元44年に、街の城壁が、より外側に築かれ、
 イエスが、町の外で処刑された様には見えなくなってい
た。
 この科学的探究の結果、新しく得た知見が、
 キリスト教を裏付け、補強をする形になった。
 今まで、その場を繕(つくろ)う行為ばかりしているキ
リスト教の態度は、厳に、慎(つつし)み深くしなければ
ならない。
 「懺悔せよ」と言っているキリスト教こそが、懺悔しな
ければならない。
 「言い逃れ」したり、「嘘をついたり」。「実際を隠し
たり」・・などなど。信徒を惑わすことはしないように。
 また、
 イエスは、ユダヤ教のエルサレム神殿を「私の父の家」
と讃(たた)えていた。
 そしてまた、使徒行伝の著者は、イエスの弟子たちが神
殿で礼拝し、そこで教え続けたことを知っている。
 そして、ペトロとヨハネは、「祈りの時」に、神殿の丘
へと続く階段を上っている(「使徒行伝」3・1)。 
 また、ペトロは、イエスがメシアであることと「死者か
らの復活」を、イエスがまさに教えたと伝えられている場
所で宣教し続けている(「ヨハネによる福音書」10・22~
30)。
 また、その話を聞いていた人たちは、つい先頃まで、
 イエスが、神殿で礼拝をしていたことを見ている人たち
であった。
 また、彼らの内のある者たちは、
 『イエスを十字架につけよ』と叫んだ群衆の中に居た人
々だったかもしれない。
.
(参考)本文によれば、『使徒行伝』は、『ルカによる福
音書』の続編として(聖書自身の証言と伝承によればルカ
の手で)書かれたものであるという。
 どちらも「テオフィロ」(ギリシア語で「神を愛する者」
という意味)なる人物に献呈されている。
 もともとは一冊の書物だったという説もあるが、現代の
研究者たちがさかのぼれる最古の資料の時点では、すでに
『ルカによる福音書』と『使徒行伝』は別々の本になって
いた。
 『使徒行伝』は、この時代に書かれた作品としては他に
類をみない非常にユニークなものであり、初期キリスト教
の研究は本書なしには成り立たない。
 また、パウロの書簡集も『使徒行伝』の存在によって価
値あるものになっており、『使徒行伝』なしにパウロの手
紙を読んでも理解できない部分が多いことを忘れてはなら
ない。(wikipediaより)
.
(追記)
 原始キリスト教の時代。
 キリスト教福音書の記述者たちは、
 旧約聖書において約束されていたことを、明らかにしよ
うと試みた。
 その約束とは、神が世界を救うために『メシア(救世主
)』を派遣されるという事である。
 彼らによれば、それはイエス・キリストにおいて、完全
になし遂げられた・・と、キリスト教は説明した。
 仏教は、仏となられた仏陀が衆生に教え導いた。
 そこに、数々の教えがある。
 これを学べと説かれた。
 その教えを学び、人々は幸せになって行くが、
 時の経過と共に、その衆生の中から世をより良くする人
々が、さも涌くがごとくの様に出現してくる・・と、教え
ている。
 キリスト教は、イエス・キリストで完結し、ピリオドが
打たれるが、
 また、イエス・きりすとだけの1人で完結し、終結する
が、
 仏教は、その後、教え悟(さと)された衆生の中から、
湧き出ずる様に、無限の菩薩が世を良くし、幸せにする菩
薩出現を説いている・・教えている。
 キリスト教は、イエスで終結し完結する1神教的発想で
あり、そこに、完全無欠の神の存在が欠かせない。そして、
信の『能動的エネルギー』を必要とする信仰の宗教の形を
とる。
 また、その信じ込みのエネルギーを必要とし、キリスト
教は信じることを必須要件とし、信じなければ切り捨てる
という宗教形態となっている(信じなければ異端・異教徒
となる)
 仏教は、仏の教え悟しが世に示されれば、そこからまた
新しく芽生える得る『新しい若い出現』に世の希望を成就
する菩薩の涌くがごとくの無限の出現を説く。
 そこには、これからの時の中に希望が沸き立つ未来の夢
の必然の成就を説いている。
 キリスト教は、神の介在の中に、イエスのメシアとして
の出現のみを説き、積極的信じ込みを、信徒に「必須の要
件」とし、信徒に要求し、条件としながらの信仰だけの存
在として存立する。
.
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自分以外の生命への思いやりを・・

2013-08-27 14:53:50 | 日記
 題:自分以外の生命への思いやりを・・
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 『里山・資本主義』という言葉がある。
 里山の自然をうまく生かして、
 日本人は『里山と共に』生きて来た。
 里山には、人と自然が『共生』していた。
 人が育み、自然が恵みのお返しをしてくれる。
 人は自然を必要とし、自然も人を必要とする。
 人があってこそ、自然の健全な姿を保った。
 そこでは、自然のサイクルの中で、経済的にも成立って
いた。
 サイクルは永遠に、自然に負担をかけずに、巡(めぐ)
った。輪廻した。
 永遠に続く優しい継続する姿だった。
 しかし、古来から育み育てて来た里山と生きる経済シス
テムは、
 例えば1例だが、
 安い外来木材で、里山経済は、大打撃を受けた。
 里山経済は、優しく、微妙なバランスの上に、成立して
いる。
 長い期間、辿(たど)り、至った、輪廻の状態だった。
 外国の場合、
 大きな面積の森林は、
 木々は、すべてを皆、伐採される。
 見はるかす彼方(かなた)まで、畑とし、
 大きなトラクターでの農業をやるシステムだ。
 そこには、
 一面に単一作物があるという農業だ。
 あまりにも広大な、大きな畑に働く農家の人たちは、
 あまりに広大な故に、農地であるため、
 何処にいるかが、分からない。
 日本の場合、里山を生かし、自然を壊さず、『利用させ
て戴いています』の精神で、自然の中に人の所在も分かり、
 里山も人格があれば『お礼を言うでしょう』と感じる。
 その中で、時が流れて行く。
 世界で、『サトヤマ』という日本語が、世界語になって
いるという。
 その様に、注目を集めている日本の里山の成り立ち。
 キリスト教には、「地を従えよ」と説く、教義がある。
 『自然の征服』を教義としている。
 仏教は、地には仏があちこちに居られるという教え。
 キリスト教の教えから出る結果は、総べて地にある木々
は伐採である。征服の教えから当然の姿なのだ。
 萌映ずる草草はトラクターで踏みにじり、そこに生きて
居た生き物へは目が届かず、
 鳥や獣、虫たちの生きる姿も踏みにじる。
 キリスト教は、それが教義なのだ、「これでよいのだ」
という。
 「神の居る天のみ清浄」。「地は汚(けが)れている」
とキリスト教は教える。
 「自分さえよければ良い」のキリスト教なのである。
 自分以外の生命への思いやりの教えを説かなければいけ
ない今なのである。
.
(追伸)
 本「(株)貧困大国・アメリカ」の著者・堤未里氏が
言う。
 「アメリカでは驚愕(きょうがく)の事態が進行中。
 それは人々の食、街、政治、司法、メディア、暮らし
そのものが、じわじわ蝕(むしば)まれていく。
 あらゆるものが、巨大企業に飲まれ、
 株式会社化が加速する世界。
 果たして国民は、主権を取り戻せるのかが疑問になっ
ている」。
 キリスト教国・アメリカの実態・姿を言っている。
 征服する強いものが良い、
 勝って取れれば自分のものにする、
 それが神の義なのだという、
 自分さえよければいいというキリスト教の根底に流れ
る教えが、この様な形になって現われている。
 TPPもこの形だ。流れだ。
.
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国家百年の大計の知的戦略を・・

2013-08-27 00:43:14 | 日記
 題:国家100年の大計の知的戦略を・・
...(真を求めて、皆様と共に幸せになりたい)
.
 (読売新聞、2013・8・7)によると、
 安倍政権が、今年度から、東大や京大など、22の大学や
研究機関に、計64億円の研究支援費を、新たに配分するこ
とを決めたという。
 大変、結構なことをして戴いたと感じる。
 大学の国際競争力を高めるのに欠かせない知的戦略など、
 主に研究支援を担う人材を配置する資金で、各大学・機
関に、年間2~4億円を、10年間に渡り配分する・・と、あ
る。
 この重点配分も「ぴったり」である。
 特許など、知的財産の、この部分を強くする必要性が、
日本にはあった。
 それでなくても、そこへ新たな資金を投入する必要性は、
今後ますます増大していく。
 新たな知恵・知的財産が、日本で生まれても、
 折角の『打ち出の小槌(こづち)』が、
 この部分が薄弱では、
 日本が、折角、先発明しても、
 肝心の特許権などの知的財産などが、
 他国へ持って行かれる。
 これでは、投入した投資資金も戻らず、
 また、国も富まない。
 それでなくても、iPS細胞の場合の様に、一生懸命、日本
の担当の方々が努力していても、
 アメリカの様に、びっくりするくらいの巨大な資金を投
入し、行く先々の特許などを押さえる事もされている。
 大いに、知的財産戦略の参謀部分に、資金を投入して戴
きたいものである。
 この部門の強化が『肝心なところ』、『要のところ』な
のである。
 新聞によると、研究で、一定以上の成果をあげている全
国27の大学・機関から選んだという。
 これも最適である。
 先の政権の様に、国防予算に匹敵するような巨大な資金
を投入しようとしたが、研究をちょっとかじった輩も恩恵
にあずかれるという策では、資金に群がる連中も多く出現
するだろうことは明らかだった。
 国民の税金の無駄t無駄遣いであった。
 「実績をまず作りなさい」の今回の策は適切です。
 そして、新聞では、最大の年間4億円の配分を受けるのは、
東大、京大、東北大、名古屋大。
 筑波大、早稲田大、自然科学研究機構など12の大学・機
関には3億円、
 北海道大など6大学にも2億円がそれぞれ配分されるとあ
る。
 そして、5年後に中間評価を行ない、
 成果が不十分な大学への支援を打ち切ったり、支援額を
見直したりするという。
 まったくこれも素晴らしいと感じる。成果優先主義OK。
 過去のこの類いの評価は、甘かった感がする。
 極端に言えば、研究支援費目当てに、作られた研究もあ
った様に感じる。
 資金を与えっぱなしにしないことが大切。
 そして、成果が上がって良いところには、「相手がびっ
くりするくらいの資金も出す」という様な裁量を取って戴
きたい。
 また、新聞には、使い道について、大学側の裁量も認め
る方針としている。
 これも素晴らしい。
 研究というのは「アイデア一つで180度、変わる時もあ
る」。
 柔軟な、臨機応変に、適切に、タイムリーに資金を振り
向けて行きたいのだ。
 そして、新聞は、国際共同研究を進める人材や、海外の
優れた人材を確保するための年俸制の導入などを提案して
いる大学もあるとある。
 これも大切なことだ。
 日本の大切な頭脳が、アメリカなどへ流出することを嘆
いていることが多かったが、
 日本への外国の優秀な『頭脳の流入』に意を砕いて行か
ねばならない。
 「シンガポールの目覚ましい発展は、ここに『キーポイ
ント』がある」。
 シンガポールは、世界の頭脳を集めたところに発展の基
がある。
 ここの戦略も、国家100年の大計の視点で、しっかりや
って行って戴きたい。
.
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後に続く人たちの知恵を信じないという愚行

2013-08-26 14:39:38 | 日記
 題:後に続く人たちの知恵を信じないという愚行
...(真を求めて、皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教の言葉を「宣教」と称して述べ伝える事は、
人類にとって良い事なのだろうか?
 また、人類の幸せに通じる事なのだろうか?
 『ベストの宣教』となっているのだろうか?
.
 今までの、何千年という経過を見る限り、
 あまりにも多くの人たちが
 酷(ひど)い形で、祈りを無にされている。
 『無益か』と言うより、『害ある結果』となっている。
 あなたたちは、害ある行為に携わっていると言える。
 キリスト教は、遠い昔に『既に使用に耐えなくなって
いる宗教』と言える。
 砂漠の地で、
 民族、我が民族が・・と、我が民族のみの生存・存続を
祈った、
 ぎりぎりの生存を祈る状態なら、
 ぎりぎりに赦(ゆる)せたとしても・・。
 今、手にする事の出来る資料で知る、これ以後の、この
様な状態・感じでは、
 『否』とはっきり言える。
 実は、福音書の記述者たちも、その様なことを感じてい
た。
 その時、そこで、
 「ある者は棄てた」。
 また、ある者は、
 「このままでは駄目だ」・・と、「自分に納得する様に
書き換えた」。
 「神のなすこと、変えてはならない」と思っていたが、
 変えざるを得ない実情だった。
 当然、「棄てた者たちの福音書』は、
 われわれは見ることが出来ない。
 現存する訳が無い。
 そして、そこで、我々が手にすることが出来ない、書き
残す行為を捨てた記述者の福音書へは、だからこそ、重い
想いを、はせなければならない。  
 今、我々が、手に出来ているキリスト教の福音書は、
 ある特定の記述者たちの福音書。
 「衝撃的だが、自分の納得する様に変えてしまおう」と、
 その様に考え、行動した記述者たちだけの福音書なのだ。
 その様な福音書を、手にしているのだ。
 キリスト教の聖書に書かれた内容は、
 その様に、
 誰が呼んでも完全で、非の打ち所の無い内容・代物(し
ろもの)というものでは 無かった。
 異論百出の 論議の湧いていた代物だった。
 削除・書き込みが多いという状況。
 ズタズタに切り刻まれ、 変転している。
 誰が書いたのか、また、誰が書き込んだのかも、
 まったく不明な 「多くの手」によっていじられ、変遷
して来た。
 その様に、福音書記述者さえ戸惑い、
 また、その他の多くの人たちをも戸惑わせた代物だった。
 この事は、後世のキリスト教聖職者とて同じこと。
 「聖書を一人で読んではならない」・・と、指導もされ
ている。
 つまり、誰もがが、何時、いかなる時でも、
 また、何処で読んでも良いという代物ではないという事。
 誰もがが、いつも、「ためになったと、感銘する代物で
はない」。
 棄てた福音書記述者の存在が、
 目に見えない記述者の方々の事まで、思い描かなくては
ならない。
 記述拒否の福音書のほかに、昔には、『数多く、書かれ
た福音書』があった。
 つまり、書かれたけど、「消えた福音書」が、あまたあ
ったのである。
 そのいくつかが、近年、発見されているが・・。
 紀元4・5世紀の頃、
 キリスト教福音書が確定して来たが、
 そのキリスト教聖書が確定して来た頃、
 聖書に載せられなかった、記載されなかった福音書、及
び、キリスト教の関係書類が、
 『処分されていた』という史実が残っている。
 最初の福音書と言われている「マルコによる福音書」に
は、参考にした書があった。
 それは「遠い昔に死んだイエスの言葉を集めたもの」と、
言われている書だった。
 この資料は、あちこちに参考にされ、利用され、影響の
大きい資料となっている。
 この資料も処分された。
 現在は無い。
 今は、参考にして書いたという「マルコによる福音書」
などから、その資料のことに思いはせなくてはならない状
態。
 その資料の片鱗をうかがい知るしかない。
 その有名な資料は、「G資料」と言われている。
 その様に、その他の資料の処分で、今は、
 「全体像が見えない状態」なのである。
 一部で見ている状態なのである。
 このことだけででも、
 この様な中に『真実はない』と言える。
 聖書がまとめられたという4・5世紀の時の、
 「ある一つの主義・主張」で、
 その頃に固まったその主義・路線だけの範囲で、
 こじんまりと収(おさ)まり、
 それ故に、なお悪いことに、
 その他のもの・書や資料は、『不用』と、その時点の者
たちは考え、
 足を引っ張るからと思い、
 その他のものは不用と写り、
 その貴重な「その他のもの」は、
 キリスト教の、『その時』の、権威者たちの手によって、
 人類の遺産を、
 狭い範囲の者たちの手によって
 処分されてしまった。
 後世の人たちが、永遠に見ることができない形に、
 されてしまった。
 後世の人たちの、
 あまたいる、後に続く人たちの、
 『知恵』を信じないという愚行をしてしまっていた。
.
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