ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

神奈川県伊勢原市、高部屋神社の大欅です?!

2016-03-18 05:26:56 | 巨樹・大木
高部屋神社は、伊勢原市役所の東約1kmのところ

丸山城址公園の南側、国道246号線の向かい側に有ります

嘗ての丸山城の一部だったようです


国道246号線を、丸山城址公園の上面から跨道橋で超えます

南側にまわります、延喜式内 高部屋神社です

鳥居から拝殿への参道です

説明版が有ります
   延喜式内 高部屋神社
     鎮座地  神奈川県伊勢原市下糟屋2202 
     祭 神  三箇男命(住吉大神)・神倭伊波禮彦命・誉田別命・大鷦鷯命・息気長足姫命・磐姫之命
     由 緒
       当社は「延喜式神名帳」に記載されている相模国13座の一座で、大住郡127ヶ村の惣社と言わ
      れていた。創建年代は不詳なるも、紀元前660年とも言われている。
       当社の本宮(元宮)は、糟屋庄の奥津城(霊城)である。澁田山(澁田川の源流)に鎮座している 
      。澁田山は、古来より高部屋神社所有の飛地境内でもある。
       糟屋住吉の大神として、又の名を「大住大明神」と呼ばれ、武門・武士を始め万民の崇敬せられた
      る古社である。江戸中期頃までは、別名「糟屋八幡宮」と呼ばれ、名社の名を謳われた。古社たる由
      縁には「汐汲みの神事」があり、更に「雅楽面三面の古面」と「源朝臣・頼重施入の経巻」・「上杉
      定正が寄進の大般若経典」の伝来があり、境内の釣鐘堂には、至徳三年(1386年作・県重要文化
      財に指定)平秀憲が寄進の銅鐘が、今でも時を刻んでいる。
       当神社のこの地は、千鳥ヶ城と呼ばれる要害が後北条氏の滅亡まで、社地の続きに存在が認められ
      た。鎌倉時代に源頼朝の家人で、藤原鎌足・冬嗣の地を引く糟屋庄の地頭「糟屋藤太左兵衛尉有季」
      の館跡と言われていて、高部屋神社を守護神として社殿を造営した。
       室町時代に入ると、将軍・足利氏の家人団・上杉一族の関与があったと思われる。糟屋氏・上杉氏
      と関わった武士達の興亡をのせてきた高部屋神社も、後北条氏を迎え、相模国風土記稿に載る、天正
      九年(1581年)五月十日、八幡宮境内(高部屋神社)の三ヶ条、松山城主「上田能登守長則」の
      禁制(法度)が知られている。
       天文二十年(1551年)に、地頭「渡辺岩見守」が社殿を再興し、天正19年(1591年)に
      徳川家康から式内社の名社あることで、社領十石を寄進され、朱印状を頂いた。
       社殿は、正保四年(1647年)に本殿を再建されたが関東大震災で倒壊し、昭和四年に柱・彫刻
      正面扉等をそのまま生かし再建、拝殿は慶応元年(1865年)に再建され現在に至っている。
       尚、拝殿正面の頭上に、山岡鉄舟の筆による「高部屋神社」の社号額が掲げられている。

手水舎です


神木でしょうか、鳥居の側に注連縄の掛けられたイチョウです

鐘楼です

梵鐘です

神奈川県指定重要文化財説明版です

神楽殿です

拝殿です、屋根は茅葺です

本殿です、幣殿や玉垣は有りません

拝殿東側にも神木でしょうか、注連縄の掛けられたケヤキです

県道沿い鳥居の西側に境内社の八坂神社が有ります

注連縄の巻かれた大きなケヤキの切株があります、嘗ては幹回り5.5mあったとか



外形はしっかりしていてヒコバエがまだ生きている様ですが、中は空洞化しています

では、次へ行きましょう
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