十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

夕顔

2009-11-30 | Weblog
     夕顔に匠は明日の鑿を研ぐ    山下接穂

匠にとって鑿は重要な道具の一つであるに違いない。明日のために今日の鑿を研ぐことは、匠が守り続けている矜持でもあるのだ。しかし、夕方開き、朝には萎んでしまう「夕顔に」心を通わせている匠でもある。作者の視線はどこまでも客観的だが、『源氏物語』を思わせる「夕顔」と匠の異質な取り合わせに詩情を感じた。作者は「ホトトギス」同人。「阿蘇」12月号〈雑詠〉より抄出。(Midori)

秋草

2009-11-29 | Weblog
      秋草を盛る歓迎の手を集め     大川内みのる

この日、「火の国探勝会」は南阿蘇休暇村で行われた。句会場には地元会員の皆さんによって、コスモス、水引の花、萩などの秋の草花が、溢れるほど鉢一杯に盛られていた。一つひとつは決して豪華とは言えない素朴な草花だが、こうして一つの鉢に盛られるとどんな花よりも美しく華やかだった。何よりも歓迎の気持ちがうれしい。上掲句は、その時の状況を「歓迎の手」に焦点を絞って詠まれた挨拶句である。挨拶の心というものの大切さを教えられたような気がした。「阿蘇」12月号〈雑詠〉より抄出。(Midori)

2009-11-28 | Weblog
       俳諧の何を頼りや月を仰ぐ   岩岡中正

「人去りてまた人来たる。それぞれが一握の詩を持ち寄って土となし、これを盛って塚となし、それが静かな山となった。・・・自然法爾の俳誌であり続けたい」とは、岩岡氏の巻頭言の中の一節だが、ここにその答えがありそうだ。俳諧は一篇の詩を持ち寄ることからはじまり、人と人との新たな出会いもまたここから生れる。そして、いつの世も変わることのなく月が私たちを美しく照らしてくれる。俳誌「阿蘇」は、昭和4年の創刊から80周年を迎えた。作者は、「ホトトギス」同人、「阿蘇」主宰。「阿蘇」12月号〈近詠〉より抄出。(Midori)

寒さ

2009-11-27 | Weblog
    箱振ればシリアル出づる寒さかな   榮 猿丸

シリアルに牛乳をかけるだけの簡単な朝食は、いかにもアメリカナイズされて、手軽な朝食だ。しかしシリアルの箱を振った時のあのカサカサという乾燥した音は何とも侘しい。「寒さかな」は、圧倒的に感覚的な寒さだ。猿丸さんは、以前BS俳句王国に出演されていたが、司会者の「猿丸というお名前は珍しいですね」という問いかけに、「ただ申年なので・・・。申年は俳句が巧いらしいですから」というニヒルな笑顔が印象的だった。「俳句」平成20年1月号より抄出。(Midori)

流星

2009-11-26 | Weblog
     木の瘤の仏相星の流れけり    田口令子

単に木といっても、樹齢数百年、数千年を越える神木だろうか。古木となると、木の瘤も大きく膨らみ芸術的な形相を呈するようになる。それを「木の瘤の仏相」と捉えた作者の感覚に、新鮮さを感じた。木の瘤をじっと見ていると、なるほど不動明王の顔のようにも見えてきて、思わず手を合わせたくなる。「星の流れけり」という宇宙のロマンを配合して、余韻のある格調高い作品となっている。今月、「滝」11月号〈滝集〉巻頭作品。

風邪

2009-11-25 | Weblog
       風邪の日は風邪かと問うてくださいな   津田このみ

風邪をひいた日は、「風邪ですか?」と誰だって聞いて欲しいものだ。声も嗄れて風邪だとすぐわかるのに、誰も声をかけてくれないとしたら、やはり寂しい。風邪の日は、いつもとは違う特別の日なのだ。これまで言葉にしなかった繊細な心理を、ずばり十七文字にしてしまった功績は評価されていいと思う。俳句は韻文だと言われるが、時にはこんなひとり言のような口語文を、きっちりと五七五の有季定型に収めることができたら、また楽しい。作者は、「船団の会」会員。(Midori)

貝割菜

2009-11-24 | Weblog
      貝割大根切り放つなりスポンジより    相子智恵

貝割菜は、大根などが萌え出て二葉となったもので、二枚貝が開いたような形からこの名がある。今の感覚からすれば貝割菜というより貝割大根と言った方がピンと来るのかもしれない。スポンジに根を這わせたまま出荷される貝割大根は、全く「切り放つなりスポンジより」だ。「スポンジより」の字余りが、妙に切ない。「俳句」12月号、第55回角川俳句賞受賞第一作より抄出。(Midori)

ちやんちやんこ

2009-11-23 | Weblog
       ちやんちやんこ死なねばならぬ一大事    木田千女

「生」と「死」は、文字にするとそれぞれたったの一文字だが、誰もが等しく一度は経験しなければならない一大事だ。生老病死の対極にあって、いつかは迎える「死」を「死なねばならぬ一大事」と達観している作者だ。「ちやんちやんこ」という庶民的な衣服を配合して、「一大事」と言いながらそれ程には思っていないらしい作者のしたたかさが感じられた。大正13年生まれ。「天塚」主宰、「狩」同人。「平成秀句選集」より抄出。(Midori)

黄落

2009-11-22 | Weblog
      革命やいま黄落のすざまじき   大高 翔

銀杏、櫟などの木の葉の黄葉は、急激な冷気によって、その美しさを極めると聞いているが、その年の微妙な気象条件によってその美しさは違っているようだ。やがて黄葉は忽ちのうちにその金色の葉を落し始める。それは確かに落葉樹にとっては一つの「革命」と言えるものかもしれない。世界の歴史を変えてきた多くの「革命」もこんな感じだろうか・・・。「革命」との意外な取合せが、「黄落」にドラマ性をもたらしている。「平成秀句選集」より抄出。句集「キリトリセン」所収。(Midori)  


男郎花

2009-11-21 | Weblog
     追分や南部片富士男郎花    宮崎里子

岩手山は、標高2,038mの成層火山で、別名、「南部片富士」として知られている。私はまだ訪れたことはないが、季語から察すると、男性的な秀峰のようだ。「南部片富士男郎花」と漢字がつづく。漢字ばかりでありながら、リズミカルな音律に思わず口ずさんでみたくなる。「追分や」の切れによって、追分節の哀愁のある唄声が木魂して来そうな気がした。「滝」11月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

天高し

2009-11-20 | Weblog
      天高しひたひの上にある眼鏡    平賀良子

家族の誰かが、「眼鏡がない」と言って大騒ぎして探しているのだ。作者も一緒になって眼鏡を探しているのだが、いつも置いてあるはずの場所にもなくて、なかなか見つからない。何気なく相手の顔を見ると、なんと本人の額の上に当の眼鏡が・・・。そこで選ばれた季語は「天高し」だ。「ひたいの上」と対照的な大きな季語を持ってきて成功した。何も語らない作品だけに可笑しさが伝わってきた。「滝」11月号〈滝集〉より抄出。(Midori)

霜夜

2009-11-19 | Weblog
      川の字に寝て乾電池めく霜夜    守屋明俊

霜は、寒い朝の視覚的イメージとして認識されているが、実際はよく晴れた風のない寒い夜に降りる気象現象だ。霜夜は、寒夜とは違ってどこか研ぎ澄まされたような静寂が感じられるが、「乾電池めく」の比喩がその微妙な感覚を伝えている。体内に熱を充電しているのか、それとも放電しているのか分からないが、「乾電池めく」という意外性のある比喩がすばらしい。「未来図」編集長。「平成秀句選集」より抄出。(Midori)

冬日

2009-11-18 | Weblog
        わが庭や冬日健康冬木健康     高浜虚子

虚子は「冬日」を好んだらしく、「冬日」の句が多く残されているが、「冬」と「健康」のリフレインの効果は大きい。そして堂々たる字余りに「わが庭」をはみ出すほどの健康が感じられる。俳句にはおよそ縁がないと思われる「健康」という言葉の思いっきりのよい使い方は、大悪人虚子らしい大胆さだ。このあとに続くとしたらやっぱり、「虚子健康」だろうか。このとき虚子、82歳。昭和35年に亡くなる2年前の作品だ。平成20年第4刷「虚子俳話」より抄出。(Midori) 

草紅葉

2009-11-17 | Weblog
      草紅葉錆びし機関車熱もてり     佐藤時子

錆びた機関車と言っても、蒸気機関車などレトロなものは、人気の高まっている車両だ。観光地ではかつてのSLが季節限定で走っていたりする。しかしここには、ずっと放置されたままの機関車がある。生命力のある草紅葉と無機質な機関車の取合せ・・・、それだけでも色彩豊かな風景が立ち上がる。「熱もてり」に草紅葉の紅葉のエネルギーと作者の郷愁の深さが感じられた。「滝」11月号〈滝集〉より抄出。(Midori) 

凍滝

2009-11-16 | Weblog
      滝凍つる山に幽けき音生れて    山崎真中

凍った滝を、実際にまだ見たことはないが、映像で見るだけでもその迫力と美しさは感動的だ。まるで山が幽閉されたかのように、一面氷の壁に閉ざされてしまう。冬山の様子はまさに「山眠る」と言われるように、山に息づく森羅万象はことごとく眠ってしまったかのようだ。しかし、ここでは「幽かな音生れて」である。連用形がもたらす余韻によって、滝が凍ってゆく音が聞こえてくるようだ。幽玄な音の世界に限りない詩情を感じた。「滝」11月号〈滝集〉より抄出。(Midori)