十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

鷹鳩と化す

2011-04-30 | Weblog
   鷹化して鳩となりけり祖母にひげ    津川絵里子

「鷹化して鳩となる」は、中国古代の天文学による七十二候の一つで、3月16日頃。
春の穏やかな気配の中では、鷹は鳩に変身してしまうということらしい。
人間も、老いとともに、尖っていたものが取れて穏やかになって行くものだが、
そのお祖母さまにお髭が?!
まるで、鳩が鷹に化してしまったかのような俳諧味が楽しい一句だ。
「俳句」5月号「新鋭俳人20句競泳」より抄出。(Midori)

陽炎

2011-04-29 | Weblog
走者かぎろひ来るのかゆくのか不明   今井 聖

陽炎の中を走って来るのか行くのか・・・
それも逆光の中であれば、尚更見分けがつき難い。
まるで光の棒のようになってかぎろい来る走者。
作者の実感がそのまま一句となった作品に共感を覚えた。
「俳句」5月号「作品12句」より抄出。(Midori)

雪解

2011-04-28 | Weblog
   にぎやかに日暮はじまる雪解村   黛  執

太陽の日差しに、雪解の音が賑やかにはじまっている夕暮れ。
同時に、夕方の生活の営みも、俄かに活気づきはじめている。
つぎつぎ点る村の家々の灯りに、賑やかな声も聞こえてきそうだ。
雪国の閉塞感からの開放感、そして喜びが伝わってきた。
「俳句」5月号「作品8句」より抄出。(Midori)

踏絵

2011-04-27 | Weblog
    ピエタ像踏みたる夜の夢精かな    行方克巳

ピエタ像は、磔刑に処せられたキリストの遺体を抱く母聖マリアの像のこと。
キリストを、あるいは聖母マリアの像を踏むという行為が、大きな意味を持
っていた時代があった。信仰が強ければ強いほど、その行為がもたらす
心の傷は大きいものだったに違いない。夢精のメカニズムはよく知らないが、
きっとこの日の興奮によるものだったのかもしれない。「ピエタ像を踏む」
という壮絶な行為に対して、「夢精」という健やかな生理現象にどこか、
愛おしいものを感じた。
「俳句」5月号「作品16句」より抄出。(Midori)

2011-04-26 | Weblog
  初蝶や土管といふもなつかしく   石田郷子

地中に埋設されている土管ではなくて、野や空地に放置されたままの土管だ。
幼い頃、土管の中を秘密の場所にして遊んだ記憶・・・、
もしかしたら、土管の中の小さな恋もあったかもしれない。
セピア色に化した記憶に、初蝶がふっと過るのを感じた。
「俳句」5月号「特別作品21句」より抄出。(Midori)

桃の花

2011-04-25 | Weblog
  足腰のことなど話し桃の花    廣瀬直人

桃の花に背を伸ばし、仰ぎ見ている二人だ。
特に気にかかるようなこともなく、話題は足腰のことなど、
互いを励まし労わる話題に終始している・・・。
気負うこともない穏やかな老境にある作者だ。
「桃の花」に、これまでの月日への静かな感慨が伝わってきた。
「俳句」5月号「特別作品50句」より抄出。(Midori)

春の宵

2011-04-24 | Weblog
  猫抱いてをとこ嫌ひや春の宵    那須淳男

俳句が一人称の文芸だとすると、男嫌いなのは作者本人ということになる。
しかし、猫を楯にとって、「をとこ嫌ひ」というのも、何だか少女じみている。
やはり、ここでは麗しき女性と考えた方が良さそうだ。
彼女の視線に加え、冷やかな猫の目に、男もたじたじというところだろうか・・・。
2011年版「俳句年鑑」より抄出。(Midor)

2011-04-23 | Weblog
  信号青一瞬春のうつろかな    澁谷 道

人と車が停止し、信号が赤から青に変わった瞬間、
人は歩き出すのだが、一瞬の戸惑いがありはしないか・・・
すべてが停止した時に生じる陽炎のような空間。
そこへ一歩踏み出す時、一瞬の戸惑いがあるのだ。
それぞれの人生を背負って、「春のうつろ」へ歩き出す。
「信号青」と言っても、つい出遅れてしまう。
2011年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

春の暮

2011-04-22 | Weblog
   木登りの木より子を剥ぐ春の暮    柏原眠雨

木登りというと、特別な目的がない限り、子どもの遊びの一つだろうか。
人間は、それ程木登りに適した身体には造られてはいないようだから、
木に登れば、下りることを考えておかないと大変なことになる。
「木より子を剥ぐ」のまるで、小動物か昆虫かのような扱いも
子どもにとっては、やっと地上に下りることができる救いの手なのだ。
もしかしたら、いつまでも木にかじり付いていたい子どもなのかもしれないが・・・
2011年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

2011-04-21 | Weblog
  リハビリ励めは正論なれど怠る春   倉橋羊村

リハビリが、機能回復に有効なことは百も承知の作者だ。
しかし、春にもなれば時には怠ることもあるだろう。
それだけ機能も回復してきたということかもしれない。
正論はあくまでも正論。ひとの身体は正論通りにはいかない。
思い切った字余りも、作者の意図とするところなのだろう。
2011年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

遅日

2011-04-20 | Weblog
  アイデアもペンも貸し借り夕長し   ふけとしこ

アイデアも枯渇してくるのか、だんだん頭も冴えなくなってしまう。
そんな時、ペンと同様、アイデアも貸し借りできればいい。
貸し借りの少なくなってきている昨今、この非常事態も、
アイデアを寄せ合えば、きっと乗り切れることもあるはず・・・
「船団」所属。句集「インコに肩を」より抄出。(Midori)

2011-04-19 | Weblog
    花の下座り見らるる側となる    山本素竹

今年は、花見も自粛ムードで淋しい花の宴となったようだが、
花筵にコンビニ弁当を広げて、一時の桜を楽しんだ人も多いことだろう。
さて、ここと決めるまでは見る側であったのが、ここと決めて座れば、
たちまち見られる側に・・・。賑やかな花見も、また楽しい。
日本伝統俳句協会「花鳥諷詠」平成22年3月号より抄出。(Midori)

辛夷

2011-04-18 | Weblog
 ほどきたる初心の白や花こぶし   山田弘子

四月、春爛満の陽光の中にひらく辛夷の花、
「ほどけたる」ではなく、他動詞の「ほどきたる」とした作者の思い・・・、
それは「初心」へ還ろうとする強い意思ではないだろうか。
辛夷の花の「白」に投影された「初心」への思いは、
読む者にも、大きな感動と希望を与えてくれる。
日本俳句伝統協会、2011年カレンダーより抄出。(Midori)

菜の花

2011-04-17 | Weblog
  回廊の一角菜の花に浮かぶ    五島高資

群生して、一面を黄色に染め上げてこその菜の花だ。
背丈もあれば、菜の花に埋もれてしまうものもあるだろう。
さて、菜の花に突き出た回廊の一角が、
まるで菜の花に浮かんでいるように見えるのだ。
建造物の伝統美と菜の花の色彩との調和が印象的な作品。
2011年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)

遠足

2011-04-16 | Weblog
  改札を出し遠足の子らに海    保坂伸秋

駅の改札を出れば、目の前には海が広がっている。
海岸線を走る、在来線なのだろう。
海は眩いばかりに広がって、子ども達を迎えてくれる。
遠足の子らの小さな歓声が次々に聞こえてくるようだ。
2011年版「俳句年鑑」より抄出。(Midori)