十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

芋茎

2018-09-29 | Weblog
「芋の茎」は、むかし母が料理してくれた食感や味わいが懐かしいが、自分ではなかなか手が出せない食材だ。その芋の茎は、芋茎(ずいき)と言って、秋の季語であることを、先日の南関句会で知った。

芋の茎吊るして長き老後かな     和代さん

句会で出句された中で一番好きだった句。人生百年の長寿社会を迎えた今、「長き老後かな」の「かな」の詠嘆が切実で印象的だった。(Midori)

竹の春

2018-09-26 | Weblog
今日の南関句会の兼題は、「竹の春」。山々に囲まれて、筍の産地でもあるので、イメージしやすが、秋なのに春である。やはり春らしい生命力が必要となってくる。

竹の春二十年目に子の生まれ    英次さん

竹の花は10年に一度花が咲くとも言われるが、ここでは20年目である。まさしく「春」の喜びが伝わってくる一句。指導者特選。(Midori)

百合

2018-09-22 | Weblog
白百合の香にむせて老いゆくばかり     利光釈郎

「白百合」と「老い」の対照的な一句。破調のリズムが、いかにも白百合の香に「むせて」いる作者が見えるようだ。「阿蘇」9月号、当季雑詠より抄出。(Midori)

薔薇

2018-09-20 | Weblog
薔薇匂ふこころの封を切りしとき
あぢさゐの海恋ふ色となりにけり
くちなしの雨に重たき香を放つ
やはらかく水面くぼませあめんぼう


*「阿蘇」9月号、井芹眞一郎選

【選評】 ふとしたきっかけで薔薇の花のよい香りに気づいた。今まで何かに心を囚われていたのだが、それをオープンにした時であった。遠まわしに言っているようだが納得のゆく一句。(眞一郎)

抽象的で、形を成さない「こころ」を具象化するため、「こころの封を切る」という試みでしたが、土曜例会で選を頂くことができ、嬉しい一句となりました。(Midori)

2018-09-18 | Weblog
鎮座して無一物なる蟇      島田眞理子

蟇への生命讃歌であり、人間へのアイロニーにも繋がる。「蟇」だけを詠んで、納得の一句。「阿蘇」9月号より抄出。(Midori)

子規忌

2018-09-16 | Weblog
9月19日は、正岡子規の忌日。糸瓜忌、獺祭忌とも言われ、子規の短い生涯がさまざまに偲ばれる。さて昨日の土曜例会の会場には、子規の遺影が飾られ、鶏頭、コスモスなどの秋の草花、艶やかな柿二つと餡パン一つが供えられていた。出句の多くは子規忌を詠んだもので、毎年ながら新鮮な感動を頂いた。下の句は、子規の「三千の俳句を閲し柿二つ」へのオマージュでもある。(Midori)

ふるさとの夕日のいろの柿二つ
  *岩岡中正選

袋掛

2018-09-12 | Weblog
袋掛心もとなき一つにも      木村佐恵子

確かな実りを期待できそうでないものには、つい手を抜いてしまいそうな袋掛である。ところが、「心もとなき一つにも」と、作者の慈愛に満ちた視線は、心を打つ。

別品になれと袋を掛けにけり    中野しずこ

こちらは、「別品になれ」と、全ての果実への同一の励ましである。それだけに、明るさと力強さが特徴的な一句である。

趣きを異にしている「袋掛」の二句であるが、俳誌の主宰選では、弱者への思いやりの詩情が上位となっている。「阿蘇」9月号より抄出。(Midori)

2018-09-09 | Weblog
天草は、崎津教会や潜伏キリシタンの歴史が評価されて、世界遺産に登録されたばかりだが、今回の吟行は、天草に架かる第5号橋を渡ってすぐの上天草市松島町。島々が美しい所だが、殉教の海としての哀しい歴史も残っている。7句出句の5句選。平明な言葉に込められた深い詩情に、俳句の素晴らしさを実感した一日だった。(Midori)

掌の人うつくしき島の秋
    *探勝会、主宰選

植田

2018-09-06 | Weblog
左右より山の押し合ふ植田かな      井芹眞一郎

一読して、山間によく見られる植田の風景が立ち上がってくる。写生句でありながら、「山の押し合ふ」ということは、現実にはあり得ない。客観写生といわれる伝統俳句も、実は主観であり、自らの感覚によるものだと改めて教えられた一句である。平明な言葉で叙された一句は、非常に力強い。「阿蘇」9月号より抄出。(Midori)

麦の秋

2018-09-04 | Weblog
悼むとは著書を読むこと麦の秋     高橋満子

「悼む」といっても、故人との関わりによってさまざまだと思われるが、掲句では、「著書を読む」ことだと言う。故人の生涯をかけて著されたものは、まさしく尊い遺志である。今年は熊本の作家、石牟礼道子氏が亡くなった。彼女の故郷を愛する思いは、彼女の著書と共に後世に受け継がれ、故郷に豊かな「麦の秋」をもたらすことだろう。「悼む」ということの真の意味を改めて気づかされた今月号の巻頭句である。「阿蘇」9月号より抄出。(Midori)

片陰

2018-09-02 | Weblog
いのち大事と片陰をたどりゆく    岩岡中

今年ほど、命の危険を感じた夏はなかったのではないだろうか。「いのち大事」と、まさしく自分の命は自分で守るしかなく、「いのち」あってこその万事なのである。街中を移動する作者のふとした日常が、「片陰」という季語によって表出され、昨今の異常気象をうまく言い止めて詩情高い。「阿蘇」9月号より抄出。(Midori)