十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

9月号Ⅵ

2019-09-26 | Weblog
ででむしやATMに人の列    山下勝美

一万人にも満たないわが町では、ATMに並ぶことも少ないが、珍しく列ができていると思ったら、その日は年金支給日だったということも・・・。それだけ高齢者が多い町なのだが、10月からは消費税アップ。スマホ決済だとポイント還元されると聞いても、なかなか積極的になれないのは、昭和生まれの悲しさ。「ででむし」の時代がどこか懐かしくもある。「阿蘇」9月号より抄出。(Midori)

朝顔

2019-09-23 | Weblog


子規庵の小さな朝顔が今年も咲きました。もう何代目かわかりませんが、子規忌には、たくさん花を付けるようです。(Midori)

あさがほや子規の遺せし小宇宙

9月号Ⅴ

2019-09-22 | Weblog
金管の踊るバンドや麦の秋      児玉胡餅

金色に光る管楽器を抱えて踊るバンドである。視覚と聴覚の躍動感あふれる措辞に対して、「麦の秋」は、さしずめ自然が奏でる美楽だろうか?豊穣の喜びと開放感のある素敵な一句。「阿蘇」9月号より抄出。(Midori)

9月号Ⅳ

2019-09-18 | Weblog
下闇てふ深き無言につつまるる     坂本あかり

下闇を行くときに感じるどこか不気味な暗さは、やはり下闇に潜む目には見えない生命力を感じるからだろうか。それを「深き無言」と、捉えて的確。静寂とは違う空気感が感じられる一句である。「阿蘇」9月号より抄出。(Midori)

9月号Ⅲ

2019-09-16 | Weblog
夫もはや行けぬ慈悲心鳥の谷     高橋満子
夫にまた加はる恙梅雨に入る       〃


共に、「夫」を詠まれて切ないが、それを凌駕しているのは、俳句としての詩情の高さと、構成の巧みではないだろうか。一句目の「夫もはや」、二句目の「夫にまた」の上五から予想される悲しみは言うまでもないが、「慈悲心鳥」という、どこか救いのある鳥の名の斡旋に、作者の思いの深さが伝わって来た。「阿蘇」9月号より抄出。(Midori)

9月号Ⅱ

2019-09-13 | Weblog
孑孑の水に階ありにけり       山下しげ人

水中の孑孑独特の動きを、「階」という比喩によって表現された一句。「ありにけり」の断定は、作者の写生の眼の確かさであり、読む者に説得力を与える所以でもある。孑孑の逞しい生命力や神秘の世界を伝えている一句。「阿蘇」9月号の巻頭句。(Midori)

南阿蘇

2019-09-09 | Weblog


南阿蘇の明神池水源。透明な水面には、青空と白雲がくっきりと。河童伝説も残され、池の中央には恋人を待つ河童の像がぽつんと寂しげでした。(Midori)

小鳥来る河童の淵に佇めば
新涼や河童の淵にぷくと泡
夫を待つ河童のこゑや秋の暮     *火の国探勝会、中正選  

露けし

2019-09-06 | Weblog
今年9月7日は、白露。24節気の一つで、俄かに秋らしくなる頃だとか・・・。つまり気温の低下によって、水蒸気が草木に結露しはじめるころ。当たり前の気象現象だが、「露けし」と言えば、格別の情を抱く季語でもあるのだ。「露」は物理的に理解できるが、「露けし」となると、なかなか難しい。(Midori)

   祈りの手解いて露けき風のなか
   露けさのあつまつてゐる眼かな      *中正選 in NHK  

9月号Ⅰ

2019-09-03 | Weblog
梅雨の灯の人語のやうにともりけり     岩岡中正

「梅雨の灯」は、春の灯、秋の灯とも違う情感があるが、明らかに違うのは、雨に滲む灯りであるということだ。それだけに、やわらかな哀感を伴うとも言えそう。「人語」は、本来、そんな感情をやさしく包むものではないだろうか。「人語のやうに」という直喩が、いかにも優しい。「阿蘇」9月号より抄出。(Midori)

「阿蘇」9月号

2019-09-01 | Weblog
文学の端にでんでん虫這はす
うす紅をさして出てゆく夕薄暑
あたりより山霊のこゑ竹落葉
ひとつづつ星の色づく植田村

*「阿蘇」9月号、岩岡中正選

【選評】 「でんでん虫」を端に置いて、いかにも楽しく「文学」に集中している作者である。でんでん虫とともに過ぎて行く至福の時間。「端に」が具体的で、「端に這は」せたことで、俳句になった。心の余裕を詠んでいるのである。(中正)

「蝸牛」、「薄暑」の句は、兼題で得た句。「蝸牛」は、我が家の小さな菜園の害虫でもあるが、童謡にもあるように愛すべき生き物としてのイメージは崩せない。(Midori)