グローバルネイチャークラブのガイド日記

グローバルネイチャークラブ(旧グローバルスポーツクラブ)のガイド仲間が観察した伊豆大島の自然の情報を中心にお届けします。

「伊豆大島土砂災害からの地域再生」研究発表会

2017年01月19日 | 火山・ジオパーク
一昨々日、東大工学系研究科の学生さんたちの「伊豆大島土砂災害からの地域再生」というテーマの研究発表会があったので参加しました。

会場にはポスターでの発表や…


模型での発表もありました。


精巧な作り…どれも力作です!!


屋根が黒いのは、溶岩を砕いて乗せているからのようです。


15人の学生さんは中国、タイ、スイス、フランス、スエーデンからの留学生と、日本人1人。

4チームに分かれて研究し、成果を発表してくれました。

印象に残ったことを簡単に報告します。

チーム1のコンセプトは a parth for Izu-Oshima(道)
観光ルートを歩くと、島民との交流ができるようにする。一連のプログラムを組み合わせ、道を通して展示し、その道で町と山をつなぐ。

三原山までを1本の道でつなぎ、その道が保育園(展示や子供達の遊び) 図書館(自然を見ながら読書 シアター室)、椿油製造工場(製造工程見られる) 文化センター(交流の場)、新町亭(市民の生活見られる大島の歴史的な建物)、登山準備ができる場所(売店着替えなど)を配置。 

災害が削り取った土地の境界線をそのまま保存し…


それを忘れないように、残された自然の方をむく建物の配置も印象的でした。


「観光客にとって「道」とは、綺麗な風景の中で新しい文化を発見できる冒険」
道が冒険という発想がとても興味深かったです。

チーム2のコンセプトはlayer(重なり)
自然と共に暮らす人間と自然が人を集める。
「郷土資料館に”自然観察エリア”を設け、自然の移り変わりをそのまま見られる場所を作る」というアイデアが、目からウロコでした。
 たしかにこの方法なら草刈りをする必要がなく、維持費がかからないし、連続写真を撮っておいたら、植物の再生の過程をそのまま見られる貴重な場所になりますよね。
「新町亭であんこ体験」という案も盛り込まれていました。

チーム3のコンセプトはsando(参道)
「一面にひろがる海と、山の自然、災害と復興、大島は自然に対する恐れと敬いがあると知り、感銘を受けた」
「三原山への敬意の念、災害と復興の道、神聖な場所への意識を高めるため山への入り口を設ける」
「今あるものを生かしつつ、山へ続く新たな道となるようなもの考えた。
道の脇には大島特有の椿、オオシマザクラなどを植え、大島の樹木がそこにいくと見られるようにする」

プランには、他にもオオムラサキシキブ、イソギクなど大島ならではの花や実が美しい植物が描かれていて「よく勉強しているなぁ」と感心しました。

チーム4のコンセプトはgrow again(神立を再び、緑豊かな土地にする)
「土砂災害は、新たな土壌をもたらした。残った場所には、花や果物を栽培するための道を作り、農園の貸し出しをする」
「若い人と年配者の文化交流の場所を作る」
「芸術家の作業場、展示スペース、定期的に変わる展示を楽しめるようにする」
災害が新たな土壌をもたらす。それを活用する…という発想が新鮮でした。

「道のはじまりと終わりに駐車場、等高線に沿って、ゆるやかな道を作り、急な近道も作る」
確かにそうすれば、時間のない人、のんびり歩きたい人など、様々な人の要望に答えられます!


発表を聞きにきた人たちからは、短時間でこの計画を作り上げたことに対する賞賛の声の他…
「人々の動きすらも、ランドスケープであると思った」
「しっかりとコンセプト持ったまちづくりをしなければならないと、改めて感じた」
「皆さんの思いを受け止めて活用していければ、と思った」
「人が集まった後の運営をどうするかが大切」
「民間の事業者が継続的に入る必要がある。大島の自然風土をよそに知らしめるために、ある程度のインフラがいる。3年、5年、10年のスパンでやっていけたら」
「線として考える思考がすごい。来た人が生き生きとして帰っていくという発想があっても良いのかと思う」
…などの感想が聞かれました。

最後に、この学生さんたちの研究をまとめた大月先生の言葉。
「学生たちには、机上の空論ではなく、現場に近いところで勉強して欲しいと思った。今回の提案は、実際にやったら何十億円。でもこの中の少しでも活用していただけたら嬉しい。急いで作るのではなく、10年ぐらいかけて一つずつ丁寧にみんなで作っていかれたら良いのではないか。大島は、いくつもの災害を、時間をかけて乗り越えてきた島だと思うので」

「時間をかけて、みんなで考えながら作ることが大事」という考え方、本当にその通りだと思います。

多くが外国人である学生さんたちにとって、魅力的に感じられたものは、伊豆大島の自然、災害を乗り越えてきた歴史や文化、そしてここで暮らす人々そのものなのだということが良くわかりました。そしてそれは多く日本人にとっても、最も魅力的な存在なのだと、改めて感じました。

(カナ)
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クロジ再び

2017年01月18日 | 
先週の土曜日にUPしたばかりのクロジですが「もう少しマシな写真を撮りたいです」と宣言したからか、今日撮影できました。



陽が当たっていればもっとよかったです。
しかし多くは望みません。
鳥との出会いは一期一会(鳥に限ったことではありませんね)私の目の前に一瞬でもこうして姿を現してくれたことに感謝です。
本当に綺麗!!


そして前回は手前でボケていたシロハラにも出会えました。
別個体です。

この子は車でかなり近寄ってもあまりこちらを気にしないで食べ物を探していました。


こうしているとどこにいるのかなかなかわかりません。
なので不用意に近付いて飛ばれてしまうことがしばしばです。

がんま
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吉谷神社正月祭(2017年)

2017年01月17日 | 歴史・文化
一昨日、吉谷神社正月祭を見に行きました。

8年ぶりに行われる元町に残る都指定の無形文化財のお祭り。
10時過ぎの吉谷神社には、たくさんの人が集まっていました。

前日は、南組、北組の踊り子たちの”出会い式”と、練習してきた踊りを吉谷神社の神様に奉納して良いかを確認してもらう“検分”が行われました。“検分”したのは、保元の乱で伊豆大島に流された後、伊豆七島を支配した源為朝の40代目のご子孫だそうです。

そしてこの日、いよいよ神社に踊りが「奉納」されます。

8年ぶりと言うこともあり、観客席がいっぱいだったので・・・


山側の少し高いところから見ることにしました。

三原山の神様を鎮めるための『神子舞』が始まりました。

三原山のご神体は女性とされており、その神様が嫉妬しないよう神子は10歳前後の男子が務めるそうです。

寒波と強風で、踊り手の男の子も大変そうです。

でも、しっかり大役を果たしていました☺️


その後、若者衆の踊りが披露されました。

岡田八幡神社の手踊りより、威勢がいい感じがします。

北組と南組が入れ替わり踊り続けるため「競う」部分があるからなのでしょうか?

「おひねり」は一切ありません。
同じ島の中でも、ずいぶん違うのだなぁ…と思いました。

いただいたパンフレットには「正月祭の意義」が、こう書かれていました。

「噴火のわざわいから島民を守り『お山』をなだめ、災害でなくなった人々を鎮魂するため、踊りを神様に奉納する祭り」…まさに活火山の島ならではのお祭りですね!

この吉谷神社正月祭は、1789年から記録が残っているそうです。

江戸時代からずっとずっと受け継がれてきた火山島の歌と踊り☺️
屋台が出るような『お祭り』ではなく、まさに神様への「奉納」☺️
2日間の手抜きなしの真剣勝負☺️

これってまさに島の「宝」ですよね!☺️

パンフレットは、土砂災害後の復興を支援するため、島に通い続けている東大で建築を学ぶ学生たちが作ってくれたそうです。(素晴らしいです!)

こういう本物のお祭りを観光の方に、きちんと紹介できる仕組みを作って、伊豆大島ファンを増やしたいなぁ…と心から思いました😀

吉谷神社正月祭については、藤井工房さんのブログに、詳しく掲載されています。
http://fujii-koubou.com/bunnka/yosiya.html

また、学生さんが作ったパンフレットのは、下記のブログで紹介されています。
http://plaza.rakuten.co.jp/ankosan26/diary/201612170000/
興味を持っていただけた方は、ぜひご覧ください。

(カナ)
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年に2回は行きます

2017年01月16日 | その他

岩の道 道があるのですよ これでも!(何年か前に変化有りました)


雪が降っていた 大島には珍しい水が流れる所もあるのですよ


丸い発泡スチロールのような雪(雪の少ない大島なので少しの雪でもテンション上がる)


谷に生えているミズブキ 少し上に行くと寒いから蕗もさぞ寒さに震えるでしょう
私は上の方まで行かずに下の方に戻って来てしまいました(上の方に進むと滑りやすいエリアがありますし)


裏から見た三原山は雪が沢山積もっていました。表からは雪が見えなかったので驚き


あの島々にも雪は積もっているのでしょうか?

毎年1月か2月に行く所。同じ季節に行くと植物の様子が年々変わっていくのが分かります。台風等の大雨で流水の場所が変わったり、落石が有ったり

今まで未舗装の道路でしたが、年々舗装されて歩くのを楽しみにしている私にとっては残念です。舗装されて道が良くなってはいますが歩くのは未舗装のものが良いと思っているのです。(みんなの希望で舗装したわけではありません)大人の事情です(しま)
※来年はどの様になっているのでしょうか?
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岡田八幡神社の正月祭(2017年)

2017年01月15日 | 歴史・文化
今週末、岡田八幡神社正月祭と元町吉谷神社正月祭が行われていたので見に行ってきました。
2つとも、東京都の無形文化財に指定されている、伊豆大島を代表するお祭りです。

昨日は、岡田八幡神社へ。

このブログにも何度か登場しているお祭りですが、今年はこの地区に住むジオガイドのKさんが資料を用意し、ガイド仲間に説明をしてくるとのことで、楽しみにしていました。

数10万年前に活動していた古い火山の海食崖が、天然の良好を作った岡田港。

駐車場から見ると、崖と崖の間の谷を伝って溶岩が海まで流れ、岡田港の地面を作ったことが想像できます。

Kさんからいただいた資料には「岡田村は江戸初期に親村である元町の避難港として創村開港した」と書かれていました。そしてこの地に伝わる「天古舞」という有名な踊りも「江戸初期に完成されたと言えるだろう」とのこと。

数日前の八幡神社。周囲を崖に囲まれた場所にお社が建っています。

昨日はKさんの案内で、お社の奥へ・・・

斜面を流れた溶岩を少しどけて神社を作っただろうとのこと。

一部石垣で補強されていますが、溶岩流の断面がそのまま残っている場所もあります。伊豆大島の火山地質図には年代は載っていないのですが、何年ごろに流れてきた溶岩なのでしょうか?(いつか調べてみたいことの1つです)

祭典は「警固出礼」「鳶引き」「看板」「手踊り奉納」「天古奉納」の順で行われます。
こちらは警固役の方の、挨拶の様子。

警固役は祭りの間中、一切口を聞いてはいけないのだそうです。

「看板(やなぎ)」では1人が長い竹の棒を持って、倒さないようにしながら回転させます。

とても重いらしく、棒が倒れそうになると助けが入ります。

これは「厄除け」の意味があるそうで、祭りの役職についた人で色紙の部分を切り分けて持ち帰り、1年間取っておくとのことです。

『手踊り』が始まりました。

森に差し込む光が踊っている人々を照らし、神々しい風景でした。

Kさんは踊りの師匠役で、前日まで毎日、踊りの指導をしていたとのこと。
練習に使っていた台本を見せてもらったら・・・

歌詞の横には赤字でびっしり『踊り方』が書き込まれていました!

ジオガイドさんが集まって話を聞いています。


実は3年前のお正月、初めて見に来てブログで紹介したのですが(その時のブログはこちら
島外出身者の私にとって、これまで踊りの振りが何を表現しているのか、よく分かりませんでした。

今年はKさんが「あれは帆の形。あれは〇〇の動作を表現している」と教えてくれたので、数百倍楽しめました😀

前半のスローテンポな踊りはベテランが・・・


アップテンポの威勢のいい踊りは若者が担当となることが多いこととか・・・


歌や踊りの区切りごとに踊り手の親戚や友人がお菓子や裸銭を投げて、子供達が拾うのですが・・・

「投げ方、拾い方にコツがある」という話など、とても面白かったです。

古い火山地形を生かしての昔からの天然の良港だった岡田の人々は、日本各地の漁師と交流して歌を教わり、歌い継がれてきた歌が300以上。

手踊りは、その歌の中から毎年違う歌を選び、伝承や資料をもとに相談しながら踊りを再現するのだそうです。「そうしないと残していくことができないから」と…。

こうして大切に歌い、踊り継がれてきたことで、現地で失われたものも数多く残っているそうです。昨日も「鎌倉」「宝町」「伊豆の下田」など、島外の地名のついた歌が、手踊りとともに歌われていました。

そして最後の踊りは・・・


保元の乱で敗れ、伊豆大島に流された源為朝が、岩山をテコで切り開いて八幡神社を建立したとされる故事に始まる『天古舞』

島ではきっと昔から、祭りを通して、地域の文化やしきたりを学び、仲間意識を育んできたのですよね。

これからは、島の中の「祭り」のことを、もっと実感を持ってガイドできそうです。

元町の吉谷神社正月祭については次回のブログで報告します😀

(カナ)
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