ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

 2008年10月から「第2マキペディア」として続けることにしました。

「天タマ」第40号(2000年11月21日発行)(その1)

2007年08月16日 | 教科通信「天タマ」
「天タマ」第40号(2000年11月21日発行)

         市立看護専門学校 哲学の教科通信

       (その1)

 前回は「コミュニケーションにおける書き言葉の意義」というテ
ーマで考えてみました。レポートを読んでみて、学級通信などに熱
心に取り組む先生に出会った人とそうでない人とで、体験上の大き
な差が出ているように思いました。

 個人的な交換日記は、女子だからか、かなり多くの人が経験して
きたようです。手紙の独特の意義について述べている人も多かった
です。後半にアンケート結果を特集しました。

   学級通信の思い出

──小学校6年生の時の先生は毎週「You and I 」という題で学級
通信を出していた。それは私たちのクラスの合言葉であり、みんな
You and Iを意識していた。先生が You and Iと初めて言った時、
私たちはわけが分からなかったが、卒業する頃になると、自然と
You and Iが身についていた。

  You and Iの意味は、自分がされて嫌な事は他人にしない、自分
がされて嬉しいことは他人にもする、という意味であった。教室の
ゴミをひろって捨てるなどのどんな小さな事も You and Iになり、
先生は私たちの行動をよく見て、そういった事を学級通信に載せて
くれた。学級通信に載ることでなぜか嬉しくなり、どんどん You
and Iをしようと思った。

 その先生は大変熱心に学級通信を書いてくれたので、クラスの中
で自然と You and Iノートというものができ、みんながそのノート
にいろいろな事を自由に書いた。もちろんそのノートは先生に読ん
でもらっていて、そのことについても学級通信に書いてくれた。

 今考えると、あの時のクラスの雰囲気はとても居心地がよく、先
生と生徒の関係もとてもいいものであったと思う。学級通信にはす
ごい力があるんだなぁと、今になって思うし、あの先生のことは今
でも忘れない。コミュニケーションにおける書き言葉の意義はすご
いものだと思った。

   クラス全体の交換日記

──私の高校時代には担任とクラス全員で交換日記をしていました
。書く人は自分の事でもなんでも良いので、書くと、それに対して
先生は2~3ページも返事をくれます。みんな最初は面倒くさいと
言っていたけれど、だんだん早くまわってこないかなという感じに
なってきました。しゃべった事もない人の事もノートを見て知るこ
とができた。

 自分にまわってくるまでに35人くらいのページ+先生の返事(35
×3 ページ)くらいあって、読むのに1~2時間も掛かりました。
でも、いろいろな考えを知ったり、友達の意外な面を知れて、普段
学校で話すよりも相手のことも理解できたように思った。

 ★ 授業で紹介した高校生通信「今、ここで」もそうですが、高
校ではこういう「通信」とか「全体での交換日記」みたいなことを
してくれる先生はとても少ないので、貴重な経験だったと思います


 本当は、考えることの多くなる高校や大学(専門学校)でこそこ
ういう物が必要なのだと思います。しかしまた、残念ながら、形の
上では「通信」みたいなものが出ても、それが内容的に下らないも
のもあるようです。

──中学・高校と通信は出ていたが、月1のものであり、その内容
は行事予定(それもテストの日程などばかりで、楽しむ行事はほと
んどなく、また高校では特に「最近風紀が乱れている」とか、「茶
髪はだめ、ピアスはだめ、スカートのたけはどうのこうの」だのと
いった内容ばかりだった。そんな学級通信はあってもほとんど意味
のないものだと思った。

 ★ なぜ日本の学校では服装とかを校則でうるさく縛るのか、こ
の問題について考える機会があるといいと思います。ATんは「自
分達で学級通信を出してみるのもいいかな」と提案しています。編
集する人を交代制にすれば出来るかな。がんばって下さい。皆さん
が出すなら、私も寄稿します。

   二十歳の自分への手紙

──中学3年の時なのだが、担任が「二十歳の自分への手紙を書い
てみよう。そして、この手紙はお前らの成人式の前日に届くように
オレが保管しておく。中身は見れないようにちゃんとくっつけてお
けよ」と言って、私たちに「二十歳の自分への手紙」を書かせた。

 もうすぐ私も20歳で来年の1月は成人式だ。15歳の頃の私から手
紙が届く。内容は忘れてしまったが(でも、それを書いたのは最後
の給食の日だったから、メニューを書いたような・)。とても楽し
みだ。あの先生のことは忘れないと思う。

   折り鶴のお守り

──高校で、この学校の受験のために、放課後、補講をして受験対
策をしていた。数学系補講のメンバーはだいたいみなが看護系の学
校へ行く人だったので、みんながんばって問題を解いていた。受験
の日が近づいてくるにつれて、そのメンバーで受験日の近い人に「
お守り」として言葉を書いてツルを折り、1つの袋に入れてその子
に渡した。

 私もみんなももらったのだが、受験に行く時に電車の中で見てい
った。1人1人の言葉の書かれたツルを開き、言葉を見て、嬉しか
ったし、受験がっばっていこうという気持ちになれた。言葉をかけ
てもらうことよりも、その1つ1つの書き言葉の方が、私は自分自
身の励みになった。

   日記

──私は高校1年の冬から毎日、日記をつけている。別に深い意味
はなかったけれど、かわいい日記帳を見つけたのがきっかけだった
と思う。~毎年、年末になると、その年の1月1日からの日記を読
み返すことが習慣になってきた。去年は受験や卒業、入学、実習と
本当にいろんな事があった。

 何年か前の日記を読み返すと、少しずつ自分が成長したり、歳を
とったなぁと実感できる。今日という日はこの先ずっと戻ってくる
ことはない。だから私は日記にこの貴重な日の出来事を残しておき
たい。今は看護過程で苦しい思いをしていることも、何年か後には
、これも1つの思い出になっているのだろう。

 ★ Kさんは「今日の授業のこともきっと日記に書き、一生残る
んだろうな」と書いています。残っても恥ずかしくないような授業
にしたいものです。

   交換日記

──今日のカンファレンスは、昔みんながやっていた交換日記のこ
とでかなり盛り上がった。今思い出すと、本当に恥ずかしいことば
かり書いていたが、その時はそれか楽しくて仕方がなかったんだと
思う。毎日学校で会い話しているのに、なぜそんな事をしていたの
かと思うと、やはり口では言えないような好きな子のことやイヤな
ことが書けるということが一番の利点だろう。でもそれだけではな
くて、何人かと行うことで私達は友達なんだということを確認し合
う意味もあったのだと思う。これはやはり日本人特有の仲間意識を
育てるものだったのかもしれない。

   コミュニケーションを妨げるもの

──同じ書き言葉でも、医療ミスを発生させる側面もある事が分か
った。実習中も、医師用のカルテの文字は、日付くらいしか読めな
かった。詳しい病態を知りたくても読めない。看護婦さん達も非常
に苦労していた。読み間違えても当然だと思う。その医師一人だけ
が見るのなら問題はないが、他の医師も看護婦も見るし、みんな正
しい情報を知りたい。読み間違えて投与量を間違えたりすれば、患
者さんの命に関わってくるのだから、せめて指示票くらい丁寧に記
入してもらいたい。

 ★ 組織として仕事をしている時、構成員の誰かが間違えたり、
迷惑な事をしたりすることがあります。これをどうしたらよいのか
、今後の授業で考えていきましょう。

 これまでは相互理解を深めるということで考えてきましたが、21
日のテーマは、逆の角度から、次のようにします。

 (1) 人間はどこまで理解し合えるか。話せば何でも分かり合える
のか。
 (2) 人間は完全に理解し合う必要があるのか。
 (3) 思った事を何でも全部正直に言っても好いのか、言った方が
好いのか。

   「日本一短い~」に応募

──休憩の時、先生に読んでいただいた「日本一短い家族への手紙
」という本を聞いて、私も何度か応募したことがある。母への手紙
と大切な人への手紙に応募したことを思い出した。普段口に出して
素直に言えない一言が言えてしまう。書き言葉は不思議だなぁと思
う。何年か前、「日本一短い母への手紙」に応募して一度だけ本に
載ったことがあります。なんだか、とても照れくさかったことを思
い出しました。

   メールアドレス

 講師のメールアドレスを書いておきます。「授業要綱」に書き忘
れたので。メールを始めた人は練習に使ってくれても結構です。


「天タマ」第40号(その2)

2007年08月16日 | 教科通信「天タマ」
「天タマ」第40号(2000年11月21日発行)

       (その2)

     より良い授業のために

   1、授業全体について

──カンファレンスはぜひあった方がよい。(多数意見。普段話さ
ない人とも話せるという利点から考えて、もう少し頻繁に席替えし
たらどうでしょうか。「たまにはクラス全員で話したい」という意
見も。これは私の希望でもあるのですが、なかなかうまく行きませ
ん。しかし、今年も試みてみましょう)

──授業中の雰囲気が懐かしい中学時代を思い起こさせる。
──初めての授業内容だったので最初はとまどったが、今は興味深
く受講している。
──前の授業とつながりのあるテーマなので考えやすい。(多数意
見)

   2、家族や友人と話したこと

──「天タマ」を親に見せました。親はこういうのもいいね。学級
通信みたいだね、と読んでいました。「こんなことを授業でやって
いるんだ。哲学ってもっとかたいイメージがあったけど、これなら
楽しそうだね」と言っていました。

 ★ これがほとんど唯一の具体的な報告です。以前は「自分の机
の上においてあった『天タマ』を親が勝手に読んで感想を言ってい
た」といった報告もあったのですが、そういう事が少し減っている
かなという印象です。

 家族と話してほしいです。親は子供の学校生活を知りたがってい
ます。皆さんは父の日のプレゼントに何を贈りますか。「話を贈る
」ことを提案します。いつもより長めに晩酌に付き合うとか、離れ
ているならプレゼント代を電話代にして長めに話をするということ
です。特に女の子は年頃になると男親との話が少なくなるようで
す。

──「その他」の所に書いてある事はその人のことが分かり、話の
ネタになる。

   3、休憩について

 全体として高い支持率でした。雑学も大切だという意見。休憩の
ある授業は初めてだという意見も。ディズニーワールドのVTR、
心理テスト、和敬塾のVTRなどが人気でした。先生のための休憩
ではないかという意見もありました。

   4、「授業についての話は私語ではないから許されるべき
     だ」という意見について。

 ★ 賛成意見

──今思ったことは今言わないと忘れてしまうし相手にも伝わりに
くい。
──一言二言話すのは私語ではない。

──話す内容・口調・音量に気をつけ、周りの人が不快に思わなけ
ればよい。
──プリント配付中とかビデオ準備中ならいいのではないか。
──全く声の出ない授業の方が気持ち悪い。

 ★ 反対意見

──気持ちとしては分かるが、話が聞けなくなるし、話しかけられ
た人は迷惑だから、私語は休み時間に。

──その時話していたことが本当に授業の事か本人にしか分からな
い。ごたごたするなら規則を決めておくべし。

──自分の経験から見ても、授業の話からおしゃべりへと内容が変
わっている。

──全員が私語を始めたら騒音になってしまう。
──この意見は自己中心的。手を挙げて発言すべし。

──カンファレンスの時間がしっかり取られればよいと思う。(複
数の人の意見)

 結論

 「私語は悪い態度とみなす」という授業要綱は変えません。ただ
し、「ほんの少し」弾力的に運用するようにします。カンファレン
スの時間を確保します

   5、講師の生徒に対する態度

──先生への批判的なコメントに対して先生が自分の考えを書く場
合は、生徒の名は載せない方がよい。

──名前を覚える人と覚えない人とがいるということは生徒に話す
べきことではないと思った。正直すぎる発言で、自分は覚えてもら
えるかなと不安になった人もいるかも。

 ★ そのほかにも、実名を出すことにもう少し気をつけるべきだ
という意見がいくつか寄せられました。気をつけます。

──「天タマ」には先生を良く言う意見が載っている。同じ人が載
っている。

 ★ プリントを投げて渡すことについて、その後も意見がいくつ
かありました。

──受け取る側の態度を考えてみると、生徒の方に問題があるので
は?と思うようになりました。
──最近は先生も注意して渡してくれていると思います。
──問題があると思う。先生から渡されている時、手を差し出して
いる子もいたのに。

   6、「朝の10分間読書」の経験

──読書に興味が持てた。
──担任の先生が一人一人にどんな本を読んでいるか尋ねたので嬉
しかった。
──読みおわったら紹介カードを書き、クラスのみんなに勧めた。

──お手紙郵便を書いて○年○組○○さん宛にその本を紹介する、
ということをした。
──朝の15分間読書だった。1時間目から集中して授業が受けられ
た。

──10分では短すぎた。(20分くらい読書したという報告も1つあ
りました。しかし、20分は長すぎると思います。10分という所が好
いのだと思います)

──読む本を探すのが面倒で、毎日同じ本を読んでいた気がする。

──先生が朝の会議をしていたのでマンガにカバーを掛けている人
、寝ている人、宿題をしている人などがいて、しっかり読書してい
る人は少なかった。

──朝練のあった者は着替えをしていたりして無意味だった。集合
が15分遅い方がよかった。

 ★ これも授業の一環なのですから、やはり先生がしっかり指導
しなければ所期の目的は達せられないということが分かりました。
読書ではなく黙想の時間のあった学校もあるようです。

   7、その他

──初め、哲学の授業は先生の考えにしばられた授業で「いやだ、
窮屈だな」などと思っていましたが、何回か授業を受けていくうち
に、先生の熱心さ(授業の内容)などが伝わってきて、自分の知ら
なかったことなども考えることができ、社会についても考えられ、
ためになります。また、カンファレンスや「天タマ」などを通して
他の人の考えや意見が聞けてよいと思います。

 ★ これは多くの人の気持ちを代弁していると思います。もう一
歩深く分析して、講師はどういう点では強制的でどういう点では自
由にしているかと考えると、今後ほかの事を考える時にも役立つだ
ろうと思います。

──哲学とは何ですか。私には哲学(いま授業でしていること)は
楽しいのですが、これが哲学というのか自分の中ではっきりしな
い。

 ★ どう返事したら好いのか迷ってしまいます。まず、学問は生
物学みたいにその対象で分類されるか、歴史学のように方法で分類
されるかです。哲学だけはどちらでもありません。それに実際に哲
学の名の下でなされてきた事は歴史的に変わってきました。

 第2に、「哲学」という日本語は philosophieという英語の訳語
ですが、その英語は「知を愛すること」という意味です。愛知県は
哲学県なのです。

 第3に、そしてこれが一番問題なのですが、大学などで哲学の名
の下に行われていることは哲学史です。つまり過去の哲学者の考え
の紹介です。ですから日本では哲学と哲学史とが混同されています
。『ソフィーの世界』の日本語版の帯には「哲学ファンタジー」と
書いてありました。ドイツ語版には「哲学史の長編小説」と正しく
書いてありました。

 東大の哲学科で哲学を教えるより本校で哲学を教える方が好い理
由がこれと関係しています。東大の哲学科の学生は哲学教授になり
たがっています。そこでそのために世の中で「哲学」として通用し
ているものに自分を合わせなければなりません。しかし、皆さんは
哲学で飯を食おうとは考えていません。学会の動向は無関係です。
自由にやれます。だから好いのです。学会全体が間違っているので
すから。

 結論・授業で考えているような事が哲学の本当の問題だと思いま
す。我々が孤立しているのは、世の哲学教授たちが脇道にそれた事
ばかりしているからです。

──哲学の授業が始まってから、新聞の今まで読まなかった面も少
しずつ読もうと思うようになった。(私の情報源は朝日新聞を丁寧
に読むことだけです)

──休憩のVTRはどうしているのですか。(講師が自分で録画し
ています)

──先生の手作りケーキが食べてみたいです。

 ★ 3年の実習の終わった時、12月中頃のある午後に、好きな人
達で集まって得意のものを作る機会を持つ、という案をどう思いま
すか。それを実習終了祝いとしても好いと思います。

──この授業が3か月で終わってしまうのはさみしい。

 ★ これは私も何度か考えたことです。しかし、逆にもしこの授
業が1年間続いて年間30回の授業になったとします。すると、私の
研究時間に影響が出ると思います。秋の3、4か月間だけだから、
この授業にこれだけのエネルギーを注げるのだ、とも言えます。

 私には人々から期待されている仕事がほかにもあります。本校の
授業にこれ以上の力を割いたら、批判されるだろうと思います。