投稿(PTA新聞での経験)
K・T
ご無沙汰しています。いつもメルマガを拝読しています。
もうお忘れになったかもしれませんが、以前にメールを差し上げたことがございますKです。
〔「教育の広場」第237号の〕第1は、ニセの教師と本当の教師とはどこが違うかということです。それは「自分の事を言うか否か」だと思います。(引用終わり)
このところを読んで、思い出したことがあります。息子の東京の公立高校で、PTA新聞の係をいたしました。
先生方に「私の高校時代」を書いていただいたのです。担任はもちろん、校長先生も選科の先生も、お忙しい中を、先生皆さん(お一人抜けました)が書いてくださいました。
野球の球を追って、毎日真っ黒になっていた、
絵ばかり描いていて、勉強しなかった、
将来の不安なのか、自分探しなのか、なぜか暗かった、
生物が大好きで虫や魚を飼っていた、
等々あったように思います。
生徒たちが、先生に親しみを感じてくれればとの思いがあったのですが、短い中にも、思いがけないようなお話も、いかにもあの先生らしい、というお話もあって、家庭でも話題になったようでした。
高校といういろいろものを考える時代がテーマだったのが良かったのかもしれません。
でも、先生ご自身の中学時代でも、小学校時代でも、また「私の父」「私の母」などというテーマでも、お書きいただいても良かったな、と思います。
私はその1号だけが担当だったので、それ以上はしなかったのですが。
当時は職業を持っていたため、学校を訪ねることも少なかったのですが、先生方とお話がなんだか通じやすくなったように覚えています。
それでどうした、というような話題ではありませんが、何事もきっかけが必要かもしれない、こんなことで、親や生徒と先生方との良い関係ができれば・・・と思いました。
失礼いたしました。 お暑い日が続いております。お体大切にお過ごしくださいませ。
お返事(牧野 紀之)
Kさんのことは覚えています。
私が「自分の事を言う」と言いますのは、さしあたっては「自分がどういう研究をしているか、自分は授業のやり方でどいう工夫をしているか」を言うことです。
多くの教師は、大学教員でさえ、その点で言うべきものを持たないので、学校や大学のホームページはお粗末になっているわけです。
しかし、学生時代のこととか、個人的趣味なども言って悪いことはないし、学校の中では少しは言った方がいいでしょう。
退職されたようですが、経験を生かして、後世によりよい社会を残すようにがんばってください。
愛知県人です。
よりよい社会を後世に残す… 人の生きる意味は正にこういう事かなと、感じています。
周りを無視して、あくまでもオレの心の問題だと云う、一国の代表\…。
これが、よりよい社会を伝える事なのかと、非常に残念に思いました。