ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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「天タマ」第34号(2000年10月10日発行)

2007年08月05日 | 教科通信「天タマ」
「天タマ」第34号(2000年10月10日発行)

         市立看護専門学校 哲学の教科通信

 3日は、看護婦の忙しさは日本における労働者の多くの長時間労
働の一つであるという考えから、その問題を考えました。労働時間
の実情はどうか、それをどうしたらよいのかが、レポートのテーマ
でした。働いた経験、アルバイトの経験、親の実情など、イキイキ
としたレポートでした。

   労働時間の実情

──私はこの学校に入学する前は金融機関に勤めていました。銀行
業務は9時から3時までと思われがちですが、実際は8時には店の
中に入り、シャッターが開くまでの間は、走り回って開店準備をし
ます。重い硬貨、紙幣を運んだり、パソコンで為替をチェックした
りと、朝から汗だくでした。そしてシャッターが閉まってからがこ
れまた大変で、一日の〆めをします。一円でも合わないと帰れない
というのは本当で、何百枚もある伝票をみんなで手分けしてミスを
探します。7時8時になることもありました。

 有休は、入社初年度10日ありました。次の年から1日ずつ増えて
いきました。お盆や正月や7月などは、新人は連休を取れません。
年配の人が取るからです。9月や11月とかボーナスシーズンとかで
なく、忙しくない時期しか、気をつかって取れませんでした。おま
けに、休むときは、自分の仕事をまかせるので、事細かくメモにし
て、分担して先輩一人一人に頭を下げてお願いしに行きます。

 その休暇も前後の土日を合わせて最長9日間しかありません。実
質は5日間休みです。あとの5日は病院にいくとか免許の書き換え
の為に取っておくしかなく、結局は使い切れません。休み明けには
お土産を持っていかなければいけない習慣みたいなものがあったり
。私はそんな古い体質が嫌でした。

 ★ 7時8時になることもあったそうですが、普通は6時頃帰れ
たのですか? 男性の銀行員は10時11時が普通と聞いています。出
社が7時頃なので、これを「セブン・イレブン」と言うそうです。

 それはともかく、小椋桂が第一勧業銀行の浜松支店長として浜松
に赴任してきた時、彼は「毎週水曜日は絶対に全員定時(5時)で
退社する」と決めて実行したそうです。支店長の考えで実行できる
のはここまででしょう。これ以上の事になると、会社のトップの考
え、社会全体のあり方で決まってくると思います。

 しかし、逆に言えば、個々の店のトップとか、個々の部署のトッ
プにもそれなりの裁量権がありますから、その範囲で改善は出来る
のです。身近な例で言えば、個々の先生は自分の授業をどうするか
、かなりの裁量権を持っています。社会全体の事を問題にし、批判
することは大切な事だと思います。しかし、同時に、自分の裁量権
の範囲で自分はどれだけ改善しているのかと反省することも重要で
す。

 皆さんは看護婦になった時、ヘルパーさんや看護助手に対する態
度などをどうするつもりですか? 婦長などになった時、どんな点
を改善するつもりですか? 又、親になった時どんな家庭を作るつ
もりですか?

──私が特別養護老人ホームに勤めていた時、特に夜勤の勤務時間
はすごかった。職場で決められていた勤務時間は夕方4時~翌朝9
時、仮眠がその間に2時間であった。しかし、実際は3時半には仕
事をして、翌朝は早くて10時に終わった。約18時間も働きつづけて
、ひどい時には翌朝ではなく昼に帰ることもあった。仮眠はとった
ことがなく、体が慣れるまでは、家に帰ると嘔吐していた。

 その上、月にこの夜勤が7回もあることがあった。仮眠しように
も2人で70人のお年寄りを介護していては、休む時間などなかった
。監査が入る度に、指導を受けて改善されはしないかと希望を抱い
たが、そんなことは一度としてなかった。今、介護保険の導入で夜
勤が3人になったとはいえ、現状に大差はないと聞いている。あの
夜勤をしていた頃の不安や恐怖にも似た感覚は二度と味わいたくな
いと思っている。

 ★ 「働いてみて、労働者はいかに弱いか実感した」と書いてい
ますが、このホームがこのようになっている原因は何でしょうか。
何か制度に問題があるのか、経営者のあくどいやり方が問題なのか
、それとも技術の遅れなのか、それを分析してみないと、解決策は
出てこないと思います。早出や残業にはそれなりの手当ては付いた
のですか。

──父の会社には「リフレッシュ休暇」というのがある。月1回、
休みを自分が決めて休むことができる。

 ★ この「リフレッシュ休暇」というのは何日なのでしょうか。
多分1日でしょう。これでも日本ではいい方です。国際的には連続
した休みでなければ本当の休みとは言えないと考えられています。
ヨーロッパでは4週間の連続休暇が当たり前になっています。

   外国に行ってみて

──今年の夏、イギリスにホームステイをしたとき、日本は本当に
ゆとりのない国だとつくづく感じた。大人から子供までみんなせか
せかとしている。とてもさびしい事だと感じた。

 ★ 私が初めてドイツに行ったのは1982年でした。日本中が浮か
れていた頃で、一部の商社マンなどは「もう欧米から学ぶことなん
か無い」などとうそぶいていた頃でした。私はドイツ人の生活を見
て、「日本が豊かだなんて、どこのウマシカが言っているのだろう
か」と思いました。

 1986年の秋、スイスの首都ベルンを訪ねました。かなり寒かった
のに、急流で名高いアーレ川のこちらの岸から飛び込んで向こう岸
まで泳いで遊んでいました。随分下流まで流されます。でも大人も
子供もみんな楽しそうに何度もやっていました。「これが豊かさな
んだな」と思ったことでした。アーレ川もかつては汚れていたそう
です。多額のお金を使って泳げるような元の川に戻したそうです。

──この夏、フランスを旅行して、車という車にキャンピングカー
を引っ張るものが取り付けられていて、本当に驚いた。バカンスを
愛する国民だということを改めて感じた。

 しかし、フランスでもバカンスが無い人々が大勢いて、バカンス
を楽しめない子供たちがディズニーランドに招待されていることを
知り、バカンスのかげに貧富の差の問題があることを忘れてはいけ
ないと思った。

 ★ 世の中には完全無欠なものはないと思います。こういう問題
を考える時には、その国が全体としてどうかという視点と、その国
がどういう方向にどのくらいの速度で動いているかという視点とが
大切だと思います。そして、多くの国を比較して考えることも大切
だと思います。

   その他

──先生が、私たちの親を生まれた年代とその時代背景も考慮して
考えていたのは、患者さんを見る時のその人の生活背景や発達課題
を考慮して見る看護に通じるところがあると思って感心した。

──「天タマ」を見て、先生は私たちのレポートをしっかりと見て
、理解しているんだなと思った。宿題などで、自分なりにすごく一
生懸命がっばって「大作だ」と思って提出しても、感想もアンダー
ラインの一つもなく、印のみで返されると、すごくがっかりして
「がんばったのに!」と腹を立てることがよくある。

 やはり自分の出したものには、先生の意見や言葉がほしいし、あ
るとすごく嬉しくなる。ないと、「先生は本当に見てるの?」と思
うこともある。だから、生徒の言葉を抽出してある先生の「天タマ
」を見て、何か嬉しく感じた。

 ★ 一人一人のレポートに感想を書く方が「天タマ」を作るより
大変です。少なくとも私にとっては。ですから、両方は無理となっ
た時には「天タマ」を優先してきました。しかし、感想を書くと皆
さんがとても喜んでくれるので、何とか書きたいとは思っています
。かつて「先生との交換日記みたいだ」と書いてくれた人もいます
。しかし、一昨年は疲れ切って風邪をひき、2ヵ月も治りませんで
した。辛い所です。今年は学校の配慮で毎週1回の授業にしてもら
えたので、多分、大丈夫でしょう。

──両クラスの色々な人の意見に触れることができるので、「天タ
マ」の配付が楽しみになりました。時折、先生のコメントが載って
いるのも魅力です。先生が面白い人だと、今日実感しました。いろ
んな雑談、これからも聞きたいです。

──カンファレンスの時間を削らないでください。先生の余談も授
業の一つだけど、レポートを書けというのなら、他の人の意見を聞
く時間が必要です。私は、取り組む授業というよりも、今のみんな
の授業の姿を見て、やらされている授業と感じますが、先生はどう
思いますか。

 ★ 皆さんはどう思いますか。3日の話は講師としては「雑談」
でも「余談」でもなく、授業そのもののつもりだったのですが。そ
れはともかく、「天タマ」を読む、問題提起をする、カンファレン
ス、休憩、レポート執筆。これだけの事を90分に全部組み込むのは
大変です。どれかを落とす時があるのは仕方ないと思います。又、
皆さんは「やらされて」いますか、それとも「取り組んで」います
か?

──私は自分で着物が着れるようになりたいと思って着付けを習い
はじめた。和裁でもいろいろな縫い方、和服の種類、裁断の工夫の
仕方などがあるように、着付けにもいろいろな着させ方の手順、帯
の結び方など、言いだせばきりがないほど沢山ある。

 奥深い和服だから、年齢を問わず着ることができるのではないか
と思う。洋服にはない感覚、奥ゆかしさ、着付けの面白さを実感し
ている。着ると自分が日本人でよかったという感じになる。

──私は看護婦になったら、夜勤明けの朝がとても楽しみだ。みん
なが働きに出るころに帰るのがうれしい。一人で街をブラブラした
い。

 ★ 私もホテルに泊まった時などは特に、早朝の雰囲気が特に好
きです。とても清々(すがすが)しい感じがします。

──私は今まで田舎で田んぼと山ばかりの所で生活してきましたの
で、この学校に入るまで夏のクーラーとは無縁で、いつも自然の風
とうちわと扇風機で夏を乗り切ってきました。この学校に入ってク
ーラーがついていると、いつも私は人より「寒い」と感じてしまい
ます。生徒の中でも感覚に違いはあるから、先生と生徒の間に感覚
の違いがあっても当たり前だと思います。

 ★ 授業の時のように複数の人が一緒に何かをする時には、その
個人の感覚の違いや考えの違いをどう処理するかが問題になります
。ここに集団のあり方、何かを決める時の決め方の問題が出てくる
のです。そして、時々その「話し合いのあり方」なり決め方自体を
テーマにして、「こういうあり方でいいのか」と反省することが大
切だと思うのです。